アルバとオメガ 1
幸福のゆりかごに心身を委ねていた少年に大きな試練が用意されていた。それはまだ十六才のアルバにとって、あまりに険難な、あまりに不条理な、あまりに大きな陥穽であった。これは聖なる神意だったのか。はたまた邪なる悪意だろうか。どちらにせよアルバはこの事件により、彼にして絶望すら感じさせない奈落の底に突き落とされてしまう。魂を奪い盗られ、五体を寸断され、光明を失い、声を出すのを彼に忘れさせたのだ。この純真無垢なアルバ少年を闇黒の深淵に閉ざしたのはいかなる事件か。オメガの夭逝である。
また一人、彼は最愛の人を見送らねばならない。母を看取った二人のうちの一人が母のいる、神の御許へ旅立たねばならないのだ。二人で手を繋いで、母の眼前で誓ったその手から温もりを得ることが出来なくなる。共に食事をし、起臥することが出来なくなる。苦楽を分かち合うことが出来なくなる。いわば啓示ともとれる、母の遺言を果たす使命が失われる。そうして光無く、夢無く、希望無く、あるのはただ虚無だけが残り、地上に置いてきぼりにされてしまうのだ。
どのような事象にも、始まりと終わりがある。その終わりからまた始まる。そうして歴史は連綿と紡がれ、連環しゆく。これが宇宙の法則であり、また真理である。賢く、逞しく、素直に、誠実に、苦労を分かち合い、手を取り合い、力を合わせて楽しく過ごしていたこの兄弟の日々にも終わりが訪れる。降り止まない雨はないのだ。
カンカンと、だれかが拍子木を鳴らす。
それを合図にキリキリと幕があがっていく。
アルバはいま、なにしている。
* * *
残暑厳しい九月下旬、アルバは定期検診の結果を聞くために病院に来ていた。オメガの手術から兄弟は月に一度必ず検査を行い、医師に経過を報告しているからだ。看護士に呼ばれてアルバは診察室に入り、医師が深刻な顔をして重々しく口を開いた。
「アージェンティークさん、良く聞いて下さい。オメガ君の病気が再発した可能性があります」
「えっ……?」
「先月の検査結果と先日の検査結果を比べると白血球の数値が通常より多く検出されたのです。詳しい検査をして入院することを勧めます」
「そんな……」
人はあまりに強い衝撃を受けると五感を失ってしまうことがある。陽光と雑踏と風のそよぐ感触、そういったものが卒然と消え消えになってしまう。夢か幻か、いまのアルバはただ下を向いてとぼとぼと歩いていた。そうしてわんわんお広場に着いたアルバは花壇の傍らにあるベンチに腰掛け、手を組んでしばらくそうしていた。
――また、入院するのか。どうしてオメガばかり辛い思いをしなければならないのか。どうして……。
ふと子供達の駆け回る声がした。顔をあげて弟の姿があるかと辺りを見回す。しかし影はおろか形すら無い。それでまたアルバは顔をうつむかせた。医師の話によれば、移植手術をするにはドナー提供者を待つしかないとのことだった。アルバの骨髄をもう一度移植するにも、オメガの体が順応しているので効果は皆無に等しい。薬剤を投与して進行を抑えるにも限界がある。時間が限られているのだ。この医師の告知は彼にして深刻なダメージを与えていた。
――ぼくと弟には待つことしか出来ないのか……。
そう思い、彼は痛心していたのである。




