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吸血鬼  作者: 藤咲一
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吸血鬼?

「吸血鬼?」

 そうわたしは聞き返す。まったくの唐突な話に、何が何だかわからなかったけれど、最初に吸血鬼の名前を出した相手、同級生の葛城聡かつらぎさとしに疑いの目を向けた。

 わたしの通う高校の教室。今は夏休み中だけど、高校三年生のわたしたちは、大学進学に向けて、学校主催の特別授業に出てきていた。

 今日の授業は終了し、教室がざわめき始めた頃、彼がわたしの机までやって来たのだ。そして唐突に「吸血鬼を探しに行くんだ」なんて、わたしに詰め寄ったわけなのだが……。

「そう吸血鬼。どうだい笠原かさはらさん? 明日なんだけど、知り合いのクラブに頼まれてさ、俺、そいつらと一緒に探しに行くんだ」

 そう言って彼は、一枚の紙を私の前に差し出してきた。その紙片には、南条高校ウキウキ動画投稿クラブと大きく掲げ、その下に“ホラーはホラだ。真実を見極めよう”なんて文言が書かれている。それにわたしは目を細めた。

 ウキウキ動画というのはインターネット上へ動画を投稿したり、投稿された動画を見れるサイトの事なんだけれど、どうやら彼が続けた説明では、そのサイトへ動画投稿するサークルが、隣町にある廃工場に出るともっぱらの噂になっている吸血鬼、ヴァンパイアを探しに行こうというのだ。

 そこで、いくらなんでもオカルトばかりでは面白くないと、科学部である彼が客員として参加することになった。らしいのだけれど、どうやらわたしを誘いたいらしい。

 もじもじと、遠まわしに、煮え切らない言葉で、わたしの予定をしきりに気にしている。時折、わたしが選択科目で生物を選択していることを持ち出し、ヴァンパイアって生物学的にみてどうおもう? なんて切り出してもくる。

 だけど彼から決定打は放たれてこない。ウジウジと、物陰から覗くだけで、手招く仕草すらしない弱虫草食系男子が、万策尽きたのか、違う言葉をわたしに向けた。

「あ、あとさ、市松いちまつさんも参加するんだ」

「へぇ、頼子よりこも……」

 こんなところで、親友の名前が出てくるとは、思ってもみなかった。と、言えば嘘になる。彼女――市松頼子はわたしたちに共通した友人で、物理が大好きなのにオカルトも大好きといった変わった子だ。

 どうして彼女が? と聞いてみると、少しはぐらかそうと彼の目が泳いだ。けど、それを少し問い詰めれば、すぐに口を割った。どうやら今回の首謀者は彼女らしい。それを隠せないのが彼のいいところなんだろうけれど、あっさり白状してしまうとなると、それはそれで問題があると思うんだけどね。

 でもまあ、それがわかれば、今まで彼が取った行動が何となく輪郭を帯びて、行事の主たる目的が、わたしの中で固まった。

 つまり、体のいい肝試し大会なんだろう。高校最後の夏休みも大学進学に向けて特別授業ばかり、残り少ない夏休みにひとつ思い出でも。なんて考えなんだろうけど、はっきり言って溜め息だ。もっと演技指導したほうがいいよ。これじゃあ、ばればれだもん。

 って、それにしてもまた、わたしと聡をひっつけようって魂胆? あからさま過ぎるよ、バカ頼子。

「で、どうしてわたしを? もうメンツはそろってるでしょうに」

「え、いや、そりゃあ、夏だし」

「夏だから? それって答えになってない。どうしてわたしを誘うの? わたしじゃなきゃいけないもっと具体的な理由を聞かせて」

 意地悪だと自分でも思う。けど、これくらいちゃんと言ってくれないと、わたしだって怖いところに進んで行きたくない。

 そんなわたしの問いかけに、聡は小さく唸り、小さな言葉でこう言った。

「市松さんが絶対誘えって言ったから……」

 溜め息だ。溜め息しか出ない。

 とりあえずわたしは返答を保留した。バカ聡、少しは悟れ。この鈍感野郎が!


 と言う事で、わたしは家に帰るなり事の発端である頼子に電話したのだ。

〈はいは~い、どったの千絵ちえ? もしかして吸血鬼の話ぃ?〉

「どったのってねえ頼子、わたし行かないわよ。吸血鬼探し」

〈え~、どうしてぇ? 聡くんに誘ってもらったんでしょ、断る理由なんてないじゃん〉

「ちゃんと誘われればね」

〈え!? 誘われなかったの? おっかしいなぁ〉

「おかしいってさ、なんなのあの煮え切らない態度。わたしを誘うつもりで声掛けてるのに、ぜんぜん本題に触れようとしないし、だからなんなの? って言っちゃいそうだった。それにさ、今回の件も頼子が首謀者だって、すぐに口を割ったわよ。ねえ頼子、また、わたしたちをひっつけようってしてるでしょ」

〈ごめぇ~ん。やっぱりわかっちゃった。でもさ、不思議なんだよね。ふたりとも好き同士なのに、どうしてくっつかないの? 告白しちゃえばいいじゃん〉

 聡がわたしの事を好きだって言うのは聞いている。頼子に相談したらしい。それを今年の春に聞いてからというもの、彼女はわたしと彼をひっつけようと、思考錯誤を繰り返しているのだ。

「ば、バカ。確かに、聡の事は好きだよ。けどさ、こういうのってわたしから切り出したくないの。わかる?」

〈わかんない。わたしだったら両想いでも片思いでも即告白だもん。なに難しい事考えてんのか、千絵の事はわかりません〉

「それは頼子だからでしょ。わたしは、ちゃんと、聡から告白してほしいの」

〈じゃあ、you、このチャンスを活かしてみない? ちゃんと本番ではペアリングするからさ、相手をその気にしちゃいなよ〉

「その気にって……」

 肝試し大会の中で? どうやって? シュチュエーションが浮かばない。

〈聡くんがさ、怖がった時、ギュってして、お前を守るって言っちゃいなよyou〉

「あのさ、それって逆じゃない? それに、わたしが怖いんだけど、そういうとこ行くの」

〈まあ、いいじゃん。どうせ吸血鬼なんていないんだし、ひと夏の思い出作りにいこうよ千絵〉

「でもねぇ……」

 と、言葉を濁す。わたしは正直苦手なのだ。オカルトだろうが、いないと言われようが、怖い物は、怖い。それに……、と噤んだ言葉――生まれた沈黙を挟み、受話器を越えて、頼子が唸った。

〈じゃあわかった。ホントの事言う〉

「ホントの事?」

〈わたしさ、恋、しちゃったんだよね〉

「え? 誰に?」

〈ウキウキ動画部の恭平くん〉

 あ、わかった。そういう事か。

〈だからさぁ、わたしにチャンスをちょうだい。ね? いいでしょ。このままじゃ、三人しかメンバーがいないのよ。千絵が来てくれたら、当然、わたしのペアは恭平くんだし、他に誘う人がいないのよぉ。ね、ね、お願いだからぁ、協力してよぉ〉

 つまりこの計画は二段構えだったわけだ。いや、もとからわたしたちはおまけだったのかもしれないけど、最初からこれが目的だったのだ。

「ねぇ……」

〈うん?〉

「ホントに、吸血鬼とか出ないんでしょうね?」

〈出ないよぉ〉

「お化けとか、幽霊も?」

〈出ない出ない〉

「じゃあ……」

〈じゃあ?〉

「い、行ってもいいわよ」

〈やったぁ! それでこそ千絵ちゃん。わたしの親友だよぉ〉

「こ、今回だけだからね。二度目とか、そんなのないんだから」

〈大丈夫、恋の狩人頼子さまは、チャンスを逃しませんから。昔の偉い人も言ってたしね。チャンスは一度、一撃で仕留めろってさ〉

「へいへい」

〈じゃあ、明日の夜九時、南条駅前に集合ね〉

「わかったわよ。懐中電灯くらい? 持ってくのって?」

〈それでいいと思う。カメラは恭平くんが持ってくるだろうし、ね〉

「ところでさ、この前みたいに、集合場所に行ったらわたしたちだけって事はないよね?」

 ちょっと頼子が沈黙。なぜ、止まったし?

〈じゃあ、千絵、お休みぃ〉

「ねえ、ちょ、ちょっとぉ! まだ六時でしょうが!?」

 ――電話が切られた。これって、嫌な予感しかしないんですけど……。



 次の日、頼子が言った時間、街灯が照らす南条駅前に行くと、聡がひとり、待っていた。近くを見回しても頼子の姿はない。まだ見ぬ恭平くんとやらの姿もだ。

 遠巻きにそれを確認した後、わたしはひとつ溜め息をつく。

 やっぱり、ハメられた。

 このまま帰ってしまおうか? そう思った時、聡がわたしを見つけたのか、掛け足でこちらにやってきた。

「遅かったね。市松さんとウキウキ動画の人は、待ちきれないって先に行くってさ」

「え? わたし時間通りに来たはずだけど?」

「一時間の遅刻。集合は八時だよ。って聞き間違えたんじゃない?」

 いや、違う。これは頼子の陰謀だ。初めからこうするつもりだったのだ。あのバカ頼子。

「あれ? そうだったけ? ごめん。待たせちゃったね」

「ううん、別に。来てくれるって聞いてたから、俺だけでも残らないとって」

「そう、頼子が言ったの?」

 聞くと、聡の息を呑む音が聞こえた。図星かよ。

「ま、まあ、それよりも、早くふたりを追いかけよう。電車でひと駅。そこからは歩きだけど、ちゃんと地図も貰ったから、ちゃんと俺がエスコートするよ」

 な、なに? 聡の口からエスコートぉ? これもきっと頼子の差し金だろうけど、ま、まあ、わたしとしては、悪い気はしない。いつも、これくらいの事を自然に言ってくれればいんだけどなぁ。もちろん。わたしだけに向けてだけど。ね。

 その後、切符を買って、隣町へ向かうわたしたち。少し待った鈍行に乗る。人はまばらで、車内は空いていた。先にわたしが腰掛けると、微妙な距離をおいて、聡が横に座り、沈黙。ちらりと横目で彼を見れば、俯き加減に、地図が書いてあるのだろうメモを見ていた。それに声を掛けられなかったわたしは、視線を正面に――

 明るい車内からぼんやりと見える夜景が流れ、等間隔で聞こえる車輪の音を聞きながら、時折ビュンと窓を横切る電柱を見ていた。

 それが減速を見せ、やがて電車が止まり、降りる。そこからは、彼が言っていた通り歩きだ。線路をまたぐ歩道橋を渡り、繁華街とは逆に進む。一応気休め程度にあった街灯に照らされながら、彼の後を追った。

 一応、頼子と話した後、わたしは独自に下調べをしていた。もちろん、今日の目的地である工場と吸血鬼についてだ。

 インターネットで検索すると、数は少ないけれどいくつか項目がヒットし、それを別窓で開いて、いくつも同時に流し読んだ。

 それを見るとどうやら、吸血鬼と言うのは都市伝説になりそこなった話らしい。

 舞台となる工場は昔、どこかの製薬会社が抱えていた工場で、それなりの大きさがある。けれど、大元である製薬会社が破たんしてからは、廃工場になってしまったらしいのだ。

 その頃から、不気味がって心霊スポットならぬ、吸血鬼スポットになったらしいのだけれども、こじつけのように付けられた理由が、その廃工場に行った人が誰も帰ってはこないというものだった。

 違うページで見ると、昼間の潜入記録が写真付きで載っていた。敷地への入口が封鎖されているからその封鎖するバリケードの抜け道や、廃工場に入るルートとかが細かく。

 それを見てもう、わたしの中で、じゃあ、この記事を書いた人はどうして帰ってきているのか? と疑問が浮かんだ。

 昼間だから吸血鬼は寝ているのだろうか? だったらそれらしいものを昼間見つけてもいいと思うし、それがみつからないのであれば、これはやっぱりでたらめの事なんだとわたしは思った。

 そういった事をとりあえずもっともらしく飾り立てて、色んな人が地元の恐怖スポットにでっちあげたのだろう。それが、恭平くんだか、頼子の耳に入った。

 だからきっと頼子もこの事を知っていると思う。昨日の電話で吸血鬼はいないと言い切っていたし、やっぱり、体の良い、肝試しだ。

 しかし、そうやって自分に言い聞かせたにもかかわらず、彼の後に続いてやって来た工業団地の一画――ごくたまにトラックのヘッドライトがタイヤの音を巻きあげ、わたしたちの横を、風をあおりながら通り過ぎた。

 そこからさらに一本、横道に入ると、街灯の整備もほったらかしな場所に変わり、点滅しては、一瞬明るくなる街灯が、パッと消え、闇が濃く見えた。それが何だと、意識しなければ、やっぱりぞっとする。

 会話がないから、ほぼ無音。わたしたちが歩く音と風の音が微かにするだけで、それも定期的ではなかった。空を見れば細い三日月が流れの速い雲に隠れては現れるを繰り返している。そんな闇に紛れ雑草で盛り上がった歩道のアスファルトも、歩く度に、気持が悪い。

 足を挫かないように、暗い足場を持ってきた懐中電灯で照らし、わたしは彼の足もとを上目遣いに追った。

 それをしばらく続けると、彼の足が止まり、振り返る。

「ここだと思うんだけど……」

 彼が自信なさげに指差した先にはトタンのバリケードがあった。暗くてわかりにくかったけど、ネットで見た通りのバリケードだ。

 目的地である廃工場の敷地へ続く入り口には、トタンで入れないようにバリケードが作られていた。高さは二メートルを超え、これを乗り越えるのは至難の業だろう。けれど、抜け道があるはずだ。

「たぶんここだとわたしも思う。でも、頼子たちいないね」

 そう言って、ライトで照らしながら周囲を見回す。けど、頼子たちはいなかった。

「もしかして、先に入っちゃったんじゃ?」

「かもしれないね……、電話、してみたら?」

「そうだね」

 そう言って聡が携帯で頼子たちに連絡を取ると、やっぱり廃工場の中だった。

 妙にテンションが高い彼女の声が彼の携帯から漏れだしている。着メロに驚いたぁ。とか、待ってるから早く来なさいよぉ。とか、今のところ異常なしって、言って、一方的に電話が切られた。聡がそう言いたげに、こちらを見ている。

 やっぱり、入らなきゃいけないか……。

「仕方ないわね。行きますか……」

「ああっ、ここに入るには抜け道が……」

「知ってるわよ。ほら、聡くんが先に行く」

 そうやって彼の背中を叩き、わたしたちは中に入る事になった。


 中に入ると、いよいよ不気味さが増す。昼間の太陽を受けて伸びきった雑草が、至る所に生えていた。たまたま覗いた月に照らされ見えた工場も、色がくすんでいて、外から見える窓ガラスは全て割れている。所々に誰が書いたかわからないスプレーの落書きがあって、カラフルで意味のない文字がたくさん並んでいた。

 それを横目にわたしたちは、侵入経路であるアルミサッシ製のドアを開け、屋内へと進む。

 さすがに懐中電灯は必需品だった。真っ暗闇。聡とわたしがそれぞれ違う場所を照らし、室内を見れば、どうやらそこは食堂が何かのようだ。並ぶ机、倒れる椅子。そのまま放置されたのが良くわかる。

 それを避けて歩けば、割れたガラスを擦らせ静かな空間にギリギリ、パキンと音が鳴った。

 何もいないとわかっていても、嫌だ。少しだけ背筋に嫌な寒気を感じてしまう。

 食道を抜け、廊下に出る。もちろん真っ暗だ。彼が照らす光が左右に振られ、どちらに進もうか迷っているようだ。

「どうしたの? どっちに行くの?」

「決めてないけど、右かな?」

「何それ? 頼子たちと合流するんじゃないの?」

「そこまで聞いてないんだ。とりあえず、進もう。どこかで出会えるかもしれない」

 そんないい加減な!?

「って、ちょっと、待ってよ」

 すたすたと進む彼に驚きながら、わたしは必死で後を追う。こんな所でひとりにされてはたまったもんじゃない。

 複雑な長い通路――わかれ道を見つけては、彼が適当に道を選び進む。時折、扉を開けては中を覗いたりした。けど、頼子たちはいなかった。そうやって聡の後を進むにつれ、わたしの中で方向感覚がおかしくなっている気がする。同じ所を何度も、ぐるぐる回っている気がした。どっちが出口だったのか、もうわからない。

 正直こんなに大きい工場だとは思ってもみなかった。はっきり言うと、そこまで中に入るとも思っていなかった。無音の闇。わたしの中で鼓動が、強く、速くなっている事だけがわかる。

 懐中電灯を握る手も、汗ばんでいた。それをスカートで拭い、持ち変える。

 不規則に筋を作る光が、目線の隅で別の生き物に見え、たまらず息を呑んだ。

 大丈夫、大丈夫よ。吸血鬼なんていない。幽霊なんていない。

 そんな時――


 バン。


「え!?」

 後ろの方で音がした。何かわからない。けど、音がした。

 身構え、振り向く。ライトで照らし、目を凝らす。

 けど、誰もいない。何も見えない。

 たぶんそうだろう。何かいるはずもない。もし、そうだったとしても、きっと頼子だ。頼子たちがわたしたちを驚かそうとしているんだ。

「野良犬とかかな?」

「ひっ」

 慌てて振り向く。聡が、ライトを向けわたしを見ていた。

「の、野良犬?」

「たぶん。こういった所って、野良のたまり場になったりとかしそう」

「そ、そうだよね。そうかもね」

 お、脅かさないでよ。心臓が止まるかと思った。

 そうやってなにげなく彼へ向けたライト。その光の中で蠢く小さな黒い――何かがあった。少し丸くて長細い小さなミミズみたいなものが彼の腕についている。

 何? 虫?

「さ、聡くん、う、腕に何かついてる」

「え? あ、やられた。ヒルだ。いったいどこで貰ったんだろう?」

「ヒル? って、あの血を吸う虫?」

 まじまじとライトで照らし、彼が差し出した腕を見ると、皮膚にへばり付いた黒いヒルが、一匹。図鑑で見た事はあったけど、実物を見ると、てかりと生物としての躍動がやっぱり気持悪い。

「そうだけど、案外これが吸血鬼だったりして」

「ば、バカ。そんな事言ってないで、とらなきゃ」

「ホントは煙草の火とか押しつけてとるんだろうけど、持ってないし……、ま、いいか――」

 そう言って聡は、ヒルをつまむと無理矢理引き剥がした。ぶちっと潰れ、血が溢れ出す。傷跡からも、赤い血が垂れた。

「汚れちゃったな」

「もう、これ使って」

 とポケットからティッシュを取り出し彼に渡した。それを受け取り「ありがと」と血を拭き取り、丸めて捨てる。でも、まだ彼の腕からは血が流れていた。

「大丈夫? 腕、まだ血が……」

「平気だよ。舐めておけば、その内止まるって」

 そうペロッと腕を舐めた。


 瞬間。


 静寂を音が切り裂いた。

 反射的に息を呑み、振り返ってライトで照らす。

 それでもその機械的なアラーム音は鳴り続け、通路の中に木霊した。不気味に鳴り響く音。静かな空間だけに、不快で、心がざわめく。

「何これ? 警報機?」

「あ、電話――市松さんからだ」

 って、電話ね……。これは不意打ちだ。跳ね上がった心臓が、まだドクドクと脈打っている。それが安堵の溜め息を吐き出すと、余計に力強く鼓動が感じられた。

 聡を見る。と、携帯片手に耳に当てる姿。しかし、様子がおかしい……。電話越しに、頼子の悲鳴が聞こえた気がした。それだけじゃない通路に反響して聞こえてきたのかもしてない。

「い、市松さん!? 市松さん! どうしたの? 何か言って! 市松さん!」

「ど、どうしたの!? 頼子に何かあったの!?」

「わからない。けど、もう電話が切れた……」

 嫌な予感が、脳裏を過る。

 襲われた! 頼子が誰かに。

「探そう笠原さん。助けに行かなきゃ」

 彼が言う。もっともだ。本当はわたしも頷いて走り出したい。だけど、本能が首を横に振っていた。

「どうしてさ? 早くいかないと取り返しのつかない事になるかもしれない」

「嫌、だって、怖い」

「怖いって、言ったって、助けに行かなきゃ。もしもの事があったらどうするの?」

「じゃあ、わたしが襲われてもいいわけ!?」

「大丈夫、笠原さんは俺が守るから、心配しなくていい」

 ギュッと、彼の手が、わたしの手を掴んだ。汗ばんでぬるりとする。けど、それでも逃がさないようにと、ギュッと。

 彼の目がわたしを見ている。今まで見た事もないくらいに、真剣にわたしを見ていた。

 力強く握られた手に、わたしは頷く。

「ぜったい、守ってよ、ね」

「うん、絶対守る」

 わたしが携帯を持ち頼子の電話を鳴らすと、彼女の着信音である“いきものがかり”の“キミがいる”が反響しながら通路の奥から聞こえてくる。そこを目指し、わたしたちは手を繋いだまま彼が照らすライトを頼りに走った。

 分かれ道、立ち止り、耳を澄ます。

「こっちだ」

 グイと引っ張られる腕。それがわたしに勇気をくれた。守られている。そう思えた。

 走る程に上がる息。それが、緊張と重なって、胸が苦しい。いや違う。彼の事が――聡の事が、とてつもなく好きに思えた。

 彼の背中を見つめ走り抜ける。音源はもうすぐそこ。たぶん、左手に見える扉の開いたあの部屋の中だ。

 大丈夫、吸血鬼がいようが、何がいようが、彼が付いてくれているんだ。ふたりで頼子を助ける!

「頼子ぉ!」

「市松さん!」

 叫んで飛び込んだ。見回す。少し広めの部屋――出口は他にひとつある。けどアルミ製のドアは閉まっている。それより音源――携帯は?

 耳を澄まして目を凝らす。すると床に転がる開いたままの二つ折りの携帯。それが、イルミネーションを暗い部屋で輝いている。と、それを人影が拾い、パタンと顔の傍で閉じた。音が止まった。

 恐る恐るライトを向ける。と――その先に浮かび上がったのは、首を傾げた頼子の姿だった。

「え? 頼子? 無事なの?」

「ごめんねぇ~、また騙しちゃった」

 いつもの口調で舌を出す彼女の姿に、わたしは足の力が抜け、その場にペタンとへたり込む。

「嘘、だったの?」

 安堵の言葉が零れ出る。それを見下ろした彼女は、はははと笑い、「どう撮れた?」と言葉をよそに向けた。すると、物陰からビデオカメラをこちらに向けた男性が、「ばっちり。暗視も完璧だから」と彼女の傍へ寄りそう。

「きょ、恭平!?」

 その男性に聡が驚き、その言葉でわたしには全てがわかってしまった。

 つまり、またやられたのだ。

 頼子たちに、わたしたちふたりがまんまと騙された。

 よくよく周囲を見れば、ここは最初に入った食堂じゃないか……。机に椅子が見え、彼女たちの足元にはガラスが散乱しているし、間違いない。

 ってそれよりも――

「ホントに、心配したんだからぁ!」

 彼女が無事だった事と、無事ここから出られる事が重なって、わたしはそのまま泣いてしまった。



 帰り道――もう夜の十一時を回っていた。来た道を四人で笑いながら帰り、電車に乗って南条駅へ。そこから、頼子たちとわかれ、聡がわたしを送ってくれる事になった。

 あの時からずっと彼の手は、わたしの手を握り離さなかった。その心強さが、とっても嬉しい。つい、口元が緩んでしまう。無意味に振り回してみたくなったけど、それは止めておいた。だって、バカップルになっちゃいそうだったから。でも、それくらい嬉しかった。

 ずっと、こんな風に繋がっていられればとっても幸せ。そう思う。

 でも、それは限りある事なんだ。もうすぐ歩けば、わたしの家がある。そこでお別れだ。

 そう思った時、彼が立ち止り、振り返った。

 そこは丁度数少ない街灯の下。真っ直ぐ彼がわたしを見下ろし、唾を呑んだ。

 鼓動が速くなる。も、もしかして……。

「か、笠原さん……」

「は、はい」

 上ずった。それに変に畏まった。

「今日は、来てくれてありがとう。ちょっと怖い想いをさせちゃったけど、俺、とっても楽しかった」

「わ、わたしも、た、楽しかったよ」

「でさ……」

 そこで彼の言葉が濁る。ま、まさか……。

「な、何?」

「あのさ……」

「うん」

「もし、もしだよ……」

「うん」

「もしよかったら、俺と、つ、つ……」

 そこで、彼の言葉が詰まる。何とか続けようと顔を赤らめ頑張っている。あともう少し、頑張って、言って。


 ――チャンスは一度、一撃で仕留めろ!


「付き合ってくれるかな?」

 そう彼が上ずりながら言った時には遅かった。わたしが先に彼を抱きしめ、聡の胸板に頭をうずめていた。

「いいよ」って、先に言いながら……。


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