虹を描く少年 2
早々と日々は過ぎて、学校生活が残り少なくなると、彼は一大決心をして彼女のために絵を描き始めた。そして卒業式が終わって校門の前で待っていると、いち早く彼女の姿を見つけた彼が駆け寄って、さっと描いた絵を差し出した。
額に入ったキャンバスには大きな桜の下に一人の少女が佇んでいた。満開の桜の枝と彼女の影が交差して、周囲には木漏れ日が光条となって幾重にも射し、花びらは鮮やかに人生の門出を祝い、薫風が犬耳と黒髪をなびかせ、朗らかに微笑をたたえている少女が水彩にて描かれている。
彼はその絵と、共に自身の想いを綴った手紙を差し出した。手紙を手にした彼女は感涙し、
「ありがとう、この絵は宝物にして部屋に飾るわ」
そう言って彼女は去っていった。
それからアルバは天にも昇る気持ちで慕う彼女の返事を心待ちにしていた。だがその三日後に母親は倒れてしまった。最愛の人と死別して以来、アルバはオメガを育てるべく日々奔走し、彼女への想いを路傍の花のごとくとして、忘却の彼方へと置き去りにした。それから一年余、いまアルバの中では情熱が湧きおこり、将来は画家になると発心して再び筆をとった。そうしてわんわんお広場の片隅で、オメガを傍に置いて似顔絵を描いている。
画家に限らず、いずれの分野にて自身の可能性を開花させるには、それ相応の努力が必要である。駅前広場にアトリエを移した彼は独自の表現を模索していた。一枚一アール(※円換算にしておよそ百十円)からという料金設定は彼自身が自己を過大評価しないようにする戒めと、一枚一枚を真剣に描く心構えからきている。
似顔絵を描くのは、なかなかに難しい。第一に時間が限られている。時間をかけて描くのは簡単だ。だがそうした場合、客にとっては不快なものになってしまう。なにせ金銭の授受が生じるからである。それで彼は描く時間を十五分に設定した。第二に、この十五分でいかに対象の特徴を捉え、それを色紙に描くかが問題である。そのために彼は試行錯誤した。まず、多岐に富む色を使うのを諦めた。理由は時間と材料のコストがかかるからだ。絵の具はその材料費と、いちいち筆を変えるのに時間がかかってしまう。それでは色鉛筆はどうだろう。これならコスト面はクリアしている。問題は時間だ。試しにオメガをモデルにして描いてみたが、納得できる物を作るのにどうしても十五分を過ぎてしまう。それでやむなく色鉛筆を使うのを諦め、鉛筆一本で描くことにした。
時間は解決した。あとは対象をいかに描くかだ。忠実に描くことはかえって不興を買うので、これは良くない。どうしたものかと考えているアルバが、そうだ! と言って閃いた。それは母親を描いた絵を見せた時のことだ。その絵を見て、彼女がこう呟いた。
「うーん、わたしって、こんなに老けて見えてたのかしら……」
それを聞いて今度は描く際に陰影や光の加減を使ってシワを無くしてみると、その絵を見た彼女はおおいに喜んだ。その事を思い出した彼は陰影と光を用い、対象をより可愛らしく、より恰好良く、より美しく、年代にあわせて客が喜ぶように描くことにした。さらに加えてオメガがこれに一役買っていた。オメガはいつもアルバのすぐ傍に座っている。すなわち客から見ると、アルバの腰より下に位置している。したがってオメガと話す客は自然と視線が下にいき、顎を引く形になる。これにより陰影ができ、かつ自然な表情が出来る。若い男性なら思慮深げな、若い女性なら物憂い気で魅力的な、年配の人なら慈悲が滲み出る風に描かれた。こうした努力が実を結び、花とひらいてアルバの似顔絵屋は評判となっていった。