ル・プティ・カポラール 5
「はーい」
アルバがドアを開けたその瞬間、彼の時が止まった。そこにはいつものメイド服ではなく、上は水色のブラウスに緩く絞めた赤のネクタイ、下は膝まである赤と黒のチェック柄のミニスカートを黒のサスペンダーで留め、黒のハイソックスと褐色の革靴を履いた、白の帽子を被ったシャノワがいた。アルバの眼から電流が入り込み、総身を駆け巡る。彼は自身の心を彼女に奪われたかのように放心していた。それを不思議に思ってシャノワが言った。
「どうしたの?」
「いい……」
「えっ?」
「い、いやなんでもない! さあ、あがって」
アルバに促されてシャノワがソファに腰を降ろすと、手提げかばんを肩に掛けたオメガがシャノワに挨拶を済まし、そうして意気揚々と玄関を飛び出していった。
「わたしが来ると、オメガ君いつも居ないか、居てもすぐに出掛けちゃうわね」
そうシャノワが本心を隠しながら言うと、
「そうかなあ、あいつもいろいろ忙しいのさ」
とアルバも本心を隠して答える。そうして二人はオメガに感謝していた。
梅雨は明け、辺りに生温かい風がそよぐ。日は中天に昇り、強烈な日差しが容赦無く地面を焼き、遠くの景色は陽炎のせいでゆらゆらと揺れている。途中、プティがかばんから体を出して、オメガに訊いた。
「これからどこに行くんだお?」
「本屋さんだお、もうすぐ着くお」
凱旋通りに入って少し歩くと、右手に店の大きさに似合わない百科書店の小さな看板が見える。店内には外の暑さをしのぐために立ち読みをしている客が並んでいて、その下をくぐり抜けつつカウンターに向かうとオメガが挨拶した。
「ユウちゃんのお母さん、こんにちわだお」
「あらオメガ君、こんにちは。ユウは今お買い物してるわよ。もう少ししたら帰ってくるから中で待っててちょうだい」
「ありがとうだお、ところでマスターはいますかお?」
「お父さんなら庭いじりをしてると思うわ」
「ありがとうだお」
店の奥に行くと"関係者以外立入禁止"と書かれた看板がドアに掛けられており、中に入るとダイニングキッチンに出る。右手には勝手口、左手は居間へと通じていて、さらに進むと縁側に面した六畳ほどの庭が広がっている。そこは不思議な空間だった。庭一面に天然の芝生が敷かれ、中央の奥に一本の桜の木が葉を茂らせて日光を満遍なく受けている。その木陰にある台の上に盆栽を置いて、小さな剪定ハサミを持った初老の男がしげしげと観察していた。
「マスター、こんにちわだお」
「おお、オメガ君か」
「なにやってるんだお?」
「これかい? これは盆栽といってね……、ちょっと待ってなさい、すぐ終わるからね」
いまオメガの前にいる、好々爺然とした老人は名をフェデリコ=フラットレイという。百年戦争に従軍した元米英帝国陸軍准将で、レウレトの親しい友人の一人である。
「やあ、待たせたね。いまサイダーを持ってくるよ」
少ししてビールとサイダーを乗せた盆を持ってフェデリコが戻ってきた。
「さあ、グラスを持って」
言ってフェデリコがグラスにサイダーを注ぐ。炭酸の音をさせているそれをオメガが褐色の瞳を輝かせては見つめている。栗色の犬耳をした少年にとって、いまグラスにサイダーを注いでいるこの老人はまさに憧れであった。ある日いつものように本を探していると、フェデリコがこれはどうかと薦めてきた。それはユゴーのレ・ミゼラブルである。ユゴーの小説は時に冗長的で描写が多すぎるために時折めまいを起こすこともあったが、努めて読み進めるうちに叙情詩のような物語はオメガ少年を感動させた。それはまるで自分が当時のフランスにいるような感覚に陥り、お伽話のような世界は不思議に満ち溢れていた。その感覚は侍と忍者がいて、神社仏閣と城がある皇国の安土桃山時代を西洋人が時間旅行するような感覚に似ている。




