第32話 「家族ゲーム」 (上杉亜衣・過去編)
いつの間にか部屋の窓が赤く染まっていた。
どうやら私は眠っていたらしい。時計を見る。すでに19時をまっていた。
しばらくして玄関のドアが開く音がして、澄川が帰ってきた。
家に上がるなり澄川は真剣な面持ちで床に座り込む。
「おかえり」
「……」
返事は返ってこない。黙り込んだままだ。
私もそれ以上は何も言わなかった。
何も言葉を交わさなくても分かり合えるような間柄ではないけど、沈黙が続くことを怖がるような間柄でもなかったから。
それになにより、思い詰めたような澄川の横顔があの時の顔とダブるから……
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中3になってすぐ、姉は男の人を家に連れてきた。
「はじめまして。僕、松田元樹って言うんだ、よろしくね」
その男性はいかにも人のよさそうな笑みを浮かべて私を見た。
私もとりあえず挨拶をする。それを見届けた姉は嬉しそうに何度も頷いた。
「亜衣ちゃん。実はね私と元樹さん、結婚しようと思うの」
「えっ?」
私もどう応えていいか分からない。
姉は両親が死んでからよく物事を突然決めるようになったのだけど、今のが一番だと思った。
こうして、元樹さんが加わった生活が始まる。
男の人がこの家に入る事で初めはギクシャクした。他人が入ってくるというのはそういうものだ。
それに加え私は高校進学という大切な学年をむかえた。
なにかと不安定な時期、二人は最大限の協力してくれた。
元樹さんは徹夜で勉強を教えてくれるし、姉は自分の仕事があるのに夜食なんか作ってくれた。
この頃、姉に対しての違和感はあまり感じなかった。家の様子も変わったし、両親の話もしなかったというのもあるけど、なにより私が受験だった事が大きい。
受験という目標を3人で解決していく過程で、元樹さんとの仲も良くなっていった。
今考えればこの3人が一番上手くいっていた時期だと思う。
こうして私は無事高校へ入学する事が出来た。
高校へ入り、それなりに友達ができ、高校生活も安定して私の心にも余裕が出来てくる。
すると今まで気付かなかった事が見えてきた。
気のせいかもしれないけど、姉夫婦はあんまり仲が良くない感じなのだ。
上手くは言えないが、死んだ両親とは少し違いお互いに壁を作っているように思えた。
二人の私に対する態度は変わることは無かったけど、夫婦で二人きりになるとロクに会話が無い。
特に姉の態度にハッキリと表れていた。元樹さんが話しかけないとお姉ちゃんは絶対に話をしなかった。そりゃ夫婦にも色々な形がある事は分かる。
でも……これじゃあ見知らぬ他人同士が生活しているみたいじゃない。
もしかしたら、私の受験に構っていたせいで2人の時間をもてなくなったせいかもしれない、なんて思ってしまった私は、なるべく2人でいられるような状況を作ることにした。
映画のチケットを買ってきて二人で行くように勧めたり、カラオケにみんなで行って、途中で私がいなくなる、なんて事もした。
お節介かもしれないけど、これが受験の恩返しだと思っていた。
しかし、結果は良くなかった。
それでも何とかしようと色々考えていた夜、私はのどが渇いてキッチンへ行こうと一階へ降りた。
薄暗い廊下を歩いていると、リビングを過ぎたあたりで人の気配がした。
変に思った私は恐る恐るリビングを覗いた。
室内は月明かりしか光源は無く、ハッキリと見て取れなかったけど、時間が経つにつれて、ソファーに座る人影が見えた。
体格からして恐らく元樹さんだと思った。
月明かりに照らされた元樹さんの顔は陰影がくっきり表れ、酷く深刻そうな顔をしているようにみえる。
その表情に私は目を離す事が出来なかった。さらに良く見ようと私は見を乗り出す。
しかし、その拍子にバランスを崩し室内に入ってしまった。
「誰だ!?」
突然入ってきた私に元樹さんは驚いているようだ。
もちろん私も驚いているけど。
「ごめんなさい。脅かすつもりじゃなかったんだけど……」
「ん? ……あぁ、亜衣ちゃんか。まだ起きてたの?」
「……うん」
近くで見た元樹さんの顔は何だか疲れているみたいだった。
「元樹さん何かあったの? 明かりもつけないでソファーに座って」
「え!?……うん、ちょっと考え事をね」
私はよくお節介焼きだといわれる。
美世のことにしてもそうだけど、ついつい首を突っ込んでしまう。
生来そういう性格なんだと思う事にしている。
だから、この時も元樹さんの表情が冴えない事に首を突っ込んでしまう。
「もしよければ、力になるよ……って高校生の私に何が出来るって訳じゃないけど。話を聞くぐらいはできるから」
「ははは。ありがとう」
元樹さんは力なく笑った。
私はその原因が何であるか何となく分かった。
「もしかしてお姉ちゃんと何かあった?」
「……いや別に僕は……」
「元樹さん、余裕無さ過ぎ。バレバレだよ」
さらに焦りだす元樹さん。
「ち、違うんだこれは……」
「元樹さんには結構世話になってるし、何かお返ししたいの。幸い、お姉ちゃんのことなら大抵のことは答えられるし。これでも16年一緒に住んでるんだからね」
「……」
「私じゃあ力になれないかな?」
「そうじゃないよ。大丈夫、これは法さんとの約束だから」
お姉ちゃんとの約束? 何の約束だろうか?
気になるけど、そこまで問いつめる勇気は無かった。
「わかった。でも話したくなったら――」
その瞬間だった。私の声を遮って背後から声がした。
「私たち本当は夫婦なんかじゃないの」
「!!」
「法さん……」
振り返った先には姉がいた。暗くて表情までは伺えない。
「亜衣ちゃんも高校生になったことだし、いい機会だから言っておくね。お葬式から何ヶ月かして、私がこの家を相続するのに反対する人が出たの。まだ二十歳そこそこの私がこの家を持つことが気に食わない人達がいるってこと。だから、元樹さんに頼んで夫婦を装って世間体を良くしたの。全てはこの家を守るため」
「な、何言ってるの? 冗談だよね、元樹さん」
私は信じられなくて元樹さんを見る。
元樹さんは苦々しい顔を浮かべながら、何も言わずに頷いた。
「僕も一人暮らしだったし、家賃や諸経費なんかを払わなくて済むから、その条件を飲むことにしたんだ」
「そんな……」
今まで騙されていたのか。私は急速に現実感を失っていった。
耳鳴りがして話しかけられた言葉がよく汲み取れない。
何も言えないでいると、姉は私の肩に手を置いた。
「落ち込む気持ちは分かるけど、これも全てこの家と亜衣ちゃんを守るためにやったことなの。解ってね」
「はぁ!?」
姉の言葉は私の怒りを促す発火点になった。
「家を守る為って何なの!? お父さんとお母さんがいればそんな事考えずに済んだじゃない!!」
この言葉に姉は動揺することなく、極めて抑揚の無い声で言った。
「しょうがないでしょ。あの人達は死んだのだから」
「ふざけないで!! 殺したのはアンタじゃない!!」
「えっ……」
このとき初めて私は姉に『アンタ』と言った。姉の方もここで初めて表情を崩した。
そのままの勢いで私は家を飛び出した。
思えばこれが初めての家出だった。