英雄との邂逅 11
時刻は正午をまわり、さっきまで晴れていた空にはいつの間にか分厚い、少し黒みがかった雲が覆っている。部屋が暗くなったにも関わらず、アルバがキャンバスに向かっては首を捻らせている。絵に描く影の黒をどう表現するか、そのことに彼が忘我している。ふとシャノワの声が聞こえたような気がした。幻聴だろう、そう思ってパレットの黒に少しずつ紺や鉛筆の芯を削って粉末にしたのを混ぜる。
「アルバ」
その呼び声に気づき、つと振り向けばシャノワが立っていた。
「や、やあ……、いらっしゃい」
「お、おじゃまします」
「ちょっと待ってて、いま片付けるから」
「そ、その前に何か……、着て欲しいかな……」
「えっ? あ、ああ! ごめんごめん!」
言いながらアルバは寝室に移ってそそくさと間仕切りを閉める。アルバが着替えている間、シャノワはリビングに置かれていたキャンバスを見つめていた。まだ下絵の段階ではあるが、そこには直い長い髪に犬耳をした女性がミシンを使って仕事をしている。その構図は少し変わっていて、真横からではなく、下から見上げたような感じで描かれている。気づけば服を着たアルバがシャノワの側に寄り添って、一緒に見ていた。
「これって美術館に応募する作品?」
「うん、これから色を塗っていくところだよ」
「ふうん……」
そう言ってシャノワがさりげなく体を寄せてみせる。ほのかに香る、甘い匂いにアルバは酔ってしまいそうになったので、さっと顔を背けてしまった。それに気づいたシャノワが言う。
「動いちゃダメ」
女神に命令されて、アルバは動けなくなってしまった。シャノワが彼の耳を優しくつまんで顔を寄せる。それでアルバは観念した。互いの吐息が感じられたその時、ふいに外から聞き覚えのある声がしてきた。
「プティ、早くするんだお! お空がゴロゴロいってるから、早くしないと雷様に耳を取られてしまうんだお!」
「耳取られたくないお!」
「ただいまーだお」
と、オメガが言って玄関に入った途端、土砂降りの雨がざんざと降ってきた。
「間一髪だお。オメガの勘は良く当たるお」
プティが言うのを聞いて、オメガが誇らしげに鼻を鳴らしつつリビングに入る。
「シャノワお姉さん、いらっしゃいだお」
見るとそこにはアルバが丸椅子に座ってパレットを持ち、その隣にシャノワが素知らぬふりをして立っていた。
* * *
月日が経つのは早いものである。中旬にもなると、レウレトは長期休暇(といっても一週間しか取らなかったが)を取って、子供達を連れて欧州旅行に行っていた。もちろんシャノワもこの旅行に参加している。なのでアルバは少し寂しかったが、その分コンクールに出品するための絵に専念できた。そしてようやく完成した絵を額に納め、専用のかばんに入れて美術館に届けに行く。担当した係員がこの絵を見て目を丸くしてはしきりにうなずいていて、その反応にアルバは確かな手応えを感じて帰路に着いた。
それから少しして夏休みの残りが一週間となった頃、アパートではオメガがプティと一緒に読書をしていた。
「ふう、おもしろかったお」
そう言って“至聖郷へ”と書かれた本をオメガが閉じる。と、プティが真剣な面持ちをして表紙の題字をじっと見つめていた。いつもと様子が違うな。そう察したオメガがプティに声を掛けた。
「どうしたんだお?」
「うーん……、何か大切な事を忘れてるような気がするお」
「大切な事?」
「うん……、でも思い出せないから考えるのやめるお」
「フフッ、確かにその通りだお」
言ってオメガはにっこり微笑んだ。




