第29話 「夏のウサギは考えない」 (上杉亜衣編)
私と姉は常に対角線上に居る。
姉の黒く長い艶のある髪を見て私は髪を染め、短くした。姉が女らしいと言われれば、私は男っぽく見えるようにした。
姉は私にとっての正解を示してくれる羅針盤だ。彼女の反対を行けばそれで大丈夫。
そんな姉と距離を取ってからかなりの時間が経った……
今から一週間ほど前、私は美世達とキャンプへ行くことになったので、着替え等の準備をするために家へ帰った。
3ヶ月ぶりの帰宅。なるべく誰もいない時間を選んだ。「用意をしたらすぐ帰ろう」そう心に決めていた。帰るって言っても澄川の家なんだけど……
何の変哲も無い木造二階建ての家。それが私にとってはとてつもなく大きく見えた。
玄関のドアノブを握ると鍵がかかっていた。私はホッとして合鍵を取り出し玄関を開ける。
あまり生活感が無い静かな家。私は他の部屋を覗くこともなく真っ先に2階の自分の部屋へ向かった。
自分の部屋に入る。
普通、3ヶ月も放置した部屋は埃っぽくて居心地は良くないのだけど、そういう感じは受けなかった。きっと姉が定期的に掃除や換気をしてくれているのだろう。
私はその辺にあったスポーツバッグを手に取ると、色々とモノを詰め込んだ。
昔は自分で服の場所分からなかったので、姉に聞いて出してもらっていた。
でも、今は分からないなりにテキパキと自分でやっている。
姉から離れて私も変わったということだろう。
喜ばしい事じゃない。
……本当に?
「亜衣! 帰ってきたの!?」
「!?」
聞き覚えのある声に私はあからさまに嫌悪感を出す。
「何? 帰ってきたら悪いわけ?」
「そういう訳じゃないけど……」
「じゃあどういう訳?」
「あ……」
「そうやって都合が悪いとすぐ黙る。変わってないね、お姉ちゃん」
私の言葉に姉は黙ったままだ。
そんな姉を私は無視してバッグに荷物を詰める。
姉はどうして良いか分からないのかただ私の姿を眺めていた。
やがて、痺れを切らしたのか姉は私に話しかけた。
「亜衣、ちゃんとご飯食べてる?」
「ご心配なく」
「学校へは行ってる?」
「当たり前でしょ」
「お友達にご迷惑を……」
「五月蝿い!! 今ここ居るんだから大丈夫に決まってるだろっ!!」
すると姉は凄く悲しそうな目をした。
「私は亜衣のことが心配で……」
「何? 心配だったら何でも聞いていいわけ? 保護者面するのもいい加減にしろよ!!」
「ごめんなさい……」
私はなるべく考えないようにした。
あらかた準備を終えた私はバッグのジッパーを閉めた。
後はそのままこの家を出れば完了する。
そう思った時、姉が話しかけてきた。
もちろん無視すればいいだけの話。
「良かったら、夕食食べていかない? 今日は元樹さんも早く帰ってくるみたいだし。少し会っていけば……」
「――っ」
『少し会っていけば』その言葉に私は無視し続けることが出来なくなった。
「よくそんな事が言えるね」
「え?」
「自分の夫を寝取った相手に向かって『少し会っていけば?』なかなか面白い冗談だね。一切笑えないけど」
「……」
すると姉は下唇を噛締め下を向いた。
「そうやって耐える自分に酔ってんじゃないの? 悲劇のヒロイン? 目出度いわね」
ここで初めて姉は睨むような目つきで私を見る。
その瞳にはハッキリと憎しみの色が付いていた。
私は少し……ほんの少し悲しくなった。
ホントはこんな事言いたくない。だから、私は家を出たんだ。
なんで私はいつもこうなんだろう……嫌になる。
私はそれ以上何も言わずに家を出た。
ほんの少しの悲しい気持ちは私の中で拡大を遂げ、凄く泣きたい気分だった。
きっと夜だったら泣いてたと思う。
この悲しみは何処から来るんだろう……それはきっと嫉妬だ。
早足で澄川の家に帰る。
玄関を開けるとそこには美世と澄川が居た。
「あっ、お帰り!! ……亜衣ちゃん、どうしたの?」
「……え?」
「目が真っ赤だよ。何かあった?」
美世の言葉に慌てて頬に手を当てると何かが流れた後があった。
私は気付かない間に涙を流していたのかもしれない。
「何でもない、何でもない。ただの充血だって。最近夜更かししてばっかだから」
「そうなんだ。でも気をつけて。せっかくキャンプに行くんだから体調を整えようね」
「美世、それは私のセリフだよ」
私と美世のやり取りを見ていた澄川が急に立ち上がった。
「わーい、上杉の目はウサギだ〜!! う〜さ〜ぎ!! う〜さ〜ぎ!!」
「五月蝿い!!」
私は澄川にスポーツバッグを投げつけた。
スポーツバッグは見事に命中し、澄川はその場に倒れた。
「う〜ん……グッジョブ……」
「澄川君!!」
ただ一言が言えずに今日も過ぎていく。
前なら簡単に言えたはずなのに。
言わなくても通じると思っていたあの頃。
私はただ……考えないようにしていた。考え出すと止まらなくなる。
『好き』
次第に重みを増していく言葉。