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ドジっ娘錬金術師は失敗から最適解を導く 〜なぜか私の爆発だけが世界を進化させる〜  作者: same_freq
憧れの宮廷生活は、針のむしろ?

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12/13

勘違いの天才、陰謀を照らす

 近衛騎士の隊長は、一秒だけ迷った。

 「今すぐ確認してください」——王妃の席の下を。それは、王妃殿下が現在着座している席の、真下を確認せよ、ということだ。つまりテーブルをどかすか、あるいはひっくり返すかしなければならない。王妃臨席の茶会の場で、そんなことをすれば大変な無礼になる。だが——

 天井の光の図面に映し出されたあの赤黒い塊を、隊長も見ていた。

 「——動け」

 隊長は部下へ指示を飛ばし、自分も足を踏み出した。参列者の間をすり抜け、王妃の円卓へ向かう。その動きを見た貴族たちがざわめき始めたが、リオンの静かな視線がそのざわめきを制した。

 王妃は動かなかった。

 騎士たちが卓に近づき、「殿下、失礼いたします」と短く告げる。王妃はただ一度、小さく頷いた。

 テーブルクロスが引き上げられ、卓がずらされた。


 最初に気づいたのは、隊長の副官だった。

「……これは」

 声が、低く落ちた。

 テーブルの裏面——白いクロスの裏地に、何かが縫い込まれていた。細い糸で刺繍のように施された紋様が、布の内側にびっしりと走っている。ただの刺繍ではない。魔力紋だ。しかも、精緻に設計された、起動式を内包した術式紋だ。

 それ自体はまだ、青白く光っていた。脈打つように、じわじわと。

 リオンが卓に近づき、一瞥した。目が細くなる。

「カース・ウィーヴ」

 その二語が、静かに会場に落ちた。

 参列者たちが、一斉に息を飲む。

 呪殺装置だ——と理解した者の顔から、みるみると血の気が引いていった。


 しかし、混乱は、短かった。

 近衛騎士たちの動きが速かった。隊長の指示一つで部下が散り、出入り口が封鎖される。侍女や従者たちが壁際に誘導され、参列者の貴族たちには「その場でお待ちください」と静かに、しかし有無を言わさぬ口調で告げられた。

 そして魔力紋の照合が始まった。

 術式紋には必ず、それを施した者の魔力の痕跡が残る。専門の紋官が持ち歩く照合板にカース・ウィーヴの紋様を写し取り、会場内の人間と順番に照らし合わせていく。

 時間はかからなかった。

 会場の隅、壁際に控えていた侍女たちの列。その中の一人——王妃付きの侍女のひとりが、照合板を向けられた瞬間、紋官が「一致」と短く言った。

 侍女は、その言葉を聞いた瞬間に、崩れ落ちた。

 膝から、ゆっくりと。まるで体の中の何かが抜けてしまったように。騎士二人が両脇を支えて立たせる。侍女の目は虚ろで、唇だけが微かに震えていた。


 壁際のフローラル・アーカイブも、同時に回収された。

 花台の根元、生け花の水に浸かった状態で発見された小型の金属細工——花型の装飾品を、騎士が手袋越しに取り出す。一つ、二つ、三つ。会場の三箇所から合計三個。

 それを見た軍部の士官数名が、顔色を変えた。

 それまで壁際に立って静かに観察していた彼らが、初めて動揺を見せた瞬間だった。数名が視線を交わし合い、一名が出口の方へ向かおうとしたところを、騎士に「お待ちください」と静止された。

 リオンはその様子を横目で見て、何も言わなかった。


 エリカは、調合台の前に正座していた。

 正座、というのが正確かどうか分からないが、膝を折って台の前に縮こまっていた。両手を膝の上に揃えて、背中を丸めて、視線を落として。

 会場がざわついているのは分かる。騎士たちが動いているのも分かる。何か大変なことが起きているのも、なんとなく分かる。

 でも自分がやったのは、くしゃみをして、転んで、花瓶を倒して、釜に色々なものを落としただけだ。

「す、すみません……」

 誰に言うでもなく、エリカは呟いた。

「光が出すぎてみなさんを驚かせてしまいました……」

 お茶会の雰囲気を、完全に台無しにした。王妃殿下の茶会で、大きな音は立てなかったけれど、代わりに会場中に謎の光を充満させた。どちらがマシかと言えば、恐らく、どちらも良くなかった。

「せっかくのお茶会だったのに……台無しにしました……」

 膝の上の手がきゅっと固まる。

 涙が出そうになるのを、エリカは懸命にこらえた。泣いたって何も解決しない。でも、あんなに特訓して、あんなに「絶対に爆発させない」と誓ったのに、結局くしゃみ一つで全部崩れてしまった。

 自分はやっぱり、どこまでいっても役立たずなのかもしれない。


 気配がして、顔を上げた。

 リオンが、目の前にしゃがんでいた。

 立ったまま見下ろすのではなく、エリカの目線に合わせるようにして、膝を折って。その姿勢で、静かにエリカを見ていた。

 エリカは、その目を見て、少し驚いた。

 いつものリオンの目は、冷静で、何かを計算するように動いている。でも今の目は少し違った。何かを——大切に扱おうとするような、慎重さがあった。

「エリカさん」

「……はい」

「説明します。聞いていてください」

 エリカは小さく頷いた。

「あなたが生成した霧は、フローラル・アーカイブが記録していた魔力情報を解放し、会場全体の魔力の流れを一瞬だけ可視化しました」

 フローラル・アーカイブ、という言葉は初めて聞いた。でもリオンが続けるので、エリカは黙って聞いた。

「会場に仕込まれていた三つの装飾品——花型の金属細工が、それです。本来は音声を記録するスパイ道具ですが、あなたの錬金術が発生させた過負荷によって、記録していた魔力情報ごと解放された。その結果、会場全体の魔力の流れが、天井に投影された」

「……天井の、光の図面、ですか」

「そうです」

 リオンは一息置いた。

「その図面の中に、二種類の異質な反応が映し出された。壁際の青白い点滅がフローラル・アーカイブの本体。そして——王妃殿下の席の真下、赤黒く蠢いていた光が、カース・ウィーヴ、つまり呪殺装置の魔力反応でした」

 エリカは、目をぱちぱちさせた。

 呪殺装置。王妃の席の下に。それが、あの赤黒い光だった。

「……あの、」

「はい」

「じゃあ、わたしが光を出したから、呪殺装置が見つかった、ということですか……?」

「そうです」

 エリカは少し間を置いてから、もう一度瞬いた。

「……くしゃみをして、転んで、花瓶を倒したから……?」

「そうです」

「……蝶のせいで、くしゃみをしたから……?」

「結果的には」

 エリカは、釜の方に視線をやった。釜の底では、まだ虹色の円盤がかすかに輝いている。

 リオンが、静かに言った。

「つまり、あなたは光で、場の嘘を全部照らした」


 その言葉が、ゆっくりとエリカの中に落ちていった。

 場の嘘を、照らした。

 エリカは、目をぱちぱちさせた。それ以外の反応が、すぐには出てこなかった。

「て、照らした……?」

「はい」

「わたし、くしゃみをしただけ……」

「結果が全てです」

「で、でも……」

 エリカは言葉に詰まった。自分がやったことの「意味」と、自分がやったことの「実態」が、どうしても繋がらなかった。くしゃみをして転んだことが、呪殺装置の発見に繋がった。その二つの間に、どれほどの距離があるか。

 でも、繋がっていることは、事実だった。

 リオンが「結果が全てです」と言うなら、きっとそうなのだろう。リオンはこういうことで嘘をつかない。

 エリカは視線を落として、小さく「……そう、なんですか」と呟いた。涙が出そうなのはまだ変わらなかったけれど、さっきとは少し、理由が変わっていた。


 リオンが立ち上がり、釜に近づいた。

 中を覗き込み、棒でそっと底をかき回す。虹色の円盤が、ゆっくりと浮かび上がってきた。リオンが小型のトングでそれを取り出し、光にかざした。

 七色が、光の角度によって変わる。薄く、軽く、それ自体に重さはほとんどなさそうだった。直径は掌ほど。表面に細かい紋様が自然に形成されており、それが魔力紋の役割を果たしているように見えた。

 リオンは、長い間それを見ていた。

「……フローラル・アーカイブの素材と、錬金素材が融合している」

 独り言のようだったが、エリカには聞こえた。

「一定範囲内の魔力の流れを可視化し、投影する——おそらく、繰り返し使用できる触媒板です」

 エリカは立ち上がって、恐る恐るリオンの隣に並んだ。虹色の円盤を覗き込む。

「……それ、すごいんですか」

「軍が長年研究してきた『魔力可視化装置』の、完全上位互換です」

 エリカは、軍の士官たちの方へ視線をやった。彼らはまだ、騎士に囲まれたまま、顔色のない顔でこちらを見ていた。

「……あの人たちが、ずっと作ろうとしていたものが、できちゃった、ということですか」

「そうです」

「……くしゃみで」

「そうです」

 エリカはしばらく沈黙した。

「……怒られますか」

「軍には、怒る資格がありません。彼らはフローラル・アーカイブを仕込んでいた側です」

 そうですね、とエリカは思ったが、口には出さなかった。


 王妃が、立ち上がった。

 会場の全員が、その気配に気づいて視線を向けた。王妃は乱れた様子を少しも見せず、騒ぎの中でもずっと背筋を伸ばしたままだった。侍女を一人連れ、ゆっくりとエリカの方へ歩いてくる。

 エリカは反射的に背筋を伸ばし、頭を下げようとした。

「顔を上げてください」

 王妃の声は穏やかだった。エリカが恐る恐る顔を上げると、王妃はエリカの前に立ち、その手を、両手でそっと包んだ。

 エリカは固まった。王妃殿下が、自分の手を、持っている。

「あなたは光で、この場の全ての影を照らし出した」

 王妃はエリカの目を見て、ゆっくりと言った。

「——錬金術とは、こういうものだったのかしら」

 エリカは、瞬きをした。

「ち、違います」

「……違う?」

「く、くしゃみと、転んだだけです……! 蝶が来て、くしゃみが出て、転んで、花瓶を引っ掛けただけで、光を出そうとか、呪殺装置を見つけようとか、そういうことは何も——」

「それでも」と王妃は静かに遮った。「照らした事実は、変わらない」

 エリカは口を閉じた。

 王妃がわずかに笑う。人生の長さを積み重ねた、穏やかな笑いだった。

「光に理由は要りません。照らされた者には、照らされた事実だけが残る」

 エリカには、その言葉の全てがすぐには理解できなかった。でも、包まれている手の温かさは分かった。それだけで、今は十分な気がした。

 涙が、零れた。

 泣くつもりはなかったのに。「違います、くしゃみをしただけです」と言い続けながら、エリカは涙が頬を伝うのを止められなかった。周囲の誰も、その涙の意味を訂正しなかった。


 会場の端、拘束された侍女を囲む騎士たちの輪の中で、尋問が始まっていた。

 侍女は放心したような表情のまま、か細い声で答えていた。名前、所属、カース・ウィーヴを入手した経路——騎士の問いに一つ一つ応じていたが、「依頼者」の部分に差し掛かったとき、侍女の声が変わった。

「……私に依頼したのは」

 騎士が前に乗り出す。

「軍でも……使節団でも……」

 そこで、侍女は口を閉じた。

 意図的に、ではなかった。何かを恐れるように、喉の奥で言葉が止まった。侍女自身も、口を開こうとして、でも開けなくて、震える唇のまま俯いた。

 離れた位置でその様子を見ていたリオンの目が、細くなった。

 軍でも、外国の使節団でもない。

 第三の勢力。

 宮廷の内部を熟知し、王妃付きの侍女に接触できる立場にあり、呪術式の魔道具を調達できる——そして、自分の名を声に出させないほどの抑止力を持つ、何か。

 リオンは何も言わなかった。ただ、静かに目を細めたまま、そのことを頭の中に刻んだ。


 会場の後片付けが始まる中、エリカは釜の前に戻り、底に残った虹色の円盤をそっとつまみ上げた。

 軽かった。羽根のように。しかしその表面に走る細かい紋様は、見れば見るほど精密で、どこかに作為のようなものを感じた。でも誰かが意図して作ったわけではない。くしゃみと転倒と、成り行きの産物だ。

 光に当てると、七色が柔らかく滲んだ。

 エリカはそれをしばらく眺めてから、首を傾げた。

「あれ……?」

 独り言だった。でもリオンには聞こえたらしく、「何ですか」と声が飛んでくる。

「……なんだか、すごいのができちゃいました……?」

 そう言いながらも、エリカの声には「すごい」という実感はまだなかった。

 ただ、虹色の円盤は、確かに手の中で輝いていた。

 穏やかに。静かに。くしゃみから生まれたとは思えないほど、美しく。


 窓の外、午後の光が長くなっていた。

 茶会は、お茶が一口も飲まれないまま終わった。でも白い花々は無事だった。カース・ウィーヴは回収された。フローラル・アーカイブも回収された。軍の士官たちは別室に連行された。侍女は騎士に付き添われて退場した。

 残されたのは、静かになった広間と、残り香のような金色の光の欠片と——虹色の円盤を手に持って、まだ首を傾げているエリカだけだった。

 リオンが隣に立ち、エリカが手に持つ円盤を見下ろした。

「……持ち帰ります。分析が必要です」

「は、はい」

「それと」

「……はい」

「今日の件、報告書を書く必要があります。あなたにも署名が必要ですので」

「は、はい」

「夕食後、研究室で」

「は、はい」

 エリカは頷きながら、ふと思った。

 報告書に何と書けばいいのだろう。「くしゃみをして転んだら呪殺装置が発見されました」では、どうにも信憑性に欠ける気がする。

「……あの、リオンさん」

「何ですか」

「報告書、どう書けばいいですか」

 リオンは少しの間沈黙した。

「……事実を書いてください」

「く、くしゃみをして転んだことも、ですか」

「特に、それを書いてください」

 エリカは、眉をしかめた。それを書いたら、絶対にみんなに笑われると思った。でも、リオンがそう言うなら、そうするしかない。

「……分かりました」

 エリカはもう一度、虹色の円盤を見た。

 くしゃみから生まれた、軍の長年の夢の上位互換。

 場の嘘を全部照らした、くしゃみと転倒の副産物。

 エリカには、それがまだ自分の「失敗」なのか「成功」なのか、よく分からなかった。

 ただ、リオンが「結果が全てです」と言った。

 王妃が「照らした事実は変わらない」と言った。

 それならきっと、くしゃみをしたことの意味も、どこかにある。

 エリカは虹色の円盤を大切に道具袋にしまい、深呼吸をした。

「——次は、爆発させないようにします」

「それはそうですね」とリオンが即答した。「ただし」

「……はい」

「今日の件も、爆発はしていません」

「え……あ、そうですね。そうです。してませんでした!」

「ええ」

 リオンは、それだけ言って前を向いた。その横顔には、何の表情もなかった。

 でも、エリカには、なんとなく分かった。

 彼は、少しだけ安心したのだ、と。

 ——くしゃみと転倒だけで、今日は済んだ、ということに。


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