野菜が言うことには
土を踏みしめるごとに濃くっていく緑と茶色の香り。大地の伊吹ってのを感じる。
『今日が食べごろ~』
私が目指すのは、そんな女の子の声がする場所。声が小さいから、もうちょっと先だね。
「はいはい、いま行くからちょっと待っててねー。良い子にしてるとあまーくなるよー」
『あまいと嬉しい~?』
「すっごい嬉しいね!」
『じゃぁいい子にして待ってる~』
細長い緑の葉っぱで手を斬らないようにしながら、慎重に腕を伸ばして進む。とうもろこしの葉っぱもね、雑に扱うと怪我をするんだ。
そろそろかな?
「どれどれ」
『わー、見つかっちゃった~』
がさりと葉を退ければ、そんな可愛い声。声はするけど、そこに人間の姿はない。あるのは、茶色い髭を垂らした、ぷくぷくに太ったとうもろこしの実。
私の腕よりも太い感じで、たわわに実って美味しそう。
できはどうかな?
「ちょっと拝見」
『きゃ~えっち~』
とうもろこしの皮を少しだけめくって中を確認。おお、破裂しそうなくらいパンパンな黄色い粒。こりゃ旨そうだ。
「うん、しっかり粒も詰まってる!」
『当然~』
目の前のとうもろこしから自慢げな声。
「じゃ、収穫だ!」
『どっきどき。痛くな~い?』
「安心して、優しくするよ」
ちょっと変な感じもするけど、初めての経験に彼女は不安でいっぱいだ。
実の根元をぎゅっと押さえ、手前に下げるようにしてもぎ取る。こうすると手際よく取れる。
『えへへ~、頑張って虫を退治したから、絶対においしいよ~』
手にずしりと重い、大地の実りはそう言った。
「そうだね、きっとおいしいって言ってくれるよ!」
『わーい、やったー!』
腰にぶら下げた収穫用の布袋に、きゃっきゃと騒ぐとうもろこしを入れる。
『こっちも食べごろだぜ!』
『早くとってくれないと、虫に食べられちゃうよ~』
そこかしこからねだるような声。
「はいはい、順番にとるからねー」
『はやくしてくれ!』
『こっちもこっちも~』
腰を伸ばしてトントンと叩く。
中腰の作業はクルんだ。体は若いけど、こっちに来る前の癖が抜けないね。
と、苦笑い。
さて、急がないと納品に間に合わなくなっちゃう。気合入れて収穫だ!
私、石動美沙がここに生まれ落ちたのは、いまから十八年前。それまでは九州で農家の嫁やってた。
農家に嫁いで二十五年。そろそろ孫の声も聞きたいかな、なんて思ってた矢先だった。
大きな台風の時に畑が気になっちゃって様子を見に行ったら、用水路にドボン。
テレビでも見に行くなって言われるけど、気になっちゃうんだよね。
だって、勤め人で例えればさ、会社がどうなったかは気になるじゃない。
それからの記憶はない。
で、暗闇から急に明るいところに出たと思ったら、私はミシャエラと名付けられた赤ん坊になってた。
なんだかわからないけど、私を生んだ母親らしき女性の、喜びの涙声を聞いた時は、自分が子を産んだ時を思い出しちゃって、びっくりした気分もどこかに吹き飛んじゃった。
でも、産後の肥立が悪くって、母親は十を数える前に亡くなっちゃった。
どうやらここは日本じゃなくって、まったく違う所みたいで、医療もさほど高度なことはできないみたいなんだ。ま、昔の日本、お産で結構な数のお母さんが亡くなってたって言うしね。
もっとも、母親の体も強くはなかったみたいだけど。
ラブラブ夫婦だったみたいで、父親の意気消沈がすごくってさ。まぁ、体は子供ながらも考えることはおばさんの私から見ても、そりゃー辛そうだった。
生まれ落ちた先も農家だったから子供ながらも手伝ってたけど、父親はドンドン弱っていって、私が十六になる前に亡くなった。
兄弟もいなかったから、残ったのは私ひとり。
グランドル王国って島国で、ぼっち農家をやってるのさ。
そうそう、なんでだか知らないけど、植物、とりわけ野菜の声が聞こえるようになっててね。
まー初めて声を聴いた時には心臓が爆発するかと思ったけど、慣れちゃえば可愛いもんさ。
それとさ、食べごろになると教えてくれるんだ。
おかげで私が育てた野菜は美味しいって評判で、日本じゃないここでも、なんとかやっていけてる。
「よっこいせっと」
収穫した野菜が入った木箱を、掛け声一発、赤いスクーターの荷台に乗せる。丸いランプが正面についた、ちょっとレトロな匂いがするスクーターさ。
あ、スクーターって言っても、エンジンはないんだ。
?核融合?なんて良くわからない仕組みの?野球ボールくらいの大きさの何か?が動力なんだってさ。
原理は知らないけど、燃核融合に必要なのは分解された水素だからは水があれば良いんだとか。熱で蒸気を創り出して発電機を回して電気で動いてるとか。チンプンカンプンだよ。
農家のおばちゃんにそんなこと言われても、はぁそーですか、としか言えないさね。
でも、煩くないし嫌な煙も出ないしで、私はこっちの方が良いなぁ。
私がいるグランドル王国ってのは、過去にあった超技術国家の遺物を発掘してて、それで食ってる国なんだ。この赤いスクーターも掘り出した過去の遺物らしい。
ここは遺跡都市チャルークっていって、過去の遺跡の上に造っちゃった街なんだよ。まったく横着だ。
「おっと、急がないと」
スクーターの荷台に載せた木箱を、ゴムひもでしっかりと固定する。電気があるせいか、ゴムがあったり化学肥料があったりと結構発達してるんだけど、エンジンがないせいか機械ものが苦手みたいね。
だから馬力の必要なトラクターはないんだよ。大きな畑がないから、ひとりぼっちの私でもやっていけてるんだけどさ。
「おっと、水を忘れちゃいけない」
木をくり抜いて作った水筒から、スクーターに水を入れる。ジュゴーっと水が蒸発する音がして、ひゅーんと何かが回る音がする。スクーターのランプに明かりが灯れば準備オッケーだ。
都市の外れにあるこの農園から納品先の「料理自慢のつるはし亭」までは、とてもじゃないけど、野菜を担いでいける距離じゃない。
相棒ともいえるこのスクーターは、日本でいえば軽トラくらいに使い勝手のいい、大事な商売道具だ。壊しちゃったら食っていけない。
ゴーグルをはめて、シートに跨って、ハンドルを握る。シートの革が硬くてお尻が痛い。余った布で座布団でも作ろう。
「安全運転でしゅっぱーつ!」
ハンドルのスロットルを手前に捻れば、スクーターは水蒸気を吐き出して、音もなくススっと進む。
右にとうもろこし、左に玉ねぎと、畑を切り分ける農道を、スクーターはガッタンゴットンと呻きながら走っていく。チャルークの路は石が敷き詰められててぬかるむ心配はないけど、畑まではできないから仕方ないね。
のんびり走ればすぐにチャルークの路地だ。石の土台に木造の家々が肩を寄せ合うその脇を、私のスクーターは軽快に駆けていく。懐かしくもあるその風景に朝餉の匂いが漂う中、お腹が鳴るのは我慢だ。
路地から、電線が空を埋める大通りに出て、チャルークの遺跡がある中心地を回り込むような環状道路ガイラム通りを走る。等間隔で街灯が立つ大通りには車と路面電車が走ってる。
どれもこれもデザインが明治な感じで古臭くさいけど、この世界では最新式。
丸みのあるスタイルはほんわか懐かしいし、無骨なトラックなんか逆に頼もしく見えるんだよね。
ちなみにこの車たちも、核融合を起こす謎の球体が動力さ。
分岐で車体を傾け、左に曲がって狭い路地へ。
目的地はチャルークの繁華街にあって、遺跡発掘で一獲千金を狙う男どもが出入りする、ちょっと怖い店が軒を連ねる内の宿のひとつさ。
「料理自慢のつるはし亭」は、その中でも飯が旨いと評判の宿。
だって、私が精魂込めて育てた野菜を納入してるんだ。旨いに決まってる。
宿泊料金もその分高くって、ここに泊まれるのはある程度懐に余裕がある男たちだけ。それでも荒っぽいから、見かけはうら若き百姓娘な私じゃ、近寄りたくはない。
遺跡に出かける準備で騒がしい宿の軒先は避けて、脇道を通って裏に行く。ちょっと薄暗くてひんやりとした空気に満ちてる宿の裏手にスクーターを止め、私は勝手口に歩いた。
宿の中からは「飯はまだか」なんて朝の喧騒が漏れてくる。食堂はてんてこ舞いだろうね。
「おはよーございまーす、ミシャエラで-す」
顔だけ覗かせて、大声を張り上げる。普通に叫んだんじゃ聞こえないくらい煩いんだもの。
だったらこの時間を避ければいいだろって思うだかもだけど、それができないんだなー。
葉物野菜は鮮度が大事。
カボチャとか熟成が必要な野菜もあるけど、採れたてが一番の美味しいし!
「オウねーちゃん、いいところに」
ぬっと出てきたのは、見たことないお兄さん。真っ赤な髪で、二十歳くらいで、タンクップから覗く太い腕が逞しくも、ちょっと怖い感じ。
「は、はい!」
思わず背筋がピンと伸びた。尻尾があったら同じくピンと立ったに違いない。
「宿の主がぶっ倒れてるんだ。ちょっと何とかしてくれよ」
「は?」
その太い腕がのびて、私の手が掴まれた。




