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第一章 旧リグネイ帝国皇室・グリーシュ家(第三部)

「はい?」

 ピタ、と口に運びかけたスプーンの動きを止め、養父であるコーゼス・ド・グリーシュ氏に問い返すエルレア。


 コーゼスは眉間にしわを寄せ、あからさまに不快そうな表情を浮かべながら同じ言葉を繰り返した。

「次の生誕記念祭の宴には、エルレア・ド・グリーシュも挨拶を述べに来るように、との皇帝陛下の御言葉だ。必要な話がある。後でハーモニアの部屋に行け」


 正気ですか、と危うく訊きかけ、エルレアは言葉を飲み込む。

 はて、これはどういう風の吹き回しだろうか。

 手の動きを再開させ、チラ、と養父の顔を見ると、養父は相変わらず気難しい顔をして食事をしている。


 普段と違う所と言えば、眉間の深いしわが普段より二本ほど多いだけである。

 正当な血筋でないエルレアが公の場に出ることに、多少なりと憤りを感じているコーゼスを知ってか知らずか、皇帝はエルレアを指名した。


 本来なら、皇帝から家族を指名されるのは非常に名誉なことなのだが、指名されたのがエルレアとなれば、コーゼスにはこの申し入れを素直に喜ぶことができない。


 早々に食事を済ませたコーゼスは、セレンと同じ青色の瞳でエルレアをひと睨みすると静かに席を立ち、エルレアから最も離れた席で夕食をとっているセレンに告げた。


「セレン、宴では常に一人で行動するように。家族との接触は禁止する」

 わざと「一人で」を強調し、コーゼスは部屋を出て行った。

 セレンはフォークを口に差し込んだまま、下を向いている。


 沈黙が舞い降りた部屋で、エルレアとセレンは二人きりで料理と向かい合っていた。


 その時。


 キィーッッ、ガッガッガッ。キィーッ、ガガガッッ。

 エルレアが、いや、エルレアの手が沈黙を破った。

 甲高い音―黒板をツメで引っかくような音―と、金属と陶器がぶつかる音が、けたたましく響く。


 あまりにも突然のことに心臓が飛び上がるほどの衝撃を受けたセレンは、そのショックでしゃっくりをし始めた。もしや姉の身に何か、と思いエルレアを見る。


 その瞬間、セレンのしゃっくりは見事に止まった。

 キィーッ、ガガッ、ガガッ!

 彼の敬愛する姉は、機械人形さながら左手のフォークと右手のナイフで目の前の肉をめった刺しにし、八つ裂きにしていた。


 しかし彼女の目は皿を見ておらず、視線はまっすぐ前に注がれている。

 焦点の定まらぬ遠い瞳に、どこか危機感を感じ、セレンが再度エルレアの手元を良く見ると———。


「───ッッ!!」

 セレンは、危うくフォークを落としそうになった。

 姉の服の色のせいで気づかなかったが、しきりに動く姉の左手からは、絶え間なく鮮血がボトボトと落ちている。


 エルレアの指からしたたり落ちる赤い血は、既に原型を留めていない肉の上にも落ちる。

 かなりグロテスクな光景であった。


 ガッガッガガッ、キィーッ!

 裂ける大きさのない皿の上を、フォークが耳障りな音を出しながら滑る。

 ザッ、と右手のナイフが左手の親指をかすり、血が滲み始めた。それでもエルレアは気付かない。


「姉様!!」

 固まっていたセレンが椅子を飛ばして立ち上がり、エルレアに駆け寄る。

「姉様!?」


 ガクガク、と肩を掴んで揺らしてみても、姉は手の動きを止めない。

「エルレア姉様~っっ!! 手……手がぁ~!!」


 セレンは半泣きでエルレアにすがりつく。

 このままでは姉が出血多量で死んでしまうのではないかと案じたセレンは、刺す、裂くを繰り返す姉の両手をあらん限りの力で抑え込むと、辺りにはまた静けさが戻った。


 しばらくたって。

「セレン?」

 と、驚いたようなエルレアの声が室内に響いた。

 涙目のセレンが、正気を取り戻した姉に、ワッ、と抱きつく。


 エルレアは、じっと目の前にある血の池地獄(肉片付き)を冷静に見つめ、痛みを感じ始めた左手と交互に見比べた後、無言で頭の上の豆電球に明かりを灯した。

「姉様今何をしてたの~!?」


 ようやくエルレアから体を離したセレンは、ポケットから取り出したハンカチで姉の左手の指をキュッ、と縛った。応急処置のつもりらしい。

「すまない。少し考え事をしていた」


 エルレアの考え事とは、奇妙な命令を下した皇帝の真意についてだった。


 自分が養女であり、しかも貴族の血を引かない平民の娘である事は、既に世間に知られている事ではないのか。だからこそ、養父のコーゼスは自分を外に出すまいとしているのだ。グリーシュ家が貴族達の物笑いの種にならないよう。


 エルレアはこのグリーシュ家に来て以来、一度もグリーシュの塀の外に出たことがなかった。屋敷から出ることをコーゼスから固く禁じられ、本来貴族の娘達の晴れ舞台である様々な宴にも、出席していなかった。


 だから、自分の存在自体知っている者は少ないだろうと考えていた。そんな自分の元にいきなり来た、皇帝からの呼び出し。どんなに考えてもその理由が分からない。


(貴族達は、気に食わないだろうな)と、エルレアは考えた。

 平民の分際で、皇宮で開かれる宴に出るなど。

 エルレアとて自ら出席したいわけではないのだ。ハーモニア夫人はともかく、コーゼス卿の自分を見る目が以前にも増して厳しくなるのは必至なのだから。


 エルレアが軽くため息をついた時、姉にしがみついていたセレンが、ハッ、と血みどろの皿に目を移した。

「姉様、早くそれを処分しないと」


 召し使いが来る前に。

 もしもこの件が古参の召し使いに知れたら、あの父の耳にも入ることになる。


 父はそれを口実に、姉を別邸のどこかに閉じ込めてしまうかもしれない。しかも、母であるハーモニアの目が届かない事を良い事に、不慮の事故だとか言って薬で毒殺、もしくは餓死させようとすることも考えられる。


 自分の父にあれこれ疑いをかけたくないのは山々だが、ありえないことではなかった。

 セレンは皿を両手で持つと、火のない暖炉へ運んでいこうとした。が。


 ガシ。


 と、エルレアが椅子に座ったままセレンの肩に手を置いた。

振り向いたセレンの目をまっすぐに見ながら、真剣な表情で。


「セレン、罪もない善良な牛肉をそんな酷い姿にしたのはこの私だ。私の一時の考え事のせいでその肉が捨てられたのでは、肉となった牛があまりにも不憫だ」


 エルレアは、植物と動物(+セレン)に対してはどこまででも優しかった。

 姉の言っていることは正しい。正しい気はする……が。話の行方をどことなく察して、セレンは恐れるような表情を浮かべてエルレアを見た。


「少し鉄くさいとは思うが、ここは覚悟を決めて、その牛肉は責任持って」

 姉はしだいに思いつめた顔になっていく。視線をセレンからそらして、暗い声で言った。


「私が食そう」

 セレンの脳裏に、派手に雷鳴がとどろいた。

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