Whenever, Forever 一(その1)
エピローグという名の続きです.
Whenever, Forever
一
『東京都新宿区歌舞伎町――通称〝夜の街〟。
この街のとあるキャバクラ、「きらきら」。そのナンバーワンホステスが、今話題になっている。
ナンバーワンホステス・〝ユウ〟。年齢は二十代後半と公表されている。
彼女は六年前に突然この街に現れ、少しずつ周囲の評価を高め、この春、このキャバクラのナンバーワンになった――。
それから数ヶ月が経ち、今ではこの街にあるキャバクラのナンバーワンの中でも、五本の指に入る人気と売り上げを誇る。
童顔、大きく澄んだ目、色白できめ細かな肌。美しく染められた金髪は僅かにウェーヴして腰まで伸びている。そして美巨乳なEカップ。述べるべくは見た目だけではない。少し抜けた天然ボケ、かつ甘えん坊な性格、世の男たちが守りたくなってしまう――庇護欲を掻き立てられる絶妙な性格を持っているのだ。
それだけでは、今回こうして取り上げる理由にはならないだろう。そう、今回我々が独自にキャッチした情報があるのだ。
まず一つ、彼女は十年前高校二年生のとき、全国高等学校独唱コンクールで金賞を受賞、つまり全国優勝しているのだ。つまり、彼女の正確な年齢は二十六歳或いは二十七歳――噂通りの年齢だということだ。更に云えば、この「きらきら」もカラオケは標準装備されているので、彼女の生の美声を間近で聞くことができるのだ。
そしてもう一つ――実はこれが本題となのだが、彼女は既婚者で、更に来年で小学生にもなる子どもがいるというのだ! ――……』
夜勤翌日の休日。
二〇一八年七月二十日、海の日の午前二時頃。
ふと――本当にふと、なんとなく、なにもなく、夜中に目が覚めて私は近所のコンビニに出掛けた。スウェットから着替えるのが面倒で――まるで地元のヤンキーのようだったが、こんな時間にママ友と出会うこともないだろう。
そうして到着したコンビニの雑誌コーナーで、私は立ち止まった。
『人気キャバ嬢〝ユウ〟の過去?!』
表紙の片隅にそんなことが書かれたゴシップ誌を目にし、気になってその記事の載ったページを開いた。そのカラーページで大きく取り上げられた写真の彼女は、見間違える筈もない、久しく会っていない――六年前のあの日以降会っていない――金沢結だった。
仕事帰りに寄ったコンビニで見つけたその記事全文を、待ちきれずその場で一気に読み切り、そしてレジに持って行って購入、帰宅してからもう一度開いている。
私の家。丑三つ時でもまだまだ冷房はがんがんに必要な、夏のマンションの五階の一角、そのリヴィングルーム。旦那の清掃技術のおかげで、まだまだ新築の匂いがする。
その記事の内容は、簡単に云うと『「きらきら」ナンバーワンホステス〝ユウ〟はこの〝夜の街〟に来る前にすでに結婚していて子どももいて、今は別居中であり、子どもの名前は、自分の名前をとって付けている……らしい』という記事と、その後に〝ユウ〟へのインタヴューが少し載っているだけだった。彼女は、『そんな、旦那さんなんているわけないじゃないですかぁ。勿論子どももですよ。でも子どもは大好きですっ』と答えていたけれど。
そこまで読み返して、私はふうぅと一つ大きな溜息を吐いた。
……あれから、あの夏から、九年か。
私は――榊田美紀は、ぼんやりと思う。
私は高校を出て、短大に行って、今は、児童養護施設の先生をやっている。今年で、二十七歳。七年前結婚して、苗字が榊田になった。
七年前の結婚式には、勿論、直と美紀も呼んだ――というか、直には仲人をやってもらおうと思っていたけれど、
『職場の人にやってもらいなよ。二人の共通の知り合いの』
と、すげなく断られてしまった。
そんな、二〇一一年の盛大な結婚式。
『末永く、お幸せに』
直がそう、笑顔で言ってくれたのがとても印象的だった。
『俺たちの結婚式にも、美紀も呼ぶから』
直がそう、笑顔で言ってくれたのがとても印象的だった。
それが七年前。
幸せそうだった結。
七年前に大学在学中に直との子どもができて息子に〝深結〟と名付けて――
けれど、二人は結婚することはなく。
その同じ年に、彼女は、直を事故で失った。
そして六年前――五年と八ヶ月前、小庵乳児・児童養護施設――私の勤める養護施設に、その息子を捨てた金沢結の行方を――
私は知らない。
*
……あれから、あの夏から、もう九年か。
現在二〇一八年、夏――七月十九日。
私――こと金沢結は、暮れなずむ手狭な四畳半のボロアパートで、ぼんやりと、茶色が目に優しい天井を仰いで大の字に寝そべりながら、そんなことを思う。藺草の匂いが鼻腔に染み入る。
この九年間は、短いようで、とてつもなく長かった。長かった、ように思う。毎日の出来事を全て覚えているわけではないので思い返せることは過ごした時間より短いし……そんなこと、「今」という時間の中にしかいることができない人間には――私には、わかるわけがない。
なんて、これは直の受け売りだけれど。略して直売。
エアコンのない小さな部屋で、寝そべったままキャミソールの胸元をぱたぱたとさせ扇風機を「強」でぶんぶん首を振らせながら、私はぼんやりと天井を眺める。
……花の大都会に住んでいるというのに、なんでこんなに蝉の鳴き声が聞こえるのだろう。
肌にじっとりと纏わりつく汗が、畳の涼しさとの対比で余計に気持ち悪い。かといってこれ以上に涼しくなる方法は、もはや全裸になるか水風呂に入るかしかない。こんなときだけは、家では裸族の荒井ちゃんが羨ましい……。
そんな荒井ちゃんは、つい一昨日、寿退社していった。どこかの会社の部長をつかまえたらしい。噂だと、妊娠三ヶ月だとか何とか。……それが本当だとしたら、店長にバレないうちにさっさとやめていったのだろう。
私たちの世界では――私たちの棲む、〝夜〟の世界では。
妊娠は、御法度。恋愛も、だいぶ制限されている。昔ほどではないらしいけれど。
ん十年前は、昭和のアイドルみたいに恋愛なんて禁止だったみたい。
……さておき。
そんな私にも本当は、息子がいる。
金沢深結。今はもう、……六歳、か。そう考えると、やっぱりこの九年間は短かったのかもしれない。
『なに考えてんのあんたは!』
六年前――正確に云えば五年と八ヶ月前。冬。
二〇十二年十二月。
まだ〇歳八ヶ月の息子を置いていく私の背中に、エプロン姿の美紀――どうやら胸の大きさは私が追い抜いたようだ――は言った。
『あんたねえ! なに一人で抱えこんでんの? 両親に相談したの?』
『したよ……』
これは、その結果だった。
『あんたの両親までひどく言うつもりじゃなかったけど――』
と、美紀は前置きした後、
『あんたの両親も最低だよ!』
彼女はそう言いきった。
『二人は……たった一人の可愛い娘が大事なんだよ……死んだ男と孫に苦しむ娘なんて見たくないんだよ……』
『可愛い娘、って……』
その後の言葉を、彼女は呆れながらも飲み込んだ。
『じゃああんたは、どうしたいの? 息子を捨てたいの?』
彼女は問うた。
『勿論、私は育てたい。自分の力で育てたいよ』
『ならなんで――』
『私には、力が足りない』
彼女はその言葉に、怪訝な表情で答える。私は続ける。
『私には――お金が、足りない』
『はあ?』
『子どもを育てるのって、とっってもお金がかかるんだよ』
『そんなこと知ってるよ! だからそのために各種保険が――』
『私の勤め先は、そんな保険が出ないの』
『なんで――』
『だって』
私は、彼女の疑問に先回る。
『私の仕事は、月給百万――でも、子どもがいることは、秘密にしなくちゃいけない』
『……それって』
『それに、勤務時間が基本的に夜だから、子育てなんてできない』
『……なんで、そんな仕事を』
彼女は、何の仕事を、とは訊ねなかった。薄々は――いや、濃々は、勘づいて、けれど確定はさせたくない、そんな雰囲気だった。
『歌手になるんじゃなかったの?』
彼女は思い出したかのように、今度は静かに訊ねた。
『……「男がいる二十歳の歌手とかいらない」んだってさ』
『そんな……』
彼女は『ひどい』か『ふるい』かどちらかの言葉を独りごちた。
『……それでもなんで――』
『我が身可愛さと――我が身の可愛さを生かすため』
『……』
『……本当は、直のこと、忘れるため。直が死んで、辛くて死にそうで、でもお父さんもお母さんも、私には死んでほしくないみたいで』
『当然でしょ。だって――』
彼女から少し――「しめた」という表情が見えた。
『だってあんたは――ご両親がお腹を痛めて産んだ子どもだから』
『お腹を痛めても、私はその子になんの感情も――感傷も、ないよ』
彼女は――何も言い返さなかった。俯いて、二秒ほど経って、彼女は顔を上げてきっ、と私を睨み付ける。
『あんたなんか死ねっ! 二度とここに顔を出すな!』
彼女は矛盾するようなことを叫んで――私はそこから立ち去った。
美紀に、息子のために作った口座のキャッシュカードを預けてきた。……彼女は義理堅い女だから――毎年二月十四日に、私という彼女がいる直に、『幼馴染みだから』と言ってチョコレートをあげるほどに義理堅い女だから、勝手に使わないだろう、と思って。
ましてや、好きだった男の息子を、悪く扱ったりはしないだろう、と思って。
通帳を見ると、月に少しずつ下ろされていて、それはたぶん、美紀が何かに使っているのだろう。それは私の息子のためかもしれないし、自分で使っているのかもしれないけれど。
どちらでも、構いはしない。
この感情は、たった三年の付き合いしかない美紀への信頼からくるものか、それとも私の息子をそれほど大事に思っていないことからくるものか――そのどちらもが混ざり合っているものか。
結局私は、私の息子を捨てて、けれど捨てきれずに、こんな中途半端な生活をしている。
東京に、親に相談せずに飛び出して、こんな中途半端な生活をしている。
稼いだお金は、食費と家賃とガス代、水道代、電気代――それに衣装代と小道具、化粧品、香水。残りは、自分の口座と息子の口座とに半分こ。
そんな、半端な生活。
そろそろ陽が暮れる――西陽が、部屋に斜めに射し込む。
大の字に寝ころばせていた私の体を無理やり起こして、汗で顔に張りついた髪の毛を手遊びに剥がしながら、浴室へと向かう。四畳半一間でも、バス・トイレ別なこの安宿――部屋の鍵も、ただの鍵だ――に、かれこれ、もう六年。
六年。
八年前――二〇一〇年、直と東京旅行に来て、そしてさらりとはぐれてしまった私に声をかけてきたのは、今私が勤めている店の店長だった。そのときは考えつかなかったけれど、店長が直接スカウトマンをしているなんて、相当に店が困窮してしまっていたみたいだ。
そのときはばっさりと断った。その直後に直を見つけて――直に見つかって、と言った方か正しいかな――、店長の可哀相な目を振り切ったけれど。
一年四ヶ月後、あの冬に私はそのときもらった名刺に電話をかけて、辛うじて――本当に辛うじて続いていた店長の店に出て――
現在に、至る。
……実際には、深結を預けたそのときにはまだ働いていなかったし、ここまでこの仕事で成功するとは思っていなかったけれど。……いや、少しは思ってはいた。宝くじの一等が当たるかも程度には。
私は。
浴室に置かれた姿見で、全身をチェック。
ムラなく染められた金髪。腰まで伸びるそれは、一本の枝毛もない。
上から、九十三、五十七、八十八。……因みにEではない。
シミ一つない白い肌。ぷりぷりの弾力。
高いシャンプーをして、リンスを少し。中学生のときから使っているプロアクティブで顔を丁寧に揉む。全身をくまなく洗って――胸の下も、だ――最後に頭からざばーっとぬるめのお湯を浴びて、シャワータイム終了。
ふかふかのバスタオルで全身を拭いて、また別のバスタオルを髪の毛に巻いて、そのしばらく後、丁寧にドライヤーで乾かす。まあ、夏だしここまでは全裸で構わない。
クローゼットを開いて、今日の衣装をぱぱっと選んで、ばばっと着る。勿論、下着も。
薄い厚化粧――ナチュラルメイクをして、鏡にウインク。今日も万全。
必需品が入れられた、少し大きめのバッグを肩から下げて。
私の職場へ。
私の戦場へ。
まだまだ続きます.
先は長いので気長にお待ちいただけたらと思います.