お茶会と爆発
再現実験の成功から数日後。
「エリカ先輩、今日はもう実験終わりですよね?」
マリアが片付けをしながら尋ねた。
「うん、リオン先輩が用事があるって」
「じゃあ……あの、もし良かったら……」
マリアは少し恥ずかしそうに言った。
「一緒にお茶しませんか?」
「お茶?」
「はい。学校の近くに、美味しい紅茶の店があるんです」
マリアは目を輝かせた。
「三十種類以上の茶葉があって、抽出時間と温度の組み合わせで、数学的に最適な味を追求できるんです!」
「数学的に……」
エリカは苦笑した。マリアらしい。
「行きましょう! 私も紅茶好きですよ」
「本当ですか!? やった!」
マリアは嬉しそうに飛び跳ねた。
二人は学校を出て、石畳の道を歩いた。
「実は、先輩を誘いたくて、ずっと機会を狙ってたんです」
「え、そうなの?」
「はい。でも、いつもリオン先輩と一緒だったから……」
マリアは少し頬を赤らめた。
「邪魔したら悪いかなって」
「邪魔だなんて、そんなことないよ」
エリカは笑った。
「リオン先輩は研究仲間だし」
「研究仲間……ですか?」
マリアは意味深な笑みを浮かべた。
「何?」
「いえいえ、何でもありません」
十分ほど歩くと、小さな喫茶店が見えてきた。『紅茶数理館』という看板。
「すごい名前……」
「でしょう? オーナーが王立錬金術学校の数理科出身の紅茶マニアなんです」
マリアは誇らしげに言った。
「私、ここで三ヶ月かけて、全ての茶葉の最適抽出条件を計算したんですよ!」
「さ、三ヶ月……」
「ダージリンは摂氏九十五度で三分、アールグレイは摂氏九十度で四分、セイロンは摂氏九十二度で三分半……」
マリアは嬉しそうに語り続ける。
店に入ると、棚一面に茶葉の缶が並んでいた。壁には、温度と時間のグラフが貼られている。
「いらっしゃい。おや、マリアちゃん」
オーナー——白髭の老人——が笑顔で迎えた。
「こんにちは! 今日は友達を連れてきました」
「おお、珍しい」
オーナーは興味深そうにエリカを見た。
「マリアちゃんが友達を連れてくるなんて、初めてだよ」
「え、そうなんですか?」
エリカがマリアを見ると、彼女は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「私……あまり友達が……」
「マリアちゃんは、いつも一人で来て、計算ノートとにらめっこしてるからね」
オーナーは苦笑した。
「『この茶葉の最適温度は、理論値と〇・三度ずれてます!』って指摘されてね。最初は驚いたよ」
「だって、データが合わなかったんですもん」
マリアは真面目な顔で言った。
「理論値との誤差を無視できません」
「そういうところが、お客さんに理解されなくてね……」
オーナーは笑った。
「でも、私は好きだよ。そういう真面目さ」
二人は窓際の席に座った。
「エリカ先輩は、どんな紅茶が好きですか?」
「えっと……正直、あまり詳しくなくて……」
「じゃあ、今日は基本から! まずはダージリンにしましょう」
マリアは張り切ってオーナーに注文した。
「ダージリン二つ。抽出温度九十五度、時間三分ジャストでお願いします!」
「了解」
オーナーが去った後、マリアは身を乗り出した。
「先輩、聞いてもいいですか?」
「何?」
「先輩も……友達、少ないですか?」
エリカは少し驚いた。
「うん……まあ、そうかな」
「やっぱり!」
マリアは嬉しそうに言った。
「私、先輩と話してて思ったんです。似てるなって」
「似てる?」
「はい。先輩は実験オタク、私は数式オタク」
マリアは笑った。
「周りからは『変わってる』って言われて、理解されなくて」
「ああ……分かる」
エリカは深く頷いた。
「私、フラスコの中で色が変わるとか、結晶の形とか、ずっと観察してるの好きなんだけど……『何が面白いの?』って言われる」
「私も! 数式の美しさとか、理論の整合性とか、語りたいのに、みんな退屈そうな顔するんです!」
二人は顔を見合わせて、笑った。
「でも、先輩と話してると、楽しいです」
「私も。マリアは私の実験に興味持ってくれるから」
「当たり前じゃないですか! あんなに面白い現象、他にありません!」
マリアは目を輝かせた。
「先輩の爆発は、既存の理論では説明できない。それを解明するのが、私の夢なんです」
「夢……」
「はい。先輩の技術を、完璧に数式化して、論文にまとめる。それが私の目標です」
エリカは少し照れくさそうに笑った。
「でも、私……何も考えてないよ? 適当にやってるだけで」
「それがすごいんです!」
マリアは身を乗り出した。
「私、全部計算しないと動けないんです。でも、先輩は感覚だけで最適解を見つける」
「感覚って……ただのカンだよ?」
「カンじゃありません! 無意識の最適化です!」
マリアは熱く語る。
「先輩の脳は、膨大な計算を一瞬でやってるんです。ただ、本人が自覚してないだけ」
「そうなのかな……」
「そうです! だから、私は先輩に憧れてるんです」
マリアは少し恥ずかしそうに言った。
「先輩みたいに、理屈抜きで行動できたらいいなって」
「でも、マリアの緻密さも、すごいと思うよ」
エリカは言った。
「私、計算とか苦手だから。マリアがいてくれて、本当に助かってる」
「先輩……」
二人は微笑み合った。
その時、紅茶が運ばれてきた。
「お待たせ。ダージリン、九十五度、三分抽出だよ」
「ありがとうございます!」
マリアは温度計を取り出した。
「え、温度測るの!?」
「当然です! 温度管理は紅茶の基本ですから」
マリアは真面目に測定している。
「九十四・八度……許容範囲内です」
「そこまでするんだ……」
「はい! では、正しい飲み方を教えますね」
マリアは講義モードに入った。
「まず、香りを楽しみます。カップを両手で持って、鼻を近づけて……」
エリカは言われた通りにした。
「いい香り……」
「でしょう? では次、一口目は何も入れずに。茶葉本来の味を確認します」
エリカは一口飲んだ。
「美味しい……」
「ですよね! では次、お好みで砂糖やミルクを。私のおすすめは……」
マリアは小さなスプーンで砂糖を測り始めた。
「砂糖三グラム、ミルク五ミリリットル。この比率が、ダージリンの最適バランスです」
「そんなに厳密に……」
「はい! 正確に測って、よく混ぜて……」
マリアはスプーンでくるくると紅茶を混ぜた。
「こうすると、風味が均一になって、最高に美味しくなるんです!」
「へえ……」
エリカも真似して、砂糖とミルクを入れた——が、測らずに適当に。
「あ、先輩! 測った方がいいですよ!」
「大丈夫、大丈夫。適当で」
「もう……先輩は本当に大雑把なんですから」
マリアは困ったような、でも嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、せめてよく混ぜてください。これがポイントですから」
「分かった」
エリカはスプーンを取った。
紅茶を、くるくると混ぜる。
一回、二回、三回——
その瞬間。
甘やかな反乱の予兆。
琥珀と白濁が混ざり合い、マーブル模様の混沌が臨界点に達した刹那、優雅な時間を食い破った。
弾け飛んだ飛沫は、午後の陽光を孕んだグラデーションの礫となり、テーブルの上へ。
甘さのある香りを漂わせ、淡々とテーブルクロスを滲ませていった。
「きゃっ!?」
マリアが驚いて立ち上がった。
エリカは呆然としていた。
「え……紅茶が……爆発した……?」
「お、お茶が爆発!?」
マリアも信じられない様子。
オーナーが慌てて駆けつけた。
「どうした!? 何があった!?」
「す、すみません……紅茶が……」
「お嬢ちゃん、紅茶を混ぜたのかい?」
「は、はい……」
「それで爆発するなんて……」
オーナーは首を傾げた。
「うちの紅茶、三十年やってるが、混ぜただけで、爆発したのは初めてだよ」
「本当にすみません……」
エリカは頭を下げた。
マリアは——目を輝かせていた。
「先輩……これ、すごい発見です!」
「え?」
「紅茶でも爆発したんですよ!? シチューに続いて!」
マリアは興奮している。
「つまり、先輩の能力は、液体を混ぜる行為全般に反応する可能性があります!」
「そんな……」
「実験が必要です! 他の飲み物でも試しましょう!」
「ちょ、ちょっと待って!」
エリカは慌てた。
「これ以上、お店で爆発させるわけには……」
「あ、そうですね」
マリアは我に返った。
「すみません、つい興奮して……」
オーナーは苦笑していた。
「まあ、怪我がなくて良かったよ。新しいの淹れるから、今度は混ぜないでね」
「はい……すみません……」
オーナーが去った後、マリアがエリカに詰め寄った。
「先輩、これ初めてですか?」
「うん……紅茶で爆発したのは初めて」
「シチューの時は?」
「あれは……一年前に一回だけ」
「液体を混ぜる行為、そして、何かを加える行為……共通項がありますね」
マリアは既にノートを取り出していた。
「シチューの時は、ハーブをトッピングしましたよね?」
「うん」
「今回は、砂糖とミルク。両方とも、追加物質を投入した後に混ぜている……でも、タバスコは、混ぜた後に投入し、爆発しているし……」
「あの、マリア……」
「はい?」
「今日は、研究じゃなくて、お茶を楽しみたいんだけど……」
エリカは少し困った顔をした。
「あ……」
マリアは慌ててノートを閉じた。
「ごめんなさい! またやっちゃった……」
「いいよ、気にしないで」
エリカは笑った。
「でも、マリアって、本当に研究熱心だね」
「先輩もでしょう?」
「私は……熱心っていうか、勝手に爆発するから……」
「でも、人の役に立ちたいって思ってますよね?」
マリアは真剣な目で言った。
「そうだね……母を救えなかったから……」
「それです」
マリアは微笑んだ。
「私、先輩のそういうところ、すごく好きです」
「え……」
「私は、ただ数式が好きで、理論が好きで。でも、先輩は違う。誰かを救いたいっていう、明確な目的がある」
マリアは少し寂しそうに笑った。
「私も、先輩みたいに、誰かのために研究したいです」
「マリアは、もうしてるよ」
エリカは言った。
「私の技術を数式化してくれてる。それで、たくさんの人が助かるんだから」
「先輩……」
「だから、ありがとう」
エリカは心から言った。
マリアは目を潤ませた。
「先輩……私、もっと頑張ります!」
「うん。一緒に頑張ろう」
二人は笑顔を交わした。
新しい紅茶が運ばれてきた。
「今度は気をつけてね」
「はい!」
エリカは慎重に——混ぜずに——紅茶を飲んだ。
「ふう……混ぜなければ大丈夫」
「でも、不便ですね」
マリアは心配そうに言った。
「シチューはともかく、紅茶は、混ぜた方が美味しいのに」
「慣れるしかないかな……」
「いえ、対策を考えましょう」
マリアは再びノートを開いた。
「爆発のメカニズムを解明すれば、防ぐ方法も見つかるはずです」
「マリア……」
「大丈夫です! 必ず解決策を見つけます!」
マリアは力強く言った。
「先輩が、普通に紅茶を飲めるように」
エリカは嬉しくて、少し泣きそうになった。
「ありがとう、マリア」
「いえいえ」
マリアは照れくさそうに笑った。
二人はしばらく、紅茶を楽しんだ。
そして、マリアがふと尋ねた。
「ねえ、先輩」
「何?」
「リオン先輩のこと……好きなんですか?」
エリカは紅茶を吹き出しそうになった。
「な、何を言ってるの!?」
「だって、いつも一緒にいるじゃないですか」
マリアはニヤニヤしている。
「それは……研究仲間だから……」
「研究仲間の顔じゃないですよ、あれは」
「どんな顔!?」
「すっごく嬉しそうな顔」
マリアは断言した。
「特に、リオン先輩が褒めてくれた時」
「そ、そんなこと……」
エリカは顔を赤らめた。
「別に……リオン先輩は優しいし、頭いいし、研究熱心だし……」
「はい」
「私のこと、ちゃんと見てくれるし……」
「はい」
「爆発しても、怒らないし……」
「はいはい」
マリアは満足げに頷いた。
「それ、完全に好きですね」
「ちょっ……!」
エリカは真っ赤になった。
「で、でも……私なんか……リオン先輩には……」
「何でですか?」
「だって、リオン先輩は天才だし、学校始まって以来の優等生だし……私はただのドジで……」
「ただのドジじゃないですよ」
マリアは真剣に言った。
「先輩は、錬金術の歴史を変えてるんです。リオン先輩と対等です」
「でも……」
「それに、リオン先輩、先輩のこと見る目が優しいですよ」
「え……そう?」
「はい。『大切な助手』って言ってましたし」
マリアはからかうように言った。
「もしかしたら、両想いかもしれませんよ?」
「ま、マリア!」
エリカは恥ずかしさで顔を覆った。
マリアは楽しそうに笑っている。
「先輩、可愛い」
「もう……」
エリカは溜息をついた。
でも、嫌な気分ではなかった。
こうやって、恋バナできる相手がいるなんて。
「マリアは? 好きな人いないの?」
エリカが反撃した。
「え、私ですか?」
マリアは少し考えた。
「いませんね。恋愛より、数式の方が面白いので」
「数式……」
「はい! 恋愛方程式とか、確率論的アプローチとか、理論的には興味ありますけど」
「それ、恋愛じゃなくて研究だよね……」
「そうですね」
マリアはあっけらかんと言った。
「でも、先輩の恋愛は応援します! データ取りますから!」
「データ取らなくていいから!」
二人は笑い合った。
紅茶を飲み干し、店を出る。
「今日は楽しかったです、先輩」
「私も。また来ようね」
「はい! 次は、爆発しない飲み方を研究してから」
「マリアは本当に……」
エリカは苦笑した。
「でも、ありがとう。こうやってお話できるの嬉しい」
「私もです」
マリアは満面の笑みを浮かべた。
二人は並んで歩いた。
夕日が、二人を照らしている。
「ねえ、マリア」
「はい?」
「これから、ずっと友達でいてね」
「当たり前じゃないですか」
マリアは笑った。
「先輩の爆発を数式化するまで、絶対に離れませんから」
「それ、いつまでかかるの……」
「一生かかるかもしれませんね」
「じゃあ、一生友達だね」
「はい!」
二人は笑い合った。
研究室に戻ると、リオンが待っていた。
「あれ、二人とも。どこに行ってたんですか?」
「お茶してました」
エリカが答えると、マリアがニヤッと笑った。
「あ、そうだ、リオン先輩」
「何ですか?」
「エリカ先輩、紅茶でも爆発しましたよ」
「え!? 本当ですか!?」
リオンは興奮した様子でノートを取り出した。
「詳しく教えてください!」
「ちょ、ちょっとマリア!」
エリカは慌てた。
「何でバラすの!?」
「だって、重要なデータじゃないですか」
マリアはあっけらかんと言った。
「それに……」
マリアは小声で付け加えた。
「リオン先輩と話すきっかけになるでしょう?」
「もう……!」
エリカは顔を赤らめた。
リオンは二人のやり取りを不思議そうに見ていた。
「二人とも、仲良くなりましたね」
「はい! エリカ先輩は最高です!」
マリアが元気よく答えた。
「それは良かった」
リオンは微笑んだ。
「では、紅茶の爆発について、詳しく……」
「はい! まず、抽出温度が九十四・八度で、混ぜた回数が三回で……」
マリアが詳細に説明し始める。
エリカは、二人の様子を見ながら思った。
(ああ、良い仲間ができたな……)
そして——
(でも、恋バナはもうやめてほしいな……)
と、少し恥ずかしくなった。
夜の実験室。
三人は、紅茶爆発の記録を取り続けた。
笑い声と、議論と、そして——
時々、エリカとリオンが目を合わせて、お互い照れる瞬間と。
マリアは、それを全部観察していた。
そして、密かにノートに書き込んだ。
『エリカ先輩とリオン先輩の恋愛進行度:三十五パーセント』
(まだまだですね。でも、応援します!)
マリアは、新しい研究テーマを見つけた気分だった。




