六話 君と僕
明日の数学の宿題をしていたのだが、これが、かなりの難題だった。
十分、二十分。分からん。
別に、左腕がないから、分からないって訳ではない。確かに左腕がないのはかなり不便だが。
教科書を見る。ノートを見る。記憶をたどる。
まずい。さっぱり分からん。
しかし、僕が宿題を教えてもらうクラスメートはただ、一人。
黒霧明音。
いや、今、メールとか、電話とかしたら怒るだろうな。今は、律と話をしているはずだし。
そう思っていた矢先、僕の左腕があるべき場所がぽうっと光り始めた。
「あ、帰ってくるな」
どんどん光は強くなり、最後には目を開けられないほどの強さになる。
目を開けると、左腕は見事に戻ってきていた。
(ただいま、帰ってきました!)
(おう、三時間、使い切ったんだな)
これで、律はもう、今日はリズムゲームは出来ないわけだ。
(ええ、今までの中で、もっとも実りのある三時間だったと言っても過言ではありません!)
では、これからはもっと、その三時間を有意義に使って欲しいものです。
(まあ、だいたい、明音ちゃんが知ってる、紀彦のことは聞きましたよ)
(そうか、でもせめて僕の許可は取って欲しかったな)
(明音ちゃんは紀彦の主人でしょう?)
(プライバシーぐらいはあるだろう)
まあ、でも、かまわない。明音と律が知っていようと、いまいと、困ることもないだろう。
(単刀直入に聞くと、明音ちゃんをどう思っているんですか?)
(なかなか、面白い質問だな、明音からの入れ知恵か?)
茶化してみる。
(これは真面目な質問ですよ、紀彦。明音ちゃんをどう思っているんですか?)
心の中の会話ではあるが、自分に対し真剣な顔をする律が思い浮かんだ。
茶化すのはなし。それなりに真面目に答えよう。
(主人であると思っている。それと同時に、黒霧家の人間であるとも思っている)
この発言を受けて、律は明らかに警戒心を強めた。
少し失敗したか。
(それは、場合によっては明音ちゃんでさえも、敵としてみなすこともあるってことですよね)
痛いところをついてくるな。真面目に答えすぎたか。
(間違いではない。ま、そんなことには、ならないだろうけど)
ここで、嘘をつくのは危険と判断した。
はっきり言って、バレそうな気がする。
(そうですか。私として個人としては出来る限り明音ちゃんの味方でありたいですね)
(そうか、そう思うことはかまわない。だけど、僕は僕だ。自由は欲しいし、正式な魔術師にだってなりたい)
どれも、本心だ。
僕は今、仮の魔術検定二級をもっている。
正式な検定を得るためには、使い魔として、主人から、魔力を受け取っている可能性を完全に否定する必要がある。
それは、使い魔をやめること。
明音との関係を切るということ。
使い魔では正式な、魔術検定を得ることが出来ない。
魔術検定を正式に持っているといないじゃ、許可される実験の範囲が桁違いだ。
(そんなこと?)
(そんなこと、って言い方はないだろ)
いらっとくる。
律は魔術界で育ったんじゃない。だから魔術界の常識を、知らなくて当然。
それは分かっている。
(私から見たらそんなことです。明音ちゃんなしで、正式な、魔術師になったところで、何がいいんです?)
え、なんで、答えられない? 間髪いれずに答えるところだろ、ここは。
(そう言うこと、なんじゃないですか?)
(は!?)
(明音ちゃんがいなかったら、何にもないんじゃないですか?)
(そんなわけ、)
ないだろ! と言おうとして、止まった。僕に明音の他に何があるのか。
苦笑いする。
矛盾してるな。明音がいなければ正式な魔術師になれる。でも、明音がいないと困る。
自分は何をしたいんだろう。
生きる目的は?
ない。
自分が、造られた人間だから?
分からない。
(確かに、僕には何もないな。明音の使い魔である、と言うこと以外、何もない。夢もない。生きる理由も、目的も)
正式な魔術師になれれば、何かが、変わるとおもっていたんだがな。
浅い考えだな。
(じゃあ、とりあえず明音ちゃんに着いていくしかないんじゃないですか?)
(そうだな)
今、僕には明音しかないのかもしれない。
ならば、明音との縁を切るのは、まずい。僕の中から何もかもなくなってしまう。
そうだ。
宿題を教えてもらおう。
机の上のスマホに明音の番号を打ち込み、電話をかける。
(まさかの宣言!?)
(数学の宿題を教えてもらおうと思ってな)
十回ほどコールが鳴る。
さすがに早すぎたか。
「紀彦?」
「お、おう。紀彦だ。今、大丈夫か?」
「ええ、どうしたの?」
「いや、宿題を教えてもらおうと思って」
十秒ほどの沈黙。
地雷、踏んだか?
はー。という大きなため息が聞こえる。
「こっちはさっきまで、重要な、真面目な話をしていたというのに、数学の宿題を教えてくれ!? ふざけないでよね!」
「い、いや、明音に言われたとおり、帰って、飯食って、風呂入って、真面目に宿題してたんだぜ?」
(確かに、言われたとおりに宿題してますね)
「まあ、いいわ。で? どこの問題? 数学の宿題は昨日に終わらせたから、だいたい分かるわよ」
「もしかして、前から、今日に仕事があること知ってたのか?」
明日は仕事がある。宿題は出来ないかもしれない。だから、今日のうちにやっておこう。みたいな。
また、沈黙。
そして、ヒグッとすすり泣く声。
(横道にそれましたね)
(反省してる)
「言い忘れてたの! だ、だから、今日は、既に昨日に伝えてると勘違いしてて!」
なるほど、三〇分ほどのタイムラグはそのせいか。
「なるほど、そういうことだったのか」
「もしかして、私のこと、嫌いになった?」
「なるわけないだろ。明音。」
「じゃ、じゃあ、わ、私のこと、どう思ってるの!? ど、どうせ、邪魔だなーとか、思ってるんでしょ!」
今の明音はどこか、いつもと違う。
川屋に負けて、弱気になっているのかもしれない。
「そうだったら、どうするんだ?」
「そ、そ、そうだったら? そうだったら? そうだったら、どうしよう。どうしようもないよ。私はあなたに捨てられたってこと。そうでしょう?」
きっと、前々から思っていたことなんだろうな。
「違う」
「何がよ! 川屋みたいなやつに負ける弱っちい私なんか!」
なんて言えば、明音を安心させられるだろうか。
「いずれ、捨てるつもりなんでしょ!」
迷いはない。
「違う。明音は捨てられない。何があろうと、僕は明音を捨てたりなんかしない。明音には、捨てられない魅力がある。それは、何があっても、揺らぐことはないから。安心していいんだ」
今度こそ、明音は泣いた。
大泣きだった。
余程、僕は明音に心配をかけていたようだ。反省しなくては。
軸がなく、ぶれ続けている僕をただ、ただ、見守り続けてくれていたんだ。
(数学の宿題、聞きそびれましたね)
翌日。僕は明音と登校した。
数学の宿題についても聞けた。
休み時間、登下校の時間を共有するようになった。
そうして、一週間が過ぎた。
相変わらず、榊原律を失ったクラスはどこか、ぎこちない雰囲気が流れている。
そういえば、「黒霧と付き合っているのか」と聞かれた。
いや、そういう訳ではない、と答えた。
それ以外、特に大したことはなかった。
事件から六日後、黒霧家から、連絡がきた。
まず、角前さんの猫の件。
やはり、新たなる闇から、入手した特殊な薬が原因で巨大化、凶暴化したようだ。
角前さんが、魔術の知識に乏しいのに、つけ込んだようだ。
角前さんは、以前はかなり裕福な一般人で、魔術とは無縁の生活を送っていた。
角前さんには、奥さんが一人、子供はいなかったが、とても仲の良い夫婦だったらしい。
しかし、その奥さんが現在の科学では治療不可能、不治の病にかかってしまった。
最初はありとあらゆる医療を頼った。が、ダメだった。どこでも、治せないと。
その次に頼ったのが、魔術だった。
人知れず、魔術を学び続けたが、間に合わなかった。
奥さんは最後に角前さんに猫を飼うように勧めたそうだ。きっと、一人でいるよりずっと、気が紛れるから、と。
角前さんはその後、奥さんの言うとおり、猫を飼った。
ここまでは十年ほど前の話。
前は妻。
今度は猫だった。
また、病だった。
この十年、全く手を付けていなかった魔術にまた、角前さんは手を付けた。
今度こそは、と。
それが、今回の事件の発端。
角前さんは新たなる闇から、薬品の提供などを受け、実験を開始した。
しかし、その薬品は全く効果の違うものだった。
新たなる闇は角前さんの猫で実験しようとしていたのだった。
その薬品の効果をより、正確に調べるために。
そして、さらに重要。
律の件について、川屋と中野はそろって反応を示したそうだ。
つまり、律の事件には新たなる闇がからんでいたことになる。
この報告が律にとって疑問だったらしい。
(しかし、よく、口が割れましたねー)
(いや、口を割らなくてもいいんだ)
(どういうことですか?)
(黒霧家には、人の心を読める魔術師もいる。万能ではないけれど。例えば、写真を相手に見せる。この場合は律の写真だ。ここで、心を読みつつ、この人を知っているか? と問いかける)
(口にはしなくても、心の中では答えている。それが分かるってことですか)
(そうだ。まあ、で、この連絡では、反応を示した。だけだな。何かしら、律の事件に川屋と中野が関わっているのか、それとも、本当にただ、知っているだけかまでは分からない)
(なるほど、でも、かなりの進歩じゃないですか!)
確かに。何もないところから、やっと見つかった情報だ。
(とりあえず、新たなる闇が関係しているってことでまず、間違いないだろ)
(そういえば、最近、仕事ないですね。一週間ぐらい前から)
(まあ、ない方が楽でいいんだけどな)
翌日。
(なんて言ってたんだけどな。昨日)
(すぐに呼び出し、かかりましたね)
一週間前と全く同じ集合場所、野月高校、正門前である。
相変わらず寒い。
「来たわね。ちょっと遅いんじゃない?」
「掃除があったんだよ。クラスの」
時刻は四時十分。割と急いだほうだ。
「今日はなんだ?」
「新たなる闇に乗り込みます」
「は!?」
いきなり過ぎる。中ボスを飛ばしてラスボスに行ってるようなもんだ。
「ま、これも上からの命令だし、仕方ないの」
いくら何でも唐突すぎやしないか?
まあ、珍しいことではないけど。
「しかし、相変わらず、黒霧家は人使いが荒いよな」
まして、ここにいる明音は、黒霧家の人間だと言うのに。
「魔術師が、前の戦争でかなり、減ってしまったからね。働ける魔術師はできるだけ働いてもらわないと手が回らないのよ」
(いろいろと、戦争の影響が出ているんですね)
「そうね、これに関しては他の魔術家も一緒だと思うわ」
明音は堂々と腕を組んで、反論を許さない構えだ。
「まあ、従うしかないな。しかし、どこにあるんだ? 新たなる闇の拠点は」
場所が分からないのに、乗り込むなんて不可能だ。
「それも、川屋と中野から、分かったのよ」
なるほど。
(もはや、刑事ドラマのような、人情に訴えかける尋問は、魔術界では必要ないんですね)
確かに。
「とりあえず、人目につくし、車に乗って」
車も一週間前と全く同じ。まさか。
僕の目の前、前の座席にかけていた、ゴミ袋。
「そのまんま。いや、先週よりも大きくなっていないか?」
「忘れてた!」
だから、テへってやるな。
それをすればいい訳ではないんだそ。
忘れすぎだ。
後部座席に二人で並んで座る。
目の前には、膨れ上がったゴミ袋。
隣の人は、そのゴミ袋に今出来たチョコレートの空き袋を突っ込んでる。
緊張感の欠片もない。
「まあ、今回はコンタクトを取るだけかな。とりあえず、川屋と中野のこと。角前さんに渡した薬品のこと。聞き出せるとは思ってないし、期待されていない。本命は次」
お菓子を食べながらも話を続ける。いつもとは段違いの量だ。なんかストレスでも溜まっているのか?
(明音ちゃんってこんなにお菓子食べましたっけ?)
(いや、そんなにたべなかったはず)
「こっちも難しい状況になっているのよ。ここんところ」
「まあ、あまり深入りしないでおくよ」
深入りして、大火傷、なんてのはよくある話だ。
「それが、まあ、安全でしょう」
嫌な話、黒霧家の中で明音の立ち位置は極めて不安定だ。
黒霧の血縁だが、相続順位は九五人中、五〇位。
あまり、権限はない。が、実力はあるし、キルキルキルの監視役だ。
そのために、余計に警戒もされているようだ。
結果的に一定の割合で仕事が舞い込んでくる。二人の力量を測るためだろう。
「さて、そろそろ着くわよ」
魔術結社といえば、もっと人気のないところに、あるものだと思っていたが。
「かなり、人気がある場所だな、いや、ありすぎないか?」
「そうね、かなりの変わり種。こういうオフィスビルの中にあるらしいけど」
ここら辺はオフィス街。オフィスビルが立ち並び、スーツを着た、サラリーマンの町。
駅からも近く、交通の便もかなり良い。
時間は4時三〇分。
通りは混雑し始めている。
「ここを制服で歩くのはかなり、抵抗があるな。なんか、場違いな感じだ」
「でも、着替えとか持ってきていないでしょう」
「いや、そうなんだけど」
(と言うか、いまさらなんですけど、制服で乗り込んだら、どこの高校に通っているのか、すぐにばれるんじゃないですか?)
「大丈夫よ。ばれたところで、他の生徒には手を出せないし。どうせ、制服を着ていなくても、調べようと思ったらすぐに分かるでしょう」
こういうときは、どしっと構えていて、明音はやっぱり、黒霧家の人間、魔術師だなあ、って思うんだけど。
(なんか、明音ちゃん、今日はしっかりしてますね)
(この仕事がかなり、重要だってことだろ)
前回は最初は化け猫の鎮静化だったから、あんなに緩かったんだと予想している。
「いつでも、私はしっかりしているわよ」
「そんなこと言われてもな」
前回、半泣きだったじゃないか。
「お嬢様、そろそろ着きます。仕度を」
「ああ、ありがとう。松島」
(何気に運転手さんの名前、始めて知りました)
(そういえば、出てなかったか)
今まで、ずっと運転手さんって呼んでたからな、みんな。
ちなみに、黒霧明音、専属の運転手は二人いる。前回と今回、出てきた運転手さんは若い方で松島さん。
まさに、サラリーマン。髪は染めず黒でオールバック。メガネをかけ、スーツを着ている。このオフィス街に似合う大人だ。
もう一人は倉橋さん。ヒゲが似合う、ダンディな人。この人も、運転するときは、いつもスーツだ。
前回、中野、川屋、化け猫を松島さんから引き継いで、しかるべき所に搬送したのはこの人。中野、川屋は取り締まりのため、黒霧家の本家に送られ、化け猫は角前さんと一緒に医療施設に送られた。
「着きましたよ、お嬢様」
路肩に寄せ、松島さんは振り返って言った。
「ありがとう、松島。さて、行くわよ」
「おう」
歩道側の僕から降りる。
やはりオフィス街だ。とても、魔術結社があるようには思えない。
「そこの、伊能ビルの七階ね。最上階」
(何の変哲もない、オフィスビルですね)
(まったくだ)
「ほら、急ぐわよ」
そう言って先を行く明音に、僕も小走りで着いていく。




