親友……ではない
タイトルイラスト:相内 充希さま
挿絵イラスト:なもまるさま
「この前の話、まだ大丈夫でしたら、お受けしようと思いまして」
私は、上司であるグレームス宮廷魔術師室長に、告げた。
昼下がりの室長の実験室にいるのは、私と室長だけだ。壁際の薬棚にはびっしりと薬品が置かれ、実験用の台の上には、作りかけの魔道具。作業用とは別に置かれた机の上には、どっかりと書類が積まれている。
室長ともなると、実験以外の資料もかなり多い。
換気中なのだろうか。窓は大きくあけ放たれていて、空の青さが眩しい。
室長は、書類を書く手を止めて、私の顔を見上げた。
ぴしりと七三にわけた髪。プレスの利いたシャツを腕まくりしている。若いころは、随分と野心でギラギラした目をしていたという噂だが、現在は、職場に子供の肖像画を飾っている温厚な家庭人だ。
「本当か?」
「はい。良いお話と思い直しました」
「まあ、良い話には違いない」
室長は、驚きの表情を浮かべながらも頷く。ブラウンの瞳が私を覗き込む。
もともと、室長が持ってきた話なのだから、そこまで驚かなくても、と思う。
「それにしても、ジェシカ、どうして、急に?」
「いけませんか?」
「……いけなくはないが」
室長は、納得いかない、という顔で頷く。
「妹も結婚したことですし、私もそろそろと思ったのですけど」
「……まあ、それはそうだな」
グレームス室長からの『お話』は、適齢期をとうに過ぎた私への縁談であった。
私、ジェシカ・リーンは二十八歳。この国の貴族子女は、二十代の初めに結婚するのが普通である。
ここまで、私が縁談と無縁だったのは、いろいろと家庭の事情もある。
宮廷魔術師だった父。その背を追うようにして、私も当たり前のように、魔術を勉強した。
あまり記憶に残っていないが、母は、あまり乗り気ではなかったらしい。
それはそうだろう。
この国には、女性の魔術師がいないわけではないが、けっして多数派ではない。
男が稼ぎ、女が家を守る、そんな考え方の人間のほうが圧倒的に多いのだ。
しかし、両親が亡くなったあと、年の離れた妹を育てるために、宮廷魔術師となった。そして、働き続けて……現在に至る。
仕事にやりがいも感じている。
室長の持ってきた縁談を私は、最初は断った。
ずっと好きな人がいたから。
想いを告げる勇気がなくて、もう何年も思い続けているひとがいた。
「ならば、すぐに先方に知らせよう。先方は、かなりノリ気のようだからな」
「よろしくお願いいたします」
私は頭を下げた。
室長は、ジロジロと私を見て、ため息をついた。
「……レムスには、話したのか?」
「なぜ、レムスに?」
室長が頭を振る。
どこか、残念なものを見るような目で見られているのはなぜなのか。
「……親友ではないのか?」
「まあ……そうですね」
レムスは私の同期に当たる男だ。
私とレムスは、魔術の共同研究をしている。公私にわたり、レムスと私は非常に親しい。
「縁談がまとまったら、話します」
「事後報告か?」
室長は私を覗き込む。グレームス室長の目に、なぜか威圧感を感じた。
「事前に言う、必要ありますかね?」
縁談が決まれば、当然話すつもりではあるが、何故、事前に話さねばならないのか。
私が誰と見合いしようと、レムスには関係ない。
そう。関係ないのだ。残念なことに。
それがわかってしまったから、縁談を受けるのだ。
「まあ、私としてはどちらでもいいのだが、後悔するのではないのかね?」
自分が持ち込んだ縁談なのに、私が了承するとは思っていなかったのか。そして、私の心を見通していたかのような言葉。
室長は、ひょっとしたら、すべてをわかっているのかもしれない。
父が死んでから、室長は、私の兄のように、面倒を見てくれた人だ。
鋭いひとだから、私の気持ちを知っていても、不思議はない。
室長は、コホンと咳払いをした。
「先方から返事が来たら、また連絡する」
「よろしくお願いいたします」
「それから、ジェシカ。中庭の噴水のエーテル機構が調子悪いって報告が来ている。後で見ておいてくれ」
「わかりました」
思い出したように、仕事を言いつけると室長は、書類に目を落とした。
私は丁寧に頭を下げる。
室長はああ言ったけれど。レムスに話すなんて、考えられない。
できれば、レムスに、私の女の部分を見せたくない。
私も恋をすることがあるなどと、知られてはならない。
私がこの想いを捨て去るまでは。
室長と話を終えて、廊下にでる。
部屋に戻るには、共同スペースに当たる休憩室を突っ切っていかなければいけない。
休憩室には、レムスがソファに座り、お茶を飲んでいた。
私とレムスの部屋はこの休憩室のすぐそばにある。
共同研究者でもあるから、普段、この休憩室でよく話もする。
本当は、彼に会いたくはなかったが、だからといって、逃げ出すわけにもいかない。
レムスは、私を見て微笑する。
短くて茶色の髪。深く青い瞳。端正な顔立ち。悔しいことに、見ると胸がどきりとした。
「やあジェシカ、頼みがあるのだが」
「何?」
私は、レムスの方を見ないように、休憩室の片隅に置かれたテーブルに近づいた。
「薬草を少し融通してもらえないかな?」
「薬草?」
「フレの葉を少しだけ。業者にかけあったんだけど、時期的に今は難しいって言われちゃって」
「いいわ。あとで渡す」
私は、あまり使わない薬草で、ストックもある。
「おおっ。ありがたい」
レムスは、うれしそうだ。
私は、テーブルに置かれた水差しに手をかけ、コップに注いだ。
室長には話せと言われたけれど、やっぱり、事前に話す必要を感じない。
私は、水を飲み干した。
「そういえば、長い間、どこへ行ってたんだ?」
しばらくここで待っていたのだろうか。
特に施錠もせず、外出ともかかずに部屋を空けていたから、あまり望ましい行動ではなかったかもしれない。
一応、この研究室は関係者以外立ち入り禁止区域で、皇室の人間でも出入りに制限がある区域だ。
逆に言えば、それだけ『危険』なものがあるともいえる。施錠は基本と言えば、基本なので、注意されても仕方がない。
「室長と話していた」
「室長と? 何を?」
突然、レムスの顔に不機嫌の色が浮かんだ。
これは、レムスが、室長を嫌いとかではなくて。
ことあるごとに、室長を兄のように頼ってしまう私に怒っているのだろうとは思う。私が厄介ゴトを持ち込んで、室長を困らせたことは、一度や二度ではないだけに、身に覚えがありすぎる。
「……たいしたことじゃないわ。私的なことよ」
「私的なこと?」
レムスはいつの間にか立ち上がり、私の部屋の扉の前に立つ。
私がまた、手に負えないことを室長に押し付けたとでも思ったのだろうか。
聞き流すつもりは、ないらしい。
「……やけに、食いつくのね」
「やけに、歯切れが悪い」
普段は、何も気にしない男であるのに、なぜか妙にしつこい。
仕事の話じゃないっていうのを、信じていないのかもしれない。
「レムスには関係のない話よ」
私は、ふうっとため息をついた。
たぶん、待たせてしまったこともあって、余計に機嫌を損ねているのだ。
でも、レムスの勝手な訪問にあわせて行動しているわけじゃないから、仕方ないと思う。
「関係ないって、どういう意味だよ」
「本当に、仕事には関係ないの」
レムスは、それを聞いて、眉を吊り上げた。
「ちょっと待て。お前と俺は、親友だろう? 室長に相談できて、俺にはできないって、どういうことだ?」
何を怒っているのか、よくわからない。
自分がないがしろにされた、とでも思っているのだろうか。
親友だからと言って、すべてを話す義務はない。
そもそも、私にとって、レムスは、親友ではない。本当に、親友だったらよかったのに。
レムスが、あの子と歩いているのを見たあの日。私は、自分の本当の気持ちを悟ってしまった。
でも。レムスは、仕事の上で大事なパートナーであるし、同僚だ。
正直に告白して、当たって砕けて、壊してしまっていい関係ではない。
こんな気持ちは、忘れてしまうのが一番良い。彼の思っている関係のままでいようと、そう決めたのだ。
「室長が縁談を世話してくれただけよ」
私は諦めて感情を押さえて、何でもないことのように答えた。
「お前の妹、この前、結婚したよな?」
ポカンとした顔で、発したレムスの言葉は、あまりと言えば、あまりの言葉だった。
胸に苦いものが広がる。私は唇を噛んで感情を押し殺す。
レムスは、私が、仕事一筋に生きてきたことを知っている。今さら感もあるのだろう。
何より彼にとって、私は『女性』という認識されていないと理解する。
私はいつだって、女性らしいドレスを着てはいない。髪だって短い。言葉だってお上品ではないし、嫁入りの修業など一つもしていない。
もう勘弁してほしい。これ以上は、惨めだ。
「じゃあ、仕事あるから」
「待て」
自室に入ろうとドアノブに手をかけると、レムスに腕をつかまれた。
「縁談って、ひょっとして、ジェシカが?」
目が大きく見開かれている。声も少し震えている。驚きすぎだ。
「そうよ。そこまで意外な顔をしないでよ」
私は、頭を振った。私が結婚を考えるって、そんなにも予想外の出来事なのか。
私が恋をしたりするとか、まったく考えていなかったのだろう。
「誰と?」
「誰とだっていいでしょう?」
私は思わず声を荒げ、レムスの手を振りほどいた。
レムスの視線から、顔を背ける。こんな顔を見られたくなかった。
「親友なら、もう、これ以上聞かないで」
私は自室の扉を開き、体を滑り込ませる。
「ジェシカ?」
戸惑ったようなレムスの声には応えず、私は扉の鍵をかける。
「……フレの葉は、後で持っていくわ」
それだけ言うのが、やっとだった。




