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ゴスロリ少女に認知を迫られているのだが

タイトルイラスト:相内 充希さま

挿絵(By みてみん)


 カチカチカチ…………カチッ

 天窓から射し込む月明かりが、僕の腹部に跨る彼女の真白い髪を、黒いゴスロリ服からすらりと伸びる四肢の病的なまでになおも白い肌を、蒼く彩る。


「ねえ……」


 彫刻品のように整った顔が近付いてきて、鼓動が早くなるのを自覚する。

 愛おしげに僕の髪を撫ぜる彼女の、その紅い瞳の狂気的(ルナティック)な魔力に囚われた僕からは、この状況から逃れるという──いや、もはや目を背けるといった選択肢すら失われていた。故に、不意打ちにも等しいその言葉に対して、僕は情けなくなるほどに精神的に無抵抗であった。


「……認知して?」


「は……?」


 間抜けな声が口から漏れる。

 認知。その言葉の意味は理解しているつもりだ。

ひとつに、外界の対象を認識し識別すること。そしてもう一つ、


「(いやいや……)」


 誓って、僕は彼女と性的関係を持ったことはないと断言出来る。そも、いざ眠らんと床に入ったばかりの朦朧とした脳であるとはいえ、この少し童顔じみた美貌をほとんど思い出すことができずにいるのだ。

 しかし。この状況において自然な“認知”の用法といえばそちらである。つまるところは、そう。


「…………。」


 ちらりと、彼女の腹部に目を遣る。だが生憎、半ば押し倒すような姿勢でこちらにしなだれる少女の、呼吸に合わせて微かに上下する双丘──峻厳とも平坦とも判別し難い──が、視線を遮る。

 このままでいるのは気恥ずかしく、眼球を上へと向けて再度彼女の顔を見る。


「あー……。そもそも僕は君と面識があっただろうか」


 最悪の気分だ。人間として、こんな返答をしていいものか。

 僕の右頬に当てられた、柔らかくて小さな左の手のひら。

 下腹部にかかる圧力は、しかし苦しさを感じるものではなくむしろ背徳的な温もりを僕にもたらす。

 その感触に、僕はただ恐怖する。

 触れた箇所から、感情が流れ込んでいくような錯覚。名も知らぬ彼女に、自身ですら知らない僕の内面を覗かれてしまうようで、それがたまらなく恐ろしい。

 一瞬が無限。拡張され引き伸ばされた静寂の末、彼女はただ哀しむような表情を見せる。


「ううん、あなたが私を覚えていないのは仕方ないの。」


 ぽつり、漏らしたその言葉の意味をすぐに理解することは適わず。

 彼女が立ち上がる。離れていく熱が名残惜しい。


「でも、これだけは覚えていて。私にとって、“榊原(さかきばら) 真二(しんじ)”は忘れようとしても忘れられない、とっても特別な存在なんだってこと」


 蕩けそうな表情で僕の名前を呼ぶ彼女。


「君はっ」


 ベッドから上体を起こし、咄嗟に声を掛けようとしたが、既に彼女の姿はない。視線の端、僕の部屋と廊下を仕切るドアがゆらゆらと揺れていた。


「君は…………」


 いったい僕は、その言葉の先に何と言おうとしていたのか。

 虚空に右手を伸ばし、形ないものを掴もうとするかのように指先を動かす。夜闇が隙間から漏れ出ていく。


何度も。


何度も。


……………………。


 白む空。一睡もしないままに僕は朝を迎えてしまったらしい。

 いつまでもこうしている訳にはいかない。冬季にその危険性が遺憾無く発揮される高依存性空間であるベッドを抜け出し、登校の準備を始める。

 たとえ衝撃的な邂逅があったとはいえ、今日は平日であり、僕は学生だ。なれば学校に通うという宿命から逃れることはできない。

 まだ朝早いため、急ぐ必要はない。のんびりと支度を済ませながら、昨晩のことを考える。

 気分はもう落ち着いたが、非常に印象深い出来事であったことに間違いはない。そして、気になることもある。


「(榊原、か……)」


 胸の奥に鈍い痛みが走る。

時が過ぎても、傷が塞がりきることはない。


「真二くん? あらあら、起きてたのね」


「おはようございます、桐枝(きりえ)さん」


 家族であれど、壁一枚挟んだような距離感。僕が彼女を「母さん」と呼べるようになるときは、果たして来るのだろうか。

 古賀(こが) 桐枝は僕の義母である。実の父、宗一(そういち)の再婚相手だ。

 父の連れ子である僕を甲斐甲斐しく世話してくれるが、それでも彼女は“義母”。埋めようもないほど、溝は深い。


「朝ごはん出来てるから、ちゃんと食べていってね」


「はい。ありがとうございます」


 彼女と話すときは自然と敬語になってしまう。ほんのちょっとだけ悲しそうな表情に、罪悪感が胸を掠める。

 食卓には僕の分の食事が用意されている。向かいの椅子は空席。もう職場に向かったのだろう。

 “あの日”以来、父と面と向かって話すことが少なくなった。

 母と別れてからは、人が変わったように仕事ばかりになって滅多に顔を合わせることが無くなった。

 まるで、家族のことなんてどうでもいいように……。

 咀嚼して、嚥下して。

 料理の味は、よく分からなかった。


 学校生活は、本日も何事もなく。

 友人とくだらないことで盛り上がり、授業中は睡魔に抗う。

ごく一般的な男子高校生としての、なんということもない日常。


(しん)、今度肝試し行かねー?」


「今は真冬だし。そういうのは夏にやるもんじゃないのか?」


 昼休み。教室にて、机を合わせて弁当を食べながら話をする。

 ガサツな陽平(ようへい)と、どちらかと言えば内気な僕。

一見正反対にも見える僕らであるが、小学校からの腐れ縁ということもあり、なんだかんだ共に行動することが多い。


「そう言いつつ、夏に誘ったら来なかったじゃねえか! 真っ暗な墓地前で一時間待ったんだぞ!?」


「あのときは行かないって言ってたはず……って、お前ずっと待機してたのか」


 体格のガッチリした彼が、夜風に身をふるわせて懐中電灯片手に墓地待機……どことなく可笑しい光景だ。


「何笑ってるんだよ、ビビりのくせにー」


「誰がビビりだ、即刻訂正を要求する」


 なんの中身も無いような会話だが、それが心地よい。肝試しは勘弁願いたいが。


「そこまで言うなら、俺と共に“怪奇! 雪道に刻まれる死霊の足跡”を……」


「箸が進んでいないようだけど。もうすぐ昼休み終わるよ」


 マジか、と急いで弁当をかき込む陽平。チョロい。

 彼が沈黙すると、追い出されていた雑念達が我先にと頭の隅々までを侵していく。


「(…………彼女は、今何をしているのだろう)」


 奇妙なまでの引っかかりを僕に残していった存在へと、ただぼんやりと思いを至らせる。

 教室は今日も騒がしく。故に、静寂に包まれたこの一角はまるで異界であった。


「……らしくないな」


 向こう側の悪友には聞こえないように、ぽつり、私語(ささや)いた。


 太陽が、遥か稜線へといざようように消えてゆく。

 それを背景に、僕は家を飛び出す。

 思い出したのだ、やっと。

 雪に足を取られながら走る。

 “あれ”が彼女のメッセージなら、きっとそこにいる。

 三年前。中学校までの道程を急いでいた僕は、交差点にて信号待ちをしていた一人の少女にぶつかって……。


「待ってたよ」


 あのときのように、彼女はそこにいた。

身に纏う真紅のゴスロリのように、マジックアワーの緋色に染まって。


「ずっとずっと、ここで待ってた」


「君だったのか、()()()


 世界の全てが美しい時間。なんということもない十字路ですら、彼女を引き立てる極上の背景。一枚の名画のように完成されている光景を、素直に綺麗だと思った。


「それで、真二はなぜ私に会いに来たの?」


 この言葉にこめられた意味は、おそらく拒絶ではなく問いかけ。そして、僕は彼女が求める答えを知っている。


「ルービックキューブ。落し物だよ」


 ベッドの側に落ちていたそれは、ガラスの靴のように僕達を結びつけた。そしてそれが意図的であることも、知っている。

 あの時と同じなのだ。


「ほんとに世話が焼ける私の王子様」


 くすりと笑うトウカ。頬は彼女の瞳のように紅く染まっており、その声からも喜びが滲みだしている。

 不条理。


「何故だ?」


 きょとん、と首を傾げるトウカ。

 続ける。


「三年前、僕はここで君とぶつかって。倒れた君の手を引いて起き上がらせ、一言謝ったあと、“トウカ”と書かれたルービックキューブを拾い、君に返した。」


 一度息を吸い、だけれど、と繋げる。


「だけれど、それだけ。僕と君の間にあったできごとはそれだけだったんだよ。君がこれだけ僕のことを慕う理由が存在しないんだ」


 虚偽の“認知”を迫ったりするほどに。彼女は妊娠などしているはずもないのに。

 ところが。


「それだけ? ううん、私にとってあなたが特別な存在になるのには十分。」


 ふと、周囲を見渡す彼女。

 足を止め、こちらを眺める通行人達。

 傍から見れば、さぞかしゴスロリ衣装の美少女と冴えない男が痴話喧嘩をしているように見えるだろうな、と少し恥ずかしく感じた。


 …………。違う。

 この視線は。

俺だけに向けられている。

 まるで。異常な存在を見るように。


「誰も、私を見てないんだよ」


「叫ぼうと、触れようと、誰も私を認識できない」


「タトえワタシがヒトをコロしても、ダレもワカらない」


 既に彼女の言葉は耳に入っていない。非常識を脳が遮断しているのだろう。


「コロんだワタシのテをツカんでくれた。ちゃんとミてくれた。あのトキから、このルービックキューブはワタシのタカラモノ。」


 唯一聞こえたのは、きっと彼女なりのラブコール。


「こんな私ですが、どうか認知してもらえますか?」


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