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Whenever, Forever 一(その2)

 仕事終わり、てっぺんを回って――二〇一八年七月二十日、午前二時。今時計を見た。左手につけた、誰かから――ああ、谷川さんから頂いた、高級腕時計。掌側の蛍光の盤を見て、時刻を確認した。

 大通りから一本入った路地裏。ネオンサインが眩しいきらきら輝く本通りとは打って変わって、このあたりは、一本入るだけでぐんと光量が落ちる。

 私はそんな大通りに背を向けて、その路地に立っていた。

 私の目の前には、今日、私を最後に――閉店間際に指名した、お金がなさそうな、里中さん。

「ごめん……ごめんユウちゃん……!」

 涙目で彼は、コンクリートの道に正座をして私に慈悲を請うていた。頬がこけて、会社に使い潰されているんだろうな、という顔。その反動で、酒を飲みすぎて、お腹はぽっこりビールっ腹。

 可哀相な男だと、ぼんやりとした頭で思った。

 ぼんやりとした頭で、もっと詳しく彼を観察すると、彼の右腕に、何か――太めの錐ようなもので刺された傷と、真っ赤な血の跡が、この暗がりの中でも視認できる。

「二度とするな。口外するな。――二度と、私の前に現れるな」

 私の口が、私の意志とは無関係に、私の声とは思えない低い声で、そのような言葉を発した。正確に云えば、私の咽喉が、かもしれないけれど、まあ、細かいことはいいか。

「わかった、ごめん! もう二度としない!」

 彼は悲壮な表情とともに、ふらふらと、しかしながら即座に立ち上がって、そこから離れ、その背中もすぐに見えなくなった。

 ……。

 そう云えば、こんなこと、何度かあった気がする。

 私の家は鍵もただの鍵でセキュリティなんて――ええと、こういうときはなんて言うんだっけ、ああそうそう、「なんでしょうか、それは、おいしいのでしょうか?」だ。何度か家まで突き止められて、押しかけられたこともあったけれど――そんな記憶が、ないわけでもないけれど――その記憶はとっても曖昧で、それにいつの間にか、たった今みたいに男の人が謝っていて、そして、本当にその後、彼らは私に何もしないのだ。

 会うことさえ――遭うことさえ、ない。

 それをなんでだろうと不思議に思うことはあっても、すぐに考えないようにしていた。

 否、不思議に思って、すぐに――忘れてしまっていた。

 そしてそのときはいつも、私の左手には――

「こんばんは。ミセス・ユウ・カナザワ」

 後ろから、透き通るような声がした――すっ、とぼんやりとしていた頭が冴える。

 振り向くと、数メートル先、大通りからこの路地に向かう交差点に、私と同じくらいか、少し小さいくらいの背の少女が立っていた。黒衣の修道服に文字通り身を包み、そのフードから僅かに零れる髪色は紅、瞳も同じ色。まだあどけなさの残る顔立ちだけれど、ただ、整っている。そしてその黒衣の胸には、首から下げられた、十字架。

「わたくしは、インディゴ・インスキエンティス・インテレクトゥス――ヴァチカン出身の、聖職者です」

 ヴァチカン出身とまではわからなくとも、一目見れば聖職者だということは瞭然だ。

「あなたは、ミセス・ユウ・カナザワで、お間違いありませんね?」

「……はい」

 その敬語からなんだか刺々(とげとげ)しさを感じて、いつにもなく慎重に応対する。

「よかった」

 そう言って彼女は、ほうと一つ溜息を吐いて、安心したように、年相応の――と云ってもまだ年齢を聞いてはいないけれど――しかしながら全てを許してくれるような慈愛の籠もった微笑みを、誰にともなく――私にともなく、向けた。

 そして、続ける。

「わたくしは、〝藍〟=〝幽霊(ファントム)〟、という色をもっています。一応、この名乗りはトップ命令ですので」

 そう前置きならぬ後置きをして彼女は言うけれど、私にはさっぱり意味がわけわかめである。

「……それは、そうですよね。意味不明なのは承知の上です」

 彼女は私の心を読んだように――と云うより実際には私の怪訝そうな表情を読んだにすぎないのだろうけれど。

「端的に言うと、わたくしは『祓魔師』――エクソシスト、といったところです」

 エクソシスト……どこかで聞いたような――

「ああ、ディーグレ――」

「似たようなものですけれど非なるものです」

 ヴァチカンだし?

「じゃあ青の――」

「それも似ていますが非なるものです」

 色も近いし?

「……埒があかないので端的に言いますが」

 と、今度は呆れの溜息を吐いて。

「わたくしはあなたに憑いた悪霊を――もっと正確に言うならあなたが左手に握っているそれに憑いた悪霊を、調伏しに参りました」

「それは……」

 それは、ここではない。ここは新宿だ。

「……『調伏し』って『調布市』と言い間違えたわけではありませんからね」

「……」

 猛烈に恥ずかしい!

「『調伏』というのは、大雑把に言えば、霊を祓うってことです」

 「正確に」とか「端的に」言うのが癖であり特性である人に「大雑把に」言わせてしまった!

「……恥ずかしがって両手で顔を抑えていらっしゃるところ悪いですが、もう一度言わせていただきますと、そのあなたが左手に握っているそれに憑いた悪霊を、調伏しに参りました」

「……」

 言われて私は、顔から掌を離し、再び自分の左手を見る。

 ――半分から先が折れてなくなり、鋭く尖ったフェンシングの剣。私が握っているのはそれだった。

「これは……」

 これは、七年前、(ナオ)を殺さしめた、彼自身の剣だ。

 事故。

 極々稀だけれど、フェシングにおいて折れた剣が刺さって最悪死ぬ事故は、起きる。

 彼らが着る、ケブラー繊維のユニフォームが、或いはマスクが、老朽化によって穴が開く、そこまでいかずとも生地が弱くなって、そこから剣が入り込み、皮膚を、筋肉を、突き破る。剣が折れてその鋭利さが増せば、その危険度は増す。

 ただ、それが自分の剣となれば話は別だ。

 試合中――インターカレッジ・決勝。

 最後の試合――最期の試合。

 両者の身体(しんたい)が極端に近づく接近戦――彼は左腕を小さく折り畳んで、肘を肩まで上げ、剣先は相手に向いていた。そこで彼は相手に自身の剣を叩かれ――その剣は折られてしまった。

 彼の剣は折れ、ただそれでも体は剣で以て突く動作をすぐには止められない。

 彼の相手は彼が突かんとする剣を自らの体から逸らさんとし、彼の折れた剣に自身の剣を合わせる。弾かれた彼の剣は、相手を突き刺さんとする勢いそのまま鋭利な剣先を逸らされ、それは、

 ――自身の頸動脈を、そしてそのまま彼の脳を貫いた。

 弾ける鮮血――踊る血飛沫。

 瞬く間に、彼と相手とピストが真っ赤に染まる。銀色に輝いていたピストは、さながらレッドカーペットのように。

 そして、彼は倒れ。彼の相手は立ち尽くした。

 それはただの奇跡――起こってはならない奇跡だった。

 ……その相手があの股木(またき)くんだったのは、ただの余談だ。

 直は、彼が戦いを強制終了させたあのタイミングでは、圧倒的大差で勝っていた。

 その翌年はオリンピックで、彼は召集も掛けられていたのに。

 運命は悪戯に――徒に、彼を奪った。

 運命のあの日――あの日。七年前の十一月九日。

 二〇一一年十一月九日。

『この試合が終わったら――結婚しよう』

 直は、決勝の前の少しの空き時間に、客席にいる私のもとにやって来て、そう言った。上半身は、触るとざらざらする、ノースリーブのジャケットに、その下には真っ白な長袖を着用して。下半身は、野球部みたいな白のズボンと、白いソックスを穿いて、踝まで覆うハイカットのシューズを履いて。

 ただ、金属のマスク――剣道の面の網目をものすごく細かくしたようなの――と、利き手の左手の専用の手袋(グローヴ)、そして銀色に光るフェンシング用の細い剣は、持っていなかった。ピスト近くに置いてきたそれらは、大学の部活の仲間に見てもらっているようだった。彼らは直を口笛で囃し立てている。

『優勝したら、とかじゃないんだね』

 私が控えめに――喜びを抑えて、そうちょっとした不平を言うと、

『だって――もう待ちくたびれただろ? 子どもができたってわかってから、ずっと結婚雑誌を見てたもんな』

 彼は苦笑いをしながら右手でぽりぽりと頬を掻き、そう言った。

『結婚しよう』

 彼はもう一度、一言。

『指環は……?』

 恐る恐る私が訊ねると、

『ない』

 即答。

『出世払い、ってことで――ごめん許してくれ』

 彼はまだ手袋(グローヴ)を嵌めていない左手と、右手を合わせて少し頭を下げて請う。

『いいよ』

 私は――目尻から、ぽたぽたと、涙を零しながら――微笑んで。

『ありがとう、直。愛してるよ』

 それを聴いて直は、自身の両手で私の両手を優しく――執事がお嬢様にするように――取って、彼は膝をついて、その手の甲に――しかも両手の甲に、優しくキスをした。

『俺も、愛してるよ、結』

 彼はそう言って私を見上げて、微笑む。

 私は彼が優しく握っていた手を逆に取って握り返して力一杯引っ張って彼を立たせて、

 キスを。マウス・トゥ・マウスで。

『――頑張って』

 そんなに長い時間ではなかった、と思う。体感的に。唇を離して、私が彼に満面の笑みで――少し涙を零しながら、泣き笑いで、そう言うと。

『ああ、頑張るよ』

 彼も笑顔でそう言って。私に背を向けて。

『絶対優勝してくるよ』

 彼は――そう宣言して。眩い光の中へと。

 唇に私のルージュをつけたまま、戦場へと――向かっていった。

 そのときは、それが最期のキスになるなんて、思ってもみなかった。

 ――その日は、体育館で、病院で、自宅で、泣き尽くして。泣いて哭いて、涙涸れるまで。

 お通夜も告別式も、なんだか白黒の世界なのにやたらとカラフルな花々の中で直が笑顔でいる写真と、冷たくて少し硬い直の頬と――冷たくて硬い、直の唇の感触としか、記憶にない。

 精進落とし(だったか名前はよく把握していない)でもお酒を飲む余裕もなく――あったとして、妊娠しているから飲めなかったし、飲もうとしていたら私の両親に止められていただろうけれど――美紀や、高校時代の親友や恩師とも何も話せないほどだった。

 ……逆に、その精神状態でその場にいられたこと自体、相当私は頑張っていたと思う。というか妊娠した状態でそんな酒の臭いの充満した場所にいて嘔吐しなかったのは単純にすごかったのか、私の感覚が麻痺してしまっていたのか。

 美紀も――泣いていた。彼女の心情も、推して、知るべしだ。

 そして――この今私が持つこの凶器は。彼の形見の、この折れた剣は。

 私がずっと、あれから肌身離さず「お守り」としてバッグに(しま)っているこの剣は。

 もう今では、彼の血と鉄錆が混ざってしまって。

「それに、その剣の持ち主の霊が悪霊となって憑いてしまっています」

「それは――」

 それはつまり。私は自分の手に目を落とす。

「ここに、直が、いるってこと……?」

 私は、自分の左手が握る彼の剣を指したつもりだったけれど。

 ――私の左手にはすでに彼の剣は握られていなくて。

「はい、ここに――あなたの目の前に」

 そう言われて顔を上げると。

 薄暗い路地裏には――私の目の前には。

 七年前――当時二十歳。その背中。

 ぼさぼさの短い黒髪。紺のスラックスに、ベージュのカジュアルなジャケット。水色のワイシャツ。

「水色の(ワイ)シャツって形容矛盾だろう?」

 彼は――そう言って、優しく窘めるようにツッコむ。

 忘れもしない――彼が死んだ日に、着ていた服だ。

 その左手には、私がさっきまで握っていた剣が――折れる前の状態で、新品同様銀色に光を放っている。

「直――」

 困惑と、歓喜。混濁する――欣喜。

「こんばんは、ミスター・ナオ・オアン」

 そんな私を無視して、インディゴさんは丁寧に――ただ少し発音しにくそうに、直に挨拶した。

「ちょっと待ってね、結」

 直は私を振り向きもせず、私に待機命令を出す。

「直――」

「こんばんは、インディゴ・インスキエンティス・インテレクトゥス嬢。インディゴ嬢とお呼びして宜しいかな?」

 直は、私より先にインディゴさんに挨拶をする。

「ちょっと直――」

「はい、お好きにどうぞ」

 インディゴさんも、私を置いてそう言う。

「変な名前だね」

「……よく言われます」

「そんでもって――」

 と彼は、彼女に――

「そこのでっかいおじ様は誰だい?」

 ――否、全く気付かなかった、たった今、そこに現れたかのように――と云うか少なくとも私にとってはたった今現れた――筋肉質で百九十ぐらいありそうな、素敵なおじ様が、インディゴさんと直の間に立っていた。喪服のような、真っ黒なスーツをむちむちに着こなしている。……筋肉がすごい。髪色も瞳も黒で、見たところ隣のインディゴさんと対照的な、アジア系な人だ。

「ああ、私か、私は(とび)(ヨル)――飛行機の飛に頼るで、飛頼、ファーストネームが頼、ファミリーネームが飛、だ」

 手慣れた――口慣れたように、自身のわかりにくい名前を、彼はすらすらと説明した。「一応日本人だ。そっちの嬢ちゃんにも私が見えているようだな。よろしくな」

 そう言って素敵なおじ様――頼さんは私に向かって軽く右手を振る。そしてそのまま、彼の(彼から見て)斜め右後ろに控えていたインディゴさんの頭――フードを被っているけれど――をわしわしと撫でた。

「私は五十二歳で、こいつは十七だ」

 若い!

「どっちが?」

「両方!」

 直の問いに即答する私――ああ、懐かしい。七年前まで、普通だったのに。

 たったそれだけの、たった一言ずつの会話で、私はそれが、本当に直の――幽霊――魂だと、疑いなく直観し、確信した。それだけでなんだか安心して、笑顔が零れて。インディゴさんや頼さんに対する警戒が、緊張が、少しだけ緩んだ。少しだけ動悸が落ち着いて、だいぶ冷静になった。

 直は、あの日から変わらない、私の直なんだな、と。

 と、私と直の会話を見て、インディゴさんが頼さんを紹介する。

「頼は私のパートナーなのです」

「夜の?」

「……」

 直の軽口を黙殺するインディゴさん。今の二つの同じ音(アクセントも同じだ)の意味を彼女は聴き分けられたのだろうか。

「冗句だよ嬢ちゃん。俺にはわかるけどさ。結にも説明してやってよ」

「……あなたの口から説明すればいいでしょう? その様子だと、あなたが彼女の目の前で具象化したのは初めてなのでしょう?」

 直は一つ頷いて、

「それもそうだね」

 彼がそう言って私を振り返って――あれ以来初めて目を合わせて――二人に背を向けた瞬間――

「直うしろっ!!」

「やっぱりか――」

 頼さんが、抜刀術でも極めているのか一瞬で右腰に差されていたレイピア――細長い両刃剣で、鍔が十字の真っ白なものだった――を左手で抜き、その筋肉の許す限りの長足で間を詰め、その筋肉の許す限りの超速でその剣を突き出す――

 がきん

 金属と金属が一瞬だけ触れ合い、その摩擦による火花で一瞬――その光景が鮮明に目に焼きつく。

 剣を合わせた二人は――笑っていた。

 嗤っていた、と云ったほうがより正確かもしれない。

 直は頼さんの剣戟(けんげき)を受け流し、突っ込んできた頼さんの勢いを活かしそのまま頼さんに返す刀で自身の剣先を頼さんの首へと向ける――が、頼さんはその勢いを片足の少しの踏ん張りで殺しかつそれだけで逆方向への踏み切りまでやってのけ、直の突きは届かなかった。

 元の、インディゴさんの(彼女から見て)斜め左前の位置に頼さんが戻って、構えを解くと、インディゴさんが呟いた。

「珍しい……頼が不意打ちで仕留め損ねるなんて」

「……不意打ちじゃなかっただけだ、だろ?」

 と、頼さんは直に付加疑問。

「そうだな。――だいたい、最初っから殺気がぷんぷんなんだよ。まあ『殺気』なんて死んでる奴がもつにも死んでる奴に向けるにもふさわしくないものだろうがね」

「……どういうこと?」

 直は、私のそんな漠然とした問いかけに、的確に答えてくれた。

「要するに、俺が霊であるのと同様に頼も霊なんだよ」

 直は頼さんを油断なく見つめながら続ける。

「しかも、あの頼はやばい――世界最強の、人間だった霊だ」

「なんでそんなことまで――」

「直感――いや、霊の俺に感覚なんてあってないようなものだから、直観――かな。あれは、史上最強の、そして最強至上の人間だ」

 その言葉に、頼さんは、にやり、と嗤った。

「お前は――骨のありそうなやつだな」

「お互い――骨はないだろうけどな。霊だし」

 そう言い合って、直と頼さんは笑いあった。……なんだろうこれ。

「理解できない男の世界があるのでしょうよ」

 と、インディゴさんは私をすっと見つめて、理解を放棄してそう言う。

「……そう、なんですかね」

 私は、適当に相槌を打つ。

 私たちがそんな会話をしている間も、絶え間なく男二人で意味のあるようなないような会話を続けていた。

 えほん、と、その会話を打ち切るように、インディゴさんが咳払いをする。男二人が黙ったのを確認して、口を開く。

「わたくしたちは、あなたを――金沢結を、救いに参りました」

「……どういうこと、ですか?」

 一瞬自分で考えようとして、考えながら、インディゴさんに続きを促す。

「端的に言えば、あなたに憑いている悪霊を祓って、あなたと――そしてその悪霊を、救いに参ったのです」

 それは、つまり。

「安心しな、私が斬れば痛みなく成仏できるから」

 そう言って肩に剣を担ぐ頼さん。……両刃刀なのに肩は切れないのだろうか。

インディゴさんはそれを横目で見て、続ける。

「これまで、あなたに必要に迫ってくる人を――」

「執拗、だと、思います……」

「……」

 えほん、と彼女はひとつ咳払いをした。今回のそれはさっきと違う感じで、暗くて表情は見えないけど、なんというか体をちょっともじもじとさせて恥ずかしそう。

「……日本語は、まだ慣れていないのです。ご容赦ください」

「それだけ喋れていれば、十分だと思いますよ」

 たぶん、私よりも達者だと思う。

「これまで、あなたに執拗に――必要以上に迫ってくる人を、記憶なしに追い払っていたことがありましたね」

 〝必要〟の使い方に違和感があるけれど、スルーで。

「それはそこにいるミスター・ナオ・オアンがあなたの身体(しんたい)を乗っ取って、いわば憑依して、その人たちを追い払っていたのです。あなたがずっと彼の形見として鞄に入れて持ち歩いていたその『折れた剣』に宿って」

 彼女は、ぎゅっと、胸元の――控えめな胸元の十字架を両手で握り締める。

 目線は、私の目に向けられたまま。

「わたくしたちは、人と世界を守る〝Colours(カラーズ)〟所属の――人と世界と、霊とのバランスを司る〝藍〟=〝幽霊(ファントム)〟。この人類最強の霊を以てしてミスター・ナオ・オアン、あなたを成仏させに参りました」

 彼女はそう言って、ふうと一つ息を吐いた。

 ――〝Colours〟。聞いたことがある。

 世界が平和な理由。テレビや新聞やポータルサイトなんかじゃ、報道されないけれど――まことしやかな噂。〝Colours〟という名の秘密結社が、世界の悪を、害を、ずっと昔から取り締まっているという、そんな噂。一部では超能力者集団だとも言われている。

「なるほど、ねえ」

 そう言ったのは、腰に手を当ててちょっと斜に構えて立つ直だった。

「それなら、俺がこれまで守ってきた結を、あんたらが守ってくれるのか? ――その秘密結社とやらが」

 直とも昔、〝Colours〟のそんな話をしたことがあった。それを覚えていたのだろう。

「……別に〝Colours〟は秘密結社ではありませんが」

 インディゴさんはそう前置きした上で、

「勿論、ミセス・ユウ・カナザワの身の安全は保証いたします。今住んでいらっしゃるアパートよりもセキュリティが安全で万全な――」

 「セキュリティ」と「安全」は同義だ。

「――マンションに引っ越していただき、引っ越し代もその家賃もお支払いいたします。ボディガードも派遣いたしましょう。勿論あからさまではなく、影からこっそりとお守りいたします」

「……」

 直も私も黙って聴いていたけれど、何も、問題はなさそうに思えた。

 一番のポイントは、直と再び離ればなれになって――二度と会えなくなることだけれど。

 お別れは、七年前にもう済ませているのだ。

 だから、大丈夫――

「まだ、隠していることがあるだろ?」

 悩ましげに口に手を当てて思案していた直は、説明を終えたように振る舞っているインディゴさんと頼さんを見つめて、そう言った。

「……」

 インディゴさんと頼さんは二人見つめ合って目配せし合って(今までどたばたしてじっくり見ていなかったけれど、身長差がありすぎてなんだか凸凹カップルみたいだ)、そして二人は頷きあって、インディゴさんが代表して、言った。

「申し訳ありません。本当は説明したくないし、説明する必要もないのですが、わたくしたちもあまり時間がありません。詳しく言うなら、明後日――日付としましては明日の夕方には日本を発たなければならないし、日付としましては今日も勿論別の用事があるのです」

 彼女はやれやれといった表情でそこまで告げる。……まだ十七歳だというのに、相当な苦労を重ねているようだ。

「あなたに――ミセス・ユウ・カナザワにかかずらっていられるのは今日の夕方が限度。ですが、ミスター・ナオ・オアンと頼が闘っていたら畢竟頼が勝つにしても――」

「畢竟?」私は直に話の腰を折らないように小声で訊ねる。

「結局って意味」直は端的に答える。

「――決着は早くとも今日の日没を過ぎるでしょう。それでは困るのです。遅くとも今日の夕方には、別件で動かなくてはならないのです。しかもミスター・ナオ・オアンの悪霊としての力は強すぎて、放ってはおけない、頼とわたくし自身が立ち会わなければならない」

 そこで彼女は、また一つ溜息。

「……隠していることを説明すれば、あなたがたは納得されますか?」

 インディゴさんの、少し手前勝手な説明を聴いて、直は少し不満そうに、

「……現状よりは、納得する可能性は高いだろうな」

 こちらも、考えを曲げる気はないらしい。

「……いいでしょう。説明いたします」

 そう言って彼女は、ずっと両手で握り締めていた十字架を、すっ、と離した。表情は変わらず真剣なまま。

「わたくしたちの祓魔の能力で霊が成仏した場合、霊が憑かれていたことによる精神的な疲れ――ダメージを失くすために、その霊が憑いていた人間の、その霊に関する全ての記憶を失います」

「……」

 無言の私たち二人をじっと見据えて、彼女は言う、力強く。

「ミスター・ナオ・オアンが頼によって成仏した場合、ミセス・ユウ・カナザワはミスター・ナオ・オアンに関する一切の記憶を失います」


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