勇者は少女と穴を掘る
人間は死ぬと子鬼になるという。何を言うのか、魔物と人とはそもそも成り立ちからして違うのに。そんなことを、彼女もかつては思っていたものだった。
「あながち、間違ってもいないものね」
まだ夜も明けきらぬ霧の中、空気はしんと、刃物みたいに冷えきっていた。人気はない。あるのは、濃密な死の気配。闇に塗られて灰色をした木々の中でぽっかりと空いたその場所は、耕した田畑のように黒々とした土を見せて。
言葉を発したのは、真ん中にしゃがみこむ少女だった。
ぶよぶよ、ぶよぶよ。
襟のほつれた木綿の服を被っただけの彼女は、一本のスコップを抱きかかえていた。少女には不相応に長いものだから、まるで彼女から生えているみたいに見える。その錆の浮いたスコップで、彼女はつまらなさそうにつついている。
ぶよぶよ、ぶよぶよと。
彼女の前に並べられていたのは麻の袋が数個。そう珍しくもない数だ。その袋のうちの一つが猥らにも開け広げられて、スコップにいじられるままになっている。
少女は別段、好奇でもってソレを弄ぶのではなかった。なぜって、彼女は既に見慣れてしまっている。むしろ、ときおり水泡を割ってしまっては、吹き出す悪臭に鼻がひん曲がりそうになって辟易していた。だのに突っつき続けているのは、単に面倒くさいのである。仕事をしたくないのである。
――しかし、どうもそうは言っていられないらしい。
「おい、その手を放せ!」
「……あらやだ、手でなんて触ってないわよ」
わざとらしく両手を挙げて見せて、少女はその不躾な来訪者を見据える。
青年。爪や牙の跡の目立つ皮鎧に木々の枝を引っ掛けて、彼は少女一人だけの静寂に飛び込んできた。ぱきりと枝を踏み折るその足取りは怒りを表して。突きつける直剣は鈍く光る。
「ミラをどうするつもりだ!」
荒々しい怒声は繊細なガラス細工じみて張り詰めていた。息まく青年はきっと少女を睨みつけ、少女しか見ていなかった。
「どうって……あなたたちがそれを言うの?」
「うるさい! この村の墓守が誰か、いや、何かなんて、聞かされてなかったんだ!」
「あらそう。じゃ、お返しするわ」
そう言うと少女は麻袋を放り投げた。
青年は一瞬面くらいつつも、剣を放り捨てて袋を受け取る。
「ミラ……!」
覗き込み、そして。
「うわぁっ?!」
投げ捨てた。情けなく尻餅をついて、自分が投げ捨てたソレが転がり出たのを見て。彼はこみ上げるままに嘔吐した。
「ひどいものよね。そんなになるまで、放っておかれるなんて」
ざりざりとスコップを引きずって少女は無残に転がるソレの傍に立ち、見下ろす。
「嘘だ、そんな……」
「残念、今日の死体の中で、男の子じゃないのはこの子だけよ」
淡々として告げる。そう、それは死体だった。
腐敗が進んだその体には血管が血の気もなく浮き上がり、ぼこりぼこりと皮膚に水泡。体内に溜まりに溜まって、行き場のなくなった死臭の塊。青年の友人であったのだろう女性は、もはや人と呼ぶには嫌悪感が付きまとう。
「知らなかった? 人は死ぬと、小鬼になるのよ」
「……」
「じゃ、埋めるわね」
すっかりと顔を青ざめさせた青年はへたりこんだまま。彼女の言葉が届いたかもわからない。
少女はもう、彼に興味がなかったから。仕方ないとばかり、引きずっていたスコップを両手で構えた。
「待ってくれ」
穴を掘っている。森の縁から白み始める空を背負って、彼女は穴を掘る。
「なぁ、一つだけ聞かせてくれよ」
「……何よ」
「なんで魔物であるはずの君が、人間の墓守なんてしているんだ」
「あら、そんなこと」
ひときわ強くスコップを突き立てて、両手を自由にした彼女は青年に向き直る。
「私、縛られているのよ」
彼女は木綿の服を優雅に摘まみ上げる。その何も履いていない両足は土に黒く汚れて。それ以上に黒々とした足枷が、彼女の両足首を捕らえていた。
◇◆◇
「結局、最後までいたのね」
「だって僕は、最後まで彼女と戦えなかったから」
「そう、生き辛そうね」
全ての麻袋を、つまりは死体を埋葬し終え、少女はスコップの底で土をならしているところだった。もう日も見えて。墓地の真ん中に立つ少女の影が、寂しく伸びる。その様を、森と墓地の境界線で、青年は眺めていた。
「そういう君だって。その鎖、君の足首を繋いでるだけのようだけど、本当にここから出れないのかい?」
「えぇ、魔物は呪いに弱いもの。昔のこと。もっと早く、自分を諦めていればよかったのに」
膝を抱えた青年はその答えに眉をひそめつつも、それ以上は何も聞かなかった。少女は、つまらないことを話したとばかりにため息をつき、青年の手元に視線を移す。
「それ、供えてあげてもいいのよ」
「いいよ、こんな汚いの」
たしかにその花はクシャクシャで、薄紅の花弁は所々落ちてしまっている。どうも、花を供えに行こうとしたところで、彼女という魔物の話を聞いたらしく。
「ほんと、僕は失敗ばかりだ」
「あらそう、大変ね」
青年の口から言葉がこぼれた。消え入るようなその声に相槌だけ返して、少女はスコップをその場に倒して寝ころんだ。猫のように丸まる彼女の背に、それでも青年はぽつぽつと語る。
「僕らは同じ村の出なんだ。ここよりずっと離れた小さな村で」
「だから、出稼ぎに出ようって。いつかは都にって」
「それでまずは、この村で実力をつけようって」
少女がこの名ばかりの集団墓地で墓守をしているのは、森の縁に存在する村のためだ。肥沃な土壌と森の恵みで豊かさを誇るが、それは同時に魔物にとっても住みよい土地であることを意味する。
だから、森の魔物は村を襲い、村は冒険者を雇ってそれを撃退する。彼女がここで墓守をしているのは、報奨金に釣られた弱者たちを埋葬するため。
青年もきっと、自分の仕事になっていたのだろう。少女はぼんやりと考える。
「でも、僕は調子にのってたんだ。彼女は止めてくれたのに……」
青年の手の中で、花がぱたりと倒れた。拳の関節が白い。震える声が彼の後悔を語る。
結局、青年たちを含むご一行は見事にスネイクボアと遭遇した。新人の彼らとは釣り合わぬ上位種。
少年は眺めていたという。必殺の突進に一人一人が倒れていく様を。たかがボアだと、意気揚々と前に出た大男が跳ね飛ばされてから、彼の腰は抜けたままだったから。
「僕は本当にダメなんだ。肝心な時にはいつも動けない」
剣に伸ばした手を、次に誰かがやられた時には地面についていた。
血を吐きながら手を伸ばしてくる仲間に、彼は後ずさりした。
森の中、誰一人救けには来ない惨劇の中で、彼の意識は肉体を放棄していた。
「ミラは、そんな時でも僕のことを見捨てなかった」
いまや見る影もないミラという少女は、そんな彼をかばうように立ちふさがる。そして、逃げろと言う。彼女は別に、青年と比して腕が立つというわけでもなく。
「そんなこと、僕が一番わかってた」
わかっていたけれど。
彼の足は気付けば逃げ出していた。あんなに遠くに感じた自分の身体が、何不自由なく動く。出来ないことがあったとすれば、それは振り返ること。
「結局僕はそのまま村に帰って、安宿に引きこもったんだ。でもすぐにお金は尽きて。外に出てみたら、森で誰かの遺体が見つかったっていうから……」
「だから、ここにきたのね」
「――うわっ!」
急に返事がしたものだから、少年は驚く。俯いて話していた彼は、墓守の少女の接近に気付いていなかった。
少女はしゃがみ込んで、青年に向かって手を伸ばす。やはり土に汚れつつも、白く細やかな手。青年はその手を止めようだとか、欠片も思いはしなかった。
――じゅっ。青白く燃える。
「あら、ぎりぎり外だったのね」
「……呪われてるって、本当なんだね」
伸ばされた少女の手は、焼けただれていた。青年の頬に届くかというところで、突然燃え上がったのだ。
心配そうに見遣る青年に、少女は何でもないという風に、焼けただれた手を振ってみせる。振っている内、それは元の白い手に戻っていた。
「それより、あなた泣いているわよ」
「はは、本当に人間でもないんだね」
乾いた笑いとともに、青年は涙をぬぐう。その様をつまらなそうに見つめて、少女は不意に口を開いた。
「諦めた方が身のためよ。諦めなさい」
「都に出るって夢を?」
「いいえ、自分を」
「泣くってことは、後悔するってことはあなた、自分には何かできたと思っているのよ。諦めなさい。自分を諦めなさい。自分には何もできなかったと。そうすれば幾分、生きやすいわ」
青年は黙って、彼女の言葉を聞いた。聞いて、自分の手の中で折れた花を見て。少女のならした墓地を見た。少女の気の向くまま、適当に埋めていたから、彼女がどこに埋まっているか青年にはわからないけれど。それでも彼は、墓地に視線をやった。
「……急にしゃべったと思ったら、すごいことを言うんだね」
「そうね、珍しくお節介だったわ」
沈黙。森のどこかで、カラスがかぁと鳴いた。
「僕は帰るよ。森の朝は結構寒いや」
「そう、そうかもね」
「気が向いたらまた来るよ。諦めるとか諦めないとかは、その時」
風に揺れる花を、青年は少女に差し出した。何となしにすっと受け取った少女、彼女が突き返そうとする前に、青年はもう立ち上がっていた。そのまま、立ち去っていく。
「そう」
僅かに背筋を丸めて森の中を歩く青年に、少女は呟く。
「じゃあそれまでに、あなたの墓穴も掘っておかなきゃね」




