第13話 「綺麗だと言ってくれたから……」 (浅野美世編)
授業が終わり、皆がそれぞれの場所へ向かいます。
私も私の場所へ向かうはずです。他人事みたいだけど……
「美世ちゃん、少しの間我慢してね」
馴染みの看護婦さんなら私のことを浅野さんじゃなくて美世ちゃんと呼びます。小学生からの付き合いだからです。
その看護婦さんはいつものセリフを言うと去って行きました。私は一人でこの部屋にいます。診療時間はとっくに過ぎているので、人は全然いません。
このまま何時間かは動けないです。左斜め上を見ると幾つかのビニールの容器に入った液体状の薬が3つぶら下がっています。
それは私の命を繋ぎとめているものです。
私の内臓は壊れています。
こうして週1回病院に来て点滴による薬の投与を受けないと、上手く内臓が働いてくれなくて私は死んでしまうかもしれません。
悲しくはないです。そういう時期はもう過ぎました。
ただ、点滴を受けているこの時間は少し寂しいです。
それでも昔は少し荒れていました。
母親に「死にたい」といってしまった事もあります。
母親は凄く悲しい顔をして「何バカなこと言ってるの!!」といって私の頬を叩きました。
頬をさすりながら母親を見ると、涙を流していました。
それを見てもう少し生きてみようという気になりました。
周りの人は私に気を使ってくれます。励ましてもくれます。
私もそれに答えるように頑張ります。
それでも“私はいつでも死ねるんだ”という意識も同時に持つようになりました。
多分、私が死んでも世界は続いて行くんだろうな……
何か嫌だなぁ……
一年生も終わり頃、私はいつものように数時間の点滴を終え、帰ろうと病院の廊下を歩いていました。
学校が終ってからの点滴なので、すでに面会時間も過ぎ、廊下にも人はほとんどいません。私は足早に帰っていました。エレベーターのボタンを押すと暫くしてエレベーターの扉が開きました。
その時、エレベーターを降りてきた人が目に飛び込んできました。
あれは確か……同じクラスの……澄川君?
実は澄川君の事はあまり知りません。もちろん仲良くもありません。
でも、クラスに馴染めず一人でいる澄川君を見て“似てるな”と思っていました。
私は病気の関係であまり皆と遊べませんでした。病弱な私を皆が避けていた事もあり、毎年新学期始まって3ヶ月もすると学校では一人になっています。(もちろん今は有希ちゃんや亜衣ちゃんがいますが……)
だから何となく澄川君が気になっていたのです。
今私がいるのが7階です。
澄川君をココですれ違うという事は7階に用事でもあるのでしょうか?すれ違った澄川君を見ていると彼は階段の方へ歩いて行きました。
私は不思議に思いました。エレベーターで来たのにわざわざ階段でいくなんて……
階を間違えたのかな?
……いや、違う。それならまたエレベーターに乗ればいいはずです。
それにこんな遅い時間に病院にいること自体おかしいです。
いつもの私なら別に気にせず帰るところだけど、その時何故か追ってみようという気になりました。
それに理由がありました。
1つだけ階段を使う意味があるのを思い出したからです。
それは……8階へ行くためです。
この病院は8階建てなのですが、案内板に表示されているのは7階までなのです。
噂では8階は有名人や政治家などの“普通に入院できない人”のための階だというのです。
澄川君を気付かれないように追っていくと、予想通り「関係者以外立ち入り禁止」の看板を潜り抜けていきました。私もあとを追い、8階へ向かいました。
8階へ上るとそこは他の階と変わらない病棟でした。
この階も既に消灯がなされて薄暗いです。
広い廊下の中、澄川君は一人、病室を前に立っていました。
澄川君が立っている病室だけ変です。壁がガラス張りなのです。
最初は集中治療室かなとも思いましたが、違うみたい。これじゃあ病室が丸見えです。
澄川君も澄川君で、両手をガラスにつけて覗き込んでます。
まるで……おもちゃ屋のショーウインドーを物欲しそうに見る子供のようです。
私は思い切って澄川君に近づこうとしました。
しかし、それは叶いませんでした。
私が一歩踏み出した時、澄川君が突然ガラスを叩き出したからです。
何度も何度も激しく、狂ったようにガラスを叩きます。
「皐月!!今すぐオレが殺ってやるっ!!くそっ!!何で開かないんだ!!」
彼のすさまじい勢いに私の足はすくんで動けなくなりました。
そのうち何処からか看護士の人たちが来て彼を取り押さえました。その後、ぐったりとなった彼は奥の方へ運ばれていきました。
こうして8階はまた静かになりました。私も何とか気持ちを整え、前へと進みました。 彼は何を見ていたのでしょうか?気になります。
さきほど澄川君がいたところまで来てみると、ガラスを隔てた病室にベッドが1つだけあり、そこには誰かが寝ていました。
よく見ると綺麗な女性でした。
「……人形みたい……綺麗……」
その美しさに私は思わず呟いてしまいました。
怖いぐらいに白い肌、それとは対照的に赤い唇。髪も黒くて長く、月明かりに照らされた艶がなんともいえません。
彼女は穏やかに眠っています。私とは違う種類の人間のように感じました。
それとは対照的にたくさんの管が彼女の体から出ていました。心電図を表示する機械が定期的な波形を作り出しています。
私は思わず時間を忘れて眺めてしまいました。
だから自分にかけられた声も最初は聞こえませんでした。
「君は誰?」
背後から聞こえた声に私はようやく我に帰りました。
とっさに振り返ると、さっき運ばれていったはずの澄川君がいました。
「あっ、あの……私は……」
私は気が動転していて上手く言葉が出ません。
「その制服、ウチの高校……」
焦った私は澄川君の言葉に必死になってしがみつきます。
「そ、そう!!私、浅野美世って言います! 同じクラスなんだけど……知らないよね?」
「うん。悪いけど知らない」
分かっていた事とはいえ私は落胆しました。
しばらく、沈黙が続きました。私は必死に言葉を探します。
しかし、何の言葉も浮かびません……視線を合わせるのが怖くなって私は横を向いてしまいました。
その時丁度、病室の女性が目に入りました。
「あの女性は澄川君の知り合い?」
「うん」
「綺麗だね」
「うん……」
「……好きなの?」
私は言葉の勢いとはいえとんでもない事を口走ってしまいました。
「ご、ごめんなさい。私、変な事を……」
「好きだよ」
「え?」
「言葉では言い表せないぐらい好きだ。世間ではそういうのを愛してるというのかもしれないね」
澄川君の視線は私じゃなくて明らかにガラスの向こう側に向けられています。
私に答えたのじゃなくて、あの女性に向けたれた言葉だと分かりました。
何か入り込めない絆のようなものを感じます。
「浅野さん、この事、他の人には内緒にしてもらえないかな」
「うん。わかった。もともと言う人もいないし」
「ありがとう」
「あの、それで……」
私はほんの少し勇気を出した。
「また、ココへ来てもいいですか?」
それを聞いて澄川君は少し考えたあと答えてくれました。
「彼女にだったらいつ会いに来てもいい」
「本当に!?」
「彼女を綺麗だと言ってくれたから……」
「ありがとう!!」
私は嬉しくてたまらなかった。