第23話 「真夏の雪」 (澄川正宗・過去編)
あの日以来、僕らは毎日のように公園で会うようになった。
約束なんかしてない。でも、気付けばここに居る。彼女も同じだ。
そしてまたお互いに新しい傷を作る。今日も腕には幾筋の血の跡が残っていた。
「でも、瑞樹。ナイフ使うの上手くなったなぁ」
「これだけ毎日やっていれば、嫌でも上手くなる」
それだけじゃない。ヘタに切ればそれだけ治りも遅くなるから皐月をなるべく傷つけずに綺麗に切るかを僕は練習していた。
これは他人から見れば明らかにどこか狂っている行為なのだろう。
でも、彼女はそれを認めてくれた。
「もう、瑞樹以外には任せられんわ。私の専属カッターな」
「アホだろお前」
「えへへ」
「……照れる所じゃないぞ」
皐月は夜空を見上げながら呟く。
「あーあ。雪降らんかなぁ……」
「降るわけ無いだろ」
僕もいつものように突っ込んでみる。僕ら2人の関係はそんな感じだ。
「私、星空ってあんまり好きじゃないんやんか……」
「話が見えないぞ」
「だってなぁ……星って上で輝いてるだけで私に何にもしてくれへんやんか。でもな、雪はなぁ、私のところまで降りてきてくれるやんか。結晶って綺麗やで」
「……そうだな」
皐月がどういう意図があって言ったのかは分からないが、その言葉は今の僕らをあらわしていた。
彼女はあの日から母親の家を訪ねる訳でもなく、かといってこの街を離れる訳ではない。
僕もあの日から両親どちらについて行くか決めかね、結論を先送りしている。
僕らは結局自ら行動する事を避け、幸せが何処からか降ってくるのを待っているだけなんだ。
でも、夏には雪は降らないし、僕らにも幸せが降ってくるわけが無い。
だから僕らは今日も傷跡をすり合わせる。これ以上の関係ではないけれど、これ以上の関係もない気がした。
「最近な、常連になった客が日に日にやつれていくんやんか……私、そんな人からお金取って暮らしてる。今日も焼肉食べたし……最低やな」
彼女は薬を売る仕事があまり好きではない。よくこんな愚痴もこぼすようになった。
「皐月……生きていく為には仕方ないだろ。ああいうのはお前だけじゃなくて買うやつも悪いんだよ。お前だけ責任感じる必要は無い」
僕は知ったような口をきいた。
情けないけど僕は今まで両親の仲は悪かったが、所謂“普通の生活”を送ってきた、ただの中学生だ。
分別の付いた大人のような気の利いた言葉は出てくるわけがない。
だから今まで僕は精一杯大人のフリをする事でなんとか体裁を整えてきた。
皐月にはいつも元気でいて欲しい一心で。ただそれだけだ。
「ありがとな。少しだけ楽になったわ……」
「……よかった」
この言葉を真に受けていいのだろうか?
僕は少しうれしかった。
「でもな、アンタちょっとキザやで」
「うるさい。お前だってもう結構ここに居るんだから、いい加減その大阪弁もどきをなんとかしろ」
「何言っとんねん!! 大阪弁モドキ言うなや!! そんな事言うのはこの口かっ」
「痛い! 痛い! 痛い!! 頬を引っ張るな!!」
「うるさい!! 誰が中学生ごときに慰められるかい!!」
こんな事を繰り返すこと一ヶ月。僕らは過ごしてきた。楽しかった時間。
現実から逃れられる時間。僕らはお互いのシェルターだった。
そんな時間も終わりが来る。判りきった事だったけれど……
皐月は足を投げ出しバタバタさせながら僕に言った。
「あーあ、このまま夏が終ったらどうしょうなぁ」
「このままでいいじゃないか。別に困る事は無いだろ?」
皐月は足を動かすのを止め、力なく笑った。
「困る事だらけやん……」
僕らは黙り込んだ。
何を言うかは僕の中で既に決まっていた。
おらく彼女も誰かが背中を押してくれるのを待っているのだろうと思う。
言うなれば僕は雪だった。
だから僕は雪を降らせることにした。
「この前は外から見ただけなんだろ? だったらもう一回、母親に会いに行ったらどうなんだ? 手紙でもお前を引き取りたいって言ってきたことだし」
彼女は僕の顔を少し見る。
嬉しさ半分、悲しさ半分の複雑な彼女の顔。
そしてゆっくりと俯いた。
「でも、あの手紙2年前のやし……もう忘れとると思う」
「行くだけ行ってみろよ。なんなら僕もついて行ってやろうか?」
彼女は首を振った。
「ええわ、自分で行く。……何だかんだ言っても結論は欲しいし……」
「だな」
「よし! 思い立ったが吉日や!! 今日はもう遅いし、明日早速行く!!」
そう言い放つと皐月はベンチから立ち上がりガッツポーズをとった。
「でも、これだけは約束してくれ。結果はどうあれ明日もここに来るって」
僕らは初めてここに集まる約束をした。
僕がそうしないと不安だったからだ。
それに僕の降らせた雪は彼女にとって綺麗な結晶だったのかどうか知りたいという気持ちもあった。
「え? ……うん。ええよ」
彼女はすこし戸惑ったような表情を見せたが、すぐに頷いた。
「それじゃあ明日。また会おうな」
僕はベンチから立ち上がると足早に公園を去った。
『彼女はきっと来ない』そう思ったから。
このまま公園にいたら『行くな』って止めてしまいそうだったから。
そして次の日、彼女は来なかった。