歓楽街は秘密の場所
ノートリア国からアティスタル国へは、船で二日はかかる長い旅路。
アティスタル国へ行く唯一の方法が船である。陸路では高い山々で阻まれている為、未だ道はない。
その分、唯一の入口である港では入国者の厳しいチェックが出来る為、国の中は安全と言える。
港は何隻の船が停泊出来る程に大きい。港周辺が一番この国では栄えている場所で、唯一の歓楽街でもある。
それは他の国の方向け用に作られた街というべきだろう。そこで働いているのは、訳ありの人が多いのも事実。
その歓楽街に、やけに目立つ男二人が闊歩している。この街に違和感がある二人。
金髪で、装いも高貴だと言わんばかりの鮮やかな青を身に纏っている姿はどう見てもおかしい。
けれど、短髪で蒼いマントを身に着けている男は、人の視線をものともせず、街の見物を楽しんでいるようである。
一方、腰まであるストレートヘアを後ろで一つに束ねている男は、げんなりとした表情をしている。
「お兄さん、うちの店にいらっしゃいな」
「うちのほうが良いよ、サービスしちゃうから」
胸を強調したような服を着た二十歳前後の女が数名、必死にアピールしているが、笑顔と手を振り撒くだけで男二人はどこも寄らない。
しかし、ふと黒いベール、首まできっちり着込んでいる女が二人の前を何気なく目の前を横切った瞬間、短髪の男がその女の手首を握り締めていた。
「お嬢さん、どうしてベールで顔を隠しているのかな」
暴こうとベールを手に掛けようとしたまさにその時、
「不埒な行為はお断りでっせ、貴族様」
お決まりのように柄の悪そうな男が出てきた。
「ほぉ。我を誰と思っているのか知らないが、大人しくしているほうが良いと思うのだが」
美形の仮面を被った悪魔というべきか。
もう一人の美形はもはや頭を抱えて、やはりと項垂れている。
「誰でも関係ありません。例え、ノートリア国の王子様でも」
ベールの女がそう言った瞬間、小刀の先が金髪短髪男の首に添えられた。
その動きは鮮やかで、見る者が魅了されるほど。
「今宵はマーガレット王女の婚約を祝う為に開かれる舞踏会が城であります。それにノートリア国の王子が参られることは、誰もが知っていること。余計な勘ぐりは無駄です」
冷静な女の声。
小刀を持つ手も少しも震えていない。
ただの女ではない。血生臭いことも知っている。
それは異邦人二人には気付いていたが、本来の姿までは解らない。
手は荒れているが、丁寧な物言いは教養があるように思える。
この国の教育のレベルからだと、庶民だとしても不思議ではない故、分かり難い。
「だとしたら、この刃先を向けることを止めてほしいのだが」
王女の婚約者に何をしているのか、解っているのかと暗に言っているのだが。
「王の激愛しているマーガレット王女の婚約者は、何をしても許されると申されるのですね。そうでしょうね。王は許すでしょう。そして、マーガレット王女も」
「王子、貴方の負けですよ」
長髪の男が何かを確信したのか、その女にいきなり頭を下げた。
「失礼致しました。心から王子の側近である、この私に全て責任を追うところ。私に免じて、その手をどうか降ろしてくれませんか。ミディア王女」
その刹那、王子は耳を疑った。
これがかの戦姫なのかと。
誰が言ったのかは分からないが、戦姫は絶世の美女とは程遠い姿だと。
ただ誰もその顔を見たことはない。戦場ではヘルメットを被っている為、その噂の真偽は怪しい。ただ舞踏会で披露されたことがないのは、そういう理由だからであろうということに落ち着いているというのが本当であろう。
そうなると、余計にベールを上げたくなるもの。
しかし、それは相変わらず刃先を向けられたままなので、出来無い。
「私はノートリア国で宰相をしておりますトーマス侯爵の甥、クリス・トーマス。エリック王子とは学友でもあり、目付役でもあります」
クリスと名乗った長髪男が礼儀正しく、女に最上級に自己紹介をしたにも関わらず、刃先の王子には冷やかな視線を送るばかり。
「そうして、将来の国王を甘やかしているのですね。よく解りました」
全く動じない。
面倒な女だと思いながらも、こういう女のほうが上に立つ者として相応しいと将来の宰相は感じ取っていた。
「王子、ここは素直に引かれることをお勧めします。先ず、戦姫に貴方が敵うわけないでしょう」
丁寧な物言いに、棘がある。それは強い忠告を意味する。
この男を本気で怒らせたら、世界一怖いことを知っている為、不本意ながらも渋々に、それに従うことにした。それに、クリスの言うことは間違ってはいない。王太子の身を一番に案じている故のことだからだ。
「分かった。すまなかった。王太子の名をかけて、無礼なことを二度としないことを誓う」
漸く刃先は地へ降ろされた。
しかし何故、かの戦姫が、しかも王女がこんな場所にいるのか。
しかも庶民というよりもシスターのような地味な装いで。
二人は戦姫が戦場でその存在が明らかになったことといい、この王女には秘密があると見ている。
「貴女は舞踏会へ参加されないのですか?」
参加するならば、女性には多くの時間を掛けてしなければならない様々な準備があるはず。しかも王女となれば、尚更に。
その質問は愚問だと言わんばかりに、
「当然」
即答であった。
「早く城へ行かれたほうが良いでは。城では、私と会ったなど言わないほうがよいかと。忠告はしておきましたから」
ふっと風のように去っていく様子を二人はただ呆然と見送るしかなかった。
不思議な女性であった。
今まで会ったことがない女性。
気品があり、堂々としている。媚を売ることなく、きちんと個を持っている。
「姫さんは城では居場所がないのさ」
この辺りの元締らしき長老が二人にゆっくりと近寄って来ていた。
歳は五十半ばであろうか。
皆、その長老に道を開けていたから、力がそれなりあるのだろうと思われる。
「姫さんが王様の子であることは間違いない。しかし母親は誰も知らないのだ。正妃の子ではないことは分かっておる。正妃が嫁ぐ前の子なのだからな」
成る程。ミディア王女の存在を隠したいのは、そういうことなのか。婚姻前の子は世間的には良くないものだ。ただ大抵は正妃がそれを受け入れて、養子や養女とし、世継ぎには出来ないが、それなりの待遇を用意させるものなのだが。
「姫さんは生まれてまもなくこの街に棄てられていた。雪の中、布に包まれただけの姿でな。しかし儂らは姫さんを拾い、育てた。一目で王家ゆかりの姫君だとは分かっていた。あの容姿で、胸には王家の者にしか現れぬ蝶の模様があったからの。成長するに従い、特徴的な目や髪は顕著になったが、それと同時に姫さんの命を狙う動きも度々あった。だから剣を持つようになった。たまにここには他国の剣士も見えるからの、師には困らん」
それは王家にして見れば、皮肉なことだ。そのようなつもりはなかったであろうに。
「そこまでして、王家はミディア王女の存在を消したくて仕方がないということか。余程のことがあるのでしょうな」
王の実の娘でありながら、王は護るどころか亡き者にしようとする。王子ならば、まだ後継者問題でややこしくなるであろうが、王女ならば、言い方は悪いが、政略として使えるから役に立つであろうにも関わらず。
「そうとしか考えられぬ。姫さんが戦場へ行かされた理由ももう分かるであろう」
「王家にしてみれば、駒であり、生贄か」
「そうじゃ。生きて帰れば、また次の戦場へ行かされる。戦死すれば、それはそれで良いと。姫さんは行かなければ、この街や儂らを亡きものにすると脅されてな。ほんに、酷いことだ」
先程から長老と対等に話しているのは、クリスのみである。
王子はただ二人の話を横で聞いているのみである。
考えてみれば、王太子の婚約者はミディア王女でなく、絶世の美女と言われるマーガレット王女。
それをこの長老は解って言っているのだろうか。
「しかし、そなたはマーガレット王女の婚約者。ミディア王女のことは忘れたほうが良い。マーガレット王女は王の唯一の公式王女。他の王女のことを口にすることは、マーガレット王女を軽んじているとなるのだからな」
公式王女とは、正妃との王女、もしくは正妃が認めた王の王女と言う意味である。
ミディア王女は、戦場へ出ることになって初めて王が認めた王女となった。しかし、公式王女ではない。王妃が認めていないのだから。
王がそれを望んでいないとも言えるのだが。
複雑な王家の事情。
城がこの場所からでも見えるのは、高台に城が横に広がるように建っているからだ。
三つの塔のうち、西の塔だけは誰も近寄らないという。王家の中で、罪を犯した者が閉じ込まれていると言われている塔。
今もいるのかどうかは解らないが、不気味にそれがここからだとよく見える。
ミディア王女がその中に入らなかったのは、やはり赤子に罪を付けるには無理があったからであろう。泣き喚けば響き、この街にも聞こえてくるであろう。
そもそも、王家は自らの手を汚すことを嫌う。
だからこそ、それら全てを丸ごとミディア王女に押し付けたわけだが。
王女と称号を持ちながらも、城に居場所がないとは。
ミディア王女にして見れば、都合良く与えられ、その恩恵を受けることはないのだから、ないほうが良いと言えるであろう。
クリスの胸のうちに、ミディア王女を救いたいと想いが芽吹き始めていた。
されど、それはマーガレット王女を妃とする主に背く想いでもあった。




