1-7 休息
気がつくと、俺の家の前だった。ゲームセンターに置きっぱなしだった学生鞄も、俺の足元にちゃんと置いてある。
辺りはもう真っ暗で、ぽつぽつと灯った白い街灯に羽虫が群がって飛んでいる。
見慣れたいつもの光景に、今まで起きていたことは夢だったんじゃないかと、思ってしまう。自分は何か、いつもに増して、壮大な夢を見てしまったのでは、と。
だが、痛む両腕に、ボロボロの制服、今にも力が抜けてしまいそうな足、そして何よりも、隣に立つ紅蓮と黄金に輝くエストックを帯刀した赤髪の少女の存在が、今までの事は全て現実で起こった事だと証明している。
「.......てっきり、ゲームセンターに戻るかと思ってたんだが.......」
「ああ、別にそこへ戻してもよかったんだけど、転移先を、君が一番安らげる場所って設定したらここになっちゃったみたい。何かまずかった?」
「いや、帰りに歩く手間が省けたから、むしろ良かったよ」
そう言って、俺は鞄を拾い上げ、鍵をポケットから取り出し、重い玄関扉を開けて中に入ると、靴を脱いで正面に見える階段を登り、自室のベッドに腰掛け.......
「.......何で家に入ってきてるの?」
しれーっと玄関くぐって俺の部屋まで上がり込んできた赤髪さんに問い掛ける。
「いやー、私こっちの世界に来たはいいものの、寝泊まりする場所が無くって.......」
「いやいや、得意の指パッチンで自分の世界に帰ればいいじゃないか」
「それがそうもいかなくって。残念な事に、転移を使うための魔力がもう無いの」
「.......だからって、うちに泊まっていいとは...」
イリナの顔がどんどん悲しげなものになっていくにつれ、俺の言葉も尻すぼみになっていく。
ああもう、そんな表情しないでくれ。女の子にこんな表情をさせている俺、という事実が、心をすごく傷めてしまう。
幸い、俺の両親は共働きで現在海外へ出張しており、当分は家に帰ってこない。幼い頃からあまり家族の愛情に触れる機会が少なかった一人っ子の俺は、いつも近所の鈴奈と一緒に育ってきた。
「はぁ、.......わかったよ。今晩は泊まっていくといい。」
「ほんと!?ありがとう!!」
俺の言葉を聞いた瞬間に、先ほどの暗い表情からパッと明るい顔にチェンジする。
わーい、と控えめな声で喜ぶその姿を見て、卑怯者、と小さく呟いておく。
さて、客人をもてなすとなれば、もう少しこの身体に頑張ってもらわなければならない。
布団を取り出し、夕飯を作り、それから.......
「いきなりで悪いんだけど、何処かに湯浴み出来る所はないかしら。今日は沢山動いたから、あるとありがたいのだけれど」
そうだった。来客用に風呂も用意せねばならない。
しかし、出会ってまだ1日すら経過していない少女を自宅の風呂に入れるという事に、なんとなく犯罪めいたものを感じ、根拠なき罪悪感と妙に照れ臭い感情が入り混じる。
「今からお風呂沸かすから、先に入ってゆっくりしてくれ。その間に色々とやる事済ませるから」
やらなければならないことを無理にでも増やさないと心が持ちそうにない。身はもうボロボロなのに。
「ありがとう」
そう言ってイリナは俺に笑顔を向ける。
ちくしょう。
***
イリナが風呂に入っている間に、来客の準備を進めていく。
俺は母の寝室へ行き、押し入れから来客用の布団を取り出して、まっすぐに敷く。
次に、冷蔵庫からもやし、キャベツ、人参、を取り出し、軽く炒める。
鍋に油を軽く引いて生姜を入れて香ばしい匂いを漂わせた後に水を張り、充分に熱した所で挽き肉を加える。そこに先程炒めた野菜を投入して掻き混ぜていると、ふと、入浴しているイリナの着替えを用意せねばならない事に気がつく。
家にある女物の服と言えば、母の物なのだが、普段からあまり着飾ることに興味の無かった母は、持っている服が少ない。そのため、海外出張の際に服を全部持っていってしまった。
つまり何が言いたいかと言うと、イリナに着せる服がない。
いや、全く無いわけではない。そう、服はあるのだ。イリナが男物の服を着ても構わないというのなら。
俺は急いで脱衣所に向かう。曇りガラスの中に、ぼんやりと赤い髪が映っている。俺はなるべく見ないようにして、小さく鼻歌を歌うイリナに声を掛ける。
「なあイリナ」
「うん?どうかした?」
風呂場のスライド式のドア越しにイリナの声が聞こえた。
「実は替えの女物の服が今家に無くてな、すまないが、男物の服で勘弁してくれないか?」
言ってて特に理由もないはずなのに、凄く恥ずかしくなってしまう。
「.......あー、うん、無いものはしょうがないね。突然上がり込んだ私も私だし、服はなんでもいいわよ」
「ほんとにすまない」
「別にいいわよ」
「上がってすぐ目の前にある白いタンスから、適当に選んで着てくれ」
「はいはーい」
会話中に目に付いた、ブルゾンコート以外、綺麗に折りたたまれて洗濯カゴに入れられたイリナの服を見て、
「もし良かったらイリナの服、洗濯しておこうか?」
「え、いいの?じゃあお言葉に甘えさせて貰おうかな」
「了解っと」
俺は何も考えずに洗濯カゴを掴んでそのままドラム式洗濯機の中に流し込んだ。脱ぎたての彼女の洋服に触る勇気なんて俺にはない。
蓋を閉めて洗剤をトレイに流し込み、スイッチを押す。うぃぃぃん、とどこか腑抜けた音を響かせながら、ドラムが回転し始める。
洗濯が始まった様子を確認した俺は「じゃあごゆっくり〜」と言いながら速攻で脱衣所を出る。
あとは心を無にしてひたすら料理(といっても掻き混ぜるだけ)に打ち込んだ。男物の服を着たイリナはどんな姿なのだろう、とか、一瞬だけ見えた白い下着が大人っぽかった、とか、そんな事は考えてはいない。決して。
***
風呂から上がり、シャンプーの果実的な匂いを漂わせるイリナは、過去に俺が試着をサボった為にサイズが合わず買い物に失敗した、大きめの白いTシャツに紺色の綿製ズボンを着て、首に巻いた白いタオルで赤髪をわしわししながら脱衣所を出てきた。
痩身の彼女が着る男物の服は、片方の袖が少しずり落ちており、その乳白色の綺麗な肩が露出している。昼間はスニーカーで隠されていた素足は、ズボンの下から、しなやかな曲線を描くふくらはぎに続き、きゅっと締まった足首、そして同じく乳白色の小さな足が生えていた。膝下しか見えていないのに、釘付けになりそうな程に美しい。
俺は全力でイリナから目を逸らしつつ、出来上がったスープをお盆に載せ、食卓に並べる。
スープの優しい匂いにつられたのか、イリナも席に着く。
「簡単なものしか作れなくて悪い。口に合うといいんだが.......」
銀のスプーンを手に取り、一口、イリナはスープをすくい上げて静かに啜ると、驚いた目で俺を見てきた。
「.......美味しい。あなた、料理上手いのね」
「一人暮らしが長いからな。家事全般は割と得意にもなるさ」
「ますます仲間に欲しくなる人材ね」
「そりゃどうも」
中学に上がる前から一人暮らしを始めていた俺にとって、料理は得意中の得意であった。家庭科の調理実習で、料理上手だと言われていた女子数人に嫉妬の目を向けられた過去がある。今ではたくさんのレパートリーがあり、時間とやる気さえあれば、ちょっとしたフルコースぐらいは作れる。作る気はさらさら無いが。
イリナはスープを夢中で口に運び、俺は色々と聞きたいことを頭の中で整理しながらスプーンを動かしていため、食事中の会話はそれきりだった。
部屋に響く、二人分の食器が鳴らされる音は、どこか心地よかった。