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鬼、上杉謙信 出陣す

 トントントン──。ザクッザクッ。ズチュ。

 人気のほとんどない広い屋敷。そんな屋敷にある綺麗に整えられた厨房では食材を切る音がただ響いていた。


「正気じゃない」


 そんな厨房で、無精髭を生やした三十代の男が着物姿で調理する若い女へ語りかけた。


「何が?」


 女がそう返す。本当に分かっていないようだ。声音で男はそう感じた。


「俺たち、同じ人間だろう? なぜこんなことをする」

「あー、そういうこと?」


 やっと女は得心がいったという表情をした。女の料理の手は止まらない。手際よく肉を切り捌くとグツグツと竈で沸かしている鍋へと入れていく。


「同じ人間……ねぇ。あのさ、突然だけど人を食べる人は一体何になると思うかしら?」

「うーん、わからんな」


 男が首を傾げる。


「あぁ、そう。あなたならわかりそうなものだと思ったんだけど」


 それを聞くと、男はまたしばらく考え始めるが、すぐに諦めた顔をした。


「降参だ。わからん」

「あっそう。答えはね、食人鬼って言うのよ。食人『鬼』って。つまり人じゃなくて、鬼なの。鬼なのだから人を食べるのはおかしくないわよね」


 女はそう言うと、まな板の上に載った(・・・・・・・・・)男へ再び包丁を向ける。


「だから、あなたを美味しくいただくわ。切っていてあなたの左足すごい美味しそうだったもの」

「あぁ、せっかくだ……美味しくいただいてくれ」


 やけくそ気味に男が答える。

 冷静に見えるが、流石に包丁が顔に向いた時は、目が泳ぎ、汗は吹き出し動揺が見え隠れしていた。

 むしろ、両足は切断され、両腕は縛り付けられた状態でこれだけの動揺しか見せない男の胆力はなかなかのものだろう。


「あなたって素敵ね。大抵発狂するか、暴れ回って殺さないといけないのに。……あぁ、左腕切るわね」


 そういうと大きなナタのような包丁を振り上げる。

 切られた感触は男には分からなかった。別に痛みを感じることを脳が拒否した訳では無い。本当に感じなかったのだ。派手に出血している感覚もない。

 両足を切られた時だって同じだったのだ。恐らく妖術の類でもかけられたのだろうと、切られた身体を見ないようにしながら男は考える。この女なら、食人鬼ならやりそうな事だ。


「その点あなたって、生きたまま切られてくれるから活け造りにもできる。調理しながらお喋りもできる。ほんと素敵。結婚したいくらい」


 嬉しそうに話しながら女は男を腕を切り捌いていく。

 皮を剥ぎ、肉と骨をわける様子から男は唯一動く首を動かして必死に見ないように顔を背けた。

 見るな。耐えろ。あと少しだ。

 そう心で念じながら、男は女へ問いかける。


「なんでこうやって話せると思う?」

「さぁ? なんでかしら?」


 女は楽しそうに答える。実際こうして女と語り合える食材などいなかったのだろう。


「それは──」


 バン!


 扉が蹴破られる。

 その瞬間、開かれた扉からおびただしい数の札が女へ飛びかかった。


「──俺が囮だからだよ」


 ────


「ふぅ」


 ゆっくり男は息を吐いた。

 男は陰陽師だった。札や式神を使い、古くは平安から魑魅魍魎と戦ってきた存在。

 そんな男には一緒に行動していた弟子がいた。

 少し離れて行動する際は定時に連絡を取り合うように決めていたため、今回の男の異変には弟子はすぐに気づいていた。

 そして、場所がわかり救出に来ると女が調理を始まる前に連絡を受けたからこそ、男はこうしてずっと女の気を引き囮をしていたのだ。

 なんとかなってよかったと思う反面、これからどうしようかという思いがよぎる。左腕に両足がない人間が生きていくには、あまりに苦しい世の中だ。


「けど、まぁなんとかな──グホッ!」


 口から血を吐く。

 男は首を必死に向け、なんとか状況を把握しようとする。

 そこにはピンピンとした女がいた。

 これが男の見た最後の風景だった。


 ────


「なるほど。これはしてやられたわね……」


 男の心臓に突き刺した包丁を抜きながら女は呟いた。


「師匠!! 師匠をよくもぉ!!」


 若い男が、叫ぶ。師匠ということはこの男の弟子の陰陽師かしらと女は考える。

 恐らく男の方に何らかの場所を知らせる何かでも持っていたのだろう。

 ほんとそういったところが甘いと女はため息を付いた。


「ため息とはなんだ。女! よくも師匠を!」

「さっきから同じことばかりうるさいのよ」


 なんだと、と喚く若い男を女は軽く眺める。

 大したことはなさそうね。

 そう女は目の前の男を評した。

 囮を使い、奇襲したまでは良かった。けれど攻撃方法に問題があった。

 札は本来妖に使うもの。しかし女は妖ではない。人でありながら、人を喰い、妖の力を身につけた食人鬼なのだ。そんな女には、もとい食人鬼には効果は薄い。

 もちろん全くの痛くないわけではないが、妖へ使った場合と比べると月とスッポン並に差がある。

 食人鬼と気づいていたかはわからないが札を投げてきた時点でこの陰陽師は二流……いや、こんなに叫んでいる時点で三流以下。

 そんなのだから武士に陰陽師は負け、平安の時代は終わったのよ。

 そう、思いながら再び視線を若い男へ戻した。


「来い! 雪華!」


 男が、そう叫びながら札を地面に叩きつける。

 そうすると、そこから一匹の狐が姿を表した。雪のように白い神々しさすら感じる毛並みがただの狐ではないと言っている。


「使い魔……いや、式神かしら」

「覚悟しろ、妖!」


 男は、懐から短刀を取り出し構える。


「雪華、行くぞっ!」


 そう言うやいなや男は女へ飛びかかった。

 式神も同時に姿を消す。

 そんな男に対し、女はただ余裕げに微笑んだ。


「まぁ、三流にしては悪くない──けど相手が悪かったわね」

「ガハッ!」


 若い男の口から血を吹き出す。

 見れば、漆黒の戟で自身の腹は貫かれていた。戟は同じくらい鎧を纏った黒い手が持っており、その手は女の背中へと繋がっていた。

 きゅうと弱々しい鳴き声がする。視線を動かせば、そこには女に包丁で壁に縫い付けられた式神の姿があった。

 男は、本来なら式神を使い不意打ちをする予定だった。男が叫びながら突っ込むことで気を引き、その隙に後ろから○○に攻撃させるのだ。もし気づいたとしても二方向から挟み撃ちはそう防げまい。そう思っていた。

 しかし実際はこうも容易く防がれてしまった。


「ありえないって顔してるわね」


 女が微笑む。


「この力を『毘沙門天』と私は呼んでいるわ」


 女が勝手に語り始める。

 どくどくと血が流れ、遠のいていく意識の中で、男は聞くことしかできなかった。


「人を食べた人間は、食人鬼となり尋常ならざる力と少しばかりの妖力を得る。これをあなたも知っているでしょうけど武士と呼ぶ。けど所詮は人。使える妖術なんてほんのわずか」


 現れていた二本の腕と戟が消えた。

 支えを失った男の身体は、床へと倒れ込む。男に立ち上がる力はもうない。


「けど、何十、何百と人を食べ続けた人間は、この通り強大な妖術を使うことができる。文字通り人外の力よ。そして、こういった力を使える者が武士を束ねる武将となれる。後生に覚えておきなさい、浅学で時代遅れな陰陽師さん」


 ってもう聞こえてないか。

 そう呟く女の足元で男は息絶えていた。主を失った式神も主の後を追うかのようにキラキラと光の粒となって消えていく。

 まるでそれと行き違うかのように部屋に一人の男が駆け込んで来た。


「謙信様! ご報告が……。これは!?」

「あぁ、兼続か。遅い」


 兼続と呼ばれた男はゲンナリした顔をした。


「遅いってそんな……まず何処にいるかいつも連絡してくださいって言ってるでしょう。こんな人気もない山奥で料理なんかして……こちらとしては探すのに一苦労だったんですから」


 女──上杉謙信は痛いところを突かれたという顔をした。


「……善処するわ」

「ほんとですか?」

「で、報告っていうのは?」

「こういう時だけ話変えるんですから……これですよ」


 兼続は着物の胸元から手紙を取り出すと謙信に渡した。


「いつものあれです」

「信玄のあれ?」

「そう、あれです」


 謙信は手紙を開くと読み始める。


「なるほど。まぁ読まなくてもわかってたけど想定通りね」


 軽く眺め終わると、手紙を兼続に返す。

 手紙には、武将である武田信玄が再びこちらへ進行してきたこと。合戦の舞台は川中島になりそうなことなどがつらつらと書かれていた。

 謙信はそんな内容を軽く読み飛ばす。既に四度目だ。兵数など少し見るくらいであとは読まなくてもだいたいわかる。


「で、どうなさいましょうか」

「当然向かい撃つわ。そちらから向かってくるんだもの。行かない理由がないわ」

「は! ではそのように他のものにも伝えます」

「お願いね」


 走り去る兼続を見ながら、謙信はふぅと大きく息を吐いた。

 信玄が目下、謙信の最大の敵だった。謙信のいる越後から京を攻め入るにはどうしても信玄のいる甲斐が邪魔だった。攻め落とすにもかれこれ三度の戦いから分かるように戦力、そして謙信と信玄の妖術も拮抗している。

 しかし──


「そろそろ決着をつけましょうか。ねぇ信玄」


 既に互いの異能もバレている。信玄の『風林火山』という四通りの力は脅威だが種がバレてしまえば対処できないものでは無い。


「今度こそ勝って、私が上洛させてもらうわ」


 そして天皇の、神の肉は私が……。

 そんな独り言は閑静な屋敷に吸い込まれるように消えていった。


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