第45話 「ご利用は計画的に」
決心したものは変わらない。
もうあの家には帰らない。
今まで帰る場所がなくなるのが怖くて、考えないようにしてきた選択肢を私は選んだ。
それは、暑さのピークもすでに過ぎた8月の終わりにした決心。
夏休みも終わりに近づき、全てに答えが出始めた季節の終わり。
澄川の家に帰った私は元樹さんの事件の事を話す。
「殺しを失敗したって……そんな幸運があるのか?」
澄川は信じられないといった口調で私に言った。
「実際、元樹さんは確かに女に襲われたって……それに、澄川だって、失敗してるでしょ?」
「それはお前のせいだろ。オレは正式な社員でもないし、そのための訓練を受けたわけでもない。もしかしたら襲った相手はプロじゃないかもな」
「え?」
「逃げられるなんて……殺人に慣れていない者の犯行としか思えない」
「そんなことありえるの?」
「さぁ……」
澄川は考え込んだきり、それ以上は何も答えなかった。
なにか心当たりでもあるのだろうか?
しかし、それよりも、私には気になることがあった。
「それより澄川、真田は見つかったの?」
真田という言葉を聞くと途端に澄川の表情が変わった。
「……ああ」
「で?」
「うん……」
「『うん……』だけじゃ分からない」
澄川は言い淀んでいたけど、やがてゆっくり話し出した。
「真田は殺していないと言った。浅野さんは自殺だったらしい。目撃者がいた」
「そう……」
やっぱり美世は自殺だったのか……少しやりきれない気分になる。
「話はここからだ。良く聞けその目撃者は……真田だ」
「はぁ!? じゃあやっぱり――」
「恐らく証拠はないが、自殺に追い込んだのはアイツだ」
私達はどうしようもなくてただ、黙る。
今すぐにでも真田の所へ行って殴ってやりたい気持ちだけど、そんな事をしても意味がない事は分かっていた。
何もせず、ただ時間だけが過ぎる。
やがて澄川は私に顔を向け、ハッキリとした口調で言い始めた。
「浅野さんのことで決心をした」
「決心?」
「『Thread winter』の仕事を辞める」
「!!」
その言葉に私はどう反応したら良いか分からない。
人殺しを止めるというのだから良い事なんだろうけど……後先を考えない澄川の発言に私は釈然としなかった。
「で、でも皐月さんの入院費……お金はどうするの?」
「別の仕事を見つけて一日中働けば何とかなるだろう」
澄川は事も無げに答えた。
「一日中働くって……学校だってあるのに何言ってるの?」
「学校は辞める」
「はぁ? そんなの無茶だよ」
「無茶でも真田の世話になるよりはましだ」
「……せめて高校ぐらいは出ておきなさいよ」
「時間の無駄だ」
「でも……」
澄川が仕事を辞めるというのは嬉しいけど、学校も辞めるというのは納得が行かない。
かといって、皐月さんの事もあるからどうする訳にもいかないし。
……でも……だけど……
その時、私の中である考えが浮かんだ。
「だったら、私と契約しない?」
「?」
「私は両親の遺産の半分を自由に出来るの」
訳が判らないといった様子で澄川は怪訝な表情を浮かべていた。
「私、雇い主、高校へ行く事が澄川の仕事」
「何言ってるんだお前……」
「アンタにはココに居候させてもらってるし、恩返ししたいじゃない?」
「……断る、お前には関係ない。オレは誰にも迷惑を掛けたくないし、オレが上杉にココへいてくれと頼んだんだ」
「だけど――」
「お断り」
多分、こんな発想は断られるだろうなとは思ったけど……
今、私が澄川に出来る事をしてあげたい。
だから……私は……
「アンタだけが戦ってると思わないでよ!!」
「何が?」
深く考えないで言った一言に次の言葉が続かない。それでも私は無理やりに続けた。
「……真田のせいで美世があんな事になったんだから私も無関係じゃない。真田の手を借りずに皐月さんを助るっていうアンタの手助けをしたい!!」
「……」
「それと、もうすぐ新学期なのに教室に行ったら、親しい人が二人もいないなんて……嫌だ……」
多分、後で言った方が私の本音だと思う。
一気に喋り少し息切れをしてしまった私を見て、澄川は軽くため息をつく。
「……で? 時給はどれだけもらえるんだ?」
「え? それじゃあ……」
「ただし、高校卒業したら少しずつでも返済するからな」
「あっ……当たり前でしょ!! ……ご利用は計画的に方式なんだから」
「意味が分からん。第一お前、さっきはオレを雇うって……」
「あーもう、アンタは一々細かい!! 人の挙げ足ばっか取らないで!!」
「趣味なんだ挙げ足取るの。……って、物を投げるのは止めろ!! 片付けるのはどうせオレなんだから!!」
こんなやり取りがなんだか凄く落ち着いた。
何事にも変え難い時間や関係がそこにはあったように見えた……
二日後、澄川は真田へ会いに行くと言って家を出た。辞めることを告げに行くのだろう。
そして、私は元樹さんのお見舞いに病院へ行った。
彼は美世と同じ病院へ入院している。病室で見る限り元樹さんは元気そうだった。
私はホントの事(姉が殺人依頼をしたこと)を言おうか迷ったけど、言うのは止めた。
……というかもう気付いてるし、これ以上ハッキリした証拠を突きつける必要は無いと思う。元樹さん自身も、退院したらあの家を出ると言っていた。
元樹さんにお別れを言って、病院から帰ろうとしたけど、帰ってもする事が無い私はある行動を取る事にした。
それは単なる気まぐれ……一目見ようを思っただけ。
美浦皐月。
話には聞いていたけど見る必要も無いと思ったし、普段は立ち入り禁止の場所だって聞いてたから、私は一度も彼女の顔を見たことが無かったのだ。
エレベーターで7階までいくと、関係者以外立ち入り禁止の看板をくぐり、階段で8階へ行く。
美世の話だと大きいガラス窓が壁代わりになっているのが皐月さんの病室らしい。
階段を上りきると、少し歩いた場所に話の病室は存在していた。
そっと中を覗き込む
……しかし、病室はベッドが1つあるだけで誰も寝てはいなかった。
不思議に思い、隅々まで良くみようとガラス窓に張り付く。
だからだろう、近づく人影に気付かなかった。
「アナタは誰ですか?ココは関係者以外立ち入り禁止です!!」
その声に私は驚いて後ろを振り返ると看護士さんが立っていた。
「あの……私は美浦皐月さんの知り合いで……」
「美浦さんなら今、集中治療室で治療中です。面会謝絶なので会う事は出来ません」
「容体は良くないのでしょうか?」
「良くないから集中治療室にいるんです。こちらとしても最善を尽くしますからご安心を」
突然の事だったのと、事の重大さに私は急いで病院を出て携帯を取り出す。
この事を澄川は知っているのだとろうか?
念のため私は澄川へ連絡を入れる。
しかし、電源を切っているらしく、いつまで経っても繋がることは無かった。