希望と憂鬱の狭間 4
「アルバ」
「はい」
「おめえの母ちゃんはな、てめえが一番大変だった時、おれに一言も言ってくれなかった。そりゃあ確かに事情があったんだろうが……、水臭え話じゃねえか。言ってくれりゃあ手助けなりなんなり出来たかもしんねえのによ。だけどな、おめえはおれに話してくれた。そうだな?」
「はい」
「店のことは心配いらねえ。有給休暇ってことでしばらく仕事を休め。おめえだけにしか弟を助けるこたあ出来ねえんだ。おめえが弟に支えてやるんだ、いいな?」
「はい、親方、ありがとうございます」
「いいってことよ、おめえが弟を元気づけるんだ。おめえがへこんでちゃあ話にならねえ。だから元気だせ。わかったな?」
「はい!」
「その意気だ」
職場から帰ると、アルバはソファに座り、銀色に鈍く光る指輪を手のひらに乗せて、じっと見つめていた。
「お母さん……」
そう呟き、広げた手のひらを握りしめ、額に当てて祈っていた。不安を塗り潰すよう、何度も弟の名を胸中で呼んでいた。そうしていると、アルバの脳裏にオメガの太陽のような笑顔と、黄昏色の記憶がまざまざと浮かび上がってきた。膝に抱えて、哺乳瓶でミルクを与えていたこと。自分がそうされたように、胸を優しく叩いて子守唄を歌ったこと。オメガが昼寝をしていて、それを描いていたこと。初めて"ニーニ"と呼ばれたこと。ありふれた日常の色々なことが思い出されていた。そういった思い出のなかには必ずイェオーシュアが傍らに居た。いつも傍にいたオメガがいなくなると思うと……。
すると突然、もう一人のアルバが轟然として叫んだ。
――しっかりしろ! 一番苦しいのはオメガじゃないか、めそめそしてどうする。僕が明るく振る舞って、そしてオメガを勇気づけるんだ!
踏ん切りがついたのか、アルバは決然として顔を上げ、もう一度掌中にある指輪に目を落とし、胸中にてこう唱えた。
――お母さん、どうかオメガをお守り下さい。
* * *
アルバが昼食を作っていると、オメガが学校から帰ってきた。
「ただいまーだお」
「おかえり」
「あれ? ニーニ、どうしたんだお?」
「ああ、今日は早く上がっていいって、親方が言ってくれたんだ」
「ふーん」
「もうすぐご飯できるから、手を洗って待ってなさい」
「わかったお」
言ってオメガはランドセルを開けてプティを出してやり、洗面台で手を洗いながら続けた。
「ニーニ、ご飯食べたらユウちゃん家に遊びに行ってくるお」
「わかった、買い物はやっておくから、気をつけて行くんだぞ」
「はいだお、五時の鐘までには帰るお」
昼食を終えるとオメガはプティをかばんに入れて遊びに行ってしまった。
――元気そうに見えるオメガは果たして病気なのだろうか? 嘘ならそのほうがいいに決まってる。でもオメガは……。
そう思うと、再びアルバに憂鬱が訪れてきた。その度にまた希望が顔を出した。だが決着はつかず、追い払われた憂鬱は草むらに潜んでじっと様子を窺い、希望は草むらを睨んでいた。こんなふうにしてアルバの胸奥では憂鬱と希望が闘争を繰り広げ、波のように寄せては返っていたのである。
その日の夕食後、アルバはオメガに病気のことを告げ、翌日の朝に兄弟は病院に向かった。




