散雨月下 1
皇国は特有の梅雨に入り、しとしとと降る雨は一向に止む気配を見せない。人々は深刻な湿気に鬱々としている中、紫陽花だけが一人この世の春を謳歌して傘をさした広場のわんわんお像がそれを見つめている。とある休日、兄弟は自宅にて思い々々に過ごしていた。オメガはリビングに欧州共和国の地図を広げていて、ナポレオンの伝記を読んではこの英雄児の足跡を追っている。ソファに腰掛けたアルバは漫然とオメガの様子を見ていた。そうして時折ため息を零している。いったいどうしたのだろう。
いまアルバ少年の心に一人の少女が棲みついていた。そう、ショートカットの黒髪に深紅のメイド服を着たシャノワだ。広場で出会って以来、あれから彼女は決まって日曜の午後にアルバの元へとやってくる。その時間が近づいてくるにつれ、彼は背筋をソワソワさせ、くすぐったそうにしてムズムズとしっぽを動かしていた。そうして彼はいつも自分の所に来るのを祈っていた。しかして祈りが通じると、彼のハートは安堵感と同時に喜悦に満たされた。その横でオメガがポツリと呟いた。
「運命の再会だお」
それを聞いてアルバが一瞥すると、オメガが顔をニンマリとさせていた。
いつものように椅子を磨いて、王女様を迎えるようにうやうやしく座らせて、それから彼女を描き始める。十五分という時間が彼の全てだ。話したいこと、聞きたいことは山ほどある。だが今は全身全霊を懸けて目前にいるシャノワを描くのだ。恋慕う彼女の全てを脳裏に焼き付け、一心不乱に描く彼の瞳は、刀匠が火に入れた鋼を鎚で鍛えるがごとく、まさに真剣である。そうして出来上がる絵は毎回違うものだが、殊更にそれがシャノワを喜ばせた。
「ありがとう」
清らかな声でシャノワが言ってお金を渡そうとする。しかし彼は受け取るのを断ろうとした。時に金銭には代えがたい経験があって、シャノワとの一時が彼にして掛け替えのないものだったのだろう。そんなアルバの申し出を聞いて、シャノワがこう提案した。
「んーと……、じゃあ、アルバ君の自画像を頼めるかしら? そうすればお金を渡せるでしょ?」
「う、うん、わかった。じゃあ次までに描いておくよ」
「楽しみにしてるわ、じゃあ」
そんなふうにして思いがけずに彼女と約束をして、その日から何度も自画像を描き、やっと納得のできる絵が完成した。にもかかわらずだ。約束をした休日がきて、いざ! という心構えでいたら、外は生憎の天気である。アルバは長大息した。
寝ても覚めても彼女の姿が卒然と現れた。そして至るところに彼女の存在をアルバは感じていた。
猫のしなやかさを想起させる、少し内側に跳ねた黒髪。
白磁の滑らかさと、花のみずみずしさを持った肌。
くっきりとした二重のまぶたに整った眉。
凜とした表情に、どこかしら妖しく光る双眸。
細い鼻と、その白い肌に映える、薄桃色の唇。
風鈴を想わせる、清らかな声。
黒のチョーカーが巻かれた可憐な首筋。
たおやかに折れる腕に白魚のような手。
思わず支えたくなるような細い腰回り。
メイド服で厚く覆われた脚はきっと美麗に違いない……、いや、そうに決まっている。
心の奥底で燃えあがる、この炎を鎮めるためにはどうすればよいのだろう……。そんなふうに悶々としていた兄が気になったのか、オメガが声をかけた。
「ニーニ、どうしたんだお?」
「いや、なんでもない」
そう言ってアルバがため息をつく。
「またため息ついたお、もう二十五回目だお」
「そんなにしてたか?」
「してたお」




