第34話 「償い」 (上杉亜衣・過去編)
「思い出した? うれしい。催眠治療を受けているっていう話を聞いてたから不安だったけど……」
気がつけば有希の部屋だった。
そうだ、元樹さんとの事を知って私は家出したんだ。
さらに今、欠落した記憶が戻ってきた。
目の前に姉がいる。
私のせいで皆こうなったんだ……
お父さんとお母さんは死んで、お姉ちゃんは両親を殺し、見知らぬ人と結婚生活を装って……
私は。
私は……
お姉ちゃんが注ぐ私への気持ちと、起こった事態の深刻さに押しつぶされそうになる
そんな私に構わず、お姉ちゃんは嬉しそうに話す。
「これで約束が果たせるよね!! 二人だけ時間を過ごせるんだよね!!」
「あぁ……」
私は全身の血の気が引くのを感じ、震えだした。
お姉ちゃんはその異変に気付き怪訝そうな表情をする。
「亜衣ちゃん……どうしたの?」
姉は近づき触れようとした。
しかし、私はとっさに体を逸らす。
「なぜ逃げるの?」
「っ……」
さらに姉の手が伸びる。
私は必死に飛びのく。
「……どういうつもり?」
「なんで殺したりなんかしたの?」
姉は事も無げに答える。
「決まってるでしょ。好きだから。好きだから出来たの」
「……ごめん、お姉ちゃん。私、どうして良いのか分からない……」
そのままドアを開け、私は部屋を駆け出た。
この場で私とった行動……それは逃げ出すこと。
有希の家から逃げ出した私は宛もなく歩いた。
不甲斐ない自分が情けなかった。辺りがぼやけてくる……涙が出てた。
お姉ちゃんとの日々を思い出してさらに混沌とする心。
夜になったところで私の行く場所もない。
だから、ここへ来てみた……学校。
音楽室にある窓の鍵が1つだけ壊れているのを知っていたので、そこから校舎内へ入る事にした。
夜の学校なのでもちろん誰もいない。
それが今の私にとっては重要だった。
自分の教室へ行き、自分の席に座る。肘をつき俯く。
涙はすでに止まっていた。私の心とは対照的に静かな時間が流れる。
あんな事をするお姉ちゃんが許せないのに、私の言葉を信じて、あそこましてくれたお姉ちゃんを……受け止められない。
お姉ちゃんの気持ちを受け止めたら……お父さんとお母さんの死を私が容認してしまう事になる。
「何?! 今の音」
気のせいだろうか?
足音が聞こえた気がする。
宿直してる先生の見回りかもしれない。
私はとっさに机の下へ隠れ、様子を伺う。
「確か、3階って聞いたんだけどなぁ……」
この声、廊下にいるのは……元樹さん!?
なんでココへ?
そう考える暇もなく教室のドアが開けられた。
「……」
私は必死に息を潜めた。初めは見当違いの方向をさがしていた元樹さんは次第に近づいてきた。
そして一定の距離を取ったところで立ち止まる。
「そこにいるんだろ? 出てきなよ」
「……」
「黙ってたって分かるよ。だって、この辺床に土が落ちてるからね。今度学校へ来るときは靴を脱いだほうがいいよ」
自分の足元を見て軽く舌打ちをして、ゆっくりと立ち上がる。
「……なんで学校だと思ったの?」
「僕も昔、家出したとき学校に泊まった事があってね。それで、もしかしたらと思って有希さんに学校の場所を聞いて来てみたんだ」
元樹さんは相変わらす人のよさそうな笑顔を浮かべて私を見てる。
「さぁ、帰ろ。お姉さんも心配してる」
「嫌」
「亜衣ちゃんの気持ちは分かるけど……」
「いい加減な事言わないでよ!! ……分かるわけないじゃない」
「でも、このままって訳にもいかないだろ」
「……」
「帰ろうよ」
私は元樹さんに促され、家に帰ることにした。
家に帰ると姉はいなかった。
どうやら、まだ探しているようだ。
「法さん携帯持ってないから連絡つかないけど、もう少し待てば帰ってくると思うよ」
「……」
「お腹空いてるだろ? 今なにか作るよ」
元樹さんはキッチンで何やら料理を始める。
その後姿を眺めながら私は疑問に思っていた。
お姉ちゃんはともかく、どうして元樹さんまで私を探してくれたのだろう?
ただの同居人として暮らしているなら、別に夜になるまで私を探す必要ないと思う。
だから尋ねることにした。
「どうして、こんな生活を始めようと思ったのですか?」
「だから、お金が掛からないし……」
「それだけとは思えません」
「ふう……」
元樹さんは頭に手を置きながらため息を一つついた後、口を開いた。
「一言で言えば、法さんが好きだからかな。彼女が僕のことなんて何とも思ってないことは知ってるけど、彼女の役に立てばそれで良いと思ったんだ」
結局、元樹さんの口から出てきたのも「好きだから」。
「何も見返りがなくても?」
「見返りならあるさ。法さんのそばにいられる」
にっこりと微笑みながら言う姿に私は痛々しさを感じた。
この人をこんなにしたのも元を辿れば私が原因だ。
「あの……」
おそらく償いにはならないと思う。
でも、私に出来ることといえば……
私は自分の服に手をかける。
「!! ……亜衣ちゃん、どうした? 服なんか脱ぎだして!?」
「お姉ちゃんじゃなくてゴメン。でも、こんなことしか思いつかなくて……」
私は元樹さんの胸にもたれかかる。
「何言ってるんだよ、こんな事出来るわけないじゃないか!! 離れなさい!!」
「お願いします……このままじゃ不安で…………」
「……亜衣ちゃん?」
結局、償いだとか言いつつ私は誰でいいから、しがみ付きたかっただけだった。
自分じゃ抱えきれない気持ちを少しでも楽にしたいから……
私の気持ちを察してくれた元樹さんは抱きしめてくれた。
温かい私以外の温もりを私の中で感じる……それは初めての事だったけど、安らぎだった。
事が終り私は身なりを整えようとして立ち上がろうとした時、偶然リビングのドアの隙間が開いていることに気付いた。
その隙間から垣間見えたものは……睨みつけるような眼。
間違いなくそれは……お姉ちゃんだった。
暗い隙間からしっかりと見開かれた眼だけが浮かび上がっている。
私は背筋が凍るのを感じた。
幸い、元樹さんは何も気付いていなかった。
私もお姉ちゃんが入ってこない限り、気付かないフリをして身なりを整える。
その後、お姉ちゃんは何食わぬ顔して部屋へ入って来て、私の帰宅を喜んだ。
しかし、私はあの時の眼が忘れられずにいた。
もしかしたら私の考えすぎかもしれないけど……元樹さんが殺されるかもしれない。
両親を殺したお姉ちゃんなら考えられる。
そこで私は再び家出をすることにした。
私が家に帰らない限り、お姉ちゃんは元樹さんにヘタな事はしないだろうと踏んだから。
そして、私がお姉ちゃんに好きと言わないように。
お姉ちゃんと一生分かり合えないこと。
それが私の出した結論、償い。