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ドジっ娘錬金術師は失敗から最適解を導く 〜なぜか私の爆発だけが世界を進化させる〜  作者: same_freq
憧れの宮廷生活は、針のむしろ?

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9/13

王妃の茶杯は、すべてを映す

 アデライド・フォン・エルスハイムは、鏡が嫌いだった。

 正確には、鏡そのものが嫌いなのではない。鏡の中の自分を見ることが、嫌いだった。否、嫌いになった。

 王妃宮の化粧台に据えられた大きな鏡は、毎朝アデライドの顔を映す。白髪が増えた。目の端の皺が深くなった。頬の肉が少し落ちた。老いることは恥ではない——と頭では分かっている。でも鏡は正直すぎて、時々うんざりする。

 今朝も侍女たちが髪を整え、化粧を施し、衣を着せた。セレナが後ろに立って、いつも通り丁寧に髪を梳いた。

 アデライドは鏡の中で自分を見た。

 そして、鏡の中のセレナを見た。


 気づいたのは、五日前だった。

 別に劇的な瞬間があったわけではない。朝の支度中、セレナの手が一度だけ止まった。ほんの一瞬、髪を梳く動きが途切れた。それだけだった。

 普通の主人なら見逃す。アデライドも、見逃すつもりだった。

 でもその夜、執務室で書類を読んでいたとき、ふとセレナの顔を思い出した。

 七年間、アデライドはセレナの顔を見てきた。確か、地方貴族の三女。気立てはよく、仕事ぶりは可もなく不可もなく。

怒ったとき、疲れたとき、嬉しいとき。侍女というのは表情を隠す訓練を受けるが、それでも七年も側にいれば、隠しきれないものが見えてくる。

 五日前のセレナの目は——怯えていた。

 それも、怒られることへの怯えや、失敗への怯えではない。もっと根の深い、追い詰められた者の目だった。

 アデライドは書類を置いて、しばらく天井を見た。


 翌朝、アデライドはさりげなくセレナの仕事の配置を確認した。

 王妃付きの侍女の仕事は細かく決められている。朝の支度、食事の給仕、書状の整理、来客時の案内、就寝前の片付け——それぞれ担当と手順がある。

 セレナは「茶会の準備全般」を任されていた。

 会場の設営確認、花の手配、テーブルの配置、クロスの管理。

 テーブルクロスの管理。

 アデライドは、その項目で少しだけ目を止めた。

 それだけで、何かを決めつけるには早すぎる。でも、アデライドは長年宮廷で生きてきた。宮廷とは、疑うことを覚えなければ生き残れない場所だ。愛した人間を疑うことも、その例外ではない。

 アデライドは何も言わなかった。

 ただ、一つだけ動いた。


 呼んだのは、宮廷顧問のヴァルター老人だった。

 八十を超えた老顧問は、アデライドが王妃として宮廷に入った日から仕えている。物覚えが悪くなり、足が遅くなり、補聴器を使うようになったが、それでも頭の回転だけは現役の頃と変わらない。何より、口が堅かった。

「ヴァルター」

「はい、殿下」

「今度の茶会のことですが」

「はい」

「少し、念のための準備をしておきたい」

 アデライドは短く、要点だけを告げた。ヴァルターは静かに聞き、静かに頷いた。余計な問いを立てなかった。こういうとき、老顧問の無駄のなさが有難かった。

「承知いたしました」とヴァルターは言った。「ただ一点だけ、よろしいでしょうか」

「何ですか」

「殿下は、何かをご存知の上で、それでも茶会を予定通り開催されるおつもりですか」

 アデライドは少しの間、老顧問を見た。

「そうです」

「……理由をお聞きしても」

「網を張るのに、魚に知らせる必要はない」

 ヴァルターは頭を下げた。「御意」と言い、退室した。


 茶会を中止する選択肢は、最初からなかった。

 理由は二つある。

 一つは、単純に証拠がないからだ。セレナの目が怯えていた、テーブルクロスの管理を担当している——それだけでは何も言えない。疑いを行動に移すには、根拠が必要だ。

 もう一つの理由は——これがアデライドにとって本質だったが——茶会を中止すれば、何も分からないからだ。

 セレナが誰かに動かされているとすれば、その「誰か」が何を望んでいるのかを知りたかった。軍なのか、外国勢力なのか、あるいは宮廷の内側の誰かなのか。魚を逃がせば、釣り糸の先が分からない。

 アデライドは茶会を「舞台」として使うことにした。

 役者は全員、そこに揃っている。


 茶会の三日前、もう一つの懸念が持ち上がった。

 「爆発の錬金術師」の話は、宮廷中に広まっていた。王子の難病を治したことで宮廷錬金術師に抜擢された若い女性が、しかし制御不能な爆発を繰り返す危険人物であるという評判が、文官の間で急速に膨らんでいた。

 茶会の演出として彼女に触媒の生成を依頼したのは、アデライドの判断だった。

 側近の文官たちは猛反対した。「爆発させる気ですか」「会場が吹き飛びます」「賓客に何かあれば——」。アデライドは全員の反対意見を最後まで聞いてから「分かりました」と答え、それでも予定を変えなかった。

 理由を問われれば、アデライドはこう答えた。「彼女の錬金術を、自分の目で見たい」

 それは本当のことだった。ただし全部ではなかった。


 エリカ・フォン・ノイマンについて、アデライドが知っていることは多くなかった。

 王子の難病を治した薬を生成したこと。学校では三年連続で試験に落ちていたこと。爆発が起きるたびに煤けた顔で「すみません」と言う癖があること。指導役のリオンという青年が、彼女を静かに庇い続けていること。

 そして——軍が彼女の技術に強い関心を持っていること。

 アデライドは、その最後の一点を重く見ていた。

 軍が欲しがるものには、必ず理由がある。軍は実用的な組織だ。役に立たないものに関心を持たない。彼女の「爆発」が兵器になると判断したのか、あるいは別の何かが目当てなのか。

 いずれにせよ、軍が動いているのなら、アデライドも動く必要があった。

 茶会は、その「場」として機能する。


 前日の夜、アデライドは一人で執務室にいた。

 書類仕事は既に終えていた。ただ、眠れなかった。

 蝋燭の火を見つめながら、アデライドは様々なことを考えた。

 セレナのことを考えた。七年間、よく仕えてくれた侍女だった。怠けたことがなく、気が利き、体調の悪い日に率先して動いてくれた。あの目の奥の怯えが何に由来するのか——誰かに脅されているのか、弱みを握られているのか。

 もしそうなら、セレナは被害者だ。命じた側に責任がある。

 でも同時に、アデライドは自分が明日、何かに晒される可能性があることも知っていた。茶会を舞台にする、ということは、自分が釣り餌になる、ということだ。

 怖くないか、と問われれば——怖くないとは言えない。

 でも宮廷で四十年近く生きてきたアデライドには、分かっていることがある。恐れたまま前へ進むことと、恐れを感じないことは、全く別のことだ。

 蝋燭の火が、風もないのにわずかに揺れた。

 アデライドはそれを見てから、目を閉じた。


 茶会当日の朝。

 セレナが髪を梳いていた。

 鏡の中で、アデライドはセレナの顔を見た。昨日より顔色が悪かった。目の下に隈がある。眠れなかったのだろう。

「今日は少し顔色が悪いわね」とアデライドは言った。

「……申し訳ございません。少し眠れませんでした」

「茶会の準備で気を張っているのかしら」

 セレナが「恐れ入ります」と頭を下げた。

 アデライドは鏡の中のセレナから視線を外した。

 これが最後の言葉交わしになるかもしれない、と思った。

 それでも——セレナが謝れるうちに謝れるよう、セレナが誰かの名を言えるようになるまで、生きていなければならない。

 アデライドは背筋を伸ばした。


 会場に入ったとき、アデライドは最初に花の配置を確認した。

 白い花が、あちこちに飾られている。花台の数が、いつもより多かった。

 アデライドは何も言わなかった。

 席に着いた。背筋を伸ばし、参列者を見渡し、穏やかに微笑んだ。

 隅の調合台を一度だけ見た。金髪の若い錬金術師が、硬直した顔で素材の瓶を並べていた。隣に立つリオンという青年が、「右の瓶を」と小声で何か言っている。

 アデライドは、その二人を一度見てから、視線を戻した。

 さて、と思った。

 今日、何が起きるのかは分からない。

 でも——あの娘の錬金術が、どんな結果をもたらすのかは、少し楽しみだった。

 純粋に、楽しみだった。

 王妃として四十年、楽しみというものを感じる機会が、アデライドには少なかった。義務と責任と政治の間で、純粋な好奇心を持てる時間は限られていた。

 あの娘が生成した薬が、長年誰も解けなかった王子の難病を治した。

 その事実だけで、アデライドには十分だった。失敗から何かが生まれる——そういうものを、自分の目で見たかった。


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