2-2 新たな仲間
黒板に板書されてゆく白い文字を、ゆっくりとしかし確実にノートに書き写していく。
結局、昼休みの遊ぶ約束についてはやんわりとお断りしておいた。その日は予定があるのだ。
祝日の月曜が、ある意味楽しみでもあり、怖くもあった。
***
エルベート国襲撃事件の翌日、俺はジルカ王国にて、王国が保持する精鋭部隊、エニアグラムに与えられた王城の一部屋に案内された。案内役はもちろん、赤髪少女のイリナである。
「ごめんね、あなたの入隊意志はこないだ確かに聞いたのだけど、まだ正式に入隊を認められてはいないの。国から重宝されてる少数精鋭部隊だからね、その拠点を部外者においそれと教えられる訳にはいかないの」
「俺は別に口は堅い方だと自信はあるんだが.......」
「悪いけど、そういう事じゃないの。いずれ仲間になるとわかっていても、今はまだ形式上、部外者ってことだから......。こういう所ちゃんとしてないと、上がうるさいのよねぇ.......」
渋い顔で不満を吐くイリナさん。
と、いうわけで。
まだエニアグラムに正式加入していない俺は、目隠しをしてイリナに手を引かれる形で城内を歩かされていた。
城に入る前の方向感覚からして、どうも城の裏門から入った様だが、長いこと視覚を奪われた状態で歩いた為、どこをどう歩いてきたのかは全くわからない。
磨きあげられた石の硬さだけが自分の足からやけに伝わってくる。自分や恐らくイリナの足音、周り人々の会話や物音が普段より明確に聞こえ、イリナから引かれる手にも無意識に力が入ってしまう。
人間、五感の内どれか一つでも失うとその他の感覚が欠損部分を補うためにより鋭敏になる、という話を聞いたことがあるが、成程それは本当だった。
今度、盲導犬の募金でもしよう。
とか考えていたら、扉が開かれる重い音がしてイリナの声がした。
「もう目隠し取っていいわよ」
言われるままに、恐る恐る目隠しを取る。自分は綺麗な赤いカーペットが敷かれた廊下の上に立っていた。
「ここから先なら別に見られても問題ないわ。あと少し歩けば着くわよ。付いてきて」
そう言うとイリナさんはスタスタと先行して行った。
未だ右手に残る、イリナと手を繋いでいた感触を忘れないように、とゆっくり右手を握りしめて歩き出す。
派手すぎず、適度に装飾の施された城内をしばらく歩いてたどり着いた部屋は、そこそこ広いラウンジだった。
「ようこそアヤト、エニアグラム本拠地へ」
イリナに扉を開けられて入ったその部屋は、天井に等間隔に並んだほのかな黄金色の光を放つダウンライトが、木製のテーブルや白いソファ、二つ並んだ大きな本棚、そして小さなバーカウンターを照らしていた。壁の隅には人一人分の大きさもある観葉植物が儚げにその葉を揺らしていた。
その観葉植物の置かれた壁は一面のガラス張りであった。
この城は小高い丘の上に鎮座しており、かつ城の四階にこの部屋が置かれているということもあって、色とりどりの屋根や天幕に風になびく洗濯物、ゆっくりと動いてゆく米粒よりも小さな人や馬車で賑わう城下町、そしてさらに遠くに見える大海の水平線を一望できるこの景色はまさに絶景だった。さぞ夜景も素晴らしいものだろう。
カウンターの奥にも扉がいくつかあり、まだ部屋がこれだけではない事に少しの感動と好奇心を覚えた。
この部屋、レベル高くね?
「どう?私達エニアグラム専用の部屋は。なかなか綺麗なものでしょ?」
「これは.......、これは凄いな。予想外だ。こんな部屋はネットや雑誌でしか見たことないぞ」
「お祭りの日とかは、ここから花火もしっかり見えるのよ。特等席ってやつね」
しかしだ。エニアグラムは精鋭部隊。天災を防ぐためにはなんでも行う義勇軍。イリナからの説明には、隠密行動が要求される任務もある時はある、みたいな事をちらりと聞いていた。いかにも、エニアグラムはここですよー、と主張しているような部屋でいいのだろうか。
「このガラス張りが気になる?安心して。この壁は外部からは城の石壁と擬態して見えるように魔法が掛けられてるの」
ほう。
忘れていた。ここは異世界だった。俺の住む世界と似通っているところが結構あるため、そこまで意識してしまうことは無かったが、思い返せばあの化物は明らかに地球のものでは無い。ガラスを割ってあんな巨体が出てくることはまず地球じゃ有り得ない。
魔法って便利だなー、とか考えていると、
「お前が新人か?」
気づけば、ソファに胡座を組んで座り、膝の上で本を広げ、頬杖をついたまま視線だけこちらに向けて聞いてきた者がいた。
「あ、はい。泉 綾人です。よろしくお願いします」
「.......」
無視ですか。
あれー。絆を大切にする部隊とか言ってませんでしたっけ、イリナさん?と、戸惑いながらイリナに目を向けると、
「ごめんね、ゾフィは結構気難しい人で、自分が認めた人じゃないと信頼できない性格なの。悪い人じゃないから、気を悪くしないで」
「.......」
興味を失ったように、俺たちからすぐに目をはなし、膝上の本に視線をもどす。
無視ですか。
「彼女は三代目躑躅、ゾフィ・ヴァーミリオン。格闘家よ。素手で彼女に勝てる人なんて、私の知る限りいないわね」
なるほど、格闘家か。と思いながら彼女に目を向ける。色褪せた桃色の髪を雑にツインテールに結んでおり、釣り上がった金色の瞳が特徴的な、どこか不良っぽさ感じさせるその顔は、例え本を読んでいても結構怖い。
灰色のノースリーブ、黒いショートパンツに金色のベルトを巻いたその格好は格闘するには動きやすく、通気性も良さそうなのだが、その分露出度が高く、裸足で片足を床に下ろし、頬杖をついて本を読むその格好は女性であることの品格の欠片もなかった。だが、その足や腕を包むやや黄みのかかった健康的な肌は、異性の目を惹くのには充分魅力的であった。
「何見てんだ?」
「いえ、別になんでもありません」
睨まれた。
「あらあらダメですよゾフィちゃん、新米さんを脅かしちゃ」
甘く優しい声が響いた方に目を向けると、奥の扉からその人は出てきた。
カーキ色のロングコートを片腕に下げて、白黒ボーダーのシャツに膝より丈の長いスカートを身につけていたが、何よりも特徴的なのは、鈴奈と同じようでどこか違う形のボブカットの金髪だった。歳は俺やイリナよりやや上か、こちらへ歩いてくるその仕草に大人びた風格が何処と無く感じられた。
「あなたがイリナが選んだ方ですね?ということは、遠距離武器が得意ってことでいいのかしら?」
「ええ、そうよ」
「は、初めまして。泉 綾人と言います」
「アヤトくん、ね。私の名前はミシェル・アンドロッシュ。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
言って、俺はミシェルが笑顔で差し出してきた右手を握り返した。軽く挨拶すると、イリナが付け加えてくれた。
「彼女もエニアグラムの一人よ。三代目琥珀で、治癒術と操糸術に長けているわ。さしずめ、エニアグラム専用の軍医、というところかしらね」
「怪我をした時は遠慮なく、すぐに申し出て下さいね?」
「あ、はい。その時は頼みます」
この先、俺も彼女に治療してもらうことは大いにありうる話なので、軽く頭を下げておいた。
「あら、素直で嬉しいですね。怪我をしてしまったら、変なプライドなんか張って黙って隠してはいけませんよ?治る傷も治らなくなっちゃいますからねー」
後半少し、いやかなり声を大きくしてミシェルは背後に座るゾフィーを見やった。
「チッ」
なんか舌打ちが聞こえた。
なるほど、ゾフィはプライドが高いのか。
「何見てんだ?」
「いえ、別になんでもありません」
睨まれた。本日二度目。
えも言われぬ恐怖を二度も体験した。
今のところ俺が知っているのは近接武器のイリナ、機械術師のエティオ、格闘家のゾフィ、治癒術師兼糸使いのミシェルである。現在の俺はまだエニアグラムに正式加入はしていない為、計八人であるが、その他にあと四人、在籍している事になる。
あと四人は誰なんだろうとか考えていると、未だ手を離していなかったミシェルが、両手で俺の右手の甲を見て言った。
「やっぱり、まだ印は刻んでいないのですね」
「当たり前よ、アヤトは印を刻むにはまだ早すぎるわ」
「それもそうですね。と言うと、あなたが担当するの?」
「私向けの依頼が入ってこなければ私がするわ」
「あらあら、なら私も同伴した方がいいかしらね」
「.......」
「あなたどうせやりすぎちゃうでしょう?」
「.......そうね、お願いするわ」
「任せなさい、と言いたいところだけど、生憎今王都から依頼を受け持っててね、それが終わり次第、ということになるけれどそれでいいかしら」
「構わないわ。序盤なんだし、きつい事はしないつもりよ」
「イリナちゃんは基準が高いから、アヤトくんの事しっかり考えてあげてね?」
何だ何だ?シルシ?ジョバン?キジュン?
俺何かされるの?
いきなり耳にした全くの新しい単語に少し戸惑いの表情を浮かべる。すると、その表情を見たミシェルが、
「あー、イリナったら、肝心なこと伝え忘れてますね?」
「あれ、言ってなかったかしら」
「もう、イリナったら時々抜けてるのよねー。まあいいわ。代わりに私が説明するわ」
そう言うとミシェルは俺に向き直って口を開いた。
「エニアグラムに正式加入するためには、国王様に謁見しなければならないのは聞いたかしら?」
「はい。謁見の時に国王様から認めてもらうんですよね?」
これは事前にイリナから聞いていた。頷いてミシェルが続ける。
「ええ。その時に、エニアグラムである証として、右手に印を刻みます」
ほう。これは初耳である。印を刻まなければならないのか。しかし、刻むということは…。
「刻むって、タトゥー.......」
「とは、違うわね。魔法を使って烙印します。右手に力を軽く込めると浮き上がる仕様なのです」
そう言ってミシェルは右手の甲を見せた。そこには、鳥の羽に包まれた盾の枠の中に天秤が描かれており、その上に王冠が雄々しく鎮座したマークが金色に輝いていた。どこかの海外のサッカーチームにありそうなマークだった。かっこいい。
イリナも右手の甲を見せてきた。同じマークが赤々と輝いている。
「痛みなんかは全然無いから心配しなくて大丈夫ですよ。ただ.......」
「ただ?」
「その魔法が、被術者がエニアグラムに相応しい、と判断しないと烙印されないのです」
「え、じゃあ、俺が相応しくないって判断されたら.......」
「そうならないように、エニアグラムに相応しい人材になるよう、己を磨きあげるのですよ」
「ということはつまり.......」
「強くなるための修行が、アヤトくんには必要となるのです」
「で、その修行に当面は私が付き合うってことよ」
ここでイリナが付け加えてきた。
「折角入隊を決めてくれたんだもの。絶対に烙印を刻ませるわよ!」
静かに意気込んでいるイリナを見て、俺も腹を括る。あれだけの嫌な思いをして、あれだけの覚悟を決めたってのに認められないのはとても嫌だ。
「ああ、俺も頑張ってみるよ」
イリナと同じように俺も意気込んでいるところを、後ろからミシェルが耳元に口を寄せて笑顔で囁いた。
「やる気に満ち溢れているところ申し訳ないのですが、イリナちゃんの訓練は、キツい、ですよ?」
『キツい』の箇所をゆっくり溜めて言った。とても面白いものを見るような顔をして。
「キツい.......って、どれくらい?」
「そうですねぇ、彼女は以前に何度か王国騎士団の剣術指南の教官として指導していたことがあるのですが、彼女の訓練に最後まで耐えきった男性はいませんでしたよ」
「...」
「あ、決して彼らが非力な兵士だったわけではありませんよ。訓練を受けた皆さんは、それはそれは厳しい王国騎士団徴兵基準に合格した屈強な男衆でしたよ」
「.......」
「長い人でも、せいぜい一週間で限界、と言ったところでしたかね。私やゾフィやイリナより、明らかにガッチリとガタイの良い男性が気を失って倒れ伏していましたね」
「.........」
「一応、その時は救護員として手当したのですけれど、翌日には皆さん相当な筋肉痛を訴えていましたね。見物でしたよ〜」
「.............」
相変わらず笑顔のまま恐ろしい事実を楽しそうに喋るミシェル。この人あれだ。優しそうな顔して完全に隠れドSだ。
正面では気合いに満ちた様子で何やら考え込むイリナ。きっとその地獄のような訓練の計画をあれこれ練っているのだろう。
急降下する体温、吹き出す妙な汗を強烈に感じ、誰かに助けを求めるようにキョロキョロと辺りを見回すと、
「何見てんだ?」
「いえ、別になんでもありません」
睨まれた。