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序章

「行っておいで」


 その言葉を優しく紡いだ二番目の兄は、悲しみに揺れる緑の瞳を長い黒髪で陰らせていた。

 光を強く反射するその髪に、淡雪がとまっては消えてゆく。


「お守りに、持って行きなさいね」


 そう言って姉は、母の形見である銀の髪飾りを、私のカバンに入れた。


 リン……チリン……リン……


 手が震えていたのだろう。姉の細い腕に通された鈴のついたブレスレットが、しきりに鳴っていた。

 彼女の左頬には、痛々しい青アザがある。

 きっと、父に逆らって殴られたのだろう。


 白く儚い雪は、姉の美しい金の髪にも水晶のような跡を残していく。

 姉はしゃがんだ姿勢のまま、アザがある頬を髪で隠すように小首を傾げ、私を仰ぎ見た。

 兄より淡い緑の瞳が、静かに告げる。


 たったひとりの幼い妹の、幸福を願う言葉を───。


───雪。決して積もることのない、悲しい雪。


 道という道もない森の奥の小屋の前に、一台の茶色い馬車が止まっていた。

 御者と思しき大柄な男が、苛立ったように舌打ちする。


───寒い……。


 小さく吐いた白い息が、すぐに辺りの空気へ溶け込む。


 フワッ、とウェーブのかかった金の髪が、視界を優しく覆った。ほのかに暖かい、消えてしまいそうな姉の体温を感じる。

 小屋の古い扉が開き、中から厳格な顔立ちの男が億劫そうに出てきた。


———私の父親。


 彼は悲しんではいなかった。笑いもしない私に情がうつる訳も無く、また彼自身、愛情というものを持ち合わせていなかった。

 どうでもいいことなのだ、彼にとっては。


 四人の息子と二人の娘の内、幼い娘がいなくなったところで人手が足りなくなる訳ではない。むしろ生活が楽になるのだ。

 姉の髪ごしに見た、早く行けといわんばかりの父の顔に、反論することもできなかった。


 つらくはなかった。姉や二番目の兄と別れるのは悲しかったが。

 涙も出なかった。泣いたところで父の決定が変わることはない。


 いや、そもそも、あの頃の私には表情というものがなかった。

 姉が、抱きしめていた腕を離す。

———泣いている。


 はらはらと絶え間なく舞い散る雪の中、私は古ぼけたスカートのすそを、


 フワリ、ひらめかせた。


 リィ……ン……


 姉と同じブレスレットの鈴が、余韻を残して大きく一鳴りする。

 身を翻した私は、リンリンリン、と腕のブレスレットを一定のリズムで奏でながら、馬車へと走っていった。


 振り返らずに───。

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