第44話 「……良かった」
私は姉と戦わなくてはならない。元樹さんと守るために。
何の変哲も無い木造二階建ての家。その前に立つ私。
玄関のドアノブを握る。開きたくないドアがアッサリ開いた。
「あっ……」
すると玄関には丁度、一番会いたくない相手、お姉ちゃんがいた。
私を見ると途端に表情が曇る。
「亜衣ちゃん。どうしてここに……」
「帰ってきたの。ここ、私の家だよね?」
私の言葉を聞くと姉の表情が一変した。
「お帰りなさいっ!!そうだよね、ここは亜衣ちゃんの帰る場所だものね!!」
満面の笑みを浮かべて姉は私の背中を軽く押して中へ招き入れる。
廊下を歩きながら姉は呟くように言った。
「……きっと帰ってくると思ってた」
その口ぶりはまるで私が帰ってくるのを確信しているかのようだった。
姉に促されてリビングに入る。中には元樹さんがソファーに座っていた。
「あっ、おかえり」
「あ、あの……ただいま。あぁ、良かった」
「何が?」
「何でも……ないです」
「ん?」
「はぁ……」
会話が続かない。何だか必要以上に私が意識しているみたいだ。
この私達のぎこちないやり取りを姉は黙って観察している。
……とにかく元樹さんが生きていて良かった。
姉はある程度、間を置いてから話しはじめた。
「じゃあ今日はお料理頑張るから、亜衣ちゃんも手伝ってね」
本当に楽しそうな姉を見ると『こんなことなら、何回か帰ってやれば良かった』という考えが、一瞬頭を過ぎる。
でも、その思いを慌てて打ち消す。
恐らくこの人が元樹さん殺害を依頼したんだ。
とりあえず依頼したという証拠を掴む為に、それと元樹さんに余計なプレッシャーを与えないためにも、暫くは黙って様子を見る事にした。
私は今まで、自分がこの家に居ると最終的に元樹さんが邪魔になって彼が追い出されたり、殺されるのではないかと思っていた。
だから家出したのだけれど、関係なかった。
結局、姉は自分の気持ち次第でどうにかしてしまう。
この家も両親も元樹さんもそして……私も。
夜、少し豪勢な夕食を食べた。久しぶりにとる3人での食事。
両親が死んで以後の楽しかったときが戻ったような気がする。
昔はこうやって食べていたんだっけ……
夕食後、リビングで少し話をした後、自室に戻りこれからの事を考える。
元樹さんは平日仕事をしていて会社にずっといるので昼間は大丈夫だと思う。
問題は会社の行き帰りと寝ている間という事になる。
だとしたら、やる事は……
次の日、私は元樹さんに付いて行き会社への行き帰りを徹底的に見張る事にした。
「どうして付いてくるの?」
「えっ? その……なんて言うか……社会見学?」
「ウソをついてた僕が言うのも悪いけど、ウソは良くないな」
「……実は姉と二人きりになるのが苦手で……」
私はウソをついた……いや、少しホントかも……これも見張る為だ、しかたない。
「まぁ。今までの事もあるし、気まずいかもしれないけど……」
「だから、お願いします、会社への行き帰りだけでも家を出るきっかけを与えてくれませんか?」
「うーん、分かった。でも、僕が家に居るときは三人だから、法さんと一緒にいる時間も作る事。これ約束だよ」
「はい!!」
夜は部屋の前を監視。
昼間は元樹さんが会社へ行っている間に睡眠。昼夜逆転の生活が続いた。
こうして一週間、特に怪しい気配もなく時間が流れた。
何も起きない事から来る緊張の緩みと、慣れない昼夜逆転の生活に私は疲れて元樹さんの退勤時間に寝過ごしてしまった。
目を覚まし携帯を見ると、駅へ着く時間を一時間オーバーしていた。
慌てた私は自室を出てリビングに向かう。
一時間も過ぎているのだからもう帰ってきてもいいはず。
しかし、リビングにはソファーに座った姉しかいなかった。
「亜衣ちゃん、どうしたの? そんなに慌てて」
「元樹さんは?」
「まだ帰ってきてないけど……残業じゃないの?」
「そんなはずない。残業ならメールが届くはずだから」
「……」
私の言葉を聞いた姉の眉間にはわずかにシワが出来た。
「ねぇ、亜衣ちゃん。……あの人の事が気になる?」
「別に私は……」
「だったら、いいじゃない。それとも……私と一緒にいるのが嫌?」
「そうじゃないけど……」
いつになく強気な態度の姉に私は戸惑った。
「私ね、いつもアナタとアノ人との間に起こったことを気にしてた。もしかしたら、亜衣ちゃんは普通に人を好きになれる人間なんじゃないかって……」
「何を言ってるの?」
私の問いを無視して姉は話し続ける。
「でも、私分かったの。あの人の事は関係ない」
「……」
「私と亜衣ちゃんが二人だけになれば済む問題だった」
そこまで言い終わると口元がわずかに歪む。
「だから、そんな事を気にするのも今日で最後だと思うよ」
「!?……今なんて言っ――」
「これからはこの家に二人っきりで住めるかもね」
「っ!!」
やはり、姉は元樹さん殺害を依頼したんだ。
私が帰ってきた目的もある程度分かった上で、この人は私に隙が出来るのを注意深く待っていたのだ。
私は何も言わずに家を飛び出した。
今は姉に関わっている暇はない、探す事に専念しよう。
幸い、この一週間で通勤退勤時に襲われそうなポイントはだいたいチェックしてある。
その一つ一つ探す。しかし、一向に見つからない。
「もう何処かへ連れて行かれたのかも……」
諦めかけた時、遠くで這うようにこちらへ向かってくる何が見えた。
紛れもなく元樹さんだった。私を見つけると動きが止まった。
走って近寄ると、服のわき腹から血が滲んでいた。
「元樹さん!!」
「はは……やられたよ」
「今、救急車を呼びます!!」
顔はすで真っ青というより白に近く、冷や汗もかいていた。
元樹さんの向こう側には辿った後を示すかのように血の跡が出来ていた。
「……相手は女性だったから……何とか……振りほどいて……逃げてきた……」
「じっとしててください!!」
「……亜衣ちゃん……」
「もう喋らないで!!」
「……お姉さんを……許してやって欲しい……」
「え?!」
元樹さんの口から出てきたのは意外な言葉だった。
「いつかは……法さんに捨てられるんじゃないかって覚悟はしてた」
「……」
「まさか……殺されそうになるとは……思わなかったけど……」
「止めて、元樹さん。もっと怒っていいんだよ……」
しかし、元樹さんは首を振る。
「なんで? 好きだからなの?」
「……」
何も言わずに元樹さんは微笑んだ後、気絶した。
しばらくすると救急車が到着し、元樹さんは運ばれる。私は救急車へ乗り込み付き添う。
幸運にも治療を受けた元樹さんは幸い命を取り留めた。私は一晩中病室で看病した。
次の日。家に帰った私は早速、本格的に荷物をまとめ、準備が終ると一階へ降りた。
その先には姉がいて。私と姉は対峙する形になった。
昨日は姉に先手を取られたが、今回は私がハッキリ言う。
「良かった」
「何が?」
「これでホントにアンタを見限る事が出来る……」
「亜衣ちゃん!?」
「もう二度とこの家には帰らないから」
私の最後通告を受けて、姉の顔色は真っ青になっていた。
「……行かないで」
もうこれ以上この人と話しをする気はなかった。
姉を無視して私は歩き出す。
「行かないで!! 亜衣ちゃん……行かないで……」
すがり付こうとする姉を振りほどいて私は家を出た。