虹を描く少年 1
生活が安定してくると、アルバの心に希望が生まれた。将来の夢ができたのだ。銀髪直毛で、碧青の瞳をした少年の夢とはどんなものだろう。
一つは好きになった人と結婚し、子宝に恵まれた、幸せな家庭を築くというものだ。幼少期のアルバの小さき眼には常にアルフレッドとイェオーシュアの笑顔があった。幼いながらにも両親から受けた愛は目に見えないものとして彼の奥底に浸潤していたのである。そんな彼は将来の伴侶とする女性の理想を母親とした。イェオーシュアのように才華に溢れ、常に前向きで、仕事に誠実で自立した女性と幸せな家庭を築きたいと、淡い幼心に浮かべていた。
いま一つは画家として世に出て、大成したいというものだ。ある休日、何とは無しにアルバは壁にかけてある、一枚の絵を見つめていた。そこには大小色鮮やかに咲くかすみ草が描かれている。生前、母親の誕生日に贈った絵だ。ふと瞳を閉じてみれば、心眼には慈愛に溢れた母親の笑顔と、耳朶には母性特有の、優しい声が聴こえてくる……。そうしていると、彼の心奥からふつふつと湧いてくるものがあった。やがてそれは彼を突き動かした。しばらく棚に上げて発酵させた夢をそっと取り出した。
夢のきっかけは単なる暇つぶしであった。リビングの卓袱台の上には二、三輪のかすみ草がいつも飾られていて、おかっぱ頭をした小さなアルバが鉛筆一本でノートやメモ帳に描いていた。初めて描いたかすみ草はいびつで拙いものだったが、子供らしいあどけなさと愛嬌が滲み出ていた。夕食後、母親に見せると大いに褒められた。幼少のアルバにはそれがとても嬉しくて、この上ないものだった。そうして描くとまた褒められを繰り返していると、より綺麗に、より美しく、ありのままを描きたいという向上心がアルバ少年の胸中に芽生え、次第にその思いは回転し、加速していった。
学校では母親に怒られない程度に勉学に励み、空いた時間を見つけては隣の席にいる女の子をモデルにして、こっそり描いていた。しかしテストの時間には先の事は出来ない。なぜなら前方には担任の先生がいるからだ。それならばと考え、アルバは先生をモデルにして答案用紙の裏に描く。はたして答案用紙が返ってきた。裏を見ると、"良くできました"と、赤いペンで花丸が描かれている。それを見てアルバは満足そうにうなずいていた。学校でいじめられることはなかったが、友人は居なかった。その理由は実に単純で、遊び時間には絵を描き、学校が終わるとすぐ家に帰っていたからである。母親という太陽を中心にしてアルバという惑星は公転し、喜ばせようと自転していたのだ。
母親を助け、オメガをあやしながら学校に通う日々はなかなかに忙しかったが、彼にも好きな女の子はいた。小学五年のクラス替えの時から黒髪で犬耳をした彼女が気になっていた。それなのに彼は内気で話しかけることが出来ないでいる。それで仕方なくこっそりとその子の容姿を描いていた。この頃になると、彼はありのままを描く写実的な絵ではなく、光や物事の変化、表情の機微を表現する、いわゆる印象的な絵を描く勉強をしていた。学校の図書室にある本を借りて、印象派と呼ばれる画家達が描いた絵を見ては、モネの鮮烈な色づかいや、アンリ=ルソーのどこか郷愁を想わせるタッチを自分のものにすべく、日々修練していた。