第2話 「開かずの教室にて」
無視するか、関わりあうか。それは大した問題ではなかった。
それは「無視する」に決まってるから。今出て行っても宿直の先生が来るに違いない。
この階は右端と中央に階段があり、教室は7つある。私がいたのは4つ目の中央の階段前の教室。だから、私の教室を通らなければ奥には行けなかった。
確か今日の宿直は真田だ。
30過ぎの若い先生だが、どこか覇気がなく陰気な感じがする、私の嫌いなタイプの人間だった。
私は暫く寝そべったままジッとしていた。
だが、何時までたっても真田は廊下の前を通過しなかった。
私に悲鳴が聞こえるぐらいだから、この階にいるには違いない。
私はとりあえず立ち上がる。服のほこりを払う。
「確かめるだけ、確かめるだけ。そういうアレかもしれないし……」
単純な好奇心からだった。夜の学校でこういう事はそう簡単にはないし。
夜の廊下は暗く、ひんやりしていた。教室とはまた違う雰囲気だった。
教室を出て、さっきの二人が向かった方向の2つの教室の前を通り過ぎる。
人の気配は無い。私は立ち止まった。
「まさか、あの教室なわけないよね……」
この先教室は後、1つしかない。
だから、普通に考えればあの教室にいるはずだった。
しかし、その教室が大問題だった。
そこは、少子化によって閉鎖された教室――というのは建前の「開かずの教室」。
話によれば3年ぐらい前にそこで生徒が惨殺された……らしい。
だから、3年間、閉めたままの教室のはずだった。
ハッキリ言って行くのヤダ。
私が躊躇していると教室内から物音が聞こえた。
――確実にこの中にいる。
さらに教室の扉が少し開いてるのに“不覚”にも気付いてしまった。
「何で開いてるの……これじゃあ見たくなるじゃない」
怖いのと好奇心、秤にかけてみた。
……でも、どちらかに傾く事はなかった。
それは、声が聞こえてきたから。
さらに飛び込んできた言葉。
「まだ壊れるなよ。ジワジワと殺してやるからな……」
私は動けなくなった。
「んぐっ……んんっ!」
何か呻いている声が聞こえる。口が塞がれているのか、その声は私の耳には届かない。
続いて、何か鈍い打突音。
その度に大きなうめき声が聞こえた。
暴行!? ――殺されてる!?
扉の先で行われている事を想像したくはなかった。
でも、自然に頭に浮かんでくる。
……帰ろう。
私の足は後ずさりを始めた。
一歩……
二歩……三――
「ひいっ!?」
何かが私の背中にぶつかった。
どっ、どうしよう……
でも、なんとかしないと。
私は意を決して恐る恐る振り向く。
ゆっくり見えてくる人影。
「さ……真田……先生?」
そこには今日、宿直の真田が立っていた。
見知った顔に私は安堵する。
「誰だ?お前は? ここの生徒か?」
「え? ……はっ、はい。2年4組の上杉亜衣ですっ!!」
と慌てて答えたものの重要な事に気付く。
「それよりも、先生!! た、たいへ――」
すると、真田は私の口を手でふさいできた。
突然のことに私は驚く。
「んぐっ!」
「今は黙ってろ。折角のショータイムが終ってしまう」
「っ!?」
私は口を塞がれたまま押されるように、「開かずの教室」へと進んだ。
これがあの冴えない真田?
私は必死に足を止めようとするが、男の力には叶わす、前に進んでしまう。
そして、扉の隙間の前で止まる。
「!!」
私は息を呑んだ。
隙間から見えたもの。
それは女性に馬乗りになった男が、何度も何度も刃物で体を刺している場面。
振り上げるナイフは血に染まっていたが、振り上がるごとに月夜で光った。
さらにその男は私に見間違えが無ければ……
「いつ見ても澄川の殺しは美しい」
私の頭上で真田は呟いた。
それは夕方、有希の話に出た澄川正宗だった。
「……純粋だ。アイツの殺しには混じりっ気が無い。感想はどうだ?」
「えっ……」
「お前は人が見たくても見られないような場面に出くわしているんだぞ」
女性は傍目から見てもすでに絶命していて、刺されるごとに衝撃で体が動くのみだった。
人がこんなにも無機質に見えたのは初めてだった。信じられない。
しかも、月夜に光る血まみれのナイフが見せる怪しい光を見て不覚にも綺麗だと思ってしまった……
私は良く分からない感情のまま涙があふれ、その場で膝から崩れるようにしてしゃがみ込んだ。
聞き間違いじゃなければ、真田は「いつ見ても」と言った。
快楽殺人、サイコパス。そんな言葉が自然に出てくる。
人を平気で殺す人。
これはもう私たちとは種類が違う人間だ。
そんなことを考えてる私を無視して、真田は扉を開けた。
「澄川、その辺りにしておけ。そいつはもう死んでる」
しかし、澄川はそれを聞かず、まだ刺し続けていた。
彼の姿はその行為の善悪を除けば、一生懸命そのものだった。
それ以外何も見えていない。
真田はそんな澄川に歩み寄り、蹴りを入れる。
そのまま彼は後ろに吹き飛んだ。
「いい加減に目を覚ませ、澄川」
すると澄川は暫く動かなかったけど、少しして起き上がった。
殺人者にこんな事するなんて! 真田は何を考えてるの!?
私はまた殺人が行われるのではという危険を感じた。
相手は殺人鬼だ。何をするかわからない。
澄川は立ち上がり、真田を睨んだ。
「誰かと思えばアンタか。邪魔しないでくれないかなぁ」
「こっちも早く処理を済ませたいんでな。遺体が傷むのをアイツ等は嫌がるんだ。特に臓器は大切にしないと」
「それなら大丈夫、心臓しか刺してないから。今回は要らないんだろ? 心臓」
私の心配をよそに二人は普通の(内容は普通じゃないけど)会話をしていた。
そういう私も涙を流しながらへたり込んでいるものの、この状況を普通に見ている。
子供の頃、泣きながらも冷静に相手の反応を伺っていたあの感じに似ていた。
そんな私の存在を澄川はようやく判ったらしく、こっちを見てきた。
「……誰?」
「はぁ?」
色々な意味でショックだった。
私は知っているのに、澄川は私のことを知らない。
それを見ていた真田はやや呆れ顔で私達を交互に見る。
「なんだ、知らないのか? 確か2年4組らしいぞ。お前と同じクラスじゃないか」
「……それはオレの領域じゃない」
「言い訳か? クラスで目立たない澄川君」
「で? どうするんだ? コイツも殺るのか?」
「っ!!!!?」
「そうだな……」
真田は私を一瞥すると、すぐに澄川の方へ振り向いた。
「お前が殺ればいい」
「なるほどね」
「!!」
私は改めて自分の立場を理解した。(したくなかったけど)