1-16 決意
エルベート国の首都北方に位置する誰もいない発電所の付近で、口元を黒いスカーフで隠し、鼠色のマントを深く被った、明らかに市民の服装でない者が五人、固まって移動していた。
一人が五メートル程先を歩き、その後から三人が固まって追随、そして一人が少し離れた後ろを警戒しながら進む。手で行う小さなジェスチャーや一瞬のアイコンタクトのみで意思疎通を行い、一切の会話なしに時には歩き、時には走るその姿は非常に熟練した隠密行動の証である。
固まった三人のうち、一人は布にくるまれた球体を大事そうに抱えて側の二人に守られるような形で行動していた。
民家の脇を縫うようにすり抜け、大通りを通ることなく人目に一度もつかずに郊外へ抜けようとしたその時、側の一人が口を開く。
「案外すんなりと行ったものだな」
すると、反対側に控えるもう一人が小さな声で応える。
「あれだけのサクリフィシオを放ったんだ。この小国では流石にこちらまで手は回せないさ」
「ま、もっとも陽動作戦に気づいていなけりゃそれ以前の話だがな」
「さあ、そろそろ街の外だ。まだ任務が終わったわけじゃないからな、慎重に行くぞ」
その言葉に残りの四人が小さく頷く。
街の北門が、直線上の道に見えてくる。出口が見えたからと言って走り出しはしないが、気分がいくらか緩みかけたその時だった。
最初に気付いたのは先頭を警戒しながら進んでいた者だった。どこからともなく聞こえてくる、化物とは明らかにどこか違う低い唸り声のようなものが聞こえてきたがために仲間に警戒するよう報告しようと思ったその時、
「ごっ!」
突如、民家の脇から出てきた黒い何かに跳ね飛ばされ、そのまま反対側の民家にその細い体を激突させて絶命した。
一瞬だった。
「な、なんだ!?」
「サクリフィシオが俺達を.......?」
「そんな訳あるか!こいつはサクリフィシオじゃないぞ!」
男の一人がそう叫んだ。
「くそっ、あと少しだってのに!」
「全員構えろ、陣形を変えるんだ」
球体を抱えた者がそう指示を出すと、ほんの数秒で残りの三人が球体を持つ者のやや前の位置に構える。
ほんの一瞬の出来事に動揺するも、すぐさま臨戦体制を整えるあたり、やはり熟練した腕前は伊達ではないようだ。
目の前で停止した黒い何かの胴体が大きく開くと同時に紅蓮の閃光が駆け抜け、一気に二人がその体からどす黒い血を噴出させながら地に倒れ伏す。
「ふぅっ!」
「んがっ!」
ゆっくりと仲間が倒れていく様を目の前で見ていた一人が怖気付いて数歩下がるも、腰から短刀を抜き出し、嫌な汗をその身に感じながらたった今仲間を殺した敵に襲いかかる。
しかし、いくら振れども短刀がその敵の身体を傷つけることはできなかった。振り回す度にその短刀の軌道すれすれをしなやかな身体の所作で演舞するかのように躱し、そして細い剣を鋭くしたから振り上げる。
「あああああぁぁぁっっ!腕っ!俺の腕がああぁ!!」
右腕の肘から先を短刀ごと切り飛ばされた男は、鮮血を撒き散らしながらあまりの激痛に叫びをあげ、腕を抑えて地に膝をつく。
早く、早く治療しなければ、血!血を止めないと.......!!
と思ったその瞬間、冷酷にも、敵は切れ長のその目から男を見下ろし、一切表情を崩さぬまま、
「ごふっ!」
男の胸を細剣で貫き、背中から血の滴る刃を覗かせる。
「ちっ!」
任務は失敗した!せめてこいつだけでもなんとか届けて.......!
仲間が一瞬のうちに全滅してゆくその光景を目の当たりにした最後の一人は、懐から黒い液体の詰まった試験管を三本取り出し、地に思い切り叩きつける。
黒霧が立ち込め、その中にゆっくりと身を起こす三匹のサクリフィシオのその凶悪な姿を確認するやいなや、球体を両腕でしっかりと抱え込み、素早く身を翻して近くの路地裏へ逃げ込もうとしたが、
チュン
という奇妙な音がしたかと思ったのと同時に右足首に激痛が走り、足の自由がきかなくなり、その勢いのまま地に手を着く。その拍子に布に包まれた球体が手からこぼれ、ゆっくりとした速度で目の前を転がり離れていった。
「くっ.......!」
手を伸ばすも届かない。
せめて敵になんとか対抗しなければ、と判断し体ごと振り向くと、そこにはこの辺りでは見慣れない形の顔を持つ男が、こちらを冷たく見下ろし、白い小さな筒状の物を向けていた。少し離れたその男の背後から、血塗られた剣をその手にした女がこちらを見据えていた。
先程放ったサクリフィシオは、いつの間にやられたのか、三匹とも口の中の核を破壊され霧散し始めていた。
だめだ。逃げられない。
そう考えた男は、一縷の望みを掛けて口を開いた。
「.......たっ、たのむ!見逃してくれ!俺は命令されて仕方なく引き受けただけなんだ!俺は悪くない、悪いのはこんな事を頼んだあいつだ!あいつが頼まなければこんなことにはならなかった。だから.......!」
男の意識はそこで途絶えた。
***
街の北の街道を走っていた俺達は、遠巻きに奇妙な行動をとる五人の人影を発見した。
「お?いたねぇ。あの格好の兵は.......」
「連邦のもので間違いなさそうね」
「だなー。向こうはまだこちらには気づいてないみたいだな.......。よし、いちにのさんで突っ込むぞ、準備しとけよ?」
そう言うとエティオは先回りして奴らから離れたところに位置を取ると、奴らの内の一人がミゼリターの停車する路地に姿を見せた瞬間に、
「さーん!!」
と叫んでアクセルを思い切りふかして男めがけて突進した。
「えっ!?」「きゃっ!」
おい、いちとにはどうした!?と、叫びそうになったが、準備していなかったため(当たり前だ)体が激しく揺られ、今喋ったら舌を噛むなと思い、突っ込みたい気持ちを抑えた。
どうやらイリナも同じ気持ちらしく、可愛らしい悲鳴をあげた後、慣性の法則に従ってその華奢な身体を座席に深く沈めさせながらも、エティオに呆れた視線を向けていた。
エティオがミゼリターで一人を跳ねた後、すぐにイリナが飛び出してそのままあっという間に二人を切り伏せてしまった。
俺もその間にツィルサーを握り締め、ミゼリターを降りる。
イリナが三人目の身体も難なくエストックで貫いたその時、ガラスが割れる小さな音がしたかと思うと、例の化物が三匹、立ち込める黒霧の中から姿を見せた。
もう間違いない。
こいつらが今回の事件の主犯だと確信した。化物がこちらを見て咆哮をあげるも、もう既にお前達との戦い方は知っている。
イリナが正面と左の、咆哮を上げるために開かれた二つの口の中の水晶を素早く壊し、同時に右の化物の水晶もツィルサーの光線の餌食となる。その間およそ二秒。
化物がなす術もなく崩れ落ち、霧散し始めたその黒霧の向こう側に、逃げていく男の姿があった。
俺はそのままツィルサーを構え、右足に狙いを定めて引き金を引いた。
右足を貫かれた男はそのまま転けた。その男の影から布に包まれた球体が転がった。恐らくあれがこの街の動力源なのだろう。
俺はゆっくりと歩を進めて、男の前まで来てツィルサーの白い銃口を向けたその時、男が体ごと振り返った。
冷や汗にまみれて荒い息を吐き、酷い顔をしていた。俺の中で一気に嫌悪感が増す。
その醜い顔で何をするのだろうと考えていると、
「.......たっ、たのむ!見逃してくれ!俺は命令されて仕方なく引き受けただけなんだ!俺は悪くない、悪いのはこんな事を頼んだあいつだ!あいつが頼まなければこんなことにはならなかった。だから.......!」
命乞いを始めた。
その瞬間、俺の中で相当な怒りが込み上げてきた。
この街に多くのおぞましい化物を放ち、多くの民家を破壊し、あの家族や母娘、その他、ここで多くの命が失われたことは、俺が人の死に、己の力量の無さに絶望させられたのは、自分のせいではないと?
ふざけるなよ
気が付けば、俺は右手の人差し指に力を込めていた。青白い光線が貫通し、男の額に風穴を開ける。後頭部から赤い液体を飛散させた男は、ゆっくりと身体を倒し、もう二度と動くことは無かった。
初めて人を殺したが、猛烈な怒りのせいで気にはならなかった。俺は男の顔を睨み続けていた。
「もうやめなさい、死んでるわよ」
イリナに肩を叩かれるまで我を見失いかけていた。男を殺したというのに、まだ銃口を向けていたままだった。イリナが触れた肩からまるで力が吸い取られていくかのように全身が脱力し、右腕がようやく下りた。
「あー、殺しちゃったかー。出来れば捕縛したかったんだけどなー。奴の命乞いが無ければ別に殺しても問題なかったんだけど、あいつ、とか言ってたし。そうか、主犯はこいつらじゃないのか...」
言われて気付く。あまりの怒りでそこまで考えが回らなかったことを恥じ、またしても己の失敗に下を向く。
「まあ、仕方ないわね。私だって生かしておくつもりは無かったし、あの命乞いには怒っても当然よ。無理ないわ、気持ち悪い」
イリナが男に蔑みの目を向ける。
「何にせよ、連邦が関わっていることは確実だな。それだけでも収穫だよ」
エティオがそこらの死体の服の内側から、龍と盾を象った紋章を剥ぎ取って俺達に見せてきた。
「そうね。また報告が面倒になりそうね」
「イリナは報告書書くの得意じゃないもんな」
「.......はぁ、エティオ、あなた代わりに書いてくれないかしら」
「やだよ、今回はお前の番だろ?どうしてもって言うなら、お前が大事に閉まっているジルカ王国特産のタルトと引き換えで考えてやるけど?」
「っ!そ、それは...................ダメ.......」
「ははっ、ま、頑張れよ」
「.......はぁ」
イリナが憂鬱な顔を浮かべ、エティオが笑う。しかし、俺は笑えなかった。
頭の中であの家族の後ろ姿や母娘の姿、化物の姿、そして先程殺した男の顔が頭の中で何度も反芻される。とうに怒りは収まっていたが、体験したあまりに大きいショックが今更また蘇ってきた。
救えなかった命をいくら嘆いても帰っては来ない。帰って来ないことは分かっているはずなのに、嘆かずにはいられなかった。
どれほどそうしていたかは分からないが、気が付くと、イリナとエティオの会話は止み、イリナがその綺麗な顔立ちで正面から俺を見据えて、告げる。
「さて、改めてアヤトに聞くわ。君は遠距離武器の扱いが相当に上手い。初めての戦闘でこれだけの戦果を挙げられたことは自信をもっていい。私が保証するわ。その腕を、実力を見込んで、頼みがあるの。一世紀に一度訪れる、天災を避けるために、天災から人類を生き残らせるために、この世界で義勇兵として私達エニアグラムと共に戦って欲しい、仲間になって欲しいの」
「僕からも是非お願いするよ。君なら大歓迎するさ。もちろん義勇兵として戦う以上、これからも沢山の辛い経験、苦しい経験をすることになる。でも、人間生きてる限り、きつい事は誰にだって必ずあるものさ。その苦しみは一人で抱え込むんじゃなくて、僕達エニアグラムが必ず理解してやるし、共感する。共に乗り越えてやるさ」
「エニアグラムは何よりも仲間との絆を重要視するの。あなたが正義感が強いことは、今回の事でよく分かったわ。だから、」
そう言って、イリナは俺に手を差し出してきた。
エティオやイリナの口から聞こえた“連邦”という単語。
仇討ち、だとか、救えなかった罪滅ぼし、だとか、そんな美談目的の理由なんかでなく、ただ、純粋に“連邦”は見逃しては危険な存在だと強烈に感じた。これ以上、連邦による犠牲者なんて出してはならない、と。だから俺は、イリナの問いかけに、勧誘にこう答える。
「ああ、こちらからも、よろしく頼む」
俺はしっかりと、イリナの手を握り締め、その紅蓮の瞳を真っ直ぐに見返した。