1-13 戦う覚悟
⚠️注意
今回の話は残酷描写が多く含まれます。
苦手な方は、閲覧をお控えすることをお薦めします
化物の背中を、三階建ての民家の屋根上から確認する。向こうはまだこっちに気づいてはいない。チャンス。
屋根上に転がっていた己の拳ほどの石を拾い上げたイリナは、化物の頭部目掛けて石を正確に投げる。
ガン、というどこか金属めいた音がした直後、化物が首だけをこちらに向け、自分の姿を見つけた瞬間、咆哮を上げようと口を開くそのタイミングを、イリナは逃さなかった。
化物が口を開き、雄叫びを上げようかと開きかけたその口めがけて、イリナはエストックを両手で上段に構えて屋根から勢い良く飛び降りる。
そのまま化物の口内に着地すると同時に、落下の勢いをそのままに、逆手に構えたエストックを化物の口内にある、黒く、鈍く光る水晶に突き立てる。
化物の頭部を石畳に叩きつけて、その体が霧散し始めたことを確認すると、エストックを引き抜く。
間髪入れずに、自身の右側の民家を突き破って捕食しようと突進してくる別の個体に、目もくれずに右腕のエストックだけを素早く伸ばし、化物の突進の勢いを利用して、右腕を動かさないよう、動かされないよう、剣を握る指、手首、肘、肩に力を込める。
「これで、四体目.......っと」
自分の突進の勢いで水晶を割られた化物の霧散する姿を見ようともせずに呟く。
彼女が通り過ぎてきた道には、墨色の体を絶えず霧散し続ける化物の亡骸が転がっていた。
今の自分はフル装備ではないため、全力を出して戦うことは出来ないし、もしそうしたら先程食べたタンドリーチキンを目の前にカムバックさせるという、乙女にあるまじき醜態を晒してしまうことになる。
とはいえ、今イリナの周りには墨色の亡骸以外には誰もいないので、チキンを召喚しても大丈夫だとか、そんなこと野暮なことは考えてはいけない。
と、下らないことを凛々しい顔で黙考していた彼女の耳に、また新たな咆哮が聞こえる。
首だけをまわし、化物の存在を確認してふと思う。
アヤトは上手くやれてるだろうか、と。
***
街中に突如現れた黒い化物たちに混じって、同じく黒い、しかし、明らかに走行速度が化物よりも圧倒的に速い物体が、街中を疾走していた。
遠方に二匹の化物の姿を認めたエティオは、運転席の上下左右所狭しと並んだスイッチやレバー、計測器のうち、一つのスイッチを迷わずに押し込む。
エティオの乗り回す車『ETLT・ミゼリター』は、
その黒く流麗な屋根の後方に取り付けられた図太い筒から、魔力を込めた魔弾が放たれ、半壊した民家の上にへばりついている化物の口の奥深くに命中させる。
同時に自身ももう一体の化物の口内に突っ込み、先ほどと同じように、化物の胴体ごと水晶を打ち砕く。
工業国、ラシェルが持つ独自の技術を最大限応用して作られたミゼリターは、最高出力、耐久性、排気率、燃費、最高速度と、その他あらゆる性能においてラシェル付近を走る一般車両を遥かに凌駕している。
そんな高性能な機体のたった一人の開発者であるエティオは、ハンドルの左下にある計測器に目を通し、
「へえ、これは珍しい」
という声を出しながら、次の化物を仕留めるべく、ハンドルを切る。
***
目を閉じて現実逃避をし、嫌だと思いつつも心のどこかで死を迎え入れていた俺は、妄想している時間が長いことに気づき、急に思考が現実に戻る。
あれ、何も起こらない.......何も聞こえない。もしかして、本当に夢?
違和感から、恐る恐る目を開けると、
大きく開かれた化物の赤い口内が視界いっぱいに映り込んで来た。
「う、うわあああっっ!!.............あ、れ?」
やっぱり喰われるんだ!と思い仰け反って尻餅をつくも、いつまで経っても襲われない。
様子がおかしいと思い、首を横にぎこちなく向ける。妙に静かだと思っていたら、雨音が止んでいた。だが、雨が止んだ訳でわなかった。
白く無数に重なり合う細い線状の水滴が空中で全て停止していたのだ。
全てが停止し、先程までうるさかった化物の咆哮や激しい雨音は一切無く、代わりに不気味すぎるほどの静寂が辺りを支配していた。
まるで一枚絵の中にいるような空間で、自分だけが動ける。
今までイリナとの会話や、異世界の景観などに理解が追いつかないことは多々あった。それでもどうにか納得することは出来た。
しかしこれは全くもってわからない。
なぜ周りは停止しているのか、なぜ自分だけ動けるのか、目を閉じてから開けるまで、一体何が自分の身もしくは周りに起こったのか。まるで見当もつかなかった。
だが、これだけは分かる。
自分はまだ、生き残ることが出来る。
それだけは理解出来た俺は、前を見据える。
巨大な化物の口の中が良く見えた。無骨に並んだ白い歯や、口内の色と同化した舌は、どこか人間の口のように見えて、しかし確実に人間のものではない雰囲気で、大きく俺の前に開かれていた。
その奥にある濁った水晶を見つめる。俺はゆっくりと右手のツィルサーを構えて、
チュン
一発、超至近距離で水晶に青白い光線を命中させる。
化物の体に無数の亀裂が走ったその瞬間、全てが動き出した。
激しい雨音の中、核である水晶を破壊された化物は、バランスを崩してその体を地面に這わせる。
ズシン!!という振動が伝わり、同時に化け物の体が墨色の霧を吐き出した。
目の前に転がる黒い亡骸を見る余裕さえなく、焦点の合わない目で銃を半端に構えたまま、俺は動悸が治まるのを待つのにどれ位の時間を掛けたのか、分からなかった。
***
どれほどの時間そうしていただろうか。目の前にあった化物は既に霧散して消え、気付くと民家に背を預けたままへたり込む俺がいた。
化物の体がどんどんいさ小さくなってゆく光景だけは妙に覚えていたので、そんなに長い時間は経ってないだろう、と推測をつける。
俺は何をしていたんだっけか.......ああ、そうだ!家族を探さなきゃ!
ようやく目的を思い出した俺は、力の抜けきった足腰に鞭を入れ、なんとか立ち上がると歩いてるのか走ってるのかわからない速度で足を動かした。
先ほどの化物が出てきた民家の方へ向かう。そこには野生の獣の通り道の様に、一本の不規則な線を描いた様に民家が全壊していた。そこから小さな細い路地を見つけ、足を踏み入れる。
目の前に所狭しと積み重なる沢山の瓦礫の中に、ふと白い瓦礫にしては何となく違うような何かが、瓦礫の下に覗いているのを見つけ、なんだろうと目を凝らして、俺は、もう今日何度目になるかわからない思考停止をくらった。
そこにあったのは包帯の巻かれた、見覚えのある小さな右足だった。
それが右足だとわかった瞬間、周りの瓦礫に埋まっている白いものが鮮明に浮き出て見えてくる。
記憶の中にあるものと同じ形をした手足が、右足とは別の場所に見受けられた。
瓦礫の下は、到底人が入れるような隙間ではなく、奥から血液独特の鉄のような匂いが、嫌な腐臭と混じって漂っていることに、今更ながらに気付く。
間に合わなかった、という悲壮よりも、嗅いだことのない生々しい臭いに顔を顰め、こみ上げてくるものを抑えようと、手で口を隠すことしか出来なかった。
「△△△△△△△!!」
突然、女性の声が聞こえ、路地から大通りへ顔を出すと、こちらに向かって化物から逃げてくる、少女を抱き抱えた女の人が必死の形相で走ってきていた。化物はもうすぐ後ろまで迫ってきていた。
なんとかしないと。どうやって?わからない。だれが?.......だれだろう。
度重なる衝撃で思考が麻痺しかけた俺は、ただ、民家に挟まれた小道の曲がり角から、女性が通り過ぎるその様子を眺めていようとした。
その時だった。女性は俺の姿を見つけると、
「△△△△!!」
と、叫んで抱きかかえていた少女を俺の胸に押し付け、通り過ぎて、民家の死角に消える。
そのすぐあとに化物の巨大な口が滑り込むような速度で一瞬視界に入り、民家の死角に消えたと思った次の瞬間、
ガン
と、鉄と鉄が打ち付けられたような音とともに、血飛沫だけが路地に舞った。
路地から、波打つ化物の喉にあたる部分だけが見えている。
その瞬間、抱えた少女の重みと、目の当たりにした赤い血が俺を正気に戻した。
そして、本能で感じる。
逃げなければ、次は俺がああなる。
少女が俺の胸に埋めていた顔を上げようとする。
ダメだ、母親が喰われた所なんて見せられない。そうとっさに判断した俺は、少女の顔面を無理やり自分の胸に押し付け、化物から背を向けて走り出した。
もう嫌だ。早く、早くこの地獄から抜け出したい。頼むからこっちに来ないでくれ!
その一心で俺は必死に感覚の無くなった足を動かし続ける。
だが、悲しいかな。
「ゴアアアアアアアアッッッ!!」
ズシン、ズシン、という地響きとともに、後ろから化物が負ってくる気配を感じた。
逃げられない。逃げ場はない。隠れられない。
じゃあ、どうするか。
俺は腰のポケットに入れておいた白い銃を取り出す。食われる恐怖は経験した。今では幾らか少し、あの時よりも落ち着いている。全身を打つ雨水もどこか心地よく感じる。
ほんの一瞬瞑想し、深呼吸。もう、暗示なんてしない。できる確信がある。
俺は“戦う”覚悟を決めた。
腕の中の少女を地に下ろす。まだ、六、七歳程度の低い身長、あどけない顔をに疑問の表情を浮かべる少女を背にして、俺は化物と対峙する。
化物の赤く染まった口元に少し怖気付くも、心は不思議と冷静にかつ、確かな闘志を秘めていた。
俺はツィルサーの引き金に指をかけ、左手を添え、化物の口に狙いを定める。突進してくる化物は勢いを止めずに、その凶悪な頭部を急接近させる。
まだ、まだだ。まだ引き付けろ。大丈夫、落ち着いている。やつが口を開けるまで目を逸らすな。睨みつけろ!
まるで猪のように突撃してきた化物の頭部が俺の鼻先まで来た時、口を開いて、中の水晶がくっきりと見えた。
刹那、俺はツィルサーの引き金を引いた。
チュン、という音とともに見慣れた青白い光線が、化物の水晶へと吸い込まれていき、次の瞬間、ビシッという音がして、化物の体に無数の亀裂が走った。
勢いを失った化物はそのままバランスを崩して、俺のすぐ横を頭から滑り落ちて止まり、豪雨の中、黒い霧を放ち始めた。
やった。
やってやった。
初めて、化物を自分の力で倒した。俺が!!
全身から力が抜けそうになったその時、
「◎◎◎!!」
少女が俺の後ろに視線を向けて声を上げた。
すぐに振り返ると、そこにはまた別の化物が口を開いていた。
流石にこれは狙っている暇がない、と判断した俺は、すぐに後ろへ飛び退いて回避する。
獲物を食い損なった化物は、俺の方を向き直し、再度口を開いて、首を振りかぶった。
先程の個体と比べて、かなり動きが遅い。これなら狙える!
そう考えた俺は、振り降ろされる首から目を離さずに、狙い続け、水晶が見えた瞬間を逃さ無かった。的確に撃ち砕いた。またも化物が濡れた石畳に倒れ伏す。
よし、漸くだ。漸くまともに戦う心が出来た。連続して二体の化物を倒し、自信のついた俺は少女を連れて逃げようと、振り返った。
全く気付かなかった。
そこに少女の姿は無かった。
あったのは、また新しく現れた三体目の化物の姿のみ。
横を向いた化物の口から、白い小さな足が挟まっていた。
がりぃっ、ごりっ
何か、硬いものが磨り潰される様な音が、嫌に耳に残った。化物がその大きな顎を上下させる度に、白い足が小さく揺れる。
ゆっくりと、俺は膝から崩れ落ち、水浸しの地面にへたり込む。
心地よいと感じていた雨水が、急激に俺の体温を奪い始めた。
人が死ぬ瞬間を、俺は初めて見た。
一章で一番書きたかった部分。いつもより力込めました。