冤罪で婚約破棄され、追放された侯爵令嬢は、隣国の勇者皇子に溺愛されて帝国妃になりました! 騙した王子と聖女はざまあされる!
第一話 婚約破棄された侯爵令嬢、勇者に拾われる
潮風が銀髪を揺らしていた。
夕日に染まる海は美しく、まるで世界の終わりを優しく包み込むように赤く輝いている。
その海へ、一人の少女がゆっくりと歩いていた。
銀糸のような長い髪。
透き通るような白い肌。
深い碧色の瞳。
その美貌は、王都でも『氷の侯爵令嬢』と呼ばれるほどだった。
しかし今、その瞳に光はない。
「……もう、疲れました」
プラリネ=ブルージュ侯爵令嬢は、小さく呟く。
一週間前まで、彼女は王国屈指の名門侯爵家の令嬢だった。
ブリュッセル王国のキュベルドン王子の婚約者だった。
幸せな未来が待っていると信じていた。
なのに。
「お前は聖女暗殺未遂の罪で婚約を破棄する!」
王城の大広間。
大勢の貴族が見守る中、婚約者だった第一王子は高らかに宣言した。
罪状は、聖女への毒殺未遂。
もちろん冤罪だった。
そんなことをする理由など、一つもない。
だが、誰も信じてくれなかった。
「証拠はこちらです!」
そう叫んだのは聖女シナモンだった。
彼女が差し出した毒薬。
侍女たちの証言。
偽造された手紙。
すべてが完璧だった。
父も母も何度も反論した。
だが、王家は聞く耳を持たなかった。
婚約破棄。
国外追放。
すべてが、その日のうちに決まった。
侯爵家は王家に逆らえず、プラリネは一人、王都を追放された。
唯一残ったものは命だけ。
迷いながらたどり着いた砂浜で、疲れ切った彼女が選択した道は……。
「……でも、その命も今日で終わりです」
足首まで海水に浸かる。
冷たい。
でも、それが心地よかった。
一歩。
また一歩。
腰まで海へ入る。
このまま進めば終わる。
苦しいことも。
悲しいことも。
全部。
「お父様、お母様……ごめんなさい」
涙が海へ落ちる。
その瞬間だった。
「待って!」
青年の声が響いた。
振り返る暇もない。
次の瞬間。
誰かに強く抱き寄せられた。
「えっ?」
気付けば砂浜へ倒れていた。
「大丈夫!?」
目の前には一人の青年。
金色の髪。
透き通る蒼い瞳。
爽やかな笑顔が似合う、絵画から抜け出してきたような美青年だった。
年齢は二十歳前後だろうか。
「どうして……」
「死のうとしていたよね?」
「…………」
否定できない。
「ごめんなさい」
思わず謝る。
すると青年は困ったように笑った。
「謝ることじゃない。でも、死んじゃ駄目だ」
「……生きる理由がありません」
その一言に、青年は真剣な顔になった。
「理由を聞いてもいい?」
優しい声だった。
責めるでもなく。
同情するでもなく。
ただ話を聞こうとしてくれている。
それだけで胸が熱くなる。
プラリネはぽつりぽつりと話し始めた。
婚約破棄。
冤罪。
国外追放。
すべてを。
話し終えた頃には、空はすっかり茜色になっていた。
「……なるほど」
青年は静かに頷く。
「辛かったね」
その一言だけで。
プラリネの涙は止まらなくなった。
「うっ……うぅ……」
今まで誰にも言えなかった。
両親以外、誰も信じてくれなかった。
でも、この人だけは違う。
そう思えた。
青年は泣き止むまで何も言わず待ってくれた。
しばらくして落ち着くと、青年は優しく微笑む。
「自己紹介がまだだったね。僕はスペキュロス」
「私は……プラリネです」
「よろしく、プラリネ」
その笑顔は、まるで太陽のようだった。
「一つ聞いてもいい?」
「はい……」
「本当に死ぬ覚悟がある?」
突然の質問だった。
プラリネは戸惑う。
「……あります」
「なら」
スペキュロスは彼女の額へ軽く指を当てた。
「《鑑定》」
淡い光が広がる。
しばらくして、彼は目を見開いた。
「やっぱりだ!」
「え?」
「君、聖女の適性がある!」
「せ、聖女?」
聞き慣れない言葉に目を丸くする。
「しかも、とんでもない才能だ」
スペキュロスは嬉しそうだった。
「僕たちは今、魔王討伐へ向かう旅の途中なんだ」
「魔王……」
「実は仲間だった聖女が家庭の事情で故郷へ帰ることになってしまってね」
困ったように頭をかく。
「回復役がいなくなって、本当に困ってたんだ」
そして真っ直ぐ見つめてきた。
「お願いだ」
一歩近づく。
「死ぬ覚悟があるなら、その命を僕たちに貸してくれないかな?」
「……私が?」
「うん」
「でも私は何も……」
「できる」
迷いなく言い切った。
「君なら絶対に仲間になれる」
そんなふうに言われたのは初めてだった。
信じてもらえた。
必要だと言ってもらえた。
その言葉だけで胸がいっぱいになる。
「……私なんかで、本当にいいんですか?」
「もちろん」
スペキュロスは笑う。
「歓迎するよ」
少しだけ。
本当に少しだけ。
プラリネの心に光が差した。
「……分かりました」
小さく頷く。
「よろしくお願いします」
「ありがとう!」
スペキュロスは嬉しそうに笑った。
「みんなー! 新しい仲間だよ!」
丘の上から二人の男女が歩いてくる。
燃えるような赤髪に黒い瞳の女性。
腰には一振りの名剣。
凛々しく美しい。
「私は剣聖ミゼラブル。よろしくね」
もう一人は青髪に黄金色の瞳を持つ青年だった。
知的な雰囲気を漂わせる美男子で、ローブをまとっている。
「大魔法使いメルヴェイユだ。よろしく」
二人は自然な動作で手を繋いでいた。
恋人なのだろう。
「こちらが新しい仲間のプラリネ」
「よろしくお願いします」
頭を下げるプラリネ。
「可愛い子じゃない」
ミゼラブルが微笑む。
「歓迎するよ」
メルヴェイユも優しく笑った。
その夜。
野営の準備を終えた頃だった。
「メル……」
「ミゼ……」
二人は焚き火の向こうで見つめ合う。
次の瞬間。
ぎゅっと抱き締め合った。
「えっ……」
頬に軽く口づけするミゼラブル。
照れながらも嬉しそうなメルヴェイユ。
「明日も一緒に頑張ろう」
「ああ」
二人は幸せそうに笑い合う。
「~~っ!」
プラリネは思わず顔を真っ赤にした。
(こ、恋人って……こんなに仲が良いものなんですか!?)
目のやり場に困り、慌てて焚き火へ視線を戻す。
その様子を見たスペキュロスが苦笑した。
「二人は最初からあんな感じだから、そのうち慣れるよ」
「む、無理です……!」
必死に首を振るプラリネ。
その反応がおかしくて、三人は声を上げて笑った。
その笑い声を聞きながら、プラリネは胸に手を当てる。
少し前まで死のうとしていた自分が、今は誰かと笑っている。
不思議だった。
だけど。
(もう少しだけ……生きてみよう。)
そう思えた。
これは、すべてを失った侯爵令嬢が、本当の仲間と出会い、世界を救う旅へ踏み出す物語の始まりだった。
第二話 元侯爵令嬢、聖女として最初の一歩を踏み出す
翌朝。
小鳥のさえずりで目を覚ましたプラリネは、しばらくぼんやりと空を見上げていた。
(……生きている)
昨日までなら、その事実が苦しかった。
けれど今は、不思議と悪い気分ではない。
「おはよう、プラリネ」
焚き火で朝食を作っていたスペキュロスが笑顔で手を振る。
「よく眠れた?」
「はい……久しぶりに、ぐっすり眠れました」
「それはよかった」
その優しい笑顔を見るだけで、胸の奥が少し温かくなる。
朝食を終えると、スペキュロスは立ち上がった。
「今日はまず町へ行こう」
「町ですか?」
「うん。聖女の装備を揃えないとね」
◇
海辺から歩いて一時間ほど。
一行は港町アントワープへ到着した。
朝市は活気に満ち、人々の笑い声が響いている。
「わぁ……」
国外追放されてから初めて見る、平和な町だった。
スペキュロスは武具店へ向かう。
「こんにちは」
「おお、勇者様!」
店主が慌てて頭を下げた。
「今日は仲間の装備をお願いしたくて」
「任せてください!」
店内には杖や法衣、指輪などが並んでいる。
「プラリネは聖女だから、防御力より魔力を高める装備がいいね」
そう言って彼が選んだのは、白を基調とした神官服だった。
銀の刺繍が施され、胸元には小さな青い宝石が輝いている。
「き、綺麗……」
「試着してみて」
更衣室から出てきたプラリネを見て、その場の全員が息を呑んだ。
「似合う……」
ミゼラブルが思わず呟く。
「まるで本物の聖女だね」
メルヴェイユも微笑む。
スペキュロスは少しだけ見惚れてしまった。
「すごく似合ってるよ」
「ほ、本当ですか?」
頬を赤く染めるプラリネ。
昨日まで罪人扱いされていた少女とは思えないほど、晴れやかな笑顔だった。
さらに白い聖杖や回復用の腕輪などを購入すると、一行は町を出る。
「次はレベル上げだ」
「レベル……?」
「近くに初心者向けダンジョンがあるんだ」
◇
森の奥。
岩山にぽっかりと口を開けた洞窟があった。
「ここが《緑風の洞窟》」
スペキュロスが説明する。
「魔物は弱いけど、経験を積むにはちょうどいい」
プラリネは緊張しながら頷いた。
「私に……できるでしょうか」
「もちろん」
スペキュロスは安心させるように笑う。
「まずは魔法を覚えよう」
聖杖を渡される。
「目を閉じて、自分の中にある光を感じて」
言われるまま集中すると、不思議な感覚が全身を巡った。
胸の奥が温かい。
優しい光が溢れてくる。
「その力を言葉に乗せるんだ」
自然と口が動いた。
「《ヒール》」
白い光が杖から溢れる。
「成功だ!」
スペキュロスが嬉しそうに拍手する。
「次は補助魔法」
「はい」
「《アタックブレス》と唱えて」
「《アタックブレス》!」
淡い金色の光が三人を包み込む。
ミゼラブルが剣を振る。
「おっ、力が軽い!」
「魔力の流れも良くなった」
メルヴェイユも驚いていた。
「一回で成功なんて才能あるね」
「えっ?」
プラリネは自分でも驚いていた。
すると頭の中に声が響く。
【レベルが2になりました】
「え?」
さらに。
【聖女スキル《プロテクト》を習得しました】
「もう新しい魔法を?」
メルヴェイユが目を丸くする。
「成長速度が異常だ……」
スペキュロスは確信した。
(やっぱり彼女は特別だ)
洞窟の奥へ進む。
ゴブリンが三匹飛び出してきた。
「ギャギャ!」
「行くよ!」
ミゼラブルが一瞬で二匹を斬る。
最後の一匹をスペキュロスが仕留めた。
【レベル3】
【レベル4】
再び声が響く。
力が身体中へ染み込んでくる。
「身体が……軽い」
昨日まで感じていた重苦しさが少しずつ消えていく。
笑うことも。
歩くことも。
全部が楽になっていた。
その後も。
スライム。
コボルト。
巨大蜘蛛。
仲間たちは次々と魔物を倒していく。
プラリネは回復魔法を使い、補助魔法を維持し続けた。
【レベル7】
【レベル9】
【レベル11】
どんどん強くなる。
身体だけではない。
心も。
(私……まだ生きたい)
その気持ちが少しずつ大きくなっていく。
その時だった。
「危ない!」
洞窟の奥から大きなオークが飛び出した。
棍棒を振り上げる。
狙いは、スペキュロスだった。
「スペキュロス!」
考えるより先に身体が動いていた。
ドンッ!!
「きゃあっ!」
棍棒が肩へ直撃する。
プラリネの身体が吹き飛ばされた。
「プラリネ!」
スペキュロスが叫ぶ。
ミゼラブルが一瞬でオークを斬り裂き、メルヴェイユが雷魔法で止めを刺した。
洞窟が静まり返る。
「しっかりして!」
「だ、大丈夫です……」
しかし肩からは血が流れていた。
その日の探索は中止となり、一行は急いで町の病院へ向かう。
◇
病室。
治療を終えたプラリネはベッドに横になっていた。
幸い骨折はなく、一週間ほどで治るという。
部屋にはスペキュロスだけが残っていた。
彼は椅子に座ったまま、俯いている。
「スペキュロスさん?」
返事がない。
やがて小さく呟いた。
「……ごめん」
「え?」
「僕を庇うなんて駄目だよ」
その声は震えていた。
「僕が君を守らなくちゃいけないのに」
拳を強く握り締める。
「勇者なのに守れなかった」
「そんな……」
「本当に、ごめん」
プラリネは驚いていた。
王子は謝らなかった。
何があっても自分を責めることはなかった。
でも、この人は違う。
自分のために苦しんでいる。
そう思うだけで胸が締め付けられた。
「違うんです」
プラリネはゆっくり身体を起こす。
「私が勝手に飛び出しただけです」
「でも」
「それに……」
少し照れながら微笑む。
「私、助けたかったんです」
「え?」
「スペキュロスさんは、私の命を救ってくれました。」
碧い瞳が真っ直ぐ彼を見る。
「だから今度は、私が助けたかったんです」
スペキュロスは言葉を失った。
やがて照れ臭そうに笑う。
「ありがとう」
「はい。それに私には治癒魔法があるから大丈夫です」
プラリネは自分にヒールを唱え、一瞬で治療するのだった。
驚いた表情でスペキュロスがプラリネを見る。
それから二人は見つめ合い、自然と笑顔になる。
その様子を病室の外から覗いていたミゼラブルが、小さく肘でメルヴェイユをつついた。
「あの二人、いい雰囲気になってきたわね」
「ああ」
メルヴェイユは微笑みながら頷く。
「旅は、まだ始まったばかりだけどね」
病室には、夕日が優しく差し込んでいた。
その温かな光の中で、プラリネは思う。
(もう……死にたいとは思わない。)
(もっと、この人たちと一緒に旅をしたい。)
勇者との出会いが、彼女の止まっていた時間を少しずつ動かし始めていた。
第三話 偽りの聖女、神に見放される
プラリネが勇者一行の仲間になってから、二年の歳月が流れた。
魔王軍との戦いは、ついに終わりを迎えた。
勇者スペキュロス。
剣聖ミゼラブル。
大魔法使いメルヴェイユ。
そして、聖女プラリネ。
四人は数え切れないほどの戦場を駆け抜け、幾度となく絶望を乗り越え、ついに魔王を討ち果たしたのである。
その知らせは、大陸中を歓喜に包んだ。
「勇者様が魔王を倒した!」
「戦争が終わるぞ!」
「ありがとう、勇者様!」
町という町で鐘が鳴り、人々は涙を流しながら喜び合った。
そして、勇者一行にはもう一人、英雄と称えられる存在がいた。
「聖女様のおかげで助かった!」
「どんな重傷でも治してくださる!」
「まさに奇跡の聖女だ!」
その名は、聖女プラリネ。
彼女は回復魔法だけではなく、結界魔法や浄化魔法までも自在に操り、多くの命を救ってきた。
今では『奇跡の聖女』と呼ばれ、大陸中で知らぬ者はいないほどの存在になっていた。
◇
一方その頃。
ブリュッセル王国王都。
大神殿では朝の祈りが行われていた。
聖女シナモンは、豪華な純白の法衣を身にまとい、祭壇の前へ進み出る。
「それでは、本日の癒やしの祝福を」
神官たちが深く頭を下げる。
シナモンは優雅に聖杖を掲げた。
「《ヒール》」
静寂。
「……あれ?」
光が現れない。
シナモンは小さく眉をひそめた。
「《ヒール》!」
もう一度唱える。
しかし、何も起こらない。
「な、何で……?」
周囲がざわつき始めた。
「聖女様?」
「魔法が……」
シナモンの額に汗が浮かぶ。
「《ヒール》! 《ヒール》! 《ヒール》!」
何度唱えても、奇跡は起きない。
その瞬間だった。
ゴォォォォォン――!
王都中に響き渡る重々しい鐘の音。
神殿全体が震えた。
「きゃっ!」
天井から砂がぱらぱらと落ちる。
「何事です!」
一人の神官が青ざめながら駆け込んできた。
「大変です!」
「王都を覆っていた聖結界が……消えました!」
「え……?」
その一言で、全員の顔色が変わる。
聖結界。
それは代々の聖女が神の加護によって維持してきた、王都を魔物から守る巨大な結界だった。
その結界が消えた。
つまり――。
ドォォォン!
遠くで爆発音が響く。
「魔物です!」
「西門にオークの群れ!」
「森からゴブリンが押し寄せています!」
「住民を避難させろ!」
神殿は一瞬で大混乱となった。
シナモンは震える手で大神官を見る。
「ど、どうして……?」
白髪の大神官は、静かに目を閉じた。
「神は……すべてをご覧になっております」
「え?」
「偽りを重ねた者に、聖女の加護はありません」
シナモンの顔から血の気が引く。
「ま、待ってください!」
「私は!」
しかし大神官は首を横に振った。
「あなたは、神を欺けると思ったのですか」
その言葉が胸に突き刺さる。
「私は……」
脳裏によみがえったのは、二年前の出来事だった。
毒薬を用意したこと。
侍女に偽証をさせたこと。
偽の手紙を作らせたこと。
そして。
何も悪くないプラリネを国外追放へ追い込んだこと。
「ち、違います……」
震える声で否定する。
「私は悪くありません!」
だが、その言葉は虚しく神殿へ響くだけだった。
大神官は厳しい眼差しを向ける。
「嘘を重ねた結果です」
「そんな……」
シナモンはその場へ崩れ落ちた。
◇
その頃。
王城。
第一王子キュベルドンは執務室で書類を読んでいた。
そこへ近衛騎士が飛び込んでくる。
「殿下!」
「騒がしいな」
「大変です!」
「聖女様が力を失われました!」
「……何?」
王子はゆっくり立ち上がる。
「どういうことだ」
「結界が消失しました!」
「王都周辺に魔物があふれています!」
「何だと!」
さすがの王子も顔色を変えた。
そこへさらに文官が駆け込んでくる。
「続報です!」
「勇者一行が魔王討伐に成功しました!」
「……!」
一瞬だけ部屋が静まり返る。
「本当か?」
「はい!」
「各国から祝賀の使者が出発しております!」
王子は安堵の息を吐いた。
「それは喜ばしい」
しかし文官は続ける。
「もう一つございます」
「何だ」
「勇者一行の聖女が、大陸最高の聖女と称えられております」
「ほう?」
王子は興味を示した。
「どれほど優秀なのだ?」
「一度の魔法で数百人を治療し、聖結界を展開し、魔族の呪いさえ浄化したそうです」
「……そこまでか」
王子は腕を組む。
今の王国には、聖女がいない。
結界も消えた。
このままでは国を守れない。
「ならば」
王子は静かに言った。
「その聖女を王国へ迎えるべきではないか」
家臣たちも頷く。
「勇者一行へ使者を送りましょう」
「ああ」
王子は満足そうに微笑んだ。
「どれほどの人物か、一度会ってみたいものだ」
文官は手元の報告書へ目を落とす。
「聖女様のお名前は――」
王子は何気なく聞き流していた。
「プラリネ様です」
その瞬間。
王子の思考が止まった。
「……今、何と言った?」
「はい?」
「名前だ」
「勇者一行の聖女様は、プラリネ様と報告されています」
王子は目を見開いた。
「プラリネ……?」
そんなはずがない。
あの女は国外追放した。
聖女でもなければ、魔法も使えなかったはずだ。
「同姓同名ではないのか?」
「いえ」
文官は首を振る。
「銀色の長髪、碧い瞳を持つ元侯爵令嬢だそうです」
「――っ!」
王子は言葉を失った。
二年前、自ら罪人と断じた少女。
その姿が脳裏によみがえる。
静かで、誰よりも誠実だった婚約者。
「まさか……」
胸の奥に、小さな違和感が芽生えた。
もし。
もし本当に彼女が本物の聖女だったとしたら。
自分は、とんでもない過ちを犯したのではないか。
その疑問はまだ小さく、王子自身も打ち消そうとしていた。
「……いや、そんなはずはない」
そう呟く声には、かつてのような自信はなかった。
一方その頃。
勇者一行は、魔王討伐を祝う各国の歓迎を受けながら、新たな旅路を歩み始めていた。
その中心には、柔らかな笑顔を浮かべる聖女プラリネがいる。
彼女はまだ知らない。
かつて自分を追放した王国が、今まさに自分を必要としていることを。
そして、運命の再会が近づいていることを。
第四話 元婚約者、聖女を返せと言い出す
魔王討伐から一か月後。
勇者一行は、各国を巡る凱旋の旅を続けていた。
訪れる町々では花びらが舞い、人々は惜しみない拍手を送る。
「勇者様、ありがとう!」
「聖女様のおかげで助かりました!」
「剣聖様、格好いい!」
「大魔法使い様、万歳!」
その歓声を聞きながら、プラリネは照れくさそうに微笑んでいた。
「まだ慣れませんね」
「それだけ、みんな感謝しているってことさ」
隣を歩くスペキュロスが優しく笑う。
その自然な距離感に、ミゼラブルがくすりと笑った。
「もう新婚さんなんだから、堂々としていればいいのに」
「ミ、ミゼラブルさん!」
プラリネの頬が真っ赤になる。
魔王討伐から二週間後。
スペキュロスは改めて想いを伝え、プラリネへ結婚を申し込んだ。
『君と、この先もずっと一緒に歩きたい』
迷う理由はなかった。
命を救ってくれた人。
絶望から連れ出してくれた人。
そして、いつも隣で支えてくれた人。
『はい……よろしくお願いします』
二人は静かな教会で結ばれた。
仲間たちだけに見守られた、小さくても温かな結婚式だった。
今もプラリネの左手には、銀色の結婚指輪が輝いている。
「本当に幸せそうだな」
メルヴェイユも穏やかに頷いた。
その時だった。
「勇者様!」
一人の兵士が駆け寄ってきた。
「ブリュッセル王国より使者がお見えです!」
四人は顔を見合わせる。
「ブリュッセル王国?」
プラリネの表情がわずかに曇った。
◇
応接室。
豪華な衣装を身にまとった使者が、どこか尊大な態度で椅子へ腰掛けていた。
「勇者殿、お初にお目にかかります」
「ご用件は?」
スペキュロスは静かに尋ねる。
使者は胸を張り、一通の国書を広げた。
「ブリュッセル王国第一王子キュベルドン殿下からのお言葉です」
部屋が静まり返る。
使者は高らかに読み上げた。
「元侯爵令嬢プラリネの罪を、寛大なる殿下が特別に許してくださるそうです」
誰も何も言わない。
使者は満足そうに続けた。
「さらに、殿下は再び婚約者として迎え入れ、正式に王妃としてお迎えになるとのこと」
ミゼラブルの眉がぴくりと動く。
使者は最後の一文を誇らしげに読み上げた。
「この慈悲深き御配慮をありがたく思い、速やかに帰国せよ――以上です」
静寂。
部屋には重苦しい沈黙だけが流れた。
「……終わり?」
ミゼラブルが冷たい声で尋ねる。
「はい」
「本気で言ってるの?」
「もちろんです」
使者は自信満々だった。
「王妃になれるなど、これ以上の名誉はありません」
その瞬間だった。
「ふざけないで」
ミゼラブルが立ち上がる。
普段の明るい笑顔は消え、剣士としての鋭い眼光が使者を射抜いた。
「冤罪で国外追放しておいて、今さら『許してやる』?」
「そ、それは……」
「しかも、ありがたく思え?」
使者の額に汗が浮かぶ。
今度はメルヴェイユが眼鏡を押し上げた。
「あなた方は、何を仰っているのか理解できません」
「な、何ですと?」
「まず確認します」
メルヴェイユは淡々と言う。
「プラリネさんは何の罪も犯していません」
「……」
「許すも何も、最初から無実です」
使者は言葉を失った。
「そ、それは王家がお決めになったことで……」
そこで、今まで黙っていたスペキュロスが静かに口を開いた。
「紹介が遅れました」
彼は穏やかに笑いながら、プラリネの左手をそっと握る
銀色の指輪が光を受けて輝いた。
「彼女は私の妻です」
「…………え?」
使者の目が大きく見開かれる。
「つ、妻?」
「はい」
「正式に結婚しております」
プラリネは少し照れながら頷いた。
「夫です」
使者は固まったまま動かない。
「け、結婚……?」
「ですので」
スペキュロスは柔らかく微笑んだ。
「王子殿下のお申し出は、お断りします」
「そ、そんな……」
使者の顔色がみるみる青ざめていく。
そこへ、再び扉が開いた。
「失礼いたします」
壮年の男性が入室する。
豪華な礼服。
胸には帝国宰相の紋章。
使者は慌てて立ち上がった。
「あなたは……」
「ワイマール帝国宰相でございます」
宰相はスペキュロスへ深く一礼した。
「第二皇子殿下」
使者の動きが止まる。
「……第二皇子?」
宰相は穏やかに続けた。
「魔王討伐、本当にお疲れ様でございました」
「ありがとう」
スペキュロスは苦笑する。
「父上は?」
「すでに叙爵式の準備を進めております」
「そうか」
「陛下は、殿下を公爵へ任命される予定です」
使者は耳を疑った。
「公爵……?」
「はい」
宰相は当然のように頷く。
「新たな公爵領は帝国北部一帯」
地図が広げられる。
「面積は、ブリュッセル王国のおよそ半分になります」
「……」
「また、第二皇子殿下は帝国軍総司令官への就任も内定しております」
使者は震え始めた。
ワイマール帝国。
それはブリュッセル王国の十倍以上の国力を誇る超大国。
その第二皇子。
しかも、次代を担う大公爵。
そんな人物へ、自国の王子が命令口調で妻を返せと言ってしまった。
使者の血の気が一気に引いていく。
「ま……まさか……」
宰相は静かに使者を見た。
「ちなみに」
「は、はい……」
「プラリネ様は帝国皇族の一員でもあります」
「……っ!」
使者は膝から崩れ落ちた。
自分が持ってきた国書が、どれほど無礼だったのか。
ようやく理解したのである。
その時、さらに部屋の扉が開いた。
「父上」
スペキュロスが立ち上がる。
入ってきたのは、堂々たる威厳をまとった一人の男性だった。
ワイマール帝国皇帝。
部屋の空気が一変する。
皇帝は使者を一瞥すると、静かに口を開いた。
「余の息子の妻を侮辱した国は、どこだったかな」
穏やかな口調だった。
だが、その一言だけで使者は全身を震わせる。
「も、申し訳ございません!」
額を床へ擦りつけるように頭を下げる。
「この件は必ず国王陛下へご報告いたします!」
「そうしてもらおう」
皇帝は短く答えた。
「外交とは、礼節の上に成り立つものだ」
使者は何度も頭を下げながら部屋を飛び出していった。
その背中を見送り、プラリネは小さく息を吐く。
「終わりましたね」
「いや」
スペキュロスは静かに首を振った。
「これからだよ」
遠く離れたブリュッセル王国では、まだ誰一人として知らない。
自分たちが取り返しのつかない相手を敵に回したことを。
そして、王子と偽りの聖女に対する本当の「ざまあ」が、いよいよ始まろうとしていた。
最終話 元侯爵令嬢、本当の幸せを手に入れる
ワイマール帝国からの返書を受け取ったブリュッセル王国王城。
玉座の間には重苦しい空気が流れていた。
「何だと……?」
第一王子キュベルドンは、震える手で書状を握り締める。
使者からの報告は、信じ難いものだった。
「プラリネが……勇者の妻?」
「はい……」
「しかも勇者は……」
使者は青ざめたまま答える。
「ワイマール帝国第二皇子スペキュロス殿下でございます」
その瞬間。
書状が床へ落ちた。
「ば……馬鹿な」
ワイマール帝国。
大陸最強の超大国。
軍事力も経済力も、ブリュッセル王国とは比べものにならない。
その皇子の妃になったというのか。
「さらに……」
使者は震える声を続けた。
「殿下は魔王討伐の功績により、公爵へ叙爵されます」
「……」
「領地は我が国の半分ほどの広さになるそうです」
キュベルドンは言葉を失った。
かつて自分が「不要」と切り捨てた女性。
今では自分より、はるかに高い地位へ立っていた。
その時だった。
大神官が玉座の間へ入ってくる。
「国王陛下」
「どうした」
国王の顔も暗い。
「神託がございました」
大神官は静かに告げる。
「偽りの罪によって聖女を追放した王家から、神の加護は失われました」
場内が静まり返る。
「今後、王国へ新たな聖女が現れることはありません」
「なっ……!」
「これは神託です」
誰も反論できなかった。
王都を守る結界は消えたまま。
魔物は日に日に増えている。
国民の不満も高まり続けていた。
やがて貴族たちも立ち上がる。
「殿下」
「この責任を取っていただきます」
「……」
「あなたは偽証だけを信じ、真実を調べませんでした」
「違う!」
「国をここまで追い詰めた責任があります」
次々と貴族たちが離れていく。
誰一人、王子をかばわなかった。
一方。
聖女シナモンも地下の神殿で裁きを受けていた。
「シナモン」
大神官が冷たく告げる。
「神を欺いた罪は重い」
「お願いです!」
シナモンは泣き崩れる。
「もう一度だけ!」
「奇跡をください!」
何度祈っても。
光は現れない。
《ヒール》も。
《キュア》も。
何一つ発動しなかった。
「そんな……」
神官たちは静かに首を振る。
「あなたは、もう聖女ではありません」
神殿を追放されたシナモンは、そのまま王都を去ることになった。
誰一人、見送る者はいなかった。
◇
一方その頃。
ワイマール帝国では盛大な祝賀会が開かれていた。
魔王討伐を成し遂げた英雄たち。
その功績を称える式典である。
「スペキュロス」
皇帝が玉座から立ち上がる。
「今日より、お前を北方大公爵へ任命する」
「ありがとうございます」
会場が大きな拍手に包まれた。
「そして」
皇帝はプラリネへ優しく微笑む。
「帝国を救った聖女プラリネ」
「はい」
「今日から、お前は我が娘だ」
プラリネの瞳に涙が浮かぶ。
かつては罪人として追放された少女。
今では帝国中から愛される皇族となった。
皇后が優しく抱き締める。
「よく頑張りましたね」
「……ありがとうございます」
自然と涙があふれた。
その夜。
祝賀会が終わると、二人は庭園を歩いていた。
春風が花々を揺らしている。
「思い出す?」
スペキュロスが微笑む。
「二年前」
「はい」
「海で初めて会った日」
プラリネも笑った。
「あの時は、本当に死のうとしていました」
「危なかった」
「でも」
彼女はそっと夫の腕へ寄り添う。
「助けてくださって、本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
スペキュロスは優しく微笑む。
「君に出会えて良かった」
二人は見つめ合う。
「愛しています」
「私もです」
静かな口づけを交わす二人を、満開の花々が優しく包み込んだ。
遠くではミゼラブルとメルヴェイユが微笑みながら見守っている。
「やっと幸せになれたわね」
「ああ」
「これからは平和な毎日だ」
魔王はいない。
戦争も終わった。
これから始まるのは、穏やかな日々。
愛する人と歩む未来。
かつて絶望の海へ足を踏み入れた少女は、もうどこにもいない。
そこにいるのは、多くの人々を救い、大切な家族に囲まれ、心からの笑顔を浮かべる一人の聖女だった。
――これは、すべてを失った侯爵令嬢が、本当の仲間と出会い、本当の愛を知り、世界を救い、誰よりも幸せになるまでの物語。
その物語は、多くの人々に語り継がれ、やがて「奇跡の聖女伝説」と呼ばれるようになる。
――完――




