第53話 「PM4:00」
「なぁ……瑞希。朝やで」
「……う〜ん」
「はよ起きな遅刻するで!!」
「ええ? あぁ……」
呼ばれるままに目を覚ます。
見慣れた天井。ここは僕の部屋だ。
視界の端では覗き込む皐月の姿が見える。
「あっ、やっと起きたな。いっも言っとるやん、早く寝やなあかんって」
「うーん……」
「ん? どうしたん? ……もしかして、まだ寝ぼけとる? しょうがないなぁ。顔洗ってシャキッとせなあかんな」
「あ、あぁ……」
洗面所へ行き顔を洗う。
かなり冷たい水に眠気は一気に覚める。
鏡越しに見える皐月は手際よく朝食の準備をしていた。
その姿をじっと眺めていると彼女と鏡越しに目が合う。
慌ててタオルで顔を拭くとキッチンへ行き椅子に座る。
炊き立てのご飯に味噌汁、それに焼き魚、日本の朝食。
「我ながらメッチャ上手くできたやん!!いっただきま〜す!!」
僕もつられて食べ始める……確かに美味しい。
「どう?美味しい?」
「うん。皐月ってこんなに料理上手かったんだ」
すると皐月はこれでもかというほどの笑みを浮かべた。
「今日から学校行くんやから、しっかり食べなあんで!!」
「ああ!!」
朝食を食べ終え、学校へ行く準備して靴を履く。
後ろには見送ろうと皐月が立っていた。
僕は振り向き彼女に尋ねる。
「あのさ……毎日……ありがとう」
「はぁ? 何言ってんの? ええに決まっとるやん」
「良かった」
安心して下を向いた瞬間、皐月の顔が僕に近づく。
僕は前に見た夢を思い出して緊張した。
夢どうりなら皐月は僕に……
ゴンッ!!
「痛てっ!!」
皐月は僕の額に頭突きをした。
「気合入った? じゃあ、頑張って勉強してな!! 私も仕事頑張るから!!」
「……ああ、いってきます」
やっぱり、ここは現実だ。
季節は秋。ずいぶん周りの景色も変わった。
服も冬服だし。僕は久しぶりの学校という事もあって、登校している人たちに混ざって歩くのが少し気恥ずかしい。
クラスに僕の居場所はあるのだろうか……って良く考えたら元々そんなものは無かった。
いつも誰とも関わらずに過ごしていたから……
でも、これが夢の続きなら、もうすぐ彼女達が来るはず……
「おはよ〜!! 澄川君!!」
やっぱり。
後ろを振りかえると、上杉亜衣と吉田有希が僕に向かって手を振っていた。
「ねー、ねー、澄川君、久しぶりの登校はどう? 嬉しい? 緊張する? それとも気持ち悪い?」
「有希、そんな矢継ぎ早に質問しても澄川が困るだけだよ」
「あっ、そっか」
「まぁ、それは置いておいて……澄川、聞いてくれる? さっき有希がね……」
「ちょっと!! それは言わないでって頼んだでしょ!!」
「そうだっけ?」
「もう!! 澄川君からもなんか言ってやってよ!! ホント、口が軽いっ!!」
いつの間にか僕をはさんで上杉と吉田が一緒に歩いている。
二人が争うように話しかけてきた。
「そうだ、今日のお昼は屋上で皆そろってお弁当食べようか?」
「いいねぇ。私は有希に賛成!! 澄川は?」
「……わかったよ」
「じゃあ決まりだね!!」
上機嫌の吉田はそのままスキップして僕らの数歩前を進む。
二人並んで歩く格好になった上杉に確かめたい事があった。
「なぁ、上杉」
「ん? 何?」
「こんなに幸せでいいのかな」
そして、上杉は『いいに決まってるじゃん』って答えるはず……
「全然よくない!!」
「え?」
「こんな程度で幸せなんて言ったら駄目だからね。もっと幸せになりなさい!」
「おおっ……」
「返事は?」
「……うん、そうだな」
『もっと幸せになる』……僕にはない発想だ。
これじゃあ、夢の中の上杉が言うわけないよな。
いつの間にか教室の前に立っていた。
僕は緊張してドアを開けるのをためらう。
そんな姿を見て上杉は教室のドアを開けた。
「心配しなくてもアンタの席はまだあるよ。片付けようとしたヤツがいたけど、殴っておいたから」
「あ、ああ……」
一歩、教室へ踏み出す。
久しぶり教室。なんだか他人の部屋にお邪魔するような感覚。
だけど、自分の席は何となく覚えていてすぐに辿りつく。
席に座って周りを見渡す。見慣れない見慣れた風景。
……その中に見えた一人の女の子……
「あぁ……そうだよな」
「澄川君、おはよう」
恥ずかしがりながら挨拶した女の子は……もう、いなかった。
そして僕は完全に理解する。
これは夢じゃない。
そして退屈な授業が始まる。
一ヶ月のブランクはさすがに厳しく、授業の内容が理解できない。
授業開始10分で白旗を揚げた僕は周りを見渡した。
外に目をやると体育で気だるそうに校庭を走っている生徒。
教室内を見るとメールやってるヤツ、マンガ読んでるヤツ、手紙のやり取りをしてるヤツ、真面目にノートとってるヤツ、寝てるヤツ。
やっぱり現実だった。
真田の授業はもうないし、浅野美世もいない。
クラスのヤツラは僕のことなんてまるで無視だし。
でも、それが嬉しい。
夢ではなんとも思わなかったけど、気付く事があった。
皆が僕を気にしないから、僕を気にしてくれる人の大切さを感じる。
居なくなった人がいるから、居る人が掛け替えの無いものだと理解できた。
喜びしか無い世界で本当の喜びなんて見つかるはずが無い。
……ここが僕の居場所。
「勉強でもするか」
僕は黒板の板書をノートに書き込んだ。
それからは本当に楽しかった。
「今日の朝は中華やに、麻婆豆腐に青椒牛肉に……」
「朝から中華って……」
「何言ってんの、中国の人は毎日朝から中華やに!!」
「いや、朝は朝の中華があると思うぞ」
「ちっ……」
ガチャッ
「わ、わ、わ!! 待て、待て!! 捨てなくても良いだろ!!」
「じゃあ、食べて」
「……はい」
皐月は上杉の家に居候していて、わざわざ朝ごはんをつくりに来てくれる。
夕方からは一ヶ月の遅れを取り戻そうと上杉に勉強を教わる。
「ここさぁ、間違ってるだろ?」
「えっ? どこ? ……あっホントだ」
「こっちに代入するべきだろ」
「……確かに」
「おい……」
「はい?」
「上杉。お前、1ヶ月の遅れを取り戻そうと、僕に勉強を教えようとしているんだよな」
「……うん」
「ありがとう。良い勉強になる」
「くっ……」
バシッ
「痛っ!!」
しかし、何より嬉しいのは人殺しをしなくてもいい事だった。
そういえば、ナイフを何処へしまったのか覚えていない。
……まぁ、いい。もう必要ないものだから。
時間は過ぎ……一ヶ月経ったある日。
今日も上杉が僕の部屋に来て勉強をしている。
この頃になると勉強も完全に追いつき、僕が彼女に教える事が多くなった。
余裕が出来た事で、少しずつ昔の事を頭の中整理している。
……が……ふと、気付くと上杉が僕に話しかけていた。
「ちょっと聞いてる?」
「え?何だっけ?」
っと回想している場合ではない。
「明日さぁ、学校終ったら……ヒマ?」
上杉らしくない逡巡した言い回し。
「まぁ、ヒマと言えばヒマだが……」
「だったらさぁ、あの教室に来てくれない?」
「あの教室?」
「……開かずの教室」
『開かずの教室』。
しばらく聞いていなかった言葉に僕は耳を疑う。
「何で?」
「渡したいものがあるから」
「今くれればいい」
正直言って行きたくなかった。
あの場所にはあまり良い思い出が無いから。
「……今は駄目。持ってないから」
「面倒くさいなぁ。しかも何であそこなんだよ」
「うーん……」
たいした質問ではないと思うのだが、上杉は黙ってしまった。
「どうした?」
「あそこじゃないと意味が無いの」
「……はいはい。分かったよ」
「じゃあ、明日PM4:00に開かずの教室で。時間厳守だからね」
上杉があんまり真剣に見つめるから僕は押し切られた。
夕方、僕は言われたとおりPM4:00に開かずの教室へ来た。
ゆっくりドアのノブに手をかけ開ける。
上杉はすでに教室にいた。
教室の窓側にたたずむ彼女の表情は夕日で良く読み取れない。
僕等は一定の距離を置いて向かい合う。
「上杉、要求どおり来たけど……」
「来たね……」
それから上杉は僕を見つめたまま何も言わない。
仕方ないので自分から切り出す事にした。
「……で? 渡したいものってなんだ?」
「……やっぱり来たんだ」
「何だよ、上杉が呼んだんじゃないか」
「そうだけど……」
彼女はスカートのポケットに手を入れると何かを取り出した。
それが何なのか最初は分からなかったけど、夕日に照らされてようやく理解する。
ナイフ……それも、僕のナイフだった。
「!!」
「この場所が一番だと思ったから」
そう言い、彼女は刃の部分を僕に向けながら歩み寄る。
僕は身構えた。
「そのナイフでどうするつもりだ」
「ん? ……どうして欲しいの?」
「お前まさか……」
「まさか?」
「……僕を刺すつもりか?」
「そうして欲しい?」
一気に彼女は近づく、僕はとっさに後ろへ飛びのいた。
彼女は遅れてナイフを横一閃振りぬく。
すぐ、後ろに飛びのいていたので、風の切る音と共に空を斬った。
僕は全然意味が分から無いまま、次の攻撃に備えてさらに身構える。
しかし、彼女はそれ以上は何もせず、一言言った。
「ウソ」
「え?」
「んな事するわけないでしょ? はい。これ今まで借りてたから返す」
今度は刃の部分を自分の方へ向け手渡す。
結局、さっきの何だったんだ?
良く分からないまま僕は黙って受け取った。
その際に彼女の表情が少し寂しそうだったのは気のせいだろうか?
それ以上は何も用事がなさそうだったので、僕は帰る事にした。
「じゃあ、僕は帰るから」
「あっ、まって!!」
「なんだ?」
「ここからが本題だから」
僕は少しウンザリしていた。
その表情が彼女に伝わったのか「笑顔、笑顔」とか言って僕の肩を叩く。叩く力がやたら痛い。
笑顔と言っている肝心の上杉が硬い表情をしているのだから説得力が無いし。
「澄川……ここはアンタにしてみたら仕事場だったかも知れないけど、この教室には別の意味があるの知ってる?」
「別の意味? それがどうかしたのか? この教室にはもう……」
「最後まで聞いて!!」
「……」
「柄にも無く、アンタに対して緊張してるんだから……」
なるほど。だから、表情が硬いのか……って上杉が緊張?
僕とって謎は深まるばかりだった。彼女が僕に対して緊張する事があるのだろうか?
「わかった。言ってみろよ。この教室が持つ、もう1つの意味を」
「……言うね」
「ああ」
上杉は胸に手を当て1つ深呼吸をした後、切り出した。
「有希に聞いた話だけど……この教室は『学校の女の子が伝統的に男の子への告白場所』なの」
「えっ!?」
「……だから……分かるでしょ?」
今度は僕が緊張する番だった。
「いや、その……」
「澄川。アンタが……」