虚像の雪
これはテーマ小説企画の参加作品です。
テーマは「雪」です。
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澄んだ青い空。
雲一つない快晴と季節外れの向日葵。
誰かが、向日葵は天に向かって咲くって言ってた気がするけど、向日葵はどれも項垂れている。
空の真ん中にある太陽に、温もりがないからかもしれない。
今日に限って、何の迷いもない空の色。
だから、私は泣けなかった。
【虚像の雪】
自分の腰辺りで咲く色あせた向日葵。
何度も、それが苛立たしくて踏み潰そうとした。
でもその度に、どうせすぐ枯れるだろう、と思い直す。
暦はもう十二月へと入ろうとしている。
冷たい北風に揺れるそれは、惨めを通りこして滑稽だ。
私は、見慣れた煙草に火を点けて、紫煙を吐き出す。
冷たい土の上に腰を下ろし、項垂れたまま揺れるそれと目を合わす。
胸の内に広がる形容しがたい生ぬるいもやがかった感情とその奥にある強い痛み。
一体これは何なのだろう。
「お前なんか、早く枯れてしまえ。」
睨みつけたって、反応はない。
私はもう一度、煙草の煙を思いっきり吹きかけてやる。
肺に、煙を沢山入れたせいか、頭の奥がくらくらした。
私は、元々愛煙家などではない。
煙草を上手いと思った事もなければ、身体自体に合わないのか、吸えばたちまち気分が悪くなる。
酸欠のように脳が麻痺するし、視界が揺らいで蛍光色の残像のようなものが見えはじめ、
徐々にすりガラス越しに世界を見ている感覚に陥り出す。
そんな私が嫌いな煙草を吸い続けるのは、アイツの影響だ。
そんなアイツは、もう二年も前に、煙草をやめてしまったけれど。
アイツにとって煙草は、アイツの一部だった。
出会った時も、共に過ごした時間も、アイツの左手にはいつも、当然のようにマルボロがあった。
そう、二年前のあの日までは。
あの日、私はヒメヒマワリを手にアイツを尋ねた。
好きな花は?と訊いたら、ヒマワリとアイツが言ったからだ。
きっとアイツの想像してたヒマワリとは、違っただろうけど、アイツは笑ってアリガトウと言った。
慣れた仕草で、アイツは煙草に火をつけ、私はその煙を目で追って一つ、気付いた。
煙はゆっくりと白い天井へとぶつかる。
「ねぇ、ここって禁煙じゃないの?」
「あ、忘れとったわ。」
アイツは、無邪気な笑みを浮かべて、煙草を水の入ったグラスへと落とした。
「じゃあ、これは、お前にやるわ。」
そう言って渡されたマルボロの箱とジッポ。
私は、何だか重大な過失を犯したような気分で、それを受け取った。
窓から差し込む光さえ、陰鬱な色を帯びる病室で、ヒメヒマワリだけが場違いな色を発している。
私は、その花の色を好きになれなかったけど、アイツは気に入ったらしく、かわいい、と事あるごとに言っていた。
花は嫌いだ。花は取り替えても取り替えても、いずれ枯れる。
時間には、勝てないし、勝てない時間の経過を知らされるのも、私を苛立たせた。
希望のない時間の経過。
アイツは、身体の一部でもあった煙草を手放してから、どんどん病んでいった。
私を迎える無邪気な笑みを、痛ましく感じるようになったのは、それからほどなくしてだ。
「生きてるって死んでるって事なんや。死ぬ日は決まってて、それに向かって進んでんのやから、人は毎日死に向かってる。早いか遅いか、それだけや。」
アイツが、冷めた目で、遠くを見つめながらそう言い出したのはいつからだろう。
私も、アイツも、その頃にはわかっていた。
自分達には、どうしようもないのだ。無力なのだ。
何かをどうしようもなく憎みたかった。
「永遠」なんてないし、「愛」なんて言ってられない。
あるのは、陰鬱な絶望だけだ。
「煙草、ちょうだい。」
最後の退院の日、アイツはそう言った。
私も、言われるままにした。
そして、一口吸って、すぐに止めてしまった。
「もういいの?」
「おいしくない。」
悲しそうに、笑って
「あんまり、吸いたいとも思ってなかったけど。やっぱり、永遠なんてないんやな。もう、俺は前の俺じゃない。煙草が合わんくなったみたいや。」
私は、何か言えただろうか。
ただ、胸の中にある暗い痛みを堪えるのに必死で、結局何の言葉も発せず仕舞いだった私は。
アイツは、アイツに戻れないまま、病院へと戻っていった。
私は、煙草が嫌いだ。
それでも、ポツリと行き場を失ったその煙草を、私は吸い続けている。
紫煙は、ゆらゆらと天高く、白い雲の先へと昇っていく。
アイツのところへ、たどり着けるだろうか?
永遠なんてない。
そう思っていたけど、永遠はあった。
アイツと私は、永遠に出会う事は出来ないのだ。
白い煙は、雪となって、私に降り注ぐ。
溶けては消えるこの雪は、何か意味があるのだろうか。
目に見えない雪は、ただ、私の頬に降り続けるだけだ。