神竜の巫女はドラゴンより神官をご所望です
「この命を賭けて貴女をお守りします」
ひゃあああっ。
目の前に立つ人から、お姫様みたいにうやうやしく手の甲に口づけされて。
吟遊詩人の歌に出てくるみたいに、気障なことを言われちゃった私は、思わず心の中で叫び声を上げた。
やだやだ。どうしよう、無理。
うう。突然のことに気持ちが追いつかないっていうか。
さっきからばくばくと働きすぎの心臓が壊れちゃいそう。今の私、リズさん家の猫みたいになっちゃってるかもね。あそこの猫、触ろうとすると毛がぶわーって逆立つの。それと同じ状態ってわけ。
とにかく、どうしよう!
パニックになった私は、握られているのとは反対の手を唇にあてて、オロオロするしかなかった。
私の名前はラシェル・クリスティン。子供の頃から少しだけ、不思議な特技を持ってる。
腰まであるセピア色の髪に新緑の瞳。派手さはないし綺麗とは言えない顔だけど、不細工ではないかな。
昨日誕生日を迎えたばかりの、なりたてほやほやの16歳。中肉中背で、ぼんっきゅっとはいかないけど、それなりの胸ではあると思うの。
私の住むカレド村は、のんびりとした田舎。
おおらかで優しい母さんと頼りがいのある父さん、少しだけ生意気な弟との、なんの変哲もない四人家族で暮らしてる。
そうそう。私の特技だけど。不思議な力といっても、別に未来が見えるとか、魔法が使えるだとかじゃないの。
魔法は使いたかったんだけどな。
年に一度、秋の収穫祭に来てくれる魔法使いの光魔法は、それはそれは綺麗で楽しくて。私もあんな風に魔法が使えたらなぁって憧れたもの。
まあそれはともかく。
家族の誰かが体調を崩した時、「早く治りますように」ってお祈りすると、不思議と長引かない。
「頑張って」と応援すると、いつもよりもちょっぴり上手く出来ちゃう。
作物に「沢山実をつけてね」と話しかけると、少し多く実をつけてくれる。
そんな、本当にちっぽけなもの。
劇的な効果がないところが、なんとも絶妙。
ちなみに自分にした「村一番の美人リリアみたいになりたい」という祈りは全く効果なし。
活かせるような、活かせないような。
そんな微妙な特技だったのよ。この時までは。
「ラシェル、おまじないして」
水汲み場で洗濯をしていた私のスカートの裾が、くいくいと引かれる。振り向くと近所の子が、幼い瞳をうるうるとさせて私を見上げていた。
「あら、ベシー。転んじゃったの? 痛そうね」
鬼ごっこをしていて、転んでしまったみたい。ぽよぽよと幼い膝小僧には、肉まで見える痛そうな擦り傷。しゃがみ込んだ私は、懐から出したハンカチで、痛くないようにと慎重に血を拭った。
「早く治れ~」
実際には触れずに、手をかざす。
すると、拭いてもじくじくと出ていた血が固まって、あっという間にかさぶたを作り、はがれた。後に残ったのは、つるんと血色のいい膝小僧だけ。
あれ? と内心で首を傾げる。こんなに早く治ったかしら。
「ほら。もう大丈夫。血は止まったから」
「ありがとう」
ベシーはにぱぁ、と顔中を笑みでいっぱいにしてから、元気に駆けて行く。
友達の輪の中へ帰り、また遊び始める子供たちをしばらく眺めてから、私はまた洗濯を再開した。
ぎゅっぎゅっと洗濯物を揉みながら、もう一度考えてみる。
気のせいか、大したことない擦り傷だったから簡単に治ったんでしょう。うん、きっとそう。
「よし」
最後の洗濯物をぎゅっと絞り、籠に入れてうーんと腰を伸ばしていると、私の耳が後ろからぼそりと響く声を拾った。
「……見つけた」
「はい?」
腰に手を当てて少し反り返った恰好のまま振り向くと、背後にいたのは知らない少年。陽光を弾くさらさらの白い髪が眩しい。抜けるような青空と同じ色の瞳。年は私と同じくらいかな。
髪と同じ白の衣服は金糸の刺繍が施されていて、生地も高級そう。
彼は迷子が親を見つけた時みたいに、ぱああっとした笑顔になってから膝を着いた。
「お探ししておりました、神竜の巫女。私は神竜の神官。貴女をお迎えに参りました」
ぽかんと口を開いて固まっている私の手を、大事そうに掴んで口元へ持っていく。
「この命を賭けて貴女をお守りします」
ひゃあああっ。
そうして。手の甲に柔らかさと少しの温かさを感じた私は、髪の毛を逆立てちゃうくらいに驚いたのだった。
「えっと、あの、そのっ。勘違い。人違いじゃないですか?」
私は笑顔でやんわりと否定した。
だってこの人の恰好。多分それなりに位の高い神官さまっぽい。邪険に扱ってややこしいことになったら困る。
それとなく掴まれた手を引こうとしたけど、思いの外しっかりと握られていたみたいで、振りほどけなかった。
彼は彼で、にこにこしたまま私の手を放さない。
「いいえ。私が巫女を見間違うはずがありません」
ぐぬぬ。そんなに力入ってるように思えないのに、なんで抜けないの。
握られた手は痛くないから、実際に力一杯ってわけじゃないんだろう。反対にこっちはすんごい力入れてるのに。
お互いに笑顔のまま水面下の綱引きを続ける。
なんなの、この状況。
「神竜って伝説のドラゴンでしょう? 三大神の一体なんて超有名どころじゃないですか」
神様の中でも有名で大きな力を持つから、当然信仰の規模が大きくて、神官も巫女さんもいっぱいいる。なのにわざわざこの人が私なんかを迎えに来るのよ。
「私、神職になんて就いてないただの村娘です。他をあたって下さい」
「神竜の巫女は、神殿にいるお飾りの巫女と同じではありません」
神殿の巫女さんをお飾りって。はっきり言うなぁ、この人。同じ神職なんじゃないの?
私は呆れ半分、心配少しと、残りは、はっきり言えるほどの地位か家柄なのだろうという、冷めた目で少年を眺めた。
そんな私の視線にも気づかず、少年が言葉を続ける。
「聖なる婚姻を結び、神竜の力を絶対にする巫女なのです」
「婚姻っ!?」
いきなりの爆弾発言に、私の声が裏返った。
聖なる婚姻って、神竜に一生を捧げて清いままでいろってやつ? もしくは教祖さまと結婚? 冗談じゃないわ。
「そんなの願い下げよ。大体、こんな突然に迎えに来たって、父さんと母さんだって反対す……」
「ご心配には及びません。ご両親にはもう話を通してあります。お二人とも快く承諾してくださいました」
「何ですって」
きりきりと、自分でも眉が吊り上がったのが分かった。
「最低。偉い神官さまだかなんだか知らないけど、権力振りかざして言う事聞かすなんて」
そうでもなければ、両親が簡単に首を縦に振るなんて思えない。
「そんなことはしていません。きちんと誠心誠意、お話させて頂きました」
少年から始終嬉しそうに浮かべていた笑みが引っ込み、驚いたように空色の目が見開かれた。
「だったらそのよく回る口で丸め込んだのね、この詐欺師。それとも汚い手で罠にはめたとか。あ、まさか騙して借金とかさせたとか、そんなんじゃないでしょうね」
今度は私が彼の手をしっかりと握り返し、ぐいっと顔を近づけた。反対に彼の上半身がのけ反る。
「ご、誤解ですっ。大事な巫女のご両親にそんなことは致しませんっ」
必死に、詰め寄る私を押しとどめようと、握っていない方の手をかざした。ふるふると首を横に振り、殆ど悲鳴のような弁明をする。
「そんな、何にも悪い事してませんって顔しても、騙されないんだから。さあ、どんな手を使ったのか正直におっしゃい」
さっさと白状させようと、私は少年を見る目に怒りを込めた。もしも私にそいういう力があったなら、視線だけで射殺せると思う。
少年の方はもう、すっかり涙目だ。
「私はご両親に事実を申し上げて、誠意の証にと1億ギールを納めて頂いただけですっ」
ついに自白したな! へー。ほー。ふーん。そういうこと。1億ギールね。……んん?
1億ギール……そんな大金見たことないからピンと来ないけど、父さんの稼ぎが精々一か月30ギール……なのに、い、1億ギールゥッ!?
うちの両親、お金で買収されてたよ!
二重の意味でショックを受けた私は、がっくりと地面に手を着いた。
「あのぅ。申し訳ないのですが、あまり悠長にはしていられないのです」
「なによ、少しくらい待ちなさいよ。度量の狭い男は嫌われるわよ」
地面を震わせる不機嫌な私の声に、うぐっと言葉を詰まらせる。
「あっ! あれ、なに?」
さらに文句を言おうとしたけど、鬼ごっこをしていたベシーに遮られた。ふっくらとした指が示す方向を見上げると、まだ遠いけど、鳥よりも大きな黒い影が見える。
他の子たちも鬼ごっこをやめて、不安そうに空を見上げた。いつの間にか、私と少年のやり取りを野次馬していた近所のおじさん、おばさんたちの視線も同じように空へと注がれた。
鳥にしては歪で、不吉なシルエット。
さっきまで涙を溜めていた少年の青い目が、鋭い光を帯びる。
「来たましたか」
静かに呟き、有無を言わさず私の腰へ腕を回した。
「ちょっ、何すんのよ」
私は腕から抜け出そうともがいたけど、びくももしない。
「貴女の道は3つです。これから貴女を狙う輩から一生逃げ続けるか、戦い続けるか。それとも」
暴れる私に構わずに、ひょいと抱き上げた少年が選択を迫った。
「神竜と婚姻するかです」
「どれも嫌よっ!!」
言葉と共に、少年の顎に私のアッパーカットが炸裂した。
イケメンだからって何でも許されると思わないでよねっ。




