第三章 崇高なる乙女(第一部)
生誕記念祭翌日。
白く輝く大理石で作られた部屋で、二人の女性が話をしていた。
「シャルローナ」
「嫌です」
困ったような顔をする壮年の婦人に、若い娘が背中でぴしゃりと答える。
「お母様はどうも思われませんの? 皇帝陛下がお決めになられた、私の処遇に」
娘の紅の髪が、心なしか怒っているように見える。
「貴女の悔しさはよく分かっています。しかし、将来の皇太子妃たるもの、これぐらいの事で動揺するものではありませんよ」
「これぐらいの事、ですって!? 私の名誉に関わる事ですのよ、落ち着いていられるものですか!」
明らかに口調に怒気が混じっている。
「皇帝陛下は私に『ケーキがないからミルフィーユで我慢してくれ』と同じことをおっしゃったのよ!」
「口が過ぎますよシャルローナ! 皇帝陛下は貴女に恥をかかせぬようにと……」
「恥? 恥ならもうかきましたわ」
たしなめる母親の言葉も、娘の前ではもはや無力に等しかった。
「皇帝陛下のありがたいお計らいで」
「シャルローナ!!」
「何か違う所がございまして? シンフォニー様が行方知れずになったから、今度は弟のスウィング様と婚約する……これほど笑いの種になるものはありませんわ! しかもそれには条件付き。一ヶ月以内にシンフォニー様が戻られれば、私はシンフォニー様の婚約者のまま。そしてスウィング様はグリーシュの娘と婚約……そういう二つの台本を、皇帝陛下は作っていらっしゃるわ。……どこまで女を馬鹿にすれば気が済むのかしら、殿方って」
「第二皇子殿下の妃については、まだ何も決まっていません。陛下の取り決めを恣意的に解釈するのはおよしなさい」
「どちらにしても、私に対しての措置は変わりません」
「では、貴女は何を望むの? 私と陛下の兄、ソリスト皇子を知っているでしょう?」
ソリスト皇子。ハーモニア・ド・グリーシュの実の父親であり、この帝国の皇太子だった者。そして、シンフォニー皇太子と同じように、行方をくらました。
「幸い貴女はまだ結婚していなかった。陛下はもう、カトレア様のような人間を出したくないのよ」
カトレア・ド・グリーシュは、ハーモニアの母であり、ソリスト皇子の妻だった女性である。つまり、セレン・ド・グリーシュの母方の祖母にあたる。
ソリスト皇子がいなくなってからのカトレアの人生は、悲惨なものだったという。
カトレアにはソリスト皇子との間に二人の子供がいた。息子のフーガと、娘のハーモニア。だが、フーガは幼くして命を落としてしまう。その原因は未だ不明とされている。皇位継承権のあった子供を失い、ソリスト皇子も失ったカトレアは、皇族から追い出されるような形で、実家であるグリーシュの屋敷へ戻った。
そして、ソリスト皇子失踪のわずか五年後、三十歳の若さで他界してしまう。
「もしも、お母様の言う通り、陛下が私を思っておいでなら……」
優雅に、少女は振り返る。
「何故、陛下はシンフォニー様を探そうとなさらないのです?」
灰色の瞳が、強く答えを求めていた。
「……!」
皇帝は、シンフォニー捜索を始めようとしていた兵達を止めた。
そして探すどころか逆に、皇太子失踪を一ヶ月の間内密にするように、関係者達に指示したのだ。
まるで、シンフォニー皇太子が自然に帰って来るのを待つかのように。
「私の今の望みは、ただ一つ」
その双眼にあるのは、何ものにも屈することのない気高さ。
「シンフォニー様にお会いすることですわ」




