不合格
世界が裂ける直前、中心部には針の穴ほどの白光が生まれる。
それは瞬く間に膨張し、夜の帳を内側から食い破るようにして、橙と黄金のグラデーションを空に描いた。
爆発という現象は、破壊である前に、純粋な光の彫刻だ。
立ち昇る火柱は、重力から解き放たれた大輪の牡丹を思わせる。
めくれ上がる鉄筋は、熱に浮かされた植物の蔓のようにしなやかにのたうち、砕け散った強化ガラスの破片は、光を反射して金色のダストとなって降り注ぐ。
そこには、悲鳴も、熱風も、後悔もまだ追いついていない。
ただ真空のような静寂の中で、赤黒い煙の雲が、意志を持つ生き物のようにゆっくりと、優雅に空を覆っていく。
崩壊する天井のシルエットは、まるで薄絹を剥がされるかのように、どこまでも、どこまでも淡く、儚い。
・・・王立錬金術学校の実習室に、今日も爆発音が響き渡った。
「またエリカか!」
教官の怒声と共に、白煙が天井へと立ち昇る。窓という窓が開け放たれ、生徒たちが一斉に避難していく中、ただ一人、実験台の前で呆然と立ち尽くす少女がいた。
エリカ・フォン・ノイマン。王立錬金術学校、三年連続不合格記録保持者である。
「す、すみません……」
頬も額も煤で真っ黒に汚れ、ところどころ金髪まで灰色に染まりながら、エリカはぺこりと頭を下げた。
ぱちぱちと瞬く大きな瞳だけが、不思議なほど澄んだ色のまま残っている。
煤にまみれているはずなのに、その顔立ちはやけに整っていて、むしろ愛嬌が増して見えるのだから始末が悪い。
ふわりと揺れた金色の髪から、まだ白い煙が細く立ちのぼっていた。
教官はその様子を見下ろし、深々とため息をついた。
「エリカ君。君はもう何度目だ? 今学期だけで十七回目の爆発だぞ」
「じゅ、十八回です……」
「余計悪いわ!」
教官は頭を抱えた。他の生徒たちはクスクスと笑いながら、安全な距離から様子を窺っている。
王立錬金術学校は、この国で最も権威ある錬金術師養成機関だ。ここを卒業すれば、宮廷錬金術師への道が開かれ、一生安泰の生活が約束される。だからこそ、入学試験は熾烈を極め、入学後も厳しい実技試験が課される。
そして、エリカは三年間、一度たりとも実技試験に合格したことがなかった。
「基礎治癒薬の調合だぞ? 一年生でも作れる最も簡単な課題だ。なぜ君だけが毎回爆発させる?」
「その……手順通りにやってるんですけど……」
「嘘をつけ!」
教官は実験台に奇跡的に残された『錬金術基礎教本』を手に取った。ページは開かれたまま、基礎治癒薬の項目が見える。
「いいか、エリカ君。錬金術は正確な手順の学問だ。この教本は三百年前、大賢者アルケミウスが命懸けで編纂した、完璧な手順書なのだ」
教官は厳かに語る。
「月光草を三枚、時計回りに配置。聖水を正確に五十ミリリットル。魔力を込めながら、右手で七回攪拌。そして火精石の粉末を一つまみ……この手順を一つでも間違えれば、正しい結果は得られない」
「はい……」
「では、君は何をした?」
「えっと……」
エリカは記憶を辿る。確かに教本は見た。月光草も用意した。聖水も……あれ?
「月光草を入れて……それで、聖水を……いや、火精石を先に……?」
「ほら見ろ! 覚えてすらいないじゃないか!」
教官の怒声に、エリカは縮こまった。しかし、彼女には本当に分からないのだ。なぜ毎回こうなるのか。
別に手を抜いているわけではない。真面目に取り組んでいる。だが、気づくと手順がぐちゃぐちゃになっている。教本を見ながらやっているのに、なぜか途中で別の材料を手に取ってしまう。攪拌の回数も、いつも数え間違える。
「エリカ君、はっきり言おう」
教官は厳しい表情でエリカを見つめた。
「このままでは、君は今年も不合格だ。いや、来年受験したとしても合格は難しいだろう。錬金術師には向いていない。別の道を考えた方がいい」
「そんな……」
エリカの目に涙が浮かぶ。
錬金術師になることは、彼女の幼い頃からの夢だった。病弱だった母を救えなかった無力感。あの時、もし自分に知識があれば、技術があれば。そんな思いが、彼女をこの道へと導いた。
「でも、私……どうしても錬金術師に……」
「気持ちは分かる。だが、才能というものがある」
教官は冷たく言い放った。
「君には錬金術の才能がない。それだけだ」
その言葉に、教室が静まり返った。
だが、その時だった。
「教官、少しよろしいですか?」
声をかけてきたのは、上級クラスの優等生、リオン・グレイだった。整った顔立ちに、知的な眼鏡。学校始まって以来の天才と謳われる青年だ。
「リオン君? 上級クラスの実習中ではないのか?」
「爆発音が聞こえたので、様子を見に来ました」
爆発の余韻がまだ空気を震わせ、焦げた石と薬品の匂いが立ちこめる危険地帯に、彼はためらいもなく足を踏み入れていた。
生徒も教官も本能的に距離を取るその場所へ、まるで散歩の途中で立ち寄ったかのような落ち着きで現れる。
常識や恐怖よりも、好奇心と観察欲が先に立つ――その姿は、周囲の誰とも噛み合わない静けさをまとっており、場違いなほど冷静だった。
リオンは実験台に近づき、残留物を観察し始めた。爆発で飛び散ったフラスコの破片、黒焦げになった薬草、そして——
「これは……」
リオンの表情が変わった。
実験台の中央、小さな結晶が残っていた。淡い青色に輝く、美しい結晶だ。
「教官、これを見てください」
「ん? ただの残留物だろう」
「いえ、これは……精製治癒結晶です」
「何だと?」
教官が驚愕の声を上げた。
精製治癒結晶。それは、基礎治癒薬を極限まで濃縮した、高度な錬金術の産物だ。通常、上級錬金術師でも成功率は三割程度。それも、特殊な器具と厳密な温度管理が必要とされる。
「馬鹿な……基礎治癒薬の実習で、こんなものができるはずが……」
教官は結晶を手に取った。確かに、これは本物だ。しかも、教本に載っている標準品よりも、明らかに純度が高い。
「エリカ君、君は一体何をした?」
「え、えっと……本当に、教本通りに……」
「教本通りでこれができるか!」
教官は混乱していた。三百年の歴史を持つ『錬金術基礎教本』に、このような記述はない。爆発によって偶然できた? それもありえない。精製治癒結晶の生成には、精密な魔力制御が不可欠だからだ。
「面白い……」
リオンが呟いた。
「エリカさん、君は何年生ですか?」
「三年生です……三年連続不合格の……」
「三年間、ずっと爆発を?」
「はい……」
「毎回、同じように爆発するんですか?」
「いえ、毎回違います。色も、煙の量も、破壊力も……」
エリカは涙目になりながら恥ずかしそうに答えた。しかし、リオンの目は輝いていた。
「教官、提案があります」
「何だ?」
「エリカさんの過去の実験記録を見せていただけませんか? 全ての爆発について、詳細なデータが欲しいんです」
「何を言っている? ただの失敗記録だぞ」
「いえ、もしかしたら……」
リオンは実験台の結晶を見つめた。
「彼女の『失敗』は、失敗ではないかもしれません」
「は?」
教官とエリカが、同時に首を傾げた。
リオンは静かに語り始める。
「錬金術は正しい手順の学問、とおっしゃいましたね。確かにその通りです。しかし、なぜその手順が正しいのか、その理由を誰も知らない。三百年前の大賢者アルケミウスが発見した手順を、私たちはただ暗記し、再現しているだけです」
「それが錬金術だろう」
「ええ。でも、もし……」
リオンはエリカを見た。
「もし、手順を破ることで、アルケミウスでさえ到達できなかった領域に踏み込めるとしたら?」
「何を言っているんだ、リオン君。手順を破れば失敗する。それが錬金術の鉄則だ」
「本当に失敗でしょうか?」
リオンは結晶を掲げた。
「これは、明らかに成功です。それも、教本を超える成功です」
教室が再び静まり返った。
生徒たちは信じられないという表情で、エリカを見つめている。あの落ちこぼれが? 毎回爆発させるドジっ娘が?
「教官、お願いがあります」
リオンは深々と頭を下げた。
「エリカさんを、私の研究助手として預けていただけませんか?」
「何だと?」
「彼女の爆発には、必ず理由があるはずです。その理由を解析すれば、錬金術に新しい地平が開けるかもしれない」
「リオン君、君は何を……」
「私は確信しています」
リオンの目は、研究者の目だった。未知への好奇心に満ちた、熱い眼差し。
「エリカさんは、錬金術の才能がないんじゃない。既存の錬金術を超える、何かを持っているんです」
エリカは呆然と立ち尽くしていた。
自分の失敗が? 毎回怒られる爆発が? まさか、評価される?
「エリカさん」
リオンが手を差し伸べた。
「一緒に研究しませんか? あなたの爆発の理由を、解明しましょう」
「で、でも私……ドジで、何もできなくて……」
「できないことを、できることに変えるのが研究です」
リオンは微笑んだ。
「それに、あなたは何もできないわけじゃない。誰もできないことを、あなただけができているんです」
エリカは震える手で、その手を取った。
この瞬間、彼女はまだ知らない。
自分の「ドジ」が、三百年続いた錬金術の常識を覆すことになるとは。
自分の「失敗」が、世界を進化させる鍵となることを。
そして、自分が——
「では、明日から廃棄実験室で研究を始めましょう。危険人物として、一般生徒から隔離する必要がありますから」
「え、隔離……?」(危険人物・・・)
「ああ、爆発するからね」
リオンはあっさりと言った。
エリカの新しい日々は、やはり爆発と共に始まるのだった。




