猫と魔術師
巨大な猫との距離、だいたい二十メートル。後ろでは明音が一心不乱に催眠魔術の詠唱、陣の作成をしている。
あの猫の標的が僕なのか、明音なのか分からない以上、僕を無視して、明音を襲う可能性も大いにある。
(どうにかして、あの猫の標的を自分にできればいいんだけど)
(それは、もう、あれしかないでしょう?)
律、寝たんじゃなかったのか?
(猫には猫じゃらしでしょう!)
とても、律の発言が場違いなのは分かる。だが、
(なるほど! その手があったか!)
あの猫の注意をこちらに引きつつ、平和に時間を稼げるいいアイデアだ。
しかし、猫じゃらしなんて持ってないんですが。
これが、明音とかなら猫じゃらしなんて、魔力で作っちゃうんだろうけど。
(そこらへんに生えてますよ?)
(あ、本当だ)
ほとんど整備されていない、十月の校庭には膝丈ぐらいの若干しおれた猫じゃらしが生えていた。
(でも、このままだとあの猫が気付いてくれるか怪しいよな)
(確かにそうですねー)
とりあえず、巨大化の魔術をかける。
だいたい僕と同じぐらいの大きさにはなったが、猫じゃらし自体が自身の重さに耐えられず、へたっている。
これじゃ使えねえだろ。しっかりしろよ。こうなると、あとは硬度を上げる強化魔術しかない。ふっと力を込め、猫じゃらしの硬度を上げる。
(と、とりあえず、巨大な、猫じゃらしには、な、なったな)
(無茶苦茶重そうですけど)
(こ、硬度を、上げるためだ。仕方ない!)
ほどよい猫じゃらし、としての柔軟性が残っているため、先端がへたっている。だが、そのためか、重さが想像以上になっている。
(ていうか! ほら! 猫がこっち来てますよ!)
「身体強化!」
猫じゃらしが軽く感じられる。
猫は目の前で、その右の前足を振りかぶっている。
「おおおおお!」
かけ声と共に一気に右に飛ぶ。
猫の爪がキラリと光った。
あ、あぶねえ! かすった!
左頬に一筋の赤い線が出来上がっている。そこから、血が流れ出している。
(死んだかと思いましたよ!)
(いや、それは、マジで。僕もだ)
いきなり飛んだせいで、着地は上手く出来なかったが、とりあえず、僕の命の糸は切れていない訳だ。
(次! 来ますよ!)
猫じゃらしをさらに捉えようと、もう一度、右足を振りかぶっているのが見えた。
いや、もう捉えていたじゃないか! これぐらいで満足してくれ!
とは言っても今度は少し余裕があった。猫が右足を振り下ろすのに合わせて一気に後ろに飛び退く。
(よし! 今度は大丈夫だ!)
(まあ、でも、よくもまあ、こんなボロボロの猫じゃらしで気が引けますね)
確かに、猫じゃらしの先端の毛は最初の一撃でほとんど消え去っている。これが、原因で猫が興味を失っても困る。
(拾っておくか)
(いや、そんな悠長なことしている暇ないですよ!)
既に猫は目の前だ。
今度は両足を振りかぶっている。
(えっ?)
どこに逃げれば良いんだ? 後ろは間に合わない!
(上ですよ!)
地面を蹴り、思いっきり飛び上がる。
今の僕の体は魔術で、強化されているので一気に猫の頭上を取った形だ。
だが、何も出来ない。
「お、落ちる!」
(そりゃそうでしょ)
五、六メートルは飛び上がっていたし、しっかり、無事に着地出来るか今の精神状態ではとても、怪しい。
(とりあえず、足を下にーー)
その時ボフッという音と共に大量の毛が僕を包み込んできた。
(どうなってんだ?)
(猫の体の上に落ちたってことですかね)
あ、なるほど、それなら納得だ。だが、ここからどうしよう。
(このままここにいるのも良くはないよな)
(そう思うなら下に落ちたらいいじゃないですか)
(そうだな)
ここで一睡したかったが、今は明音の安全が優先だ。
猫の体の曲線に沿い滑って、落ちた。今度は足が下になった。
ドスっという音と共に足から着地し、後ろ受け身を取る。
(痛い!)
足とかいろいろ! もうちょい抑え目で飛べよ僕。
さっと周りを見渡す。
明音はもうすでに目の前にいた。
(しまった!)
僕の姿が見えなくなったから明音に標的がうつったのか!?
明音は今も一心不乱に詠唱を続けている。既に汗をかき、顔は真っ赤になっているし、呼吸も荒い。
猫はじっと明音を見ている。
猫は何を思ったか、突然、ピタンと座り込んだ。
(どうしたんだ? 凶暴化していたんじゃなかったのか?)
(そのはずですけど、実は凶暴化していなかったとか?)
「催眠、終わったわよ」
猫は既に寝ていた。
座り込んで必死に詠唱していた明音が校庭に寝転がりながらいう。それなら、納得だ。
「割と早かったな。もう、十分たったのか?」
明音は荒い息をしながら、うつむいている。
「そうよね、おかしい。あの猫、魔術に対する耐性がほとんどないのよ」
「別に魔術に関わりを持たない普通の動物だとしてもか?」
「そう。あれじゃあ普通の半分以下。途中でおかしいと思って催眠のレベルを下げたの」
耐性が弱い者に対する催眠などは死を招きかねない。
(どれぐらいで起きるんですかねー)
「ざっと二、三日は寝ているでしょうね」
「いや、栄養補給とかはどうするんだよ」
少し明音は考え込む様子をして、パッと上を見た。
「点滴かな」
とんでもない費用になるぞ、それ。
(あの巨体を維持するのには相当エネルギーが必要でしょうし)
「まあ、ほどほどに回復魔術を使いつつ、様子を見る。って感じかしら」
驚きなのはこの猫の巨体を寝かせるためのスペースについて何も心配していないことだ。
(どんな豪邸に住んでんだよ)
(行ったことないんですか?)
(ないよ。使い魔が主人の家を知ると、ろくな事がないってさ)
主人に不満を持った使い魔が、夜な夜な主人を襲う、とか、昔はしょっちゅうあった話らしい。
「じゃあ、とりあえずこの猫ちゃん運びましょうか」
「どうやって?」
「えっとね、それは」
「運ぶのは止めてもららおう!」
もちろん僕の声じゃない。明音でもない。律でもない。男の声だ。
声は猫の上から聞こえる。
「ふふふふふふ! 驚いてくれて何よりだよ」
さっきまで誰もいなかった猫の頭の上には、黒のスーツにグラサン、オールバックの黒髪と、黒を強調した出で立ちの男が立っている。
「誰? 名乗りなさい」
今の明音は黒霧家の人間として、鋭い目つきで男を問いただしている。
「ふふふふふふ! 俺は、『新たなる闇』の川屋だ。さっそくだが、この猫はこちらで保護させてもらう。手伝え! 中野君!」
「はい」
ふらりと、同じ格好をした男が川屋の後ろから現れる。川屋に比べると背は高く、ごつい。
「それは却下よ。この猫は黒霧家で保護させてもらう。まして、『新たなる闇』なんて、ふざけないで!」
明音は既に怒りを露わにしている。
新たなる闇といえば、最近、謎に勢力を増やす、新興魔術結社だ。その結社の目的は魔術をより、世界に広める事、魔術師という存在を世に知らしめる事だ、と公表している。
それ自体は不思議じゃない。似たような魔術結社は多々ある。
ところが、この結社はいわゆる過激派。現在の科学で成り立つ世界を壊し、魔術によって成り立つ世界を新たに作り上げようとしているそうだ。
当然、その考えは現在の魔術の世界では受け入れられる事はなかった。
その結果、新たなる闇は危険な魔術結社として、限りなく隅々まで、監視下に置かれている。はずだった。
「あんなの監視なんて言わないさ! 闇を闇に隠す。即ち我々をてめえらなんぞが、支配出来るはずが、ないだろうがあ!」
鳥屋は笑いながら叫んでいる。
狂っているとしか言いようがない。
「それで? あなたたちはこの猫ちゃんをどうするつもり?」
「当然! あのエセ魔術師に渡した薬の効果を隅から隅まで、調べさせてもらう! 楽しみだなあ! なあ? 中野君!」
後ろに振り返り、中野と呼ばれた人の顔を覗き込む。随分嫌がられているように見えるが。
「そうですね」
その受け答えには自分の意志が無いようにすら見える。
川屋に心服しているわけでもなく。ただ、ただ、何も考えていない、そんな風に見える。
「まっ、そんなわけで、この猫は貰いまーす」
もう、この時点で、明音の堪忍袋の尾は切れていた。
「分かりました。では、この猫ちゃんだけでなく、あなたたちも保護します! やりなさい! 我が使い魔!」
そうなるよね。頭に血が登るのが相変わらず早い。
制服の裏から刃渡り三十センチナイフを取り出す。
(相手、何か隠しているようにも見えます!)
(多分、ね)
「ふふふふふふ! えらく物騒な得物だ。中野君、あれは頼むよ俺は生意気なあの女の子を犯してくる」
「紀彦は中野をお願い! 川屋は私で何とかするわ!」
川屋はポケットからペンを取り出している。
(敵が来ます!)
中野は真っ直ぐ、こちらに飛びかかって来る。
「でも、僕はこのナイフだけじゃないんだよね」
左手で隠しておいた投げナイフを川屋に向かって投げる。
「なるほど」
そうつぶやくと、中野は自分の横を通過するナイフを右足で蹴り飛ばした。
「なんで、足なんだ? 拳の方が早いだろうに」
まずは、相手の情報が欲しい。
「さあな、知らん」
(本当に知らないみたいですね)
(感覚派なのか?)
「でも、お前も、どうして俺を狙わなかった?」
「お前なら、確実に自分より、あの川屋っていうのを優先すると考えたからだ」
戦闘になると饒舌になるのだろうか、先ほどと雰囲気が違う。
「面白い」
中野は微かに笑みを見せると、構えを取り、つぶやく。
「それでは、行くぞ」
「ああ、来い!」
言葉を合図に互いに一気に距離を詰め、まずは、僕ナイフの攻撃範囲内に入る。
互いに魔術で強化されている以上、とんでもない速さだ。
右足と同時に右手のナイフで突く。
「速いな、だが、おしい」
僕から見て右側に避け、僕は背中を取られた。
「出来ればこれで決まって欲しかったな」
逆手にナイフを持ち替え、背後の中野を追跡するように回転する。
「ほう、続きがあるのか」
そう言ながら、中野は後ろに跳び下がる。
これも当たらない。たいていの相手はこの一連の流れで、かすり傷はつくんだが。
跳び下がり、距離を取った中野はトントンと跳ねながら攻撃の機会をうかがっている。
「やはり、面白い」
そう言って笑うと、中野は右足で、地面を踏み鳴らした。
その瞬間。体が、浮いた。地面がうなっているのが見える。一メートルは浮いている。
(うわっ! う、浮いてる!)
「鉄の拳」
そして目の前で、中野は詠唱するとともに、右手を振りかぶっている。
「衝撃吸収!」
ナイフで、中野の右手を防ぐ。押し切れないと分かると、中野は素直に下がった。
しかし、ナイフはパリン、という音をたてて砕け散った。
「なるほど、自分に来る衝撃を、ナイフに吸収させたのか、面白い」
そう言って笑う中野はただただ楽しそうだった。
「何でもかんでも、面白いって言えば済むわけねえだろ」
割とあのナイフ良い値段したんだぞ。しかも、ナイフの刃に当たったはずの、右手に傷一つ付いていない。
「これは失礼」
そう言うと突然真顔に戻った。
だが、あのナイフが壊れる衝撃なんて始めてだ。割と気に入っていたんだが。
「だが、君。得物のナイフを失った君はここからどうするつもりかね? おとなしく身を引いてくれると助かるよ」
真顔で敵に撤退を勧められてもな。
結局のところ、僕は使い魔だから、主人の命令は絶対。撤退は出来ない。
新しいナイフを取り出す。さっき川屋に向かって投げたのと同じやつ。小さいのでとても、手持ちで使う用ではない。
「身を引くつもりはないのだな? では戦闘を続けよう!」
随分、中野は熱くなっているようだ。もう一度右で地面を踏み鳴らし、突進して来た。
当然、僕は浮き上がった。
「まずは、これ」
右手のナイフを中野に向かって投げる。
「なんのこれしき!」
今度は右手で払いのけ、先ほどと同じ、
「鉄の拳!」
「残念、一歩遅かったな」
左手の拳銃で、四発、狂いなく中野の体に撃ち込む。右腕、左腕、右足、左足。弾には、硬化の呪い付き。
「は!?」
驚愕の表情と共に中野は地面に落ちた。四肢が固まり、動かないため、じたばたする事も出来ない。
「くっそ! どうなってやがる!」
「教えるわけねえだろ」
そして、思いっ切り鳩尾めがけて殴る。
「かっ、は、はっ」
苦悶の表情で、中野は意識を失っていた。
(なんで、失神させたんですか?)
(魔術師なら、思うだけでも、魔術を使える。そういった事を防ぐにも、失神させた。あと、あの四肢は一日は動かない)
(な、なるほど)
律はどこか納得したような、していないような感じだ。
(それぐらいでいいよ)
(はい? まあ、あと、中野さんはどうして最初のナイフ、足で払ったんですかね?)
僕も疑問だった。どうして腕じゃないのか。戦闘では普通に腕を使っていたにも、かかわらずだ。
(僕の今のところの結論としては)
(結論としては?)
(おそらく、中野は足か、腕、同時に両方、強化する事は出来ないんじゃないかな)
(つ、つまり?)
(最初、踏み込むために、足を強化した。そして跳び、ナイフが飛んできた。腕で払えば傷が付く可能性があった。強化した足なら傷は付かない。そんなところかな)
(へー? 証拠は?)
(確実な証拠はない。だが、今の中野を見ると間違いじゃない気がする)
腕に比べると、足の血のにじみ具合は異常だ。かなりの差がある。
(な、なるほどー)
さて、明音はどこに行った?
(そういえば、見てないですねー)
(消えた? 校庭に見えるか?)
律にも見えるよう、ぐるっと一周見渡しても、明音の姿は見えない。
(いや、いない、ですね)
明音が苦戦しているのか!? 有り得ない! 明音は黒霧家の中でも指折りの実力者。
戦闘訓練ではここ最近は負けなしだった。
(テレパシーとか使えないんですか?)
(明音が発信して、僕が受信なら使えるけど、僕が発信は出来ないんだ)
魔術師としての、レベルの違いだ。所詮、明音から、魔力を借りている僕は、明音から離れる事は出来ないし、明音を超える事も出来ない。
(電話とか、通じるかな)
(結局、科学文明の利器に頼るんですね)
(黒霧家は科学と、魔術の融合がモットーだからな)
科学? 新たなる闇は科学の破壊。黒霧家は科学との融合。相反する勢力だ。
(もしかして、あいつらの狙いは猫じゃなくて、明音の方?)
ま、まさかな、そんなことはないだろ。とりあえず明音は今どこにいる?
「校舎にはいない」
後ろからの声に思わず振り返る。
「あっ、運転手さん」
明音と僕をここまで送った車の運転手さんだ。
「お嬢は、魔力探知からすると、あの体育館だな」
校舎の右手の体育館を指差しながら言う。体育館も校舎と同じで、窓が割れ、壁にヒビがはいっていたりと廃校さながらの雰囲気を醸し出している。
「なるほど、ありがとうございます!」
「お嬢のことだし心配はないが、連れて帰って来いよ。あと、猫と中野?とかいう男はきっちりこっちで運んでおくから」
「どうやってあの猫を運ぶんです?」
ここに来た時の車ではとても入らないだろう。
「こんな事もあろうかと、トラックを手配している。問題ない」
「なるほど、それでは!」
「うん、がんばれ」
体育館に向かって走る。
明音がどんな状況かは、まだ、分からない。
けど、急ぐに越したことはないだろう。
大抵の事は自分で何とかしてきた明音だ。
当然、この時、僕と運転手さんは明音に対して心配なんてしていなかった。




