一品
タイトルイラスト:相内 充希さま
王都の城下町。
人が行き交う十文字の大通りは、今日も人が溢れていた。
その中を、息を切らしながらチコは走っていた。
腰まで伸びる黒髪を乱し、割烹着にエプロンという風変わりな出で立ちだったが、裾を掴んで器用に駆けていく。
が、走り辛いのは変わらない。躓いて派手に転んでしまう。
「おい、あんた大丈夫か――」
恰幅の良い商人が声をかけるが――チコの顔を見るや否や、言葉を詰まらせてしまう。
齢は二十くらいか。まだ幼さの残るものの、端正な顔立ちが特徴的であった。
しかし、今やいっぱいの涙と砂で汚れ、見る影もなかった。
悲痛な表情のまま、チコは商人を一瞥することなく走り出す。
――彼と話せるのは、もう最後かもしれん。
店が設けたランチタイム、ごった返すレストランの店内と調理場。
そんな時に訪れた白衣の医師の言葉が、思い起こされる。
(先生、先生――!!)
涙をぬぐいながら、チコは走る。
自らを救ってくれた師の元へ。
〇〇〇
木の焦げた臭い。舞った土の煙たさ。
それらが混ざり合った悪臭が鼻に入ると、途切れかけた意識が現実へと呼び戻される。
七歳になって間もないチコは、もう何度目になろうか眠りからそうやって起こされた。
木と藁で出来た簡素な家の奥、そこで一人身体を起こす。
普段なら父と母が傍にいて、寝息を立てていたのだが――そんな日常は既に過去のものだった。
家畜の鳴き声も住民の声もなく、パチパチと木の燃える音だけが耳に届くばかりだ。
ドアが壊された玄関からは、煙がうっすらと見える。その向こうでは、焼け落ちた家がまだ燻っていた。
「けっ、何もねえじゃねえか」
低い声と共に、何者かが家に踏み入ってきた。
チコは壁からこっそりと顔を覗かせて、傭兵の様子を伺う。
土で汚れた顔に革の鎧、それと腰に下げた剣。傭兵崩れなのは明白だった。
僅かに、足元の床が軋む。
思わず顔を引っ込める。数秒待ってから恐る恐る顔を出すと、チコは傭兵と目が合ってしまった。
「女……女だ!」
まるで宝石を見つけたかのように瞳をギラつかせてチコに近づく。
「おぉい、女がいたぞ! おら、こっちに来い!」
汚れた腕が、チコの細い腕を掴む。
小さな悲鳴を上げて抵抗するも、衰弱した身体の彼女など赤子のそれに等しかった。
「や……!?」
家から引きずり出されるチコ。
チコを外に連れ出すと、傭兵は同じような姿の仲間らに嬉々として見せびらかす。
「見ろ、女だ……まだガキだが慰みにはならぁ。俺が見つけたんだからな、俺が――?」
だが、チコの手を掴む傭兵とは打って変わって、周りの反応は芳しくなかった。
むしろ、その二人を侮蔑を含んだ目で見据えていた。
「お前、そいつを見てみろ」
仲間の一人が、チコを指さす。
「あ?」
ケチをつけられたのかと思った傭兵が手元を見下ろす。
すると、驚きと怒りが混ざり合った表情を浮かべた。
手足は痩せ細り、髪は艶が失なわれている。さらに腹部は大きく膨らんでいた。
女の色気や可愛さなどは微塵もなく、奇形の家畜でも見るかのような蔑んだ眼差しが、チコに降り注ぐ。
「なんだよ、病持ちか! こんなのいるかよ!!」
傭兵は汚ならしい物でも触ったかのように、腕を振りほどく。
他の仲間らも興味を失ったように、散っていった。
一人残されたチコは緊張の糸が途切れ、その場に倒れ込んでしまう。
そのまま、チコの意識は薄れていった。
◯◯◯
木の焦げた臭いが鼻に入り込み、陰鬱とした気分で身体を起こす。
すると、チコを包んでいた薄手の布がするりと落ちてしまう。
「……あ?」
おぼつかない手で、布を纏う。
こんなもの持っていなかったはずなのに――と、疑問が浮かぶ。
あたりを見やると、相変わらず朽ちた家がまだ燻っていた。
ただ一つ、誰かの背中がすぐ手の届く距離にあった。
汚れは見当たらない清潔感のある男性物の服装に、黒い髪は長めで肩までかかるほどだった。
腰を下ろした男の向こうから――もう二度と嗅げないと思っていた食べ物の匂いが漂ってきた。
思わず腹が盛大に鳴る。
「ん……」
低めの声をあげ、目の前の人物が振り返る。
切れ長の眉に肌は艶があり、先ほどの傭兵とは打って変わって柔らかい表情だった。
「あぁ、良かった! 気がついたんだね……こっちもすぐ出来あがるから、ちょっと待っていてね」
チコは立ち上がり、ゆっくりと男の肩越しから湯気の中を覗いた。
料理で使われる鍋の中では、湯が白く泡立っていた。
「これ……お米?」
チコはお湯の中で踊る小さな粒を指さした。
すると男は傍の箱から、白い葉のようなものを取り出す。
「そうさ。日持ちするよう乾燥させた保存食のアルファ米――もとい、それの元になった干し飯さ」
「お米……これが? カチカチなのに?」
「炊いた米を水で洗って五日ほど干して乾燥させるんだ。これで二十年は保存できると言われている」
思わず感嘆の声を漏らすチコ。
お腹が空いていることなど忘れてしまう勢いで、今度は別の物を訪ねる。
「この茶色いのは?」
「これは細かくしたジャーキー。塩漬けしたお肉さ――って、どれも保存食ばかりだね」
男はバツが悪そうに笑うが、チコにはそれが何を意味するのか解らなかった。
「もういいかな」
木の器に鍋の中身を移すと、木ベラと一緒にチコの前に差し出される。
「これは……?」
「僕の故郷の料理――の即席アレンジ。ジャーキーの旨味が溶けこんだ塩粥さ」
渡された器は暖かく、湯気が立ち上り鼻腔をくすぐる。
「これ……あたしの?」
「そうさ」
――本当に食べていいのだろうか。
上目遣いで男の顔を見ると、ゆっくりと頷いた。
器の中身を木ベラで一掬い。十分に水分を吸った米はツヤツヤとして、汁は先ほどより薄く茶色に染まっていた。
震える手で口の中へ運ぶ。
「ん……!」
思わず、声が漏れる。
米は口の中で溶けるような柔らかさ。
茶色い塩漬け肉は細かく刻んだことでホロホロとし、噛みやすくなっていた。
さらに乾燥したそれが水分をたっぷりと吸っており、歯で潰すと凝縮された旨味と塩味が混ざり合って口いっぱいに溢れる。
「美味しい……」
思わずチコの双眸から涙が流れる。
暖かい食事なんていつぶりだろうか。
かつて、父と母と食事を囲んだ団欒の日々が思い起こされる。
ついぞ枯れたと思っていたものが、玉の粒となって止めどなく流れ出た。
「お父さん……お母さん……!!」
決して口にしないと決めていた言葉が、涙とともに零れ出る。
今まで胸に秘めていた感情が一気に湧き上がり、チコの顔は涙で汚れてしまった。
◯◯◯
馬に乗ることは、チコにとって初めての体験だった。
馬が歩を進める度、鞍が下から突き上げられて小さな身体が跳ねる。
「――そうか。キミは野草採りの帰りだったんだね」
傍で、馬の手綱を引きながら歩く男。
食事を終えた後、彼の勧めで共に同行することになったのだ。
「うん……鐘が鳴ったから何かあったんだと思ったの。悲鳴が聞こえて、煙が見えて、怖くて草むらに隠れてた。静かになったと思ったらもう――」
チコの視線が、静かに落ちる。
「この辺りは街道から外れているとはいえ、王都に近いから安全とは聞いてたけど……野盗かもしれない。帰ったらギルドに報告するよ」
太陽が地平線へと沈んでゆく。
見渡す限り草木と山の光景が、茜色に染まる。
馬の蹄鉄と、男の荷物である調理器具の擦れる音だけが続いていた。
「あの……本当にいいの? あたしを連れて行って」
沈黙に耐えきれずに口を開いたのはチコだった。
「あたし、牛に餌をあげたり野草を取ったりすることしか出来ないし、お金も――」
「キミが気にすることじゃないさ」
「でも――」
チコの表情を見やると、空を仰いで考え込む男。
「じゃあ、こうしよう。今度、僕は王都でレストランを開くんだけど――キミはそこで働いてもらう、というのはどうかな」
勿論、身体が健康になってからね――と付け足した。
「レスト、ラン?」
「うーんと……食事処かな。僕はこう見えて料理人でね」
チコは胸につっかえていた謎が一つ解けた気がした。
自分が見たことのない素材や料理を出したのも、それならば納得ができるからだ。
「いいの?」
「もちろん」
「じゃあ……『先生』って呼んでいいですか?」
すると男は、僅かに吹き出して笑ってみせた。
「はは――先生か。いいよ、僕の名前はハジメって言うんだ。キミの名前は?」
「チコ」
「そうか……チコ。街道の宿屋に着いたらまたお粥を作るよ。普通の食事じゃまだ内臓に負担がかかるし」
昼に食べた料理を思い出すチコ。米と干し肉を茹でただけで……それだけで美味しいものになるとは初めて知ったのだ。
「先生――あたしも作ってみたい、です。お粥」
チコの言葉に、ハジメは嬉しそうに表情を和らげた。
「そうか。チコもレシピを覚えて、料理人になってみるかい?」
「料理、人」
料理など、一度も作ったことのなかった。
だが自らが経験した、あの生き返るような一品を作ってみたい――。
それはチコが初めて胸中に抱いた、不思議な感情であった。
「なってみたい――なりたいです先生!」
チコが声を上げたとき、一匹の馬と二人は開けた街道へと辿り着いたのであった。




