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Whenever, Forever 五(終)

五章+エピローグだと思ったら五章が終章だったんだな.



 どうやら、私は紫苑と話しながら眠ってしまったようだった。

 腕時計を見ると、変わらず、二〇一八年七月二十日――海の日だ。

 十六時――夕方――生温い風が心地よい、夏の夕暮れ。

 部屋を見渡すと、私の受け持ちの、深結含めて五人――みゆきを含めて六人は、ぐっすり昼寝をしていた。深結以外の五人は、私が眠る前と変わらぬ体勢で。深結は、私が眠ってから、布団に入って眠ったらしい。綺麗に仰向けに――まるで死人のように、眠っている。

 私はこの「昼寝」の時間は読書をしながらこっくりこっくり船を漕ぐのが習慣となっているのだが(といっても普段は長くて十四時には終わっている)、今日は隣り合った紫苑とお互いに肩を枕にしてぐっすりと眠ってしまっていた。

 ……まー、五人無事だったし、いっか。

 それに、思うに、来年から私が受け持つ五人(と我が娘)は小学校に上がるから、そろそろこの時間も廃止しなければいけないけれど。

 と、私が体を起こして首をこきこきと鳴らして眠気眼をごしごしと擦り、ぼんやりとした視界の中、寝起きのそんな思考の渦に取り込まれてきたところで、

「美紀先生」

 と、私を呼ぶ声がした。

「……ん? どうしたの――深結?」

 その声の主は、いつの間にか起床して椅子に座る私の前に移動してきたらしい、Tシャツ短パン姿の深結だった。欠伸を嚙み殺しながら、深結に言葉を返す。

「さっきしたはなしですけど」

「さっきした……ああ、私の本当の家族になる、って話ね。それが、どうしたの?」

 慎重に、冷静に訊きたかったけれど、眠気と興奮で少し声が上擦ってしまった。

「その……いま、ひるねのじかんにかんがえてたんですけど」

 私は、ごくりと生唾を飲み込む。彼は私の目を真っ直ぐに――その純粋な目で見て。

「おことわりします」

 シンプルに、そう言った。

「――どうして、かな?」

 いろいろヒステリックに問い質そうとする心を自制してなんとか飲み込んで、辛うじてそう訊いた。

 彼は、顎に手を当てて少し考えるしぐさをしながらちらりと私から目を逸らし、そしてまた、私の目を真っ直ぐに見つめる。

「その、ぼくに、おかあさんがいる、っていうはなしがありますよね」

「……うん」

 私は、いろいろなものを自重して、静かに頷く。

「さっき、ひるねしたときに、それがほんとうだって、わかったんです」

「……どういうこと?」

「ゆめのなかに、おとうさんとおかあさんがでてきたんです。『そばにはいられないけれど、深結をあいしているよ』って」

 私は嫌な汗をかきながら、無言で彼の言葉の先を促す。

「それだけで――ぼくをあいしてくれる『おや』、『かぞく』がいるというだけで、ぼくは、ここにいるだれよりも、しあわせです」

 彼は、「幸せ」という言葉を使った。

 ――その言葉は、「勝っている」とか「優れている」という言葉で言い換えても間違いではないだろう。

「そして、おかあさんはこうもいっていました」

 と、彼は笑顔で告げる。

「『わたしのあいは、おかねのかたちで美紀にあずけてあるから、すきなときにかのじょにいってね』って」

「……っ」

 あいつら、サイテーだ。





 夕方――じんわりと汗が肌に滲み、寝心地の悪さと習慣から目を覚ます。

 目を覚ます――時計を確認すると、十六時、七月二十日。

 海の日。

 そこは今日引っ越したばかりの私の部屋だった。

 三階建て三階八畳一間で、風呂トイレ別、洗濯機は室内。けれどセキュリティは、一階のオートロック(本人が持つカードキーでしか開かない)と、それとは別の鍵がいるので、まあそこそこ高い。

 まあ、オートロックなんて住民が出るタイミングで入れ替わりに入れば入れるし、部屋の鍵は普通の鍵だ。ちょっと頑張れば、或いはシザーハンズなら開けられるだろう。

 東京だし、もっと安全性――避妊セックスのことではない――とセキュリティが高いところもあるけれど、そうなると家賃が跳ね上がる。ここはセキュリティはそこそこだけれど、家賃もそこそこ。

 引っ越しとか、忙しかったからか、それとも荷物が少なくてあっさり終わったからか、あまり記憶に残っていない。

「あ、ちゃんと戸籍とか住所変更のお知らせをしないとな……あれ、そういえばしたか。なら大丈夫だ」

 口に出して確認。

 白くて綺麗な天井には違和感しかないけれど、それも、すぐ慣れるだろう。

 そして今日も、起き上がって、身支度をして、私は私の戦場へと、出掛ける。



「ちょっとユウちゃん、まだ開店一時間前なのにすごいお客さんだよー」

 私が店のロッカールームから出ると、チョッキ姿のボーイの一人の柏崎くんが目ざとく私を見つけて、なぜか困り顔で言う。おろおろという音が聞こえてきそうなぐらい。

「お客様がたくさんいらっしゃるならとってもいいことじゃないですか?」

 私が当然の疑問を彼に告げると、

「そうじゃなくて、今日発売のこれですよー」

「ああ……それね」

 彼が手に持つそれは、私のインタヴューが載ったゴシップ誌だった。

 そんなゴシップ誌に、信憑性――信じると誰かが憑依してセックスするわけでは――ん――憑依?――ひょうい?――……、……?

 ……なんだろう。なんか引っかかったけれど。

 話を戻して。

 そんなゴシップ誌に、信憑性も何もないことなんて、ゴシップ史を見れば明らかだろうに。

 そんなことを考えて苦笑混じりに失笑して私は。

「でも、それは、店長の許可も取ったし――っていうか店長も指示していたし支持もしていたし。ちゃんと中身のチェックもしたよ」

「そうですけど……」

 うだうだ長い彼の今の言葉を翻訳すると、「僕は今日の電話番で、朝からずっとこの電話応対で大変でした。あなたのせいです」ということだった。

「愚痴愚痴いう男は、もてないよ」

 と、親切心で彼には言ってあげた。

 その後、店長と話し合って、結局開店直後、お客様が全員一通り席に着いてから、釈明――ではないけれど、説明をすることになった。

 そして。

 私は今、大ホールのロフト――というかキャットウォークというか、ステージのような場所で、マイクを持たされ、立っている。

 結局――私のことを問い質したかったお客様は、二十人もいなかったけれど。あ、こういうときにはいつもいるところの谷川さんもいない。……というかあれ? 私、谷川さんから貰った腕時計をどこにやったのだろう? いつも無意識のうちに手首に巻いているのに。

 ……というかあれ、英語でいえば「ウォッチ」であるところのあれは、特徴から名付けるとしたら「手首時計」なのではないだろうか。

 閑話休題。

 大体の人はあんなゴシップを信じていないし、たとえ信じたとしても私の処女性――処女セックスでは――ん?――処女?――しょじょ――……?

 なんか引っかかった――気がしたけれど。一瞬でそれは気の迷いに転じた。

 ……私の処女性を信じてお金をつぎ込んでいる人も、そこまで多くはいないのだろう。

 暗がりに、赤や紫っぽく見える灯。そして、きらきらと輝くミラーボール。少し強めの冷房。

 そんな壇上に、私は立っている。

 マイクは両手で胸の前。小指は立てない。軸の真ん中を持つ。

「えーと、みなさん。本日は開店前からお越しいただいた方もいらっしゃるそうで、ありがとうございます」

 そこで私は頭を下げる。ガヤが聞こえるけれど、ひとまず無視。

「今回は――この中にただ早く来ただけの方がいらっしゃったら申し訳ございませんが――ここにいる方の殆どは私の雑誌でのインタヴューをご覧になって、ここにいらしているのだと思います。誤解をされている方もいらっしゃるかもしれませんが、あの内容は、私が答えていることが本当です。信じてください。――としか、申し上げられません」

 話している間はガヤが止んでいたけれど、そこまで話すとまたどよどよと声が漏れる。

「息子がいるってのも、旦那がいるってのも嘘なの?」

 そう大声で訊ねるのは、見知らぬ誰かだ。その質問で、また周囲がざわざわと湧く。

「――はい、私には旦那も息子も――子どもも、いません。いたらたぶん、夜のお仕事は続けられなくなっちゃいます」

 そこで少し困ったような笑顔を私が見せると、「そんなのいやだ」的な声が湧くと思ったけれど、そこまでではなかったみたいだ。

「これからも、私――ユウと、このお店をご愛顧ください」



 それから来たお客様の何人かにも――十何人かにも、似たような質問をそれとなくされたけれど、似たようなことを返して、今日の仕事も終わり。

 今日は、なんとなく、真っ直ぐ帰りたい気分だった。

 タクシーに乗って、住所を告げる。……こういうところから個人情報が漏れたりするのかな、とちょっと思ったり。

 そんな道すがら、ぼんやりと思う。

 今日一日、疲れたな。うん、疲れた。確かに、一言で表すと「疲れた」、だけれど。

 なんかもうちょっと、昨日の仕事上がりからいろいろとあった気がする。

 ……あ、そうか引っ越しか。引っ越しで疲れたんだね。

 と自分で自分を納得させて、今日は熱いお湯を入れてゆっくり休もう、と帰宅後のことを考える。

「今日はよく会いますね」

 と、唐突にタクシーの運転手のおじさんに声をかけられる。

「……はい、いつもお世話になってます」

 少し考えてわからないときは、この答えが正解だ。

 運転手のおじさんも、「ぎょっ」とさかなくんみたいな顔をしてルームミラーでもう一度こちらを確認しただけで、その後は無言だった。

 そして、タクシーで十五分ぐらいかけて帰宅。

 降りる間際、運転手さんに名刺を渡すためにバッグを開ける。少し大きめのバッグの中には、名刺入れと、財布、手帳、手鏡、メイクセット、ハンカチとポケットティシュー――まだだいぶ内容量に余裕がある――私は名刺入れを取り出して、

「ありがとうございました。これ、私の名刺です。よかったらお店に遊びにきてください」

 と声をかけると、運転手さんは、

「こちらこそ、ありがとうございました」

 と八割事務的な返事してくれた。

「家の場所とかは、秘密にしておいてくださいね」

 と唇に右手人指し指を当ててウインクという「しー」のジェスチャーをすると、

「勿論ですよ」

 と彼は微笑んで、扉を閉めて静かに発進していった。



 ――お風呂のお湯を溜めながら、ぼんやりと思う。

 いつまでも、こんな生活続けていられるのかな、と。

 普段は考えないようにしているけれど、たまに、ふと考えてしまう。

 昼間は眠って、夜は、仕事。

 旦那もいない。

 息子も――子どもも、いない。

 稼いだお金は、食費と家賃とガス代、水道代、電気代――それに衣装代と小道具、化粧品、香水。残りは、自分の口座と……? えーと、誰だったっけ、両親? そう両親の口座に半分こ――通帳の名前を確認したら「金沢潤」だったので、父親の口座だ。

 父親の名前は《人類最強》と同じ名前だから覚えやす――《人類最強》……? じんるい……せかい……さいきょう……? ……?

 なんだろう。なにか、今日あったことに何か関係していたような、いなかったような、

 ……いなかったような。

 もとい。

 そんな――これまでのような、そんな生活を、いつまで続けられるかはわからない――スポーツ選手のように、現役は短いのだ。このまま続けていって何が残るのか、とかを考えだしたら、きりはない。

 きりはない、けれど。考えてしまう。「人間は考える葦である」なんて言葉があるけれど、実に的を射ていると思う。それに、「人間は思惟するものである」なんて言葉もかな。

 ……これも、……? これも、誰かの受け売りだった気がするけれど。学生時代の、高校の倫理か、大学の講義で聞いたんだろう、たぶん。

 人生は――死ぬまで続く――暇つぶし。

 ……なんとなく、一句読んでしまった。

 結局、仕事が生きがいじゃなければ、生きていくための仕事とは別に、生きがいを見つけなければいけないのだ。身銭以外の「お金でやること」を見つけなければ――「生きていくため」の時間以外の暇を潰す方法を、見つけなければ。

 ……これまで、私になにか生きがいのようなものはあったのかな。

 これから、なにか、見つかるかな。

「お風呂が沸きました」

 と、湯沸かし機が告げて、私は立ち上がる。



 湯船にどっぷりと浸かった私は、

「ああ、生き返る……」

 と、ほうと溜息を吐きながら天井を仰ぐ。

 今日はとりま、この熱いお風呂で汗をじっくり流そう。そして今日のこととこれからのことは、一旦考えるのはやめて。

 明日もまた、今日(いつも)となにも変わらない日を、過ごしていこう。

 いつでも――いつまでも。

 私が死ぬ、そのときまで。

 ――風呂場の少しだけ開けられた窓からふわりと吹き込んできた夏の湿った風が、タオルが巻かれた私の頭を優しく撫でて。

 なんだか誰かに、許されたような気がした。


深結という命名はめちゃくちゃ気に入ってるのです.

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