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第一章 旧リグネイ帝国皇室・グリーシュ家(第五部)

 セレンは、黙り込んでしまった姉を心配そうに見上げる。

「知りたいんだ。皇帝陛下の真意を」

 何故、自分を選んだのか。


(何故私でなければならないのか)

 エルレアの声に、しっかりとした響きが戻っていることにセレンは気づく。

 テーブルの横では、アルフレッドが窒息しかけていた。


 ニリウスはしばらくエルレアを見つめていたが、やがて困ったような笑みを見せた。


「すまねえ。悪いけど、俺はそういう難しいことにあんま詳しくねえんだ。まあ、そんな深く考えなくてもいいんじゃねえか?その内、嫌でも分からなきゃならねえ時が来るだろうさ、大事なことならな」

「死んでからでは遅い」


 ずばり。


 平民や貴族ならともかく皇族が関わる場合は、うかつな行動をとると命に関わる。(くだん)の皇子の婚姻でも、皇族との関係を親密なものにしたい貴族達は、他の家の娘が候補に挙がると、その事実が明るみに出ない内にこぞって闇討ちにしようと画策する。


 皇族に近づくということは、命がけの駆け引きなのである。


(皇帝陛下は私に何の期待をしている……?)

 いや、何が狙いだ?

 自分が平民の娘だと知らないわけではあるまい。他の貴族達は知らなくとも、その情報が皇帝の耳に届かないわけがないのだ。


「姉様……」

 セレンはエルレアの袖を握ったまま、不安げな声で姉を呼ぶ。

 エルレアの視線を真っ向から受けていたニリウスは、その茶色の瞳をわずかに宙にさまよわせた。


 動揺。

 エルレアは少しの変化も見逃さなかった。

 知っている、と。

 ニリウス・ジャグラムは、おそらく皇帝の思惑に関することを知っている。


 直接つながりはしなくとも、ゆくゆくはその理由へとたどり着く何かを。

「セレン、先に部屋に戻れ。私はニリと話をした後、お養母様の部屋へ向かう」


 姉の腕にずっとしがみついていたセレンは、何か言いたげに姉を見上げたが、すっと手を離してトボトボと部屋から出て行った。

 セレンの足音が完全に聞こえなくなってから、エルレアは口を開く。


「ニリウス。口止めをされているなら、お養父(とう)(さま)には決して告げ口をしないと誓う。教えてくれないか、私に関連した事件。どんなものでも構わない」


 ニリウスは、エルレアの瞳に危険な光が差していることに気付き、目を細める。

 テーブルの横でロザリーに呑み込まれかけているアルフレッドを救出すると、ニリウスはロザリーを首に巻きつけ、アルフレッドを(ふところ)の中に入れた。


 そして、エルレアの方を向く。

「嬢さん、俺は嬢さんの知らないことを確かに知ってるが、旦那さんに口止めされてるかなんて関係ねぇ。俺が思うんだ。嬢さんは聞かねえ方がいい」


 強い意志を秘めた、真っ直ぐな目。

 似ている、とエルレアは苦々しく思った。

 思いたくない。思い出したくはないのに。

 顔かたちではなく、その雰囲気が。


 遠く淡い、うっすらと残る淡雪のような記憶の一葉に、未だ拭い去ることのできないわだかまりがある。

 幾年月を重ねた今も尚。


 あの、有無を言わせぬ強固なまなざしとニリウスの瞳が、重なって見える。

 向き合うことに苦痛を感じたエルレアは、静かにまぶたを閉じ、ため息をついた。


 そのとき。

 パタパタパタ……と急ぐような足音。

「やばーい」

 それほど焦っていない声でそう言うと、ニリウスは暖炉の中へ入っていく。


「待て。何故わざわざそこから出て行くんだ。中から下ればいいだろう、ニリ」

 エルレアの言葉に、

「ん~、クィーゼルと出くわしたら嫌だから、いい」


 先ほどの緊迫した空気など何のその。ニッカ、と特大の笑顔で答えると、ヨッコラ、と煙突を登り始める。

「……? クィーゼルとは、本邸の召し使いなのか?」


 暖炉からの応答は無かった。

 コンコン、ガチャ。

「お嬢様、夕食の片付けをいたします。よろしければご退室くださいませ」


 黒い髪をひじくらいまでの長さでまっすぐに切った召し使いの少女は、そう笑顔で告げるとエルレアの左手に気がついた。そして、『ん?』とまばたき一つ。

「お嬢様? そのお手はどうなさったんですか?」

「…ナイフで切った」


「まあ! 痛かったでしょう…そのハンカチは、セレン様が結ばれたのですか?」

「いいや」

 自分で、とは言っていないので、嘘はついていない。

「では私はそろそろ出て行くことにしよう」

「はい、おまかせくださいませ」



   ☆☆☆



 エルレアの背中を見送った召し使いの少女は、ハンカチを結んだのがエルレアではないと確信した。

 エルレアの左手のハンカチは、かなりしっかりと結んである。しかも結び方が常人の技ではない位複雑である。


(あれは左手の塞がった状態で結べる結び方じゃない。まさかコーゼスの旦那さんが結ぶ訳はないだろうし、となると……)

 布の結び方。その少女の人生の中で、あれほど特殊な結び方をするのは一人しか心当たりがない。


 黙々と皿を集めていた少女は、視界の隅に一瞬入ったものをじっと眺めた。

 ……マングースの、毛。


 少女はそれを握りしめると、鬼も逃げ出すような恐ろしい顔をして、

「ニリ……!!」

 とつぶやいた。



   ☆☆☆



 パタン、と扉を閉め、それに背をもたれさせたエルレアは、ニリウスの真剣な表情を思い出し、二度目のため息をつく。

「あれは、拷問しても吐かないな……」

 金髪の少女は、かなり本気で考えていたようだ。



   ☆☆☆



 生誕記念祭を明日に控えた日のこと。

 日が沈み、天空に闇が迫るころ、やけに殺風景な部屋の中に二つの人影があった。

 バルコニーに開く大きな出入り窓に、栗色の髪を肩まで伸ばした男が寄りかかっている。


 向かい合うようにベッドに腰を下ろしているのは、フワフワとした金髪が腰の辺りまである女だった。

 男は、すっ、と窓から優雅に離れると、女の髪を遊ぶようにすくい、息がかかりそうな程近くで真正面から見つめた。


「話に乗った、と解釈していいんですか?」

と、穏やかに男が問う。

 ゆっくりと、女が顔を上げた。

 それが、全ての返答だった。


 男はふいに優しい微笑みを浮かべ、女の金色の髪を手から滑らせると、バルコニーの出入り窓に手をかける。

 サァッ、と透き通った風が、白いカーテンを高く舞わせた。


 強い風をまともに受けた栗色の髪が、わずかに乱れる。

「さあ、逃避行の始まりですよ」

 心の底から楽しんでいるように、彼は告げた。

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