シャノワの憂鬱 1
オメガとプティが百科書店でユウと昼食をとっている頃、アパートではアルバとシャノワが他愛のない会話をしていた。しかしその会話は途切れ途切れで、なかなかに気まずい雰囲気が二人の間に横たわっていた。どうしたものか……、そう思いつつアルバがロダンの作った彫刻の格好をしている。
――いや、しかし、いったい、どうしてシャノワはこうも可愛いのだろう! あの艶やかな黒髪に指を通してみたい。手をつないでみたい。
彼女に嫌われないように、ごく自然に振る舞って先の欲求を満たすにはいかにすべき。どうしても良い方法が思いつかない。こんな時に頼みの参謀は不在である。ああでもない、こうでもないとアルバが頭を抱えて悩んでいると、さらりとシャノワが口にした。
「ねえ、アルバ」
「うん?」
「お腹空かない?」
言われてアルバが見ると、時計の針は十二時の少しく手前を指している。
「そうだね、お昼にしようか」
言って冷蔵庫の中を見るが、ほぼ空である。ミーファと墓参りに行ったきり、買い出しするのをすっかり忘れていたのだ。
「ごめん、なにも残ってないや」
「じゃあ一緒に買い物に行きましょ。そうだ! 今日はわたしがお昼ご飯を作るよ」
「ほんと?」
「ええ」
「わ、わかった、じゃあ行こうか」
* * *
夢を叶えるために弟に椅子を持たせ、自身は希望と絵画道具を携え、広場にて鉛筆を走らせていたアルバの前に、卒然と彼女が現れた。名前はシャノワ=ミネット。花もうらやむ十六の乙女である。春風そよぐ中、嬉々として花々が咲き誇るように、十六の春が彼女の前に門戸を開いていた。彼女はアルバより一つ年上なのだが、小学校を一緒に卒業しているのにはそれ相応の理由がある。少しくここに記していきたい。
出自はロンシャンと同じ奴隷である。一九八九年、貴族や上級将官の集まる秘密倶楽部主催の競売が米帝にて行われていた。会場は警察の介入不可能な治外法権の認められているロシア大使館である。そこには金剛石を散りばめたドレスを着た婦人、意匠を凝らした軍服に数えきれない略章徽章きら星と飾った軍人が居て、いまや遅しと競売の始まる時を待ちつつ人々は歓談に耽っている。
絃歌地に響くなか、戸口の方でなにやらがやがやと人々が騒がしくしていた。何事だ? と、その騒ぎを聞きつけて集まる人々がモーゼの大海原を二つにするかのように列を割って押し出されてきた。その中を鉄のような顔をした一人の小男が従者を連れて、鏡のように磨きぬかれた床の上をつかつかと歩いてくる。兵卒の着用する緋色の軍服、腰には朱拵えの佩刀、七対三に分けた赤髪に鏡面加工を施した偏光サングラスという出で立ちを見た人々の誰かが、
「ルクレール公爵閣下!」
と魔術師のように声をあげた。すると流麗な音律がぱたりと止んで、会場は一瞬にして静寂に包まれた。しかしそんな雰囲気を意にも介さず小男が鷹揚と会場の中央へと進んでいく。
「なぜルクレール公がここに?」
「知らないのか? 彼はドッグコレクターとして有名だぞ」
「じゃあ彼もこの競売に?」
「そうだ、今回は彼の独壇場だな」
「なぜ?」
「見ていればわかるさ」
はたして競売が開始されて、会場は興奮の坩堝と化した。




