第9話 「虚空を掴む」
確か三年前、両親のお葬式のときだった。
「ねぇ。お姉ちゃん……お父さんとお母さんは本当に死んじゃったの?」
「えぇ。悲しいかもしれないけど、これからは私たち二人で頑張りましょうね」
優しく私を見つめながら頭をなでてくれた。
私は少し安心しながら、ふと思い出したことを呟く。
「ところでお姉ちゃん。あの朝何してたの?」
「あの朝?」
「うん、お父さんの車に何してたの?」
「……さぁ?」
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「……ま、……さま」
何処からか声が聞こえる。私は夢を見ていたみたいだ。
まどろみながらも何とか意識を現実に戻す……
「お客さま、お客さま」
「――っ?!」
目を覚ますと前には、ファミレスの店員がいた。
「あ、私……」
「お客様、申し訳ございません。当店での睡眠はご遠慮願えますか?」
確かさっきまで澄川と……そうだ!!
黒木先生が危ない!!
「すいません!! 一緒にいた二人は何処へ行きました?」
「えっ? お連れ様ですか? 確か、少し前に出て行かれましたよ。もう一人のお連れ様も寝てしまわれて、とりあえずその方を家まで送るといって、男の方が連れて行きましたが……」
「ありがとうっ!!」
私は会計を済ませると急いでファミレスを出た。
何処へ向かったのか見当はついてる。
恐らく……学校だ!
とれだけの睡眠薬が混ぜられていたのかは知らないけど、あんまり意識がハッキリしないまま私はフラフラしながら走っている。
もつれる足に苛立ちながら懸命に走った。今までだってこんなに本気出した事がない。 あの時、お姉ちゃんを止められなかった。自分が情けない。
……でも、今は違う!!
今度は止めなきゃ。このままじゃいつまで経っても私……逃げたままだ。
やがて学校が見えてきた。頼むから間に合って!
店員の話じゃあ、出て行ってそんなに時間はたってない。アイツは黒木さんを運びながらココまで来ているはず。
だったら間に合ってもいいじゃない!!
幸いにも正面玄関ドアが開いていた。きっと澄川が開けたに違いない。
私は急いで階段を駆け上がる。教室は3階だ。
階段を駆け上がり、廊下に出る。
奥の教室までさらに走る。
教室のドアが見えた。
少し開いてる!!
私は勢いよくドアを開けた。
そこにはナイフを持って立っている澄川と床に横たわる黒木さんの姿があった。
私は構わず、澄川に体当たりした。
澄川は不意を突かれたようで、窓側まで吹き飛んだ。
私はすぐたちあがり、黒木さんに近づき、傷がないか調べる。
「よかった……」
幸いまだ傷らしい傷はなかった。澄川が運ぶときにつけた引っかき傷程度だ。
私は安堵した。
「良くない。そこをどけ」
振り向くと澄川は既に立ち上がっていて、ナイフを持ち近づいてきた。
「来ないでっ!! 黒木さんには指一本触れさせない!!」
何気にナイフが視界に入る。ぶっちゃけ怖い。
でも、退く訳には行かない!
しばらく、二人のにらみ合いが続いた。
「何故、俺の邪魔をする」
「それはこっちのセリフ。なんで殺しなんかすんの? バカじゃない? この人がアナタに何したって言うの?」
「何もしないさ。強いて言えば正宗に優しく接してくれた……かな」
「だから殺すの?」
「それがオレの仕事だ」
「……それでも人間?」
すると澄川――いや、刹那は高笑いをした。
「人間だとかそういうモノはくだらん理想主義者が語ればいい。俺は正宗のためなら何だってなってやるさ」
「正宗のため? 澄川とどう関係が?」
「好きな人間は一人で良いということだ。黒木という人間はその領域に入ってきた」
「何言ってんのアンタ。友達感覚の好きと、恋愛感情の好きの区別も使いないの?」
「……お前に話す事などもうない。そこをどけ!!」
「だったら力ずくで何とかしたら?」
「言わせておけば。いいだろう、望みどうり殺してやる!!」
刹那はナイフを振り上げた。
私はとっさに身構える。
――きっと痛みが次にやって来る。
来る……はず。
……あれ?
しかし、刹那はナイフを振り上げたきり動きを止めていた。
その上、小刻みに震えている。
「なに?」
「邪魔をするな、正宗。……こいつ一人ぐらい殺ったって良いだろう」
「どうしたっていうの?」
どうやら刹那は今、自分の意思では動けないようだ。
「『刹那』は僕が好きになった人しか殺さないから……」
ふと、昼休みのあのセリフを思い出す。
「……もしかして、ホントにアンタは好きな人しか殺せないの?」
「ちっ!!」
刹那はナイフを床にたたきつけた。
「何故だ?! コイツは仕事の邪魔をしているんだぞ!! 金が入らないと皐月は……」
「は? 皐月? 誰?」
私に構わず、刹那は独り言を言い続ける。
「お前は皐月だけ愛していればいいんだ!! それはお前も分かっているだろう?」
“愛してる”まったく普段では聞きなれない言葉が私の耳に入った。
いくらなんでも大袈裟だ。
好きな人を殺す、刹那。逆に言えば好きな人しか殺せない。
その刹那が愛しているという言葉を使う……理由は今の私では分からない。
でも言える事が1つある。私は止めたのだ。逃げなかった。
私は喜びを隠せなかった。自然に笑みがこぼれてくる。
両親は確かに救えなかったけど、今殺されかけた人は救う事が出来た。
振り返って黒木さんの無事な姿を確認しよう。
その姿が私の充実感に繋がる事は確実だった。
そう思って振り向こうをしたその時、ふと刹那が視界に入る。
顔は項垂れていたが、口元がニヤついているのが見えた。
何なの?
「っ!? つうううっ!?」
その瞬間、私に物凄い物理的衝撃が襲った。
「な……何……?」
視界が徐々に狭くなっていく。
私……
意識がなくなる寸前、目に入ったものは……
私を見下ろす真田の姿だった。
「うっ……ううん……」
再び目を覚ますと、目の前には血の海が広がっていた。
それをただ見つめるだけの私がいる。
自然に涙が出てきた。
また駄目だったよ……なんで私はこんなに無力なんだろう……
「まったく。後始末するのも大変なんだ。澄川から今日殺れると電話があって来てみれば」
真田はしゃがみ、私と目線を合わせた。
「オレもなめられたものだ。一度殺すのを見逃してやったと思えば、今日も邪魔をしてくれるとな」
言い終わると同時に私は平手打ちを食らった。
真田は床に刺さったままの血に染まったナイフを取ると私の顔に近づけた。
授業中の真田とは大違いの殺気立った雰囲気に体が恐怖でこわばって動かない。
真田は私の胸倉を掴みナイフを振り上げた。
『殺される!!』私は目をつむり、顔をそむけた。
「くっ……」
しかし、いつまで経っても私に激痛が走る事はなかった。
恐る恐る目を開けてみる。
すると、ナイフは私の目の前で止まっていた。
「あ、あれ?」
「運が良いなお前は。その制服を着ている以上オレはお前を殺せない」
よく見ると真田の手が震えていた。
でも真田が殺すのが怖くて震えているのではない事が分かるにはさっきの言葉は十分な怒りのこもったものだった。
真田は立ち上がり、後ろで膝を抱えて座っている澄川に向かって話した。
「澄川、上司命令だ。上杉亜衣をお前の家で監視しろ」