When (I) sing...
以前投稿した「フェンシング小説」,再投稿です.
(或る賞に応募しましたが落選したからです.)
以前投稿したときに読んでくださった方,感想を送ってくださった方,ありがとうございました,一度削除してしまって申し訳ございませんでした.
どうか,また,私の息子・娘たちをよろしくお願いいたします.
When (I) sing…
私が見るのは、いつも彼の後ろ姿。
上半身は、触るとざらざらする、ノースリーブのジャケット。その下には真っ白な長袖。
下半身は、野球みたいな白のズボンと、白いソックス、踝まで覆うハイカットのシューズ。
金属のマスク――剣道の面の網目をものすごく細かくしたようなもの――を被り、専用の手袋をした彼の利き手――左手には銀色に光る、細い剣。
私の彼、直は、うちの高校のフェンシング部のキャプテンだ。
*
――残り、三分。
現在、十三対十一で、俺は負けている。
フェンシング(の個人決勝トーナメント)は十五点マッチで、テニスやバレーのようなデュースはない。三分戦った後、一分休憩を挟んでまた三分戦い、そしてまた一分休憩、三分戦う。
――そして今、最後の三分が始まった。
真っ暗闇の県立体育館で唯一照らされているのは、幅二メートル、長さ十四メートルの、銀色に輝く戦場。
そこに立つのは、俺と、長年のライバル、股木。
インターハイを賭けた、県大会決勝。右利きの股木は毎回大会の決勝で顔を合わせているやつで、四戦一勝。しかも一勝したのは練習試合。つまり、公式戦全敗。
俺、直は高校三年生で、これがインターハイに行くには最後のチャンス。
俺は、絶対に、勝ち抜かなければならない。
――それは、約束だ。
俺の彼女は、インターハイの総合開会式で、壇上に立って国歌を唄う。
俺はそれを観客ではなく、選手として聴く。そう、決めたのだ。
七月中旬。全身を覆う汗でべたべたのユニフォームを着て、俺は戦う。
俺の彼女、結は、うちの高校の軽音楽部のエースだ。
*
『俺がやってる種目はフェンシングの中でも「フルーレ」で、覚えるルールはとりあえず三つ。
一つ、この剣の先のスイッチになってるところ――ポイントっていうんだけど、それで相手の有効面――胴体を覆っているこのざらざらしたジャケットの部分を突けば自分の得点になる。そのときに、電気審判機のランプが点いて、「ピーッ」って音が鳴るんだ。
二つ、同時に突いた場合は、「攻撃権」がある方の得点になる。つまり「攻撃権」があるときに相手を突いたら得点。
三つ、「攻撃権」っていうのは、その人が剣を相手に向けていたり、相手の剣を自分の剣で叩いたり、相手の攻撃を防御したときにあるもの、かな。これ、判定が微妙で審判とか相手とよく揉める。
あとは見ての通り、剣を持った手が前に来るように半身で構えて、銀色のピストってとこの上で戦う、ってところだ。相手より十五点先に取ったほうが勝ち。
因みに「エペ」っていうのは、「攻撃権」がない代わりに全身が有効面で、「同時突き」がある。「サーブル」っていうのは、有効面が上半身で、「攻撃権」があり、これは刀身で有効面に接触するだけでいい。――野球なんかよりルール簡単だろ、美紀?』
――わたしが、幼馴染の直から初めてフェンシングの話を聞いたのは、高校一年生の春だった。
直もご多分に洩れずチャンバラに憧れる一人の男の子で、入学式後の部活紹介でフェンシング部を見て即入部を決めたらしい。しかも部員が少なくて三年生しかいないらしく、春の大会でいきなり個人戦に出ることになって、そして、
『俺がその試合で一度でも勝ったら、俺と付き合ってほしい』
『いやだ』
わたしは、彼の告白を断った。たしか、放課後の夕陽射し込む教室だった。
『一度でも、って弱気すぎでしょ。それに直みたいに子どもみたいなやつはわたしタイプじゃないんだ。友達としてならいいけど』
彼は昔から、子どもみたいに負けず嫌いで、子どもみたいに素直で、子どもみたいに純粋で。
『そうか……、ごめん』
彼の表情はみるみる陰り、案の定、その大会では一点も取れることなく予選敗退した。
わたしは歌うのが好きだったし、自分でも歌がうまいほうだと思っていたから、軽音楽部に入部した。
入学してすぐの高校一年の四月。初めて入った音楽室――だいぶ古めかしい教室に、ピアノがどん、と置いてあった――には三年生を示す赤色のラインが入った上履きを履いた男女一人ずつの先輩の他はわたしと同じ一年生が十人弱いた。
音楽室はこの棟の三階の端の部屋で、開けられた窓から暖かな風が吹き込み、陽射しも柔らかい。この高校には合唱部がないからか、わたしみたいにちゃらちゃらしたイマドキの女子高生以外にも、清楚でスカート長すぎ、っていう女子も結構いた。勿論男子も。
……「男子も」、って男子がスカート穿いてたわけじゃないから!
『それじゃあ、様子見も兼ねてヴォーカル希望の人は一人ずつ歌ってもらおうか。何がいいかな……?』
軽音楽部の男の先輩が言って、
『校歌でいんじゃない? 歌詞覚えてない人は生徒手帳見てね』
軽音楽部の女の先輩が言う。
わたしたちは黒板の前に並んで、校歌の一番を順番に、女の先輩の伴奏で唄い始める。まだ入学式の一回しか聞いてないのに唄えるわけないじゃん、と思いながらも。
しばらくして、わたしの番。
『はいじゃあ、そのショートカットの巨乳の子』
『セクハラだよ』
笑顔を貼り付けたような男の先輩に、切れ長の目をした女の先輩が言う。
生徒手帳の歌詞を見て、前に唄った人を参考にしながらわたしもなんとか唄いきる。
その様子をビデオカメラでずっと録画(と同時に録音)しているらしく、たぶんこれは軽音楽部一年生の通過儀礼なのだろう。あとで「私たちこんな恥ずかしいことやったんだよー」という、思い出話をするための。
『ありがとう、はいじゃあ、次の人』
ふうぅ、と一息吐いて、そこで初めて、わたしは隣の人を見る。わたしの肩ぐらいしか身長がない――っていってもわたしは百七十ぐらいあるんだけど――小柄で、天然パーマした黒髪は綺麗にウェーヴを描いて腰まで届いている。大人しそうな印象で、スカートは膝と踝の中間ぐらいまである。ちっちゃくてかわいい。
――でも、こんな大人しそうな子が唄えるのかな。
そう思ったときちょうど前奏が終わって、彼女が大きく息を吸い、放たれた音は。
ビデオカメラの録音キャパシティじゃもったいないくらい美しくて、
こんな狭くて古臭い音楽室なんかじゃもったいないくらい幅広くて、
その響きは、先輩が聴き入って伴奏するのをやめてしまうほど。
わたしも、たぶんこの部屋にいた誰もが、口を開けて呆然としていた。
わたしは、なぜだか涙が溢れてきた。
そんな彼女――結との出会いは、ただただ衝撃的だった。
そして彼女は、高校二年生の全国高等学校独唱コンクールで、金賞を獲得した。
そんなこんなで彼女は、今年のインターハイの総合開会式で、国歌斉唱のときに壇上で唄うことになったのだ。
わたし、美紀は、直の幼馴染で、結と同じ部活で、たぶん、二人の恋のキューピッド。
*
「攻撃、刺突、得点」
スーツ姿の主審がそう言って、相手側の手を上げる。
「十四対十一」
――残り、二分三十秒。
相手の側から、歓声が上がり、「股木いいぞ」などの声が掛けられる。
間の一分の休憩なんかあってないようなもので、六分半動き詰めの足腰は、もう限界だと悲鳴を上げる。剣を握る手は固まり、相手が俺の剣を叩こうとする剣を躱すという細かい作業を拒絶し、相手との読み合いで疲れ果てた頭は、水分と糖分を欲する。
吐く息は荒い。……暑い。
だが隙を見せたら、読み合いであるこのフェンシング――フルーレでは勝てない。
相手だって同じ。ここまで来たら、集中力が続いたほうが勝つ。つまり以前はそれが足りなかったってことだ。
だが、今回は違う。彼女が――結が、待っているのだ。
「構え」
審判がそう言い、俺は左手を――剣を相手に向けて半身に構える。相手も、同様。
「用意はいいか? 始め!」
俺と相手は、同時に動き出す。
三点差、しかもマッチポイントか……。
焦りも、緊張もある。だが、集中。
『俺と付き合ってほしい』
『いやだ』
俺は高校一年生の春、新たな青春のスタートともに恋に敗れた。
俺の告白した相手は、昔から一緒にいた幼馴染の美紀で、髪はショートで俺なんかより全然ボーイッシュで、でも成長するにつれてどんどんスタイル抜群になっていって、でも気の強い性格と、姐御肌なところは昔から変わらなくて。
いつから友情や憧れが恋になったかわからなかったけれど。
俺は一大決心をして告白して、その答えが『あんたタイプじゃない』である。
……俺はそれがトラウマになって、以後好きなタイプが「美紀の正反対の女性」になってしまった。
「攻撃、刺突、得点」
審判が、今度は俺の方の手を上げる。俺の得点。
「十二対十四」
「がんばれっ、直っ」
「ナイスっ、直!」
結と美紀が、観客席から声を張る。俺は彼女たちのいる――と思われる(暗くてわからない)――方に向かって剣を掲げる。
ありがとう、その声で俺は、頑張れる。
マスクをいったん外して袖で汗を拭い、ふうと一呼吸してかぶり直す。
相手・股木は、マッチポイントになったことで慎重になり、守りに入ったようだった。
チャンスだ。
あいつは守りに入って動きが硬くなっている。それに俺が一勝したときも、確かこれと同じ状況だった。付け入る隙はまだある。マスクの網目越しに見えるあいつの顔は、さっきよりほんの少しだけ、引き攣っているように見える。
「構え。用意はいいか? 始め!」
その声とともに、周囲の歓声や励ましの声は消え、体育館は無音の闇と化す。
その声とともに、俺は長年の仇敵へと向かっていく。
童顔で、おっとりな天然さんで、貧乳で、小さくて、髪が長くて、どこか神秘的で、かわいくて。いつも鞄は両手で体の前に持って、少し俯き加減で歩く。そんな結に出会ったのは、高校一年の夏休み前――じめじめと暑くて、太陽が燦々と照らす、部活の帰り道だった。
*
私は高校入学当初、自分でもわかるほど暗い雰囲気で、人見知りだった。
『結、今日も一緒に帰ろー』
でも、そんな私にも、美紀はいつも笑顔で話しかけてくれた。
『うん、美紀。いつもありがとう』
彼女は学生鞄をいつも片手で肩に担いで、なんか、豪快だ。
『へ? なにがありがとう? まさか「私と一緒に帰ってくれて」ってこと? 水臭いこと言うなよー』
そう言って美紀は空いた方の手でばしばしと私の背中を叩く。……。
『……いたい』
『あ、ごめんごめん。ついね、直といるときみたいになっちゃうわ』
彼女は笑顔で私にそう言う。
「直」というのは美紀の昔からの隣人で幼馴染で、見た目はちょっとかっこいい「じみめん?」で、ふぇんしんぐ、をやってて、子どもっぽくて、美紀のことを好きだったけど美紀はフったらしい。そんなに「直」くんのこと知ってて、彼のこときらいなのかな。それとも、知ってるからこそ、好きになれない、とか。でも、きらいならまだ友達が続いてるわけないし……。
『あ、噂をすれば直だ。おーい直!』
昇降口から正門に向かって歩いていると、美紀は前方の男子に向かって手をぶんぶん振って駆け出していった。私は美紀についていけずに立ち止まる。
美紀は「直」くんに追いついて、何か話している。夏真っ盛りで陽射しが強いからか、二人がきらきらと輝いて見える。遠くからだと二人の顔はあんまりはっきり見えないけれど、二人で笑って、こっちを見て、え? 「直」くんの手を引いて走ってこっちにくるよ?
『こいつがいっつも言ってるガキの直ね。直、この子は結ちゃん。かわいいでしょ? わたしと同じ軽音楽部。でもこの子わたしなんかよりずっと歌うまいんだよ、ねっ、結』
『え、あ、……う』
私は、俯いて声をどもらせる。人見知り、なのに……。あっ、美紀は、私のそれを治そうとしてくれてるのかな?
そう思って私が顔を上げると、直くんは私の顔を凝視して真っ赤になっていて、その顔はなんだか子どもっぽくて、ほんとにちょっぴりかっこよくて。
私の顔も、なんだか熱くなっていって。
その日から三人で帰るようになって。
いつの間にか二人きりで帰るようになった。
*
「防御、刺突、得点。十四点で同点」
「いいぞ直! いけーっ」
「直、がんばって!」
俺を応援する二人の声。俺の疲れを吹き飛ばしてくれる。
対して相手の側からは、「大丈夫」「落ち着いて」などの励ましの声。
――あいつは、確かに動揺している。
俺は立て続けにあいつから二点を取り――たっぷり二分かかったが――、同点。フェンシングには、さっきも言ったとおりデュースはない。つまり、次の一点を取ったほうが勝者。
この体育館で唯一照らされたピストという細長い空間に、味方は、自分一人しかいない。個人競技の宿命。あいつには、一緒に練習してきた部活の仲間がいるだろう。それが心の支えになる。
俺のフェンシング部は、部員が俺一人――まさしく「俺の」フェンシング部である。新入部員は、ここ二年、一人も入らなかった。だから俺は一人で研究して一人で強くなった。けれど俺には、結と、ついでに美紀もいる。
だから俺は、一人でも戦える。
「構え。用意はいいか? 始め!」
――残り、三十秒。
泣いても笑っても、この三十秒で決まる。
できれば、泣いてでも、笑っていたい。
全ての集中力と、全ての残りの力で、戦う。流れは、追い上げてきたこちらにある。
汗も、疲れも、アドレナリンで消える。
じりじり、じりじりと前進して相手を攻め込む。「攻撃権」は今俺にある。相手が俺の剣を叩きにきたとき、それか防御しにきたとき、それがチャンス。それを躱して突けば、勝ち。
じりじりと攻められ、相手は俺の追い上げというプレッシャーも相まって、ピストの後ろまで追い込まれる。その最終ラインを彼の両足が超えたとき、それは俺の得点になる。
――そこで俺は、ほんの少しだけ、油断をしたのかもしれない。
彼は真っ直ぐ俺の胸に剣先を向け、捨て身の特攻、相手に向かって走り抜けるという必殺技――そして彼の得意技であり俺を二年半に渡って苦しめてきた技、「フレッシュ」を繰り出してきた。
それは、一瞬の隙を突く。一瞬で勝負が決まる。俺の、苦手としてきた技。
――だが、いつまでも克服していないと思うなよ。
相手の剣を、左腕の手首から先を素早く反時計回りに回して自分の剣で絡めとり相手の剣を自分の体から逸らし、その後の隙だらけの腹に俺の剣を突き刺す。刺さらんけど。
ピーッ
審判機が鳴り響き、俺の方のランプが点く。
審判の、俺の方の手が、挙げられる。
「防御、刺突、得点。十五対十四、試合終了、気をつけ、礼」
その声で、俺は、本当に彼に勝ったのだと確認する。
――残り時間、一秒。
マスクを脱ぎ、剣を掲げて挨拶をし、剣を持たない手で堅く握手をする。
「「ありがとうございました」」
声の震える彼を見ると、瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
あいつだって、抱えているものがあったのだろう。
だが俺にだって、ある。
俺にとって、もしかしたら俺の高校にとってもこれが最後かもしれないのだ。
――坂田高校フェンシング部、インターハイ出場。
*
八月上旬。
坂高フェンシング部の全てである俺と、結は、インターハイの総合開会式が行われる大きな県立体育館(の、目の前の公園)にやってきていた。
実は県大会と同じ会場だったりする。
今年は地元開催だから、美紀もタンクトップにホットパンツに素足で高足サンダルという軽装で見に来てくれていた。美紀はスタイルいいのに「男は狼」ってことをまったく気にせずそんな格好するから、昔から目のやり場に困る。
……まあ、美紀は空手習ってて狼でも倒しかねんから襲われても大丈夫だろうけど。小さい頃から空手の新技(型、っていうんだったか)を覚えてきては俺に試すのには時が経つにつれて慣れたが、彼女のこういう大胆な薄着はいまだに慣れない。
空を見上げると澄んでいてどこまでも青く、浮かぶ雲はもくもくと白く光る。
太陽はまだ午前十時だというのにぎらぎらと照りつけ、それを応援するかのように蝉はけたたましく鳴き続ける。青々と茂った木々は温い風に吹かれてほんの少しだけ涼しげに揺れるけれど今日も相変わらず日本的なじめじめとした暑さで俺たちは包まれ――
――それでも相変わらず、ひらひらのフリルのついたワンピースを着た結の纏う浮き世離れしたふわふわした雰囲気は涼しげだ。
……ときどき、結が幽霊なんじゃないかって本当に思うことがある。
「……ん? どうしたの、直」
あんまり俺が結を見つめるもんだから、彼女がその涼しげな顔を火照らせて俯きながらそう訊ねる。
「なんでもないよ」
ここで何か気の利く一言とかあればいいのだが、俺にそんな甲斐性はない上に、俺も俺とて緊張しているのだ。……彼女には及ばないかもしれないが。
「だいじょぶだって結っ! わたしがついてるし――」
美紀がウインクして俺にアイコンタクト。
「――及ばずながら俺もついてるから」
よかった……今度はちょっとはいいこと言えた、かな。
結はふた呼吸ほどたっぷり俯いた後、
「……ありがと。私、頑張る」
俺の目を輝かせた上目遣いで真っ直ぐ見て言った。……今度は、俺が照れる番だ。
「さあさあお二人さん、いちゃいちゃしてないで早く中入ろっ。直は選手だから来れないけど、わたしが結の楽屋までついてくから」
美紀は結の手を引いてずんずん歩き出し、俺の横を通って体育館へと向かう。
すれ違うそのとき、美紀は小声で、
「上出来」
俺にウインク。
「ああ」
俺は曖昧に返事。
手を引かれながら俺を振り返る結に俺は、
「頑張れ、結!!」
大声で叫んで、叫んでから照れた。
彼女も俯いて照れて、二人は体育館に消えた。
――開会式が始まった。
体育館の中は空調が効いていて、仄暗さも相まって、少し涼しい。県予選もここだったけど、その雰囲気――緊張感はだいぶ違う。
全国から集まった猛者たちが整然と隊列を組み、だだっ広い体育館には司会のどこかの高校の放送部の女子の声だけが響く。司会の彼女の声、そして選手たちが纏うオーラとでも言えそうな雰囲気が、この広く閉鎖された空間に満たされている。
観客席にいると思われる美紀を探すが、人が多くて探しているうちに、
「それでは、国歌を斉唱して、国旗を掲揚します」
司会の女子の声で、高校でいえば「朝礼台」に(ここでもそうだろうか?)、結が上る。
「壇上には、坂田高校三年、金沢結さんです」
彼女が壇上で一礼する。その表情は硬い。が、少しきょろきょろして、俺と目が合う。
それで安心したのか、ひとつ深呼吸して彼女は真剣な、それでもさっきより硬さが抜けた表情になる。
――重々しい前奏が(おそらく録音されたものだ)、始まる。
それが終わると、彼女の歌が始まる。
――彼女の声が、響く。
その声は、この体育館に、そして俺たちの心に、響く。
全身に染み渡り、脳を揺さぶり、
――彼女以外の誰もが、息を呑む。
誰もが国歌のこと或いは国家のことなど忘れ、彼女の声に聞き惚れる。
もはやそれは「斉唱」ではなく、「独唱」だった。
楽しそうにのびのびと歌う彼女を見て、俺は緊張など忘れ、心の底から笑顔になる。
――彼女が歌うとき、俺は、それを見て笑う。
――私が歌うとき、彼は、笑顔になる。
賞に応募するために書いた「つづき」がございます.
これを「プロローグ」と読んでこれから「本編」と思ってくださっても,或いはこれを「本編」と読んでこれからは「エピローグ」だと思ってくださっても,どちらでも構いません.
私はどちらとも思っています.




