第24話 「扉の向こう側」 (澄川正宗・過去編)
皐月と最後に会って6日になる。
情けない話だが、今日も僕は公園へ来てベンチに座っていた。
今にも「ごめん、ごめん。忘れとったわ」とか言ってここへ来るように思えた。
既にここについてから5時間を過ぎていた。
僕はゆっくりとベンチから立ち上がると「今日で最後にしよう」と思い公園を後にする。
そして明日もここに来るのだ。独りだということを認めたくないから。
次の日は雨だった。諦めるのには丁度いい。僕は家に居ることにした。
しかし、それがいけなかった。僕は両親に呼ばれ、二人の前に立たされた。
「瑞樹、そろそろ決めてくれないか?」
「…………」
僕にはこういう現実しか待っていない。
「瑞樹、母さんに付いて来るんだったら今のうちに決めなさい。二学期の初めから転校した方がいいでしょ?」
「おい、瑞樹はお前についていくなんて一言も言ってないじゃないか!!」
両親は口論を始めた。激しくののしりあう二人。
しばらく僕はそれをただ他人事のように見ているだけだった。でも、少しして何かが心にこみ上げてきた。
僕は堪らなくなって雨の中へ飛び出した。
普段、傘も差さずに走る人は傘を忘れた人だけだと思っていた。
でも今僕は雨にうたれるために走っている。
行き先なんてない。はずだった……
しかし、気が付けば公園にいた。そしていつものようにベンチに座る。
おそらく両親は別れた後、独りにならないために“慰安”と言う存在の僕を奪い合ってるだけなんだ。
だったら、僕はどうなんだ?
……どちらかについていく事でなくしたピースは埋まるのだろうか?
ふと皐月の言った事を思い出す。
『あーあ。雪降らんかなぁ……』
夏には雪は降らない。夏に降るものそれはどしゃ降りの雨だった。
雨は相変わらず降っている。僕には雨音しか聞こえない。
こんなにふらふらなのに……
そばには誰もいないなんて……
独りって厄介だな……
周りの流れに僕だけ取り残されベンチに座っている。
僕の頬を涙だか雨だか分からないモノが流れた。
……情けない。でも、どうにもならない……
俯いていた顔を上げ、雨を顔全体に浴びたその時……雨音とは違う音が僕の耳に入ってきた。
それは不規則だが確かに足音だった。
僕は音のする方向へ目を凝らす。
「なんや……自分に浸っとるのか? ……アンタらしいな。このカッコ付け」
忘れたくても忘れられない声。
僕は答える。
「お前こそ一週間も約束をすっぽかしやがって。覚悟はできて――」
彼女の姿が目に入った途端、僕は言葉を失った。
「どうしたん? せっかく私が会いに来たったのになぁ……」
「!!! ――お前!?」
やがて見えてくるシルエットに違和感を覚え、さらに近づくごとに分かる実物に僕は驚愕した。
引きずる足。
切り裂かれた服。
そこから見え隠れする無数の痣。
数日前の姿が、そこにはなかった。
僕が自分の姿に驚いている事に気付いたのか皐月は立ち止まった。
「……ははは。やられてもーた……」
「誰に……」
「なぁ、瑞樹も一緒に笑ってさ……」
「笑えるかよ……」
彼女はそのまま膝を折った。
だけど、僕は怖くて近づけない。
「お母さんの所に行ったらなぁ。意外に暖かく迎えてくれてさぁ……お菓子とかお茶とか出してくれたんやんかぁ」
髪の先から雫が落ちる。
彼女の口調には幸福感はない。
「でも、なんか“あの人”はよそよそしくて……まぁ、何年ぶりかに再会したんやからしょうがないなぁ、って思ってたんやんか……」
雨は相変わらず降り続き、雨音に混じりながら彼女の声は途切れ途切れに聞こえてくる。
「そしたら少しして家の前に車が止まってな、凄い人数の男が入ってきて、私を押さえつけるんやんか」
「なっ!?」
「“あの人”……ただ、私を見て『ごめんね、ごめんね』って……その時ようやく分かってなぁ……『あっ、私、お母さんに売られたんや』って」
俯いた顔からは口元しか伺えない。
その口元とは薄笑いを浮かべていた。
「そんで車に押し込められて、どっか分からん所に連れて行かれたわ。なんでやろ? って思ってたら、そいつら私の持ってた薬を追ってきた連中やった。自業自得やな」
「――止めろよ」
「それからボコボコにされて、薬打たれて……そんで、そんで……そいつらに……」
「もういい!! それ以上言うな!!」
僕は彼女に駆け寄り抱きしめた。
こうする事で彼女を慰められたらと思ったから。
ドラマなんかでよくあるシーンだ。僕はそれに倣った。
それしか思いつかなかったから。
しかし――
「嫌っ!!」
彼女は僕を突き飛ばし、自分で両肩を抱き震えた。
「ゴメン。触れられるのが……怖くて……」
「えっ……」
その震え方は尋常ではなかった。
拉致したヤツラのした事の酷さが僕にも伝わった。
「監禁されるとな、時間の経過なんて分からんくなって……違うなぁ。こんなこと言いたいんじゃなくて……それよりもお母さんに見捨てられて、私ホントに独りなんかなぁ……もう死んでもええわって思った……」
「皐月……」
「でも……でもな。その時に瑞樹のこと思い出した。そんでアイツ等の隙を見て、ここまで来たんやんか……」
僕達は辿った経過にこそ違いはあれ、同じだった。
彼女も僕も独りになってここを目指したのだ。
「なぁ、瑞樹。私……私……汚れてるなぁ。どんどん汚れて……真っ黒や」
「そんなこと――」
「……助けて」
「何言ってるんだ……お前らしくもない。がん――」
僕は『がんばれ』という言葉を飲み込んだ。
恐らく言っても意味がない。
僕らはお互いを必要としてここに集まった。
だけど、言葉ではもうどうにもならないし、彼女に触れる事も出来ない。
こんなに間近に居るのに何も出来ない。
僕だって……助けて欲しいんだ……
その時、彼女から出た言葉はものすごく僕の心を揺さぶった。
「もう……私を……殺して」
僕はもう何も出来ないはずだった。
でも、これは彼女から言ってくれた“して欲しいこと”。
扉は少し開かれた。
扉の隙間から漏れる光は妖しく僕を照らす。
そっと近づき、ノブに手をかける。
扉の向こう側にはきっと救いがあるはずだ。
そして僕は扉を開いた。
扉から見えたもの……
それは決して見えないはずの……絆だった。
気付くと僕はナイフを握ってた。
しかし、刃の部分が見えない。
先へと辿っていくと誰かの体に行き着いた。
そのまま上へと目線を辿り見えてきたものは皐月の顔だった。
「それでええ。ありがとうな……」
彼女は目を潤ませ懸命に笑みを作ろうとした。
しかし、痛みからかその顔はすぐに歪んだ。
「はは……やっぱり、ちょっと……痛いかなぁ……」
彼女は手を伸ばし僕の頬を包んだ。
そして僕はナイフを抜き、もう一度刺した。
頬を包んでいた手は地面へと落ちる。
刺しては抜き刺しては抜く。その動作は何度も続いた。
何も考えていなかった。ただ繰り返すだけ。
自分でも分からないぐらい繰り返し再び腕を振り上げた時、彼女が初めて会った日に言った言葉思い出した。
『心中しよか』
ずいぶん前のことだけど、僕は心の中で返事をした。
『うん』
最後の仕上げに自分のノドに向かってナイフを向け、一気に突き刺そうと振り上げた
しかし――
「――っ!?」
「そのぐらいしとけ。今病院へ連れて行くから」
誰かが腕を掴んで僕の腕は寸前で止められていた。
僕の腕をつかんだ主を見る。
背の高い大人の男だった。
そして、この人もまた傘をさしていなかった。
「まったく……やっかいなことだ」
そう言いながらため息をついた男は彼女を抱き上げた。
雨は既にやんでいる。
これが真田先生との出会いだった。