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カレンデュラ(旧版)  作者: 芳多 響
序章
9/23

1-9 束の間の日常

 薄暗い部屋にカーテンの隙間から射し込んでくる、寝起きの瞳にはつらい眩しい光と、遠くから聞こえてくる雀のさえずりと電車の走行音が、俺の意識を徐々に覚醒させてゆく。


 視界と意識がはっきりしてくるのと同時に、昨日の記憶も明確になっていく。


 そうだ、確か昨日は異世界で少年をおぶって化物から必死で逃げ回り、イリナに質問をして.......。


 そこまで考えた時、どこからか漂う甘い香りが鼻腔の奥をくすぐった。


 左を見ると、下ろした赤髪に包まれた小さくもあどけない寝顔で、すぅすぅと寝息を静かにたてている少女───イリナがいた。


「!?」


 一瞬で眠気が吹き飛ぶ。


 もしかして俺は寝る場所間違えたか!?と思うも、元々俺は自室で寝るつもりだったので、すぐにそうではないと気付く。


 そうだ。昨日はイリナに母の部屋に布団が敷いてあることを伝え忘れたまま、そのまま寝てしまったのだ。何たる失態。


 一人用のベッドに二人で寝ているものだから、壁とイリナに挟まれた状態の俺は、イリナとほぼ密着した状態であり、肌と肌が触れあっている場所から、イリナの温かい体温を感じる。


 しかも今、イリナはサイズの合わない俺の服を着ているのだ。隙間から見え隠れする肌が非常に目の毒である。


 まずい、これはまずい。何とかして抜け出さないと、変な気分にあてられてしまう。そうなってしまう前に何とかここから脱出しなければ。


 ふと、ここで時計が俺の目に入った。そういえば昨日、向こうの世界で見た時計塔の時計は綺麗だったなーとか考えていると、見慣れた時計が指している時間を漸く認識する。


 長針は4と5の間にあり、短針は9の少し上で静止していた。


 時計の二針が形成する、毎朝見慣れた折れ線の形とは全く違う。


 きっとこの時の俺の顔は、物の見事に真っ青になっていたのだろう。そう思えるほどに顔から血の気が引き、背筋が寒くなった。


 本日は平日。つまりは登校日。


 そう思うやいなや、俺は飛び起き.......られなかった。


 慣れないことをしまくった昨日の運動が祟って、今になって筋肉痛という代償として、俺の体に深くのしかかる。


「─っ!」


 中途半端に起き上がったところで全身に激痛が走った俺は、奇妙な体勢を維持できるはずもなく、再びベッドに倒れ伏した。否、そこはベッドでは無かった。


 大きすぎず小さすぎず、絶妙なバランスを保った柔らかい感触と、一定のリズムを保つ心臓の鼓動が、俺の顔を通して伝わってくる。


「────んぅ...?」


「!!」


 イリナが目をゆっくりと半ばまで開く。


 その瞬間俺は音速を超えるかのような速さで顔を引き離し、ベッドから何とかして這い出る。その拍子に、体のどこかがイリナとぶつかり、イリナがベッドから転げ落ちる。


 ごん、という鈍い音と「あうっ!」という可愛らしい悲鳴が聞こえてくるのもお構い無しに、俺は部屋を出て階段を駆け下り、クローゼットから制服を引っ張り出す。


「ぐあッ!」


 そしてここで身体に強烈な電撃が走る。先程は必死だったために、一時痛みを忘れられたが、やはり痛いものは痛い。


 何とか痛みがマシになる体勢を模索しながら制服を着て、洗顔と歯磨きに向かった所で、自身の姿を鏡で見て気付く。


 そうだ。昨日はイリナの服を突っ込んですぐに洗濯機を回したため、俺の制服が洗えなかった。


「くそっ!」


 急いでリビングに引き返し、予備の制服をクローゼットから引っ張り出して、もう一度奇妙なダンスをするかのような動きで真っ白なカッターシャツに身を包む。


 再び洗面所へ向かい、洗顔と歯磨きを済ませ、玄関で靴を履こうとした所でイリナが後頭部を片手で抑え、もう片方の手で目を擦りながら階段から降りてきた。


「どうしたの?そんなに慌てて」


「寝坊したんだ!早く学校行かないと、先生に怒られる!」


「.......ふうん」


 切羽詰まった返答に、イリナは興味無さげに鼻で返す。


 こいつ、人の気も知らないで.......!


 とにかく急がなければ。俺は靴がろくに履けたかどうかも確認しないまま、鞄を引っ掴んで勢い良く外へ出た。




 ***




 筋肉痛で走ってるのか歩いてるのかわからない速度で学校へ向かっているうちに、あることに思い至る。


 遅刻は確定。つまり怒られることも確定。なら、わざわざ急ぐ必要は無いのでは.......?


 そう思った瞬間、俺は頑張ることを断念して、諦念と共にとぼとぼと(むな)しく歩き出した。


 ポケットからイヤホンを取り出し、お気に入りのダブステップを流して幾らか気を紛らわせる。


 毎朝歩く通学路がいつもよりも明るいことに、変な違和感を感じながら駅まで歩を進める。


 改札をくぐる際に、定期が挟み込まれている携帯をポケットから取り出し、そのままホームで俺がいつも乗車するステッカーの貼られた位置まで来て、携帯を起動させる。


 すると、メールが一通届いていた。


『差出人:柿田 純也

 件名:( ^ω^)ざんねんw

 残念だったなw

 すずの手作りクッキーは俺と賢吾で美味しく残さず頂いといたぜ!しかし、お前がなんの断りもなく約束破るなんて珍しいな。何かあったのか?数学の課題終わってんだろーな?』


 詰んだ。




 ***




 学校へついた俺は職員室により、遅刻と数学課題の件でしっかりと搾られた俺は、授業中の静かな教室にガラリという扉の開閉音を響かせて入室する。


 瞬間にクラスメイト達の視線が一気に俺に注がれる。


 やめて。俺をそんな目で見ないで。


「遅刻とは感心せんな。さっさと席に着け」


「.......すんません」


 授業をしていた地理の先生がそう言いながら帳簿の俺の欄に印を書き込む。


 鞄を下ろし、席に着いて俺は小さくため息をつく。


 昨日の騒ぎ、今朝の刺激、先程の叱責と、三連コンボをくらった俺は、授業に集中なんて出来なかった。


 暫くするとチャイムが鳴り、それまで静かにペンを走らせていた周りのクラスメイト達が、挨拶が終わった途端に思い思いの行動を取り出す。


 購買にでも行くかなー、とかぼんやり考えていると、後ろから肩を叩かれた。


「昨日はどうしたんだ?てっきり来るものとおもってたんだけど」


「真面目なお前が遅刻とは珍しいな。夜更かしでもしてたのか?」


 振り返るとそこには柿田と大蔵がいた。


 俺は、昨日のことを話そうかと考えたけれど、あまりに現実離れした話に、冗談としては通じるだろうが、きっと理解してくれないだろうし、第一俺もまだ良く理解出来ていない。


「あー、足をケガした婆さんを見つけてしまってな、手を貸して家まで送り届けてやった時にはもう夜だったんだ」


「へぇ」


「真面目なお前らしい理由だな」


「あやとは昔から他人に優しいところあるもんねー」


 俺のついた嘘に素直に感心する二人。中学の時からの数少ない親友であるこの二人に、伝えられないとは言え、嘘をつくことに心のどこかが引っかかる。


「人助けも良いけど、それで身を滅ぼしたら元も子も無いよ〜?」


 鈴奈がやって来た。


「まぁほら、俺が困ってる人をほっとけないタチなのは分かってるだろ?」


「そりゃあまあそうだけどさ.......」


「出来れば、数学課題に困ってた俺もほっとかないで欲しかったなー」


 うるせ。


「他人を助けることを別に咎める気は無いが、それで自分の事まで手が回らなくなるのは本末転倒だぞ」


「ああ、気をつけるよ」


「頼むぞ」


 それだけ言うと、賢吾は自分の席からプリントを取ってスタスタと教室を出ていった。学級委員は忙しそうだな。


「そんで、どーするのよ今日は。またゲーセン行くのか?俺も行こっかなー。すずも来るか?」


「え、あたしも?」


 鈴奈が純也の誘いにキョトンとした顔を向ける。


「悪いが俺はパスだ。家に食料がなくてな、買い物に行かなきゃならん」


「あー、そう?じゃ仕方ねぇか。モルレたんのレベルアップでもするかな」


「あ、私も買い物しなきゃ。丁度いいし、一緒に行こうよ」


「そうしようか」


 何度も言うが、俺と鈴奈は幼馴染で家も近い。幼少時にかなりのヤンチャ者だった彼女の性格はすっかり消えて、現在は凄く家庭的になった。


 その後、いくつかの授業を経て鈴奈と一緒に学校を出る。


 家の最寄り駅で降りて、近所のスーパーにて鈴奈と一緒に買い物を済ませて家に帰る途中、


「お婆さん助けたってのは、嘘なんでしょ?」


 と、鈴奈は片手にビニール袋を提げたまま、目も合わせずに聞いてきた。


「.......実を言うと、少年なんだ」


「.............はぁ」


 純也や賢吾よりもかなり長い時を共に過ごしてきた彼女には、嘘は通じない。幼馴染だからなのか、それとも俺がわかりやすいからなのか、そこんとこはよく分からない。


 恐らく、「少年だ」と言ったことも、どこか嘘だろう、とか、隠してるな、とか感じてるんだろう。


 これはまずいか?


「綾人のことだから、何があったのかは聞かないけど、あんまり根を詰め過ぎちゃダメだよ?」


「.......ごめん」


「別に謝らなくていいよ。それと、はいこれ」


 小さな包を手渡された。


「昨日、自分用に少しとっておいたんだけどね。綾人来なかったからあげるよ」


「お、マジか。ありがとう!」


「どういたしまして」


 俺と鈴奈が別れる道まできた。


「それじゃ」


 俺は鈴奈に掌を見せる。


「うん、また明日」


 鈴奈も手を振り返して、路地に消えていった。


 帰りながら俺は、数こそ少ないものの、信頼できる友人がいる事のありがたさと、そんな友人全員に嘘をついてしまった小さな罪悪感を抱きながら家を目指した。



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