第28話 「人の感情を馬鹿にするな」 (澄川正宗・現在編)
浅野を見つけたことで少し安心したものの、彼女が倒れている事実に僕は慌てた。
「おい、大丈夫か?」
彼女の頬を軽く叩いてみる。
しかし、浅野は返事する余裕は無いように思えた。少し呻いて膝を抱くように身を縮める。
それを見た僕はゆっくり彼女を起こし背負った。
彼女は思ったよりも軽く驚く。
皐月を背負ったあの時とは大違いだった。
浅野にはまだ意識があるからだろう。
「嫌!!」
背負って少し歩くと彼女は手足を動かし暴れだした。。
僕は手を離してしまい、浅野は地面に落ちる。
すると彼女は地面にへたり込んだ。
その後、よろよろと立ち上がる。
「……近寄らないで」
僕を睨みつけるその瞳は空ろで力はなかった。
気まずい感情も手伝ったのだろう、そんな彼女に僕はなぜか冷たく接してしまう。
「だったら、自分で歩けば良い。帰ろう」
すると浅野は僕を睨んだままで、少し俯く。
まるで拗ねてる子供のようだ。
「帰らない。私は……ここで死ぬ」
「戯言なら後でいくらでも聞いてやる。早く帰ろう、時間が無い」
僕は一つため息をつくと浅野に近づく。
彼女の体を考えたら、力づくでもいいから連れて帰ることにした。
強引に腕を掴んで引っ張る。
「ちょっ、ちょっと!」
「上杉や吉川が心配してる」
「えっ……」
僕は彼女を無理やり立たせ、背を向けて乗れとジェスチャーする。
しばらく躊躇したが、観念したのか彼女は僕の背中に身を預けた。
そして自分が辿った山道を淡々と進む。
急ぎながら、それでいて慎重に運ぶ。
ふと、運びながら思う。
“なんで僕は浅野を助けようとしているんだ?”
“殺してください”浅野はそう僕に言ったじゃないか?
このまま放置しておけば死ぬんじゃないか?
しかし、すぐに否定する。
……いや、それは彼女が望んだ事じゃない。
“私を……好きになってください”
それが彼女の条件だった。
さらに別の思いが過ぎる。
何で僕はいつものように好きになって浅野を殺せないのだろう?
「うっ……うぅ……」
背中越しに嗚咽が漏れる声が聞こえ、今まで僕に預けっぱなしだった体が少し強張った。
浅野は涙声で僕に話しかける。
「なぜ?……なんで私を助けようとするの?」
「……それは」
今でも答えが出ない問いを浅野の口から投げかけられ、僕は戸惑った。
――そして、一瞬の隙が出来た。
再び浅野は暴れ、僕を突き飛ばすように背中から飛びのく。
僕は前のめりに倒れ、地面に手をついてしまう。
すぐに後ろを向いたが、すでに彼女の姿はない。慌てて、周りを見渡す。
あの体ではそう遠くへはいけない。
僕は彼女の姿を見付けると急いで近づく。
しかし、ある程度近づくと僕は彼女と距離を取る事になった。
「それ以上来ないで。来たら……飛び降ります」
僕は焦点を彼女の奥へと合わせる。
浅野の向こう側に広がっていたもの……それは崖だった。
彼女は肩を揺らせて、荒い息を繰り返している。
かなり体がこたえているに違いなかった。
僕はなんだかため息がでそうだった。
「んなこと言っても、浅野はこのままの状態でも死ぬじゃないか」
「それで良いんです。私は……ここで死にます」
浅野は震える足を少しずつ崖に近づける。
彼女の額にはうっすらと冷や汗が滲んでいた。
さらに唇はわずかに震えている。
「震えてるじゃないか。死ぬなんて嘘つくなよ」
「嘘じゃないです」
彼女の子供じみた態度に僕はなんだか腹が立ってきた。
「だったら何故、すぐにそこから飛び降りなかったんだ?」
「それは……」
「ほら、答えられないんだろ? もういい加減に――」
「私なんか放っておいてください! 私にはもう失う事しか出来ないんだから!」
彼女は感情が一気に高ぶったのか大声を上げた。
それに反応して僕もカッとなってしまう。
特に“失う”その言葉に自然に僕は反応した。
「じゃあ聞くが、君は実際に何を失うんだ?」
「え?」
「夢か? 家族? 友達? それとも命?」
「何を言って――」
「答えろよ」
「澄川君?」
自分でも何故こんなこと言ったかよく分からなかった。
本当、浅野に会ってから分からない事だらけだ。
自分のペースは乱されるし、かけてもらった暗示は解けるし、滅茶苦茶だ。
だからなのか僕は素直に疑問を吐き出してしまう。
「教えて欲しいんだ。僕は多くのモノを失った人を知ってる」
もちろん皐月を指しての言葉だった。
僕から見れば、浅野は体にハンデを抱えている以外満たされているじゃないか。
彼女を心配してくれている親や友達もいる。追って来る悪奴等もいない。
なによりこうして自由に外を歩いている。
「その人に比べて君はどう考えても何も失っていない」
「私が甘えているとでも言いたいのですか?」
「別に……僕が言いたいのはそんな事じゃない」
なんだか論点がずれてきた気がしないでもない。
上杉だ吉川だとか、ひいては皐月のことを引っ張り出してはいるが、結局のところ僕が知りたいのはあくまでも自分自身のことだった。
今現在、浅野を殺さず助けようとしている。
その答えは行動してみることで判ると思っていた。
ついさっきまでは……
死ぬと言いいながら何かを僕に訴えかける浅野。
それを疎ましいと思いながらも付き合っている僕。
――何となく判った気がする。
そうか。
そうなんだな。
僕も彼女はきっと……
もう何も聞く必要が無くなった。
今の浅野を見て分かった。
それは実に単純で馬鹿げた事だった
「浅野、もうこんなこと止めよう」
「……は?」
「だってさ、ホントは僕のことなんて好きじゃないだろ?」
「……は?」
「判ってるんだろ?」
「何がですか?」
まだ気づいていないのか?
それとも気づかない振りをしているのか?
もう判っているだろ、僕も君もきっと好きでたまらないんだよ。
「浅野は生きてるっていう現実が好きなんだよ」
「――っ!?」
分かった事。
それは皐月にしろ浅野にしろ……僕にしても……
ホントは自分を取り巻く世界全てを肯定したかったんだ。
でも、それが出来なくて。
否定して、拒絶して。
素直に“生き続けたい”って言えなくて……
だから浅野には言って欲しい。
生きる事を肯定して欲しい。
眠り続けている皐月と人を傷つけすぎた僕には、もう出来ないから。
それが僕の望む事だった。
「私……私……どうして……あぁ……」
浅野の瞳から涙がこぼれた。必死で両手で拭おうとするけど、涙は大粒となり頬を伝っていく。
僕はゆっくり浅野へ近づいた。
「さぁ、帰ろう」
差し伸べた僕の手を浅野はしばらく見つめていた。
やがて、涙をぬぐうのを止め、両手で僕の手を掴んだ。
「うん……」
握り締めた手は力がこもってなかった。体はもう限界らしい。
僕は再び彼女を背負うと山のふもとへと急いだ。
背中へはさっきよりも重みを感じることが出来た。
しっかりと浅野が僕に身を預けてくれた証拠だった。
キャンプ場に戻ると多くの人が集まっていた。上杉たちが連絡したのだろう。
浅野を背負った僕を見つけると、あらかじめ呼ばれていた救急車へ促され、病院へ連れていかれた。
僕は行くつもりは無かったのだが、成り行き上僕も病院へ向かう事になった。
病院へ着くとすぐさま薬の投与が行われていた。
しばらくその様子を眺めていたが、浅野の両親が駆けつけたところで僕は交代するように病室から出た。
薄暗く誰もいない受付ロビーに行くと適当な椅子に腰掛けた。
「澄川!!」
呼ばれた声に振り向くと、そこには上杉が立っていた。
「美世は何とか大丈夫みたい。まぁ、一日で見つかったのは運が良かったよ。ありがとう」
「別に僕はたいした事はしていない」
「そりゃ、そうだ――」
その直後、乾いた音がして、僕の頬に痛みが走った。
「ムカつく。全部、お前のせいでこうなったんだから」
「……否定はしない」
少しの沈黙の後、上杉はポツリと言った。
「何で好きでもないのに美世にキスなんかしたの?」
「知ってたのか!?」
この言葉を受けた瞬間、上杉は僕の胸倉を掴んだ。
「答えになってねぇんだよ! あの子がキスぐらいなんとも思わないような子だとでも思ったのか!!」
「いや……」
僕は答えることが出来なかった。
「人の感情を馬鹿にするんじゃねぇよ!!」
「してない!!」
「っ!?」
瞬間的な感情が僕を怒鳴らせ、自分で自分の声に驚いてしまった。
しかし、そのお陰で気付いてしまった。
僕はもう戻れないのだ。
「馬鹿にしてたら……僕は出てこない」
「何のこと?」
「もういい」
三つの人格に隠れ、心の奥にいたはずの僕。
もう表に出ることが無いと思っていた自分。
その僕を引っ張り出したのは浅野とのキスだった。
彼女は僕の「皐月との思い出で無かったもの」を補完したのだ。
確実に僕の心は動き始めていた。